第29話
軍隊が訓練を行うために整備された演習場の様子は、庁舎本館十九階の高さからよく見えた。十九階では高低差がありすぎて、やや小さく見えてしまっているが。
それでも、演習場に降臨した敵の最新兵器――アーク・ソロモンが規格外の体積であることは、演習場の敷地面積を把握している俺には理解できた。体長は縦三〇メートル横二〇メートル、高さ一〇メートル程度だろうか。形状は、脚が長く頭の無い亀といったところだ。その甲羅は非常に厚い。空からの攻撃に耐えるためだろう。
考察していると、アーク・ソロモンの縦に亀裂のはいった甲羅が、片端から順番に両側に開いた。ただの装甲というのは見当違いだったらしい。
瞬間、今朝高速道路で遭遇した出来事を思い出した。
アーク・ソロモンを、初めて目にした時の出来事を。
「何するつもりだ――っ!」
小声で呟いた疑問に答えるように、開いたアーク・ソロモンの背中から十発以上の物体が飛翔した。
垂直に天を目指した複数の物体は、一定の高度までのぼった後――
「アレスッ! 窓から離れろッ!」
庁舎の敷地内に、無差別に降り注いだ。
爆撃機の局所的な空襲を彷彿とさせる乱暴な爆発音。庁舎本館の十八階あたりにも直撃して、十九階の廊下も一部が吹き飛んで跡形もなくなった。
間一髪、ラウンジに逃げ込んで攻撃を免れた。反応が遅れていたら、命を落とすまではいかずとも、戦闘続行が困難な重症を負っていたかもしれない。
「なんという兵器だ……待て。まだ何かするつもりか?」
爆発の衝撃でガラスの無くなった窓枠から見下ろして、リリアが不審げに言う。
観察していると、展開していた甲羅が元に戻り、全方位の甲羅と脚部の境目に二段の突起物が現れた。甲羅の内側に収納されていた兵装らしいが、ここからでは米粒のように小さく見えて判然としない。
数え切れないほど展開した突起物が、強烈に危険な音を奏でた。同時に、数え切れないほどの流星が〝悪魔〟から全方位に降り注ぐ。
突起物は、例外なく機関銃だった。
敷地内にばら撒かれたのは弾丸だった。無傷を保っていたガラスは割れた。電灯が壊れて明かりが消えた。回避の遅れた人は倒れた。殺意の暴風が庁舎全体を荒れ狂い、戦場は地獄に逆行した。
悪夢のような攻撃が止む。
暗くなった廊下から眼下をのぞいてみると、庁舎の敷地内は幾重もの爆撃と銃撃によって、半ば廃墟と化していた。
「アレス、君が腰に差している刀が何故作られたか、知っているか?」
「……ああ。刀を手に取った時に、聞いた」
「そうか。ならばもう一度言おう。その刀は、我々が勝てない存在に勝利するための武器、いわば運命を変える力を込めた特別中の特別だ。銘は、機械の神を狩る鬼の刃――鬼神。手にとってみろ」
拳銃をホルスターに戻して、腰の後ろに差してあった短刀を、鞘ごと抜き取った。
照明の落ちた暗い廊下でも、柄と鞘が鮮やかな青色の輝きを放っている。
「私が言わんとしていることは、もうわかるだろう? それが、私が君を組織に招いた理由だ」
「……お前、どこまで視たんだ?」
「言えないな。それを話せば、私の知っている未来が変わってしまうかもしれない。支障のない範囲で語るならば……そうだな。君が全力を尽くせば、悪い結果にはならないだろう」
「そりゃあいい。だったら確かに訊く必要なんてねぇな」
鬼神と呼ばれる刀と邂逅した際に、俺は〝悪魔〟と対峙する未来を視た。それを現実にできるなら――いや、たとえどのような結末であろうとも、手にした力を振るわないなんて、そんな器用なマネは俺にはできない。
あれは、存在を許してはいけない類の存在だ。ただそこに在るだけで、多くの死を振り撒く悪夢そのものだ。
必ず、ここで破壊しなければならない。
束の間の静寂に包まれた暗闇の廊下に、何かが突き刺さる甲高い音が響いた。音の方角を見ると、先の爆撃で吹き飛んだ床から、一本のワイヤーが伸びていた。注視していると、金髪に漆黒のドレスを着た少女が階下から飛んできて、滑らかな身のこなしで十九階の床に着地した。
幼げで感情の読めない瞳は、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「お迎えにきましたアレスさん。あなたの力が必要です」
「ほう。私ではなくアレスをご指名か。ヘカテ、君も視たようだな」
「はい」
次に取るべき行動が掴めず、ヘカテとリリアを交互に見た。ヘカテは相変わらず一歩も動かず佇んでいる。リリアは俺に背を向けて、階段室のほうへ歩いて行こうとした。
「待てよ。俺は下に行けってことか? 本館の制圧はどうすんだよ」
「この階に敵はいない。残りは最上階だけだ。残りは私と、階段を張っている数名で充分だろう。こちらのことは気にするな。君には君にしかできないことがある」
振り向きもせず、規則正しい靴音を鳴らして、腰まで伸びた長髪を左右に揺らして、彼女の背中は遠ざかっていく。
俺もまた、ヘカテの待つ逆側に歩いて行こうとした。
「アレス」
その声に足を止めて、暗闇の中でリリアと俺の視線が交錯した。
「正義の味方とは、いいものだろう?」
心底愉快そうに唇を歪めて言うと、返答を待たずに彼女は闇に溶けていった。
ヘカテは隣の建屋の壁にアンカーを飛ばした。発射音と共に伸びたワイヤーは、目標物に先端を突き刺して停止した。ヘカテは二度、三度とアンカーの本体を引いて、問題なく先端が固定されていることを確認した。
サブマシンガンのスリングを肩にかけて、彼女は空いたほうの手を俺に差し出した。
「私の手を握ってください。大丈夫です。ふざけて離したりしませんので」
「そういう発想がある時点で恐ろしいんだが……そもそも、俺の体重を片手で支えるなんて無理だろ」
「通常であれば無理です。ですが、アンカーが重量を吸収してくれますから、心配は無用ですよ。強いて言うなら、私の気まぐれが一番危険かもしれません」
「怖いこと言うなよ。珍しいな。お前がそんな冗談言うなんて」
「舞い上がっているのかもしれません。三年ほど前から国の政策に反対する組織として暗躍してきましたが、都市ごと陥落させるのは今回が初なので。冗談も言ってしまいます」
「別にいいけどよ、頼むから冗談で済ませてくれよ」
「無論です」
左手には鞘に納まった短刀を握っていたので、右手でヘカテの色白で小さな腕を握った。
穴の穿たれた廊下のふちに立つ。眼下から吹き付ける風に、前髪が舞い踊った。どれほどの高さがあるのだろう。およそ七〇メートル程度だろうか。
同じように髪を振り乱しながら、済ました顔でヘカテはアンカーの先を見た。
「行きましょう」
「本当に頼むぜ」
「任かされました」
断崖に二人で並んで立つ姿は、まるで身投げして心中するかのような絵だった。
真実、俺達は庁舎本館十九階からワイヤー一本を支えに飛び降りた。
高速で視界が疾駆する。自分の命をヘカテに預けた俺は、無事に着地できるかは心配せず、頭ではリリアの去り際の一言を反芻していた。
『正義の味方とは、いいものだろう?』
「――ああ。まったくだぜ」
訊かれなかった返答を口ずさんだ俺の口元は、
きっと、彼女の見せた表情と同じように笑っていた。
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