第22話

 白昼夢でも見ていたのか。意識が戻った時には、俺は直前まで立っていた武器庫で、一本の刀を握って呆然と立ち尽くしていた。

 夢なんかじゃない。俺は視た。それを覚えている。

 ただ、裏次元で再会した人影との戦闘の結末だけは、どうしても思い出せなかった。斬りかかかった映像を最後に、記憶が完全に途切れていた。


「ねぇ、私の話聞いてないでしょ? どうしちゃったの? 急に魂が抜けたような顔して」


 俺にかけたらしい声に反応すると、視線の重なったシルヴァが反射的に目を見開いた。


「あ、やっとこっち見た。どうしたの? その刀、そんなに気に入った?」

「気に入ったっていうより、気に入られたって感じだな」

「んん……? なにそれ。どういうこと?」

「俺にもよくわかんねぇ。わかんねぇが、どうやらこいつは、俺のために用意されたもんらしい」

「もしかして、ぼーっとしてたのは|魂の閲覧(リーディング)で未来を視てたから?」

「ああ。ついでに使い方も覚えた。お前の師匠は、とんでもねぇもんを作りやがったな」

「私からすると、フレア・ハルベルトのほうがずっと凄いと思うんだけどな。そんな短い刀じゃアーク・ロードは倒せないだろうし。素材は物凄く貴重な物を使ってるって言ってたけど、届かなかったら、ねぇ?」

「そうだろうな。理屈じゃあ理解なんてできやしねぇ。こいつはそういった代物だ。お前ならわかるだろ。俺はさっき|魂の閲覧(リーディング)したんじゃない。こいつに、強制的にさせられたんだ」

「刀が、未来を視せた…………?」


 掛け台から刀を持ち上げて、左手を鞘に添えて半分ほど刀身を晒す。

 研ぎ澄まされた銀色。濁りの無い鏡面に映る瞳を眺めて、音を立てて刀身を鞘に納めた。

 今日に至るまで誰一人として短刀に興味を示さなかったのは、これが俺の持ち物であったからだ。これがいつ作られたのか、いつからそこに置かれていたのか。いずれも時期は定かでないが、少なくとも昨日今日じゃない。

 俺がニーベルングに加入したのは昨晩だ。であれば、この短刀が作られた時点で、俺がシルヴァ達の仲間になることは決まっていた。いや、或いはもっと以前から、リリアが反政府組織を立ち上げた時点で、俺が今日この場所に訪れて、この短刀と出会うことは確定していたのかもしれない。

 未来は無限に広がる可能性の分岐だ。|裏次元(アカシャ)を知った俺には、それがわかる。未来は知ってさえいれば、選び取ることができる。実際にそうやって、俺は終わるはずだった運命を変えてみせた。

 刀を手にした今、この刀と出会わなかった未来を想像することはできなかった。

 手にした青く短い刀。元あった掛け台に戻したりはせず、左手に握ったまま、俺は首を傾げているシルヴァに目を眇めた。


「悩んでるところ悪いが、それ以外のことはわからねぇ。こいつが、俺の持ち物だってこと以外はな」


 空になった掛け台をそのままに、俺は武器庫の物色を始めた。

 合点のいかない表情をしていたシルヴァだったが、すぐに平静に戻るなり、頼んでもいない武器庫や武器の説明を丁寧にしてくれた。


 リリアに命令に従い、戦闘準備を整えたあとは八階で待機した。八階は七階と同様に警備員が窓のない部屋を見張っていたが、中は雑多に物が置かれた小奇麗なラウンジだった。

 銃や弾倉、それに青色の短刀を納めた袋を脇に置いて、逃走で消費した体力を少しでも回復しようと仮眠を取った。対面のソファーで、シルヴァとヘカテも瞼を閉じていた。

 どれくらい経っただろう。肩をゆすられて瞼を開けると、リリアが俺の肩に手を伸ばしていた。シルヴァとヘカテは、既に起きて立っている。時計を確認すると、二時間くらい針が進んでいた。


「君は気持ち良さそうに寝るんだな。ちょっと驚いたぞ」

「ぁあ……思ってたより疲れてたみてぇだ。けど、もう大丈夫だ。おかげでだいぶ身体が軽くなったぜ」

「それは良かった。これから忙しくなるのでな。君の働きにも期待している」

「どうせ救われた命だ。役に立てるなら、惜しみなく使ってやるぜ」


 深くもたれていた身体を持ち上げて、武器類を詰め込んだ袋を肩にかけた。

 ふと、リリアが目を細めた。その視線は、袋の口からはみ出している青色の柄に注がれていた。


「その刀を選んだか。ということは、〝視た〟な?」

「あのでけぇ兵器と対峙する未来を視た。あいつの前に立った俺は、この短刀を握って挑もうとしてた」

「短刀の銘は知ったか?」

「鬼神だろ?」

「ほう……そこまで視えたか。ちなみに、件の新型兵器は以後アーク・ソロモンと呼称することになった。先ほどの会議で決定した名称だ。――悠長なお喋りはここまでにしよう。続きは歩きながら話す」


 ヘカテから愛用のスナイパーライフルを受け取った持ち主は、曖昧な表現を残して背中を向けた。

 毅然とした後ろ姿に、困惑気味のシルヴァが声をかけた。


「ほんとに、今から敵の本拠地に奇襲をかけるの?」

「ああ。だが、その前にやらなければならんことができた。出遅れる形になるが、君達三人には少し付き合ってもらうぞ」

「その言い方だと、外じゃなくて、この拠点に用があるように聞こえるけど」

「それで合っている。合っているが、荷物になるからといって武器を置いていくなよ。特に、私が頼んでおいたフレア・バレットは絶対に忘れるな」

「それは大丈夫だけど、いったい何をするつもりなのよ」


 問い質す言葉に、肩越しに喋っていたリリアが身体ごと振り返った。

 腰まで伸びた長い髪が舞い上がり、前髪が表情を覆った。さらさらと滑らかに頬を流れて、隠れていた目元が明らかとなった。

 その色は――


「裏切り者に落とし前をつけさせる。取締役室に行くぞ」


 無色透明の、冷酷な殺戮者の色をしていた。

 

 取締役室には鍵がかけられていなかった。ノックもせずにリリアが入室したが、肝心のベリルはいなかった。

 床には棚に収められていたはずの資料が乱雑に散らばっていた。奥にある机からは、ノートパソコンがなくなっている。


「取締役室で待っていろと言ったのだがね。鈍い男だと思っていたが、逃げ足は存外に早かったようだ。少々、後始末を軽視しているようだが」


 嵐が吹いたように室内は荒れていた。転がっていたファイルを拾って検めてみると、それはどうやら、ベリルが取締役を務めるソフトフェア会社の機密資料のようだった。他の散乱しているファイルも会社に関する資料だ。つまり、会社に関する機密情報は眼中になかったということか。


「――やはり、後始末に気が回っていなかったようだ」


 残っていたデスクトップ端末を操作していたリリアが、呆れた声で呟いた。

 持っていたファイルを捨てて、机の反対側に回って彼女が見ている画面を覗いた。


「データの転送履歴が残っている。コピーしたのは、レイ・ソフトの情報ではなく、ニーベルングに関係するデータだ。これだけでも厄介だが、さらなる問題はデータの転送先だな。てっきりノートパソコンに移したのかと思ったが……送信先は、アンドリヴァ・ナイツの諜報機関だ」

「なに……ッ!? いつ送られたんだ!? 送られたデータは!?」

「午後一時五十六分、ちょうど、私達がここに到着したくらいの時間だな。送られたのは、第七二区画都市にある我々の第三拠点に関する情報らしい」

「第三拠点っていうと、ここと前のとこ以外にも、まだ拠点があるってわけか?」


 俺の疑問には、並んでディスプレイを見ていたシルヴァが答えた。


「このビルが第一拠点で、第二拠点が今朝破棄した港の拠点。第三拠点は武器の補給拠点で、施設規模はニーベルングの拠点全体から見ても最大規模なの。戦闘能力の無い新人を鍛える訓練施設としての役割も兼ねているわ」


 誇らしげに語るような口調だが、その表情は曇っていた。


「第三拠点の情報が漏れただなんて、裏切り者の相手に時間をとられてる場合じゃないんじゃない? これから始める奇襲だって、第三拠点の支援なしじゃあ戦力不足でしょ?」

「確かに困るな。補給拠点はそう簡単に移設できるものではない。断たれれば組織の存続にも関わるうえに、シルヴァの言うように、今夜の襲撃には第三拠点から来る人員が半数を占める予定だ」


 危機的な状況の肯定とは裏腹に、リリアは落ち着き払っていた。

 リリアが執務机の椅子から立った。流麗な動きで、壁に立てかけていたスナイパーライフルを肩に担いだ。


「情報漏洩は深刻な問題だが、この私が対策を講じていないと思うか? それより、ベリルが敵組織に行くのはマズい。他の区画の情報を漏らされるところまでは想定していないのでな」

「だとしてもどうする? 下手すると奴はもう車に乗っている頃じゃねぇか?」

「だろうな。――だからこそ、好都合なのだよ」


 俺とシルヴァが道を譲り、リリアが颯爽と間をすり抜ける。ヘカテが黙って彼女の後に続く。


「君達は来ないのか?」

「次はどこにつれていくつもりだ? 車に乗って奴を追うのか?」

「まさか。それもおもしろそうだがね」


 明確な答えを寄越さず、リリアと追随するゴスロリドレスは扉を開けっ放しにしたまま出ていった。

 置き去りにされた俺とシルヴァは互いに困った顔を見合わせて、早足に彼女達の背中を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る