第32話
演習場に着いた。開けた演習場の中心に、異様な怪物が君臨していた。間近で見るのはこれが初めてだ。四方向に伸びた脚の膝にすら、俺の身長は届いていない。〝悪魔〟は演習場の片隅にある訓練用の塹壕を目指して、ゆっくりと大股で迫っていた。
塹壕は、建物が林立する区画を抜けてきた俺達の斜め前にあった。掘った土を盛って作られた壁を盾に、数人の味方がアーク・ソロモンの様子を窺っていた。
俺とヘカテも塹壕に潜り、撤退せずに残っていた味方達と合流した。ショートパンツに薄手のシャツを着ただけの軽装の女性が、いち早く俺達の姿に気づいた。
「アレス? なんでここに?」
「んなもん決まってるだろうが。止めにきたんだよ、あの悪魔をな」
「止めるって……あれを、君が!?」
困惑気味の表情をみせて、シルヴァはヘカテに視線を移した。
「どういうこと? 師匠を連れてくるんじゃなかったの?」
「総帥をお連れするとは言ってません。私は、アーク・ソロモンを倒せる人を連れてくると言っただけです。そして、その通りにしました」
「それって、アレスがアーク・ソロモンを倒すってこと……!? 無理だってっ! だって私は何度も視たっ! 師匠が来ないと、あの悪魔を倒せないっ!」
「|魂の閲覧(リーディング)、ですか」
「そうだよ。私達だけでは、どうやっても勝てなかった。頼るのは情けないけど、今回ばかりは師匠の力を借りないと無理なの!」
まるで俺が何の頼りにもならないと、合流して早々に悲痛な声でクレームをつけられた。
圧倒的すぎる敵を前に弱気になってしまうのはわからないでもないが、俺のことまで勝手に決め付けられるのは、かなり気に食わなかった。
「黙って聴いてりゃあ、他人のことを役立たずみたいに言いやがって。お前だって諦めてねぇから、逃げずにここで残ってんだろ?」
「私は師匠の援護をするために残ってたの! 師匠は来れないの?」
「必要ねぇ。この際、リリアの代わりでも何でもいいぜ。ああ。お前が視た未来でリリアがアレを倒したっていうなら、代役として、その役割も引き受けてやるよ」
「だから無理なんだって! 君が|裏次元(アカシャ)の力を得て強くなったのは知ってる。君にも視えているはずでしょ? 自分があの敵を倒す未来が、どうやったって存在しないことを!」
「はっきりと視えてるぜ。アレを破壊して、残骸の上に立って眺める景色がな!」
この手に握る短刀と出会った時に、その景色を視た。
「お前には視えねぇのか?」
「視えないよ。少なくとも、私の知ってるアレスじゃあ、あの兵器には勝てない」
「そうじゃねぇ。俺じゃなく、お前だ。お前が、アーク・ソロモンを倒す景色は視えてねぇのかって訊いてんだよ」
「視えないよ。無理だってわかってたけど、一応確かめた。だけど、やっぱり私だけで勝つ未来はどこにもなかった! 傷をつけるどころか、近づくことさえできなかった!」
「違うな。それは視えなかったんじゃなく、視なかったんだ」
シルヴァ以外の連中も、リリアの増援だけを心の支えにしていたのか、一様に暗く不安げな色を顔に落としていた。そいつらの気に食わない表情を横目に、俺は塹壕の土をのぼって敵に姿を晒した。
「ちょ、ちょっとっ! 何やってるのアレスっ! そんなことしたら――」
「うるせぇッ! 見損なったぜシルヴァッ! 俺はなァ! お前のようになりたくて、こんなふうに変われたって言うのによォ!」
「わ、私の……ように……?」
「そうだッ! 俺もな、お前に助けられた時、諦めてたんだ。初めて見たアーク・ロードを前に、絶対に勝てるわけがねぇってな。ところがお前は颯爽と現れて、俺を救ってみせた。諦めて誰も救えなかった俺は、お前のようになりたいと憧れたんだよッ! だってのに、あれは救えると知っていたから救ったのか? 勝てるとわかっていたから戦うことにしたってわけか? 失望したぜ! お前がそんな卑怯な奴だったなんてなァ!」
「だ、だって、できないとわかってることをやる意味なんて……」
「それがふざけてるって言ってんだよッ!」
左手に握る鬼神を、胸の前に構えた。
見据えた先からは、自身の身体の百倍はあろう無機質な〝悪魔〟が迫る。
「努力する奴は、成功すると知ってるから努力するのか? 違うだろ! 結果は後からついてくるもんだッ! 未来を視れるってのは、安全に生きられるってことか? 今の自分にできることだけを選んで、できないことから逃れられるってことか? くだらねぇな、そんな使い方ッ! だから俺が見せてやるッ! この能力があれば、できねぇことなんて何一つねぇってなァ!」
塹壕から五〇メートル程度の間合いで、アーク・ソロモンが脚を止めた。
背中のハッチが、豪快な駆動音を伴って開き始めた。
それが、〝悪魔〟に近づける唯一の隙だ。
「行くぜ。教えてやる。未来が視えるってのが、どういうことかってのをなァ!」
塹壕から飛び立った。
直線の軌道で接近するが、敵の迎撃行動はない。
正確には、迎撃できないというのが正しい。ミサイル発射用のハッチを開いている間は、側面に付いた機銃は収納されているため使用できない。故に、ミサイル発射の予備動作を、俺は接近のチャンスとして期を窺っていた。
だが、間合いを半分も詰めないうちに、敵はミサイル発射動作を中止して機銃での迎撃に移行した。
甲羅のような身体の周囲に無数の銃口が展開して、一斉に火を噴く。
弾丸の雨の襲来を前に、俺は駆ける速度を緩めぬまま目を見開いた。
「――|魂の閲覧(リーディング)ッ!」
無数の未来を視て、降りかかる豪雨を無傷ですり抜ける道を探す。
停止した時間で何千通りもの接近ルートを試して、
求めた正解のルートを探し当てた。
視えた未来と寸分違わぬルートを駆けて、弾丸の雨をすり抜ける。
両肩から袈裟にかけて交差したホルダーから、フレア・ダガーを片手で二本抜き取り、機銃のある部分めがけて投擲した。
この身と同じく弾丸をかいくぐった短剣が、狙った位置に着弾する。
接触から一秒置いて、短剣は爆散した。
爆発の範囲にあった機銃が破壊され、激化した迎撃が緩む。
その隙に、俺はアーク・ソロモンの死角たる身体の真下に潜り込んだ。
当然、〝悪魔〟の設計者も真下に潜られるケースを想定していたのだろう。見上げた天井の中心あたりに、万が一迎撃を抜けられた時の対策として回転砲塔が備え付けられていた。
反射的にフレア・ダガーで破壊を試みようとしたが、やめた。
それでは倒せないと、短刀に繋がれた未来の記憶に教えられた。
対応が遅れたことで、回転砲塔の迎撃に機先を制される。
砲塔を芯に据えて飛び回り、連射される弾丸を必死に回避する。
ショルダーホルスターから拳銃を抜き取り、避けながら砲塔に反撃した。
砲塔の装甲は厚く、ただ当てるだけでは微かな銃創を負わせるのが精一杯だった。
狙うべきは、砲塔の銃口のみ。
どれだけ頑丈でも、口に弾丸をねじ込めば確実に破壊できる。
無論、そんな芸当は限りなく不可能に近い。
――それがどうした?
「やると決めたら、やってやるぜッ!」
完璧な軌道を描いても、砲塔から射出された弾丸に阻まれる。為し遂げるには、まず迎撃を一瞬でも止めさせる必要があった。
そのために円を描く動きで翻弄するが、銃撃を避けられても隙を作るまでには至らない。
唐突に思いついて、回転砲塔の真下に飛び込んだ。
半球の形状をしている回転砲塔の構造上、左右より直線のほうが照準移動に時間を要する。
飛び込みから前転に繋げて、姿勢を低くした体勢から砲塔を見上げた。
回転砲塔に向けて、装填されている最後の弾丸を射出した。
その時点では、まだ射線上に砲塔の銃口はなかったが、
照準が俺に追いつくと同時に、射出した弾丸は砲塔の銃口に吸い込まれた。
砲塔の内部から異音が響く。
変わらず銃口は俺に向けられていたが、銃撃は再開されなかった。
空になった拳銃を投げ捨てた。予備弾倉がまだ一本残っていたが、構わず弾倉ポーチも全て外して、放り投げた。
「あとは、これだけありゃあいい」
青色の短刀を右手に持ち替えて、四本脚の一つを見据える。
関節が僅かに曲がっている脚の裏。
むき出しになっている部品を足場に、機械の脚を駆け上がる。
折り返し地点である膝裏を蹴り上げると、視界の天地を逆転した。
宙返りした俺の瞳に、駆け上がってきた機械の脚が映る。
捉えた部位に、全体重を加えた短刀を振り下ろした。
接触の音はない。
鋼鉄を裂いているにも関わらず、恐ろしいほどにまるで抵抗を感じなかった。
アーク・ソロモンの脚の一つが、膝から踵まで綺麗に縦方向に断裂した。裂かれた筋から、ショートした部品が発する電流が漏れている。手応えが薄かったが、完全に破壊できていた。
脚の一本を破壊したが、アーク・ソロモンの巨体は微かにぐらついただけで、すぐに体制を立て直した。残った三本で、重い身体を支えているようだ。
「だったらもう一本もやってやらぁ!」
破壊したのは前脚の片割れだ。もう片方の前脚も壊してやろうと、姿勢を落として、身体を弾丸のごとく弾き飛ばす。
すぐそばにある目標まで、一〇歩すらかからない近距離だったが、
視界の端から急接近してくる物体に気づき、軌道をずらして斜めに回避した。
駆けようとした地面に、太いワイヤーに繋がれた巨大な爪が突き刺さった。
試作型のアーク・ロードと戦った際に見た武装だ。爪は続けざまに飛来して、捕捉した俺を貫こうと接近する。
二歩、三歩と後退して回避に成功した直後、
背後から迫る爪に身体を貫かれる未来を視た。
――間に合うか――――ッ!
無傷では済まないかもしれないが、なんとか致命傷だけは避けようと、身体を反転して短刀で爪を防ごうとした。
それでも助からないかもしれなかった。
だが、俺は助かった。
掠り傷すら負わずに。
予見した通り、俺の背後の三方向から爪が飛来してきていたが、
その全てを、いつの間にか後ろに立っていたシルヴァがフレア・ハルベルトの柄で受け止めていた。
「後ろは私に任せなさいっ! 私に説教したんだから、ちゃんと見せてよねっ! 君が、この勝てるはずのない敵に勝つところをさっ!」
「お前……勝ち目がねぇって言ってたじゃねぇか!」
「言ったね。うん、言った。今だってそう。やっぱり私じゃあ勝てないだろうし、君と一緒でも勝てる未来なんて視えない。視えてるのは、君がやられる未来だけ」
「なら、どうして……っ!」
「それを君が言うかな」
三方向から加えられる圧力にガタガタと耐えながら、シルヴァは微かな笑いをこぼした。
「アレスは私に憧れたって言ったけどさ、私はそう言った君に憧れたよ。それにさ、憧れてくれたっていうなら、その人の憧れのままでいたいじゃない。私には、私の主観での未来しか視えない。かっこ悪いけど、君のように見えているものを変えられるとは思えない。だから、代わりに信じることにしたの。君の、未来は変えられるって言葉をさ!」
「……そうかよ」
シルヴァと背中合わせになって、俺は正面の破壊すべき兵器の脚部に照準を絞った。
「――なら、その目に焼き付けとけよ」
行く手を阻もうと二つの爪が伸びてきたが、構わず地面を蹴った。
一つ目の爪を短刀で斬り裂いて、二つ目を跳躍して飛び越えた。
「これが――――」
着地の衝撃を吸収して、凝縮したエネルギーを解放してさらに高く飛び上がった。
腰を捻り、上体を逸らして、短刀を足元まで振りかぶった。
跳躍が最高点に達する。
眼前には悪魔を支える頑丈な脚が映る。
俺は、それを――
「――お前の信じた男の、一撃だァァァァァッッ!!!」
一閃。すれ違いざまに、全霊を込めて振り抜いた。
アーク・ソロモンの脚部は、短刀・鬼神の刀身の二倍以上の厚みがあったが、
青色の閃光が走った箇所を境目に、悪魔を支えていた脚は真っ二つになった。
頭上の巨体が傾く。片隅が演習場に落ちると、あまりの衝撃に庁舎の敷地全体が振動した。側面の下部から何本も伸びていた爪が、動力を失ったのか、巨体の落下と共に停止して土埃を舞い上げて転がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます