第23話

 やってきたのは第一拠点の屋上。ヘリポートとしても利用される広い敷地の片隅で、ステンレスの欄干に手をついて、リリアは十階の高さから街を見下ろした。その手には携帯電話。回線を開けば会話を傍受されて、発信者の位置まで特定される危険を孕んでいる。

 けれども、それはもはや無意味な心配だ。ベリルが裏切ったならば、敵はリリアの潜伏先を知っているはずなのだから。


「――私だ。頼んでおいた件だが、ベリルの運転する車両の位置はわかるか?」

《問題ありません。発信機は正常に機能しております。現在当拠点の地下駐車場から出ようとしていますね。出口を塞ぎますか?》

「そうか、まだ下にいるのか。ならば、そのまま出してくれ。あとは自分で追う」

《了解しました。では、引き続き〝準備〟を進めます》

「ああ。そちらは頼んだぞ」


 西の空が赤みがかった時間帯。車や人が奏でる忙しない喧騒を遠くに聞きながら、リリアは眼下の風景――地下駐車場の出口付近を注視した。

 白色の高級車が、出口から飛び出した。進行方向の信号が赤なのにも関わらず、その車は無駄な加速をした。てっきり無視して交差点に突っ込むかと予想したが、律儀にも車は前方車両を追い越さずに停止した。


「ベリルの車だね。どうするの、師匠」

「電話をかける」

「は、電話……?」


 緊張感に欠ける回答に、質問した本人ではなく俺が頓狂な声をあげてしまった。

 リリアは暢気な微笑を浮かべて、本当にどこかへ電話を始めた。


「ヘカテ、この端末を持っていてくれるか?」

「はい、総帥」


 機械的に頷いて、ヘカテが手渡された端末をリリアの耳元に当てる。

 規則性のある発信音が夕焼けの空に響く。一回目、二回目、三回目――


「そんなの出るわけねぇだろ。逃げてんだから、裏切りがバレてることにも気づいてんだろ? そんな奴が追っ手の電話に出るかよ」

「常識で考えればそうなんだろうが、相手は証拠の始末すら満足にできん馬鹿者だ。最後に、戯れとして試してみるのもいいだろう」

「恐ろしい性格してるぜ、お前」

「その私を敵に回したのだ。大したものだと褒めてやらねばな」


 呼び出しの音は続く。四回目、五回目、六回目――

 音が、途切れた。

 静まった部屋で、一呼吸置いてからリリアが口を開いた。


「ベリル。よくもやってくれたな。何故、私を裏切った」


 すぐに返事は返ってこなかった。エンジンの駆動音だけがスピーカーから漏れていた。

 しばらくして、息を吸い込むような音が聞こえた。


《……情報は金になるんですよ。それに、やはり国を倒そうだなんて無理です。いずれ拠点の情報も露呈して、あなたに関わった者は皆殺しにされる未来が目に見えています。けれど、私は死にたくなかった。それだけの話です》

「社会で行き場をなくしたお前に、もう一度居場所を与えたのは私だ。お前は才能を開花させて、充分に責務を果たしていただろう。何を根拠に〝未来〟を決めつける?」

《未来は現在の延長です。現在を知れば、未来の想像も容易でしょう。

 あなたに誘われて、初めのうちは自分が特別な存在になったようで興奮してました。結婚もできず、自分で始めた会社も倒産して、世の中に要らなくなった人間に価値を与えてくれたことは感謝しています。けれど、せっかく拾われた命だからこそ、私は捨てたくない。リリア様、あなただって私に生きてほしいから救ったのでしょう?》

「ふっ……なかなかおもしろいジョークだ。君にそんな才能があったなんてな」


 嘲るように吐いて、リリアは肩にかけたスナイパーライフルの弾倉を外した。


「シルヴァ、フレア・バレットを一つ寄越せ」


 ただならぬ雰囲気を纏う師匠を相手に、リリアは声を出すことができないようだった。

 武器を詰めた袋から無言で小さな箱を取り出した。中には弾丸が詰まっていて、そこから一発つまむと、リリアに差し出した。

 受け取ったリリアは弾倉に弾丸を装填して、片手で持ち上げたライフルに装弾した。

 交差点の信号が青に変わり、白色の高級車が走りだす。


「ベリル、私も君に感謝せねばならんことがある。君が敵に渡した情報についてのことだ。あれは私が以前、第三拠点への武器の補給を頼んだ際に渡したデータだろう?」

《ええ。おかげで、私は情報と引き換えに罪に問われなくて済みそうですよ》

「そうか。ならばウィンウィンだな」

《ウィンウィン……?》

「ああ。あの時、結局補給は中止にさせたが、ネタばらしすると、中止するところまでがワンセットだったのだよ。この意味がわかるかね?」

《……それは、どういう……》

「まだわからんのか。私は君に情報を漏洩させてほしかったのだよ。敵の戦力を分散させるためにな。そのために、私はお前に偽の情報を渡した」

《――――ッ!》


 通話相手が青ざめた表情をしているであろうことが、電話越しでも明瞭にわかった。


「君は未来を見るといったが、私にも未来が視えていた。君を勧誘した時から、君がいずれ裏切るであろう未来がな。だが、私はチャンスを与えた。君の才能に合った仕事を用意して、名誉ある地位も授けた。君に未来を変える機会を与えたのだ。けれども君は未来は変えられないと諦めて、こうして私の予見どおりの結末を迎えた。残念だよ。だが同時に感謝しよう。今頃、偽の補給拠点に集まった連中は、拠点もろとも灰になっているだろうからな」

《そ、そんな……そんなことは……》

「信じられなければ、君が尋ねようとしている人物に会ってみればいい。君は私の罠にかかったが、向こうからすれば、君が罠にかけた側だ。さて、いったいどんな歓迎をしてくれるかな?」

《ぁぁ…………》


 銃身を欄干に載せて、銃口を遥か先に遠ざかっていく白色の自動車に向けた。短く見積もっても一キロ以上離れているが、リリアはスコープを覗こうとしなかった。


「もっとも――」


 照準を合わせたそぶりだってなかった。

 当たるはずのない狙撃。ふざけているとしか思えない、いい加減な姿勢のまま、リリアは引き金に手をかけた。

 火薬の炸裂音。きな臭い硝煙が風に溶ける。

 それが現実だとわかっていても、目に映る光景を疑わざるを得なかった。

 

「――その肉体の未来は、ここで終わっているのだがね」


 約一キロ先の道路で、走行していた自動車が炎上した。

 リリアは排莢したライフルを肩に担ぎ直して、圧巻の出来事を前に硬直している俺達

に、愉快そうな視線を投げた。


「未来に繋がる技術を極めれば、〝確実に当てる〟ことも可能だ。覚えておくといい」


 自分がついていくと決めた統率者の底知れない能力を目の当たりにして、自分が軍に残った未来があったかもしれないと思うと、少しだけ恐怖を覚えた。

 それは、この人物に従っていれば間違いないと、そう再認識した瞬間でもあった。 

 

 屋上から階段を降りて十階に戻り、エレベーターの到着を待っていた。

 寡黙なヘカテが、相変わらずの無表情でリリアを見上げた。


「総帥、私達はこれからどうするのですか。この拠点は知られてしまったので、前と同じように破棄するしかないと思いますが」

「その必要はない。狙われるのは確かだが、奴らとしても偽の補給拠点に送った部隊が全滅して、相当な痛手を負っているはずだ。すぐに襲撃されることはないだろう。ならば、機先を制すればいい」

「敵が足踏みしている隙に、管理庁舎を落とすわけですね」

「絶好の機会でありながらにして、背水の陣だな。退くことは許されない。進むしか、我々が勝利する道はない」


 エレベーターが到着した。全員が乗り込むと、シルヴァが一階のボタンを押した。


「戦力を削ったのはいいけどよ、庁舎には結局どのくらい力が残ってんだろうな?」

「それでも我々よりは多いだろう。今回は騎士達だけが相手ではなく、正規の軍人も敵に含まれているからな。気づいているだろう、アレス。君のいた頃は騎士達の存在が秘匿されていたようだが、堂々とアーク・ソロモンが運ばれてきていたのだ。適当な説明で、騎士達と正規軍人は結託していると考えるのが道理だ」

「俺がいた頃は、アーク・ロードでさえ一度も見なかったし、話に聞いたこともなかった。情勢が随分と変化したらしいな」

「民間人を巻き込むような実験については、未だ伏せられているだろうがね」


 目的の階に着いて、甲高い効果音がスピーカーから響いた。

 一階で降りた俺達は、誰もいない閑散としたエントランスを歩いて、受付の前を横切った。

 ベリルが不在だと嘘をついた女性は、そこにはいなかった。

 代わりで入ったと思しき女性に、リリアは足を止めずに振り向いた。


「あとは頼むぞ。もし敵が攻めてきたら非常時の脱出ルートを使え。いいな」

「は、はい。どうかご無事で」

「私はまだ死なんよ」


 地下駐車場に降りるエレベーターに乗り換えて、地下二階へ。沈黙に包まれる駐車場のエレベーターホールを出ると、港の第二拠点から逃走する際に使用したバイクと同じものが、一台増えて三台並んでいた。


「あ……」


 それを見たシルヴァが、驚いて目を見開いた。


「シルヴァが存外にバイク好きだと知ったのでな。移動手段にはバイクを選んだ。私は嬉しいぞ。髪飾り集めを趣味として勧めたが、自分で興味を持つ何かを見つけたのだからな。加入したばかりの頃は考えられなかったことだ。個人的な希望をいえば、もう少し女子らしい趣味をお勧めするがね」

「……ありがとう、師匠」

「礼を言われるほどのことではない。ヘカテは私の後ろに乗れ。運転技術を|魂の同期(トランス)で会得してもいいが、無理に運転する必要もあるまい。裏次元に干渉するのは体力と精神力を消費するからな。君には、戦闘面で役に立ってもらうよ」

「わかりました。よろしくお願いします、総帥」

「シルヴァ、アレス。君達二人は一台ずつだ。それとも、二人乗りが良かったか? 気が回らなくてすまないな」

「誰も答えてねぇぞ……」


 適当に茶化してくるリリアに、大袈裟なため息をついてみせた。

 シルヴァには、反応がなかった。

 ちらと見てみると、彼女はまだ感動しているのか、表情が固まってしまっていた。リリアの戯言など、耳に届いていないようだ。


「冗談だ。ここを出れば馬鹿なことを言えなくなるからな」


 意地が悪そうに微笑んで、リリアは手前のバイクに飛び乗った。ヘカテも荷物を持って、黒いドレスの裾を揺らして、後部座席に跨った。

 リリアは即座にスロットルを回した。エンジンがかかり、マフラーから排気ガスが噴出し始める。


「これでも一応指揮官なのでね。私は先行の部隊と合流する。君達は後から追ってこい。なるべく安全運転でな。ああそれと、通信制限は解除してあるから、ナビはオンラインになっている。何かあれば連絡しよう」

「了解した。気をつけろよ」

「ほう。感動だな。この私を心配してくれるのか」

「お前なんか心配するだけ無駄だ。俺はヘカテに言ったんだ」

「問題ありません。総帥がついてますから」


 どういう意図か不明だが、ヘカテはガッツポーズをして答えてみせた。感情は薄いが、その口元は微妙に笑っているようにも見えた。


「――ああ、私がついていれば安心だ。振り落とされないよう捕まっておけよ。これから私は、最高に|反政府組織(テロリスト)らしい運転をするから、なっ!!」


 最後の音に気合を込めて、猛々しく咆哮したバイクが荒々しく駐車場の出口にのぼっていった。

 リリアとヘカテを見送ったあと、俺とシルヴァもま同型のバイクに跨ってヘルメットを装着した。荷物を背負い、マイクとスピーカーの動作確認のためにテストを行う。


「聞こえるか?」

「う、うん。よく聞こえるよ」

「そうか。んじゃ、俺達も行くか」

「――待って」


 互いにエンジンもかけたというのに、シルヴァは発進を引き止めた。


「どうした。トラブルでもあったか?」

「そうじゃないけど…………こんなこと、ほんとは言っちゃ駄目なんだけど……」

「なんだ。はっきりしないな」

「だって……私、視ちゃったんだよ。無意識のうちに、未来の出来事を」

「……なに?」


 俺が鬼神を握った際に起きた、強制的な|魂の閲覧(リーディング)。それと同じことが、シルヴァにも起きたということだろうか。

 トリガーは、このバイクか。このバイクが、未来の彼女にとって特別な思い入れを持つモノになり得るから、視せられたのかもしれない。

 彼女の声のトーンは暗い。

 それだけで、良くない未来が視えてしまったのだと勘繰ってしまう。


「未来の出来事は、誰かに教えると変わってしまう可能性があるって、師匠は口癖のようにいつも言ってる。でも……こんな未来なら、変わってしまったほうがいいから。黙ってたら、ほんとに現実になってしまいそうだから、言わせて」

「……いったい、何が視えたんだ?」


 ヘルメット越しでも、彼女の深刻で悩ましげな瞳が見えた。

 その時まで――彼女からその未来を告げられるまで、考えたこともなかった。

 未来が視えるというのは、自分の運命だけを知ることができるのではなく、

 

「アレス……君が…………この戦いで死ぬところよ……」


 他人の人生までも、視えてしまうようになるのだと。

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