第24話
自分の死。数々の死を見てきて、ろくな死に方はできないと思っていた。死ぬ時は唐突で、例えば背後から銃弾で撃たれるとか、そういった幕切れで人生が終わるのだろうと諦観していた。
昨夜、燃え尽きようとしていた俺の命は救われて、しつこく刈り取りにきた赤髪の死神すらも追い返した。再燃した命の炎は、当分は安泰だと思っていた。
瀕死の重傷者が最後に常識外れの能力を発揮することがある。それと同じように、この身に宿った強大な能力もまた、自らの死を代償に授与された能力だったのかもしれない。
俺は今日、死ぬ。
必死になって探せば、未来を変えることができるかもしれない。未来は絶対的なモノとは限らない。俺は結末を変えたから、こうして呼吸をしていられるのだから。
それが勘違いだったとしたら?
結末を実際に見たわけじゃない。未来を変えたつもりになっているが、実のところ未来は変わってなんかいなくて、初めから決まっていたのかもしれない。
未来が変わらないなら、どう足掻いたとしてもシルヴァが視た結末は現実となる。
「ねぇアレス、ほんとに、このまま戦いにいくの?」
不安な声色がヘルメットの内側から届いて、脳に浸透した。
薄暮の高速道路を並走するバイクから、強い視線を感じた。
「逃げれば助かるのか? 言っておくが、逃げた末の結果を視るつもりはねぇぜ。それはお前らを見捨てるってことだろ? それができるほど、俺の性根は腐っちゃいねぇんだよ」
「……君は、死ぬ覚悟ができてるんだね」
「んなわけねぇだろ。だいたいなぁ、俺には例の刀がある。お前には変哲のない短い刀にしか見えねぇだろうが、アレは相当な代物だ。それこそ、決められた結末を覆せるほどにな」
「なにを根拠にそんな……。|魂の閲覧(リーディング)で、なにを視たの?」
「言えば未来が変わるかもしれねぇんだろ? だったら言うわけにはいかねぇよな。それは俺達にとって都合の良い結末だったから」
曖昧に濁したが、それは嘘じゃない。
鬼神を手にした俺が敵拠点の襲撃に参加すれば、多くの命が救われる。青色の柄に触れた時、光の速さで巡った未来の記憶で、その結末を鮮明に視た。
それは同時に、俺が逃げれば多くの命が失われるということで、
その〝多く〟に含まれるシルヴァもまた、命を落とす可能性は高い。
「これは例え話だが、俺が敵前逃亡するとお前が死ぬことになるとしたら、お前はどういった行動に出る? 俺と一緒に尻尾を巻いて逃げるか?」
「それはできないよ。だって師匠やヘカテがいるんだし。他のみんなだって、一つの目標を掲げて戦ってきた仲間だもん。君の誘いでも、自分が死ぬとわかっていても、信じた人を裏切るようなことはできない」
「そうだろ。俺も同じだ」
「アレスはつい昨日加入したばかりでしょ? 恩義や連帯意識を持たなくたっていい。私達に構わず、生きる道を選んでいいんだよ?」
「確かに、〝|現在(いま)〟は薄っぺらいかもな」
この身体は未来と繋がっている。
ならば、〝|現在(いま)〟がどうだろうと、それは関係ないことだ。
「けどなぁ、生きてりゃあ、この先の人生で長い付き合いになる連中ばかりだ。そいつらを見殺しにするなんて残酷なマネ、できるわけねぇだろ」
「……でも、そうしたら君は……」
「わかってる」
自信がなさそうに細い声で、シルヴァは心配事を繰り返す。
彼女の沈んだ雰囲気を吹き飛ばすためにも、俺は本格的に自らの終わりを引き伸ばすために思案した。
視られてしまった死を回避するには、まずは原因を知る必要があった。
「一つ聞かせてくれるか。俺は、どうやって死ぬんだ? 誰に殺された? それとも事故か?」
「それが……わからないの」
「わからない……? 覚えてない、じゃなくてか?」
「うん。誰かに殺されるのは視えたんだけど、それが誰かわからなかったの。全身が、光の無い暗い色に隠れていたから。そうね……まるで、人間の影だけが立っているみたいだった」
言葉を失った。
漠然とした説明、特徴は曖昧なはずなのに、俺の脳裏には即座に条件に合致する存在が浮かび上がった。
幾度も|裏次元(アカシャ)に現れて、毎回俺に襲いかかってきた黒い影。その怪しげな人影の正体は依然として明かされてないが、攻撃をしかけてくるのだから、少なくとも味方ではないのだろう。
人影の秘める能力には底知れないものがある。俺は彼と戦う未来を視て、彼と戦う自分と|魂の同期(トランス)をして、勝ち目のなかったエリゴールを相手に引き分けることができた。鬼神に強制的に視せられた未来でも、短刀を握る俺は強敵達と立て続けに対峙した後、最後に人影と刃を交えて…………結果までは視ることができなかったが、シルヴァの語る結末が真実なのだろうか。
この身は、得体の知れない影に殺されて朽ちる運命なのか。
跨ったバイクの駆動音と、風を切る音だけが耳に響いていた。
「ごめんね、アレス」
遮ったのは、深刻そうな声色。
「なんだ、急に。まさか、俺が死ぬかもしれねぇのが、自分のせいだとか言うんじゃねぇだろうな」
「昨日の夜、師匠には内緒で君を逃がすこともできた。君は自分の意志でニーベルングに加入したんじゃない。ついてこなければ、こんな危険な戦いに身を投じることもなかった。それなのに、私は君に逃げてほしくないって思ってた。昨晩の戦闘で、アレスは私を助けてくれたよね?」
「偶然間に合ったからな。俺もお前に助けられたんだから、借りを返せると思った」
「でも、きっと君なら、借りなんかなくたって私を助けてくれたよね」
「救える命を見過ごせるほど、俺は世の中を諦めちゃいねぇよ」
「うん。私もそうなんだ。救える命は救いたい。でも、その〝救い〟の対象に自分は入ってなかった。自分が誰かを救うことはあっても、救われることはない。それがわかってたから、私は昨晩の戦闘で追い詰められた時、諦めてしまったの。ああ、ここで私は終わるんだなって。驚くくらい冷静に」
「案外根性ねぇんだな」
「あははっ、ほんとにね。情けないって反省したんだけど、嬉しくもあったの。救う側になった私を、救ってくれる人がいたことが」
命を失うかもしれない決戦を目前に控えているのに、彼女は朗らかに笑っていた。
心に染み入ってくる幸福そうな声が、その色を変化させて俺に問う。
「君はどうして、私達に手を貸してくれるの?」
「何度も言わせんな。お前達に救われた命だから――」
「そうじゃないよね?」
俺の嘘を見透かしたように、彼女は断言して遮った。
「義務感だけじゃない。はっきりと、君はこの場所で生きてる。今だって、死ぬかもしれないのに全然逃げようとしない。みんなを助けたいって言うけど、ほんとにそれだけなの?」
「ああ。本当に、それだけだ」
「自分がかつて所属していた組織を、敵に回しても?」
「覚悟のうえだ。俺はこの道が正しいと信じた。奴らも、奴らの選んだ道が正しいと信じてんだろうよ。ならもうぶつかり合うしかない。俺は、腐った世界に敵対するほうが多くの人々を救えると信じた。奴らは、腐った世界でも正義と呼ばれる立場にあることを望んだ。理由は単純、世間から正しいとされる立場にいるほうが、絶対的に楽だからだ。そういった甘えた連中の目を覚ますには、誰かが〝悪〟になるしかねぇんだよ」
長い高架の道路をバイクのヘッドライトが照らす。
徐々に大きくなってきた管理庁舎を瞳に映しながら、脳裏ではリリアが初めて会った時に言った台詞が蘇っていた。
「お前の師匠は、自分が指揮する|反政府組織(テロリスト)を正義の味方だと言っていた。恥ずかしい話だが、俺がニーベルングに入った理由の一つはそれだ」
「正義の味方が、理由?」
「子供の頃の夢をいつまでも引き摺ってるようでかっこわりぃけど、そういう存在に憧れてたんだ。まあ、蓋を開けてみたら、|反政府組織(テロリスト)はその名に忠実な悪役だったけどな」
敵と定めた奴らと雌雄を決する戦いを目前に、口が軽くなっていた。つい昨日、生涯誰にも話さないと誓ったはずの想いを、一日も経たずして破ってしまっていた。
けれども後悔はしなかった。気恥ずかしさはあったが、それを聞いた彼女が馬鹿にしたふうでもなく、純朴な笑い声をあげてくれたから。
だから、悪い感情は湧いてこなかった。
「大丈夫。アレスは正義の味方だよ」
ひとしきり笑った後、シルヴァはそう答えた。
いったいどういう意味なのか。聞き返そうとしたが、
「こうして、私を守ろうとしてくれてるんだから。少なくとも、私にとっては正義の味方だよ」
返された回答に、頬が急激な熱を帯びるのを感じた。ヘルメットで表情が隠れていたので、余計な心配をせず助かった。
「……こんな恥ずかしいこと言わせたんだから、ちゃんと守ってよ?」
「お前が勝手に言ったんだろうが……だいたいな、俺が前回お前を助けたのは、偶然見つけたからだって教えただろ。俺はお前専属のボディガードじゃねぇんだぞ」
「でも、ボディガードが職業なんでしょ?」
「悪いが昨日お前達と出会ったせいで廃業した。ここにいるのは国の敵、|犯罪者(テロリスト)だ」
「要人警護が、一日で要人を狙う側になるなんてね」
「それだけ、世の中ってのは何が起きるかわからねぇってことだぜ」
良い意味でも、悪い意味でも、未来がどうなるかなんて誰もわからない。予見した結末が的中したとしても、それが必然であることを誰も証明できはしない。
俺の得た能力、彼女も持っている能力は、そういった常識の範疇の外にある概念だ。裏次元で視た記憶が理由として成り立つなら、それは必然の証明となる。不幸な未来を視たのなら、その未来が避けようのない事象として確立されてしまう。
――だが、都合の悪いことまで認めてしまうことはない。
確定した幸福と不幸があるのなら、後者だけを変えればいい。魂の閲覧、魂の同期とは、望む未来を引き寄せるための能力であるはずだ。
俺は死ぬ。敵地に赴けば、決して敵わない相手と戦うことになり、命を落とす。
彼女は死ぬ。俺が逃げれば、悪魔のような兵器と戦い、命を落とす。
どちらを選ぶか……なんて、そんなのは無粋な問いかけだ。
――迷うわけねぇよな。
自分の命が天秤にかけられているのに、欠片も逡巡しなかった心が誇らしかった。鼓動が喝采をあげて全身が熱くなる。心地の良い高揚感に、この身体は抱擁されていた。
「ったく、俺の願いはささやかなんだぜ? 国を相手取らなくたって叶えられる小さな願いだった。それが、どうしてこんな大層な状況になっちまったのかねぇ」
「相手が悪かったんだろうね。君が願いを叶えることを、願った相手がさ」
「お前それ、わかって言ってんのか?」
おかしそうに言ったシルヴァは、言ったあともクスクスと場違いな声をこぼしていた。
俺を頼ってくれる人がいる。
その人のためになれるなら、それこそが俺の存在している意味だ。
そうやって存在を証明できたなら、後悔なんてするはずがなかった。
管理庁舎が間近に迫ってきた。街を一望できる二〇階立ての本館は、挑もうとする俺には一層高く見えた。
急にバイクのタコメーターの下にある液晶画面に電源が入った。いや、電源は乗車時から入れてあったから、何かを受信したのだろう。映された映像には、見覚えのある薄暗い風景と、旧式のアーク・ロード、それに――必死の形相を浮かべ逃げ回る若い男女が映されていた。
それは、偶然夜の港を見回りしていた俺と出会い、結局救うことができずに帰らぬ人となった者達だった。
「緊急を要する連絡があれば、って言ってたよな。この盗撮動画のどこに緊急性があるっていうんだ?」
「昨日の映像っぽいね、これは…………ぁ……」
夜の港を逃げていた男女が機械に掃射されて、シルヴァも何の映像なのか理解したようだ。彼女にとっても苦い記憶なのだろう。僅かな動揺を示して、閉口した。
《シルヴァ、アレス、聞こえているかね?》
「リリアか? 唐突にナビに映像が流れ始めたが、お前の仕業だな?」
《もちろんだ。もっとも、君達の画面に映したのはおまけだ。私がこの映像を見せたかったのは君達ではない。今頃、同じ映像が庁舎の全モニターに映し出されているはずだ》
「庁舎? …………まさかッ!?」
《ああ。君は元同僚達を皆殺しにする覚悟を固めていてくれたのかもしれないが、いくら私達が強くとも、正規の軍人とアンドリヴァ・ナイツを合わせれば途方も無い人数になる。個々の戦力差など勝敗と無関係にできるくらいにな。
それに、仮に奇跡でも起きて敵勢力を殲滅できたとしよう。そのあと街は誰が面倒を見るんだ? 反乱分子である我々には、無論市民達のマイナス感情を制御できるだけのノウハウはない。我々は世直しを図っているのであって、混沌を望んでいるわけではないのでね。戦いに勝利した後も、この街の市民が以前と変わらぬ暮らしができる体制を保たねばならんのだ》
「それって、真実を知って離反した人達を吸収して、一緒に戦うってことだよね。そううまくいくかな? 時間をあげないと、混乱はしても、寝返ってくれるのはごく僅かだと思うけど」
《戦力が削げれば充分だ。我々の敵は〝騎士〟と、その背後にいる国の上層部なのでね。こちらに味方してくれずとも、傍観者になってくれれば僥倖だ。戦意を喪失した正義感の強い連中なら、終わった後にいくらでも説得できるだろう》
「……正義、か」
推察されたように、俺はかつての顔見知りを手にかける覚悟はしていた。道を違えたのだから仕方がないと、理由にならない卑怯な言葉で、自身を諦めさせようとしていた。困難を乗り越えることをやめた自分を、俺は〝悪〟と呼んで自嘲した。
大切なことを、忘れていた。
夜気を走る駆動音。高速道路の下に広がる街明かりは、輝く海のよう。田舎では本物の海を拝めるが、都会の海も悪くない。一年前、軍に務めている頃には特別な感慨を抱いたことがなかったのに、今日は人工の海が妙に美しく映った。
なんでもない風景を綺麗に感じてしまったのは、久しぶりだから、というだけではない。きっと、俺自身が
俺は、かつての自分との約束を果たした。
本物の〝悪〟になど、なる必要はない。
俺が生きている意味を、弛緩した顔が目に浮かぶような弾んだ声で、電話越しのリリアが言い放った。
《言っただろう。我々は正義の味方だと》
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