第30話

 庁舎本館二〇階。この階はまだ電灯が生きており、廊下が眩い白色の明かりに照らされていた。

 敵の影はどこにもない。悠然と進む私の後ろを、二名の部下が警戒しながら続く。廊下の反対からも、武装した二名の味方が距離を詰めてきていた。

 廊下の中ほどまで歩いて、足を止めた。対面から来た味方とも合流する。

 目の前にドアがあった。他の部屋と同じ、変哲のない薄い灰色のドアだ。ただし、このドアにはカード認証による電子ロックが備わっていた。見たところ、ドアを構成する素材は大して頑丈そうではない。

 突入する前に、背後で命令を待つ部下達を順番に見た。


「よく生き残ってくれた。これで君達のミッションは終わりだ。あとは全てが終わるまで、庁舎の正門で待っていろ」

「え……? その、市長室はどうするんです?」

「私が片づける。どうせ訊かれるから先に答えておくが、他の部屋の探索も不要だ。今すぐエレベーターを使って戻れ。それで君達の戦闘は終了だ」

「ですが、まだ敵が多数残っている危険が……」

「私を誰だと思っている。たとえそうだとして、この私がやられると思うか?」


 毅然とした返答に、作り笑いも添えてやった。困惑気味の精鋭達は、互いに顔を見合わせた後、一斉に敬礼をして廊下から去った。そういえば、彼らは全員、元軍属だった。


「良い子達だ。どこぞの新入りとは大違いだな」


 私への敬意が足りていない男のことを考えながら、アサルトライフルの銃口をドアに向けた。逡巡もなく引き金を引き絞り、鍵が仕込まれている辺りを連射する鉛で破砕した。

 見た目通り、強度は他の部屋と変わらなかった。表面が無惨に欠けたドアの金属のノブを握り、内側に押し込む。電子ロックは物理的に破壊されて、抵抗もなく私を室内に招き入れた。

 部屋は廊下同様に明るく、奥の執務机に誰かが座っていた。革で作られた陳腐なデザインの高そうな椅子だ。入口側に背もたれが向いており、座っている人物の身体は肘掛けに置かれた両腕しか見えない。

 私の入室に気づいていないのか。そんなことはありえない。たとえ深い眠りに落ちていたとしても、ドアを破壊するほどの銃声が間近で起これば、生まれつき人間が持っている危険察知の本能が強制的に意識を覚醒させるはずだ。

 無音の室内に、自分の靴音が反響する。微動だにしない庁舎の長――第七二区画都市の市長が座る椅子に、背後から慎重に詰めていく。背もたれの影から少し横顔を窺えるようになり、さらに数歩進むと、全身を見ることができた。

 死んでいた。

 椅子に座っていた緑色の軍服を着た中年の男は、頭を垂れて口端から血をこぼしていた。死因は推察するまでもなく、緑から黒に変色した軍服の胸元が物語っていた。銃創は二ヶ所。一発が心臓を貫通しているので即死だった。市長室を尋ねてきた誰かを部屋に招きいれて、入室直後に射殺された、といったところだろう。

 ならば、殺された直後、市長は入口側を向いていたはずだ。しかし、私が入ってきた時、既に絶命していた彼は入口に背を向けていた。

 開け放ったままのドアの先――明かりが漏れる廊下から、馬鹿げた数の足音が迅速に近づいてきた。逃がした味方が忠実に命令を守ってくれていることを祈りながら、ライフルを持つ手から脱力して、音が集結する市長室の入口を執務机越しに凝視した。

 どこに潜んでいたのか、赤服を着た秘密組織の連中が、ぞろぞろと市長室に侵入してきた。数は十一。統率された動きで私を取り囲み、軍隊標準装備のライフルの銃口を私の心臓へと構えた。逃げ場はなかった。後ろに窓があるが、ここは二〇階。飛び降りたとして、結果は銃で撃たれた場合と変わらない。

 抵抗の意志がないことを明示するように、手にしていたライフルを執務机の上に置いた。両手を挙げて、囲まれた殺意を見回した。

 赤服の隊長と思しき男が、警戒を緩めぬまま執務机に寄ってきた。


「ニーベルングの首領・リリア=リリトーだな。お前なら、必ずこの部屋にやってくると信じていた」

「ならばもっと喜べ。こうして期待に応えてやったんだからな。正規軍といえども、都市を任されたトップであれば君達〝騎士〟とも繋がりがあると思ったが、私の見当違いだったようだ」

「傀儡の階級なぞ飾りに過ぎん。我々アンドリヴァ・ナイツが、この国を真の意味で支配しているのだよ」

「それはさぞ誇らしいだろうな。で、肝心の話だが、私を撃ってこないあたり、何か用があるのだろう? 一応、目的を言ってみたらどうだね」

「|反政府組織(テロリスト)の筆頭組織を束ねるお前は、色々と利用価値がある。第一区画都市首都に連行しろとの命令だ。もっとも、抵抗の意志があれば即座に射殺しろとのお達しも出ているがな」

「そうか」


 短く相槌を打って、左端にいる敵に目を合わせた。機械のような無感動な瞳に、迷いの介在しない本物の殺意が湛えられていた。

 見つめていたのはコンマ一秒ほどの刹那。

 左端から流し見るように、並んでいる敵全員と順番に視線を重ねた。

 最後に隊長と思しき男を見て、二秒が経過する前に全員と目を合わせ終えた。

 空気が、変わった。

 〝騎士〟達が纏っていた殺気はいつの間にか消えており、色濃い殺意を秘めていた瞳からは、生命の輝きが失われていた。

 十一人の敵はまばらにライフルを床に落として、糸の切れた人形のように身体が前のめりに傾いた。


「――これが、君達の選んだ結末だ」


 敵の身体が、例外なく市長室の床に崩れた。

 視線を順番に重ねていった際に、私は彼らの|裏次元(アカシャ)に強制的に侵入した。現実から切り離された時間で彼らの魂と対峙して、殺害した。

 そう。私が殺したのは、彼らの肉体ではなく、肉体の上位存在である魂だ。魂が息絶えた彼らは、二度と転生できない。治療など論外だ。肉体が修復されても、そこに宿る中身が、もうどこにもないのだから。

 当然、今生の肉体も死に至る。

 魂の殺害。究極とも言える殺人術を、私はこう名付けた。


名も無き死UnkownToDeath。非道を繰り返した君達にお似合いな最後だ」


 死体というよりは抜け殻と表現すべき無傷の亡骸を置き去りにして、市長室から廊下に出た。

 窓から演習場を見下ろして、悪魔の王の名を冠した巨体を、改めて瞳に映した。

 人間が勝てる相手ではない。

 |ニーベルング(我々)が勝つには、あの男に運命を委ねるしかない。

 そのために、私は彼に武器を与えた。

 人間では勝てない相手に勝つための、〝領域〟を超える武器を。

 私も組織の一員として、あとの運命は彼に託した。

 暗く沈んだ庁舎の敷地内。その最奥部にある演習場の手前から、

 一筋の青い流星が巨躯の悪魔に挑みゆく光景を、私は見た。

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