第16話
猟師達が後片付けに勤しむ昼下がりの港を尻目に、街道に出て先導するシルヴァのバイクを追う。時間帯のためか、決して居住者は多くない田舎の道にも関わらず、自動車の交通量は多かった。
俺達は逃走中の身になるのだが、シルヴァはバイクの特性を活かさず、行儀よく走っていた。制限速度を遵守する自動車と一定間隔をあけて、安全な走行速度を保っている。敵に見つかれば面倒な目に遭うのは自明の理だが……。
――まぁ、いいか。
そういった余裕も大事なのかもしれなかった。常に焦燥に駆られているようでは、いざ行動するべき時に冷静に物事を判断できず、取り返しのつかない事態を招きかねない。いかにもリリアが喜びそうな解釈であったが、緩やかに蛇行する道路から眺める景色が、焦りかけていた脳に暢気なことを思わせた。
海だ。視界の左側に、遥か彼方にある水平線が見える。遠くの海面は陽光に煌いていたが、陸地付近は不法廃棄物が浮いて、濁った青色に変色してしまっていた。とても感心できる景観ではないが、汚れているのは人が暮らしている証でもある。マイナス面も含めて、俺はそういった人間の生活の足跡を見るのが嫌いじゃなかった。
もっとも、不法投棄する現場に居合わせれば多大な不快感を抱くだろうが。
「ヘカテ、周りに異常はないか?」
「ありません。遠方に私達のいた港に入っていく軍用車両が見えましたが、私達を追ってくる様子はありません」
「マジか。間一髪だったってわけだな。今頃、海底都市を見つけて地団駄を踏んでるに違いねぇぜ」
「潜水して残された機器を回収するかもしれません。復元はできないと思いますが」
「しつこそうな連中だったもんな。港にいた一般市民に八つ当たりしなけりゃいいが……ま、大丈夫か。漁師がいなくなっちまったら、この都市の特産物である魚介類を収獲できなくなっちまうもんな。国にとっちゃあ自爆行為みたいなもんだ」
「私もそう思います。きっと港が襲われることはないでしょう。私達がいなければ」
漆黒のドレスを風になびかせて、背中の少女は普段のように無感動に意見する。
彼女の見解は正しい。火のない所に煙は立たないとすれば、ニーベルングは最悪の火種だった。それが摘み取られたなら、国側に属するアンドリヴァ・ナイツが、憂さを晴らすためだけに国益を損なうような真似はしないだろう。
自分が逃げてきた場所の安全を確信した。
前方を走っていたバイクが、減速して俺のバイクの隣に並んできた。
「コミュニケーションは組織に属するならば非常に重要だが、あまりヘカテと話していると嫉妬したシルヴァに刺されるぞ?」
「なんで私がアレスを刺すのよ。嫉妬なんてしてないし」
「ははっ、素直じゃないな。速度を落としたのも、ヘカテと何を話しているか気になったからだろうに」
「落とすよ師匠? 師匠ならきっと、海に落ちても私達に追いつけるもんね?」
「落とすって、バイクからだけでなく海にか? バイクから振り落とされるくらいなら、この私からすればノープロブレムだがね。――――待てシルヴァ。やめろ。冗談だぞ?」
張り詰めっぱなしは良くないが、気を抜くにも程がある。
茶番に興じる二人には、冷ややかな視線で応えた。
「君も誤解してくれるな。ジョークだと言っただろう。私なりに緊張を解してやろうと配慮した故の結果だ。人を自宅の前に投棄されたゴミのように見るな」
「茶番はいい。伝達事項があんだろ?」
「ああ。君もこの辺りに住んでいるのなら知っているだろうが、この道をまっすぐ進んでいくと繁華街に繋がる。夜中なら空いているのだが、昼の時間は連日混雑していて、交通網にも酷い渋滞が起きている。拠点が破棄されたことを知れば、敵は我々の捜索を始めるはずだ。渋滞で逃げ足を鈍らせるのは好ましくない」
「お前も気づいてたのか。港に奴らが入っていったこと」
並走する俺に向いて、リリアは自分の左目を人差し指で示した。
「これでも数多の死線を越えてきたからな。覚えておけアレス。生き残るために肝要なのは観察だ。そのために必要な優れた〝瞳〟を持つことだ」
「じゃあ道を変えんのか? 繁華街を避けるなら、かなり遠回りすることになるぜ?」
「いや、我々は先を急ぐ身だ。あと数キロ先にあるインターチェンジから高速に乗る」
「高速だと……? 待て。それは一番マズいだろ」
旧世代の高速道路ならば、逃走の際には迷わず利用していただろう。
だが現代の〝高速〟は仕様が大幅に変わっている。年中毎日のように発生する死亡事故、逃走を図る犯罪者の逮捕、渋滞の緩和。それらを代表とした数々の名目のもと、次世代の〝高速〟として、国が多額をつぎ込んで改造を施した。
そうした背景から加えられた機能が、速度制限の強制化だ。二輪、四輪、大型、小型を問わず、現代の車両のコントロールユニットには特殊な受信機が取り付けられている。〝高速〟を走っている間は特殊な送信電波を受け続け、受信している状態では
〝高速〟を使えば移動時間を短縮できる点は旧世代と変わりないが、軍用車両は制限を強制化されていない。発見されれば、逃走する術もなく間抜けに捕まる――いや、殺される。
多少の時間を短縮するには、背負うリスクが大きすぎた。目を逸らせぬ危険性を無言で訴えたが、
「案ずるな。言わなかったか? 私達の乗っている|バイク(こいつ)は特別だと」
まるで襲われることを期待しているように、犯罪者は不敵に笑っていた。
料金所を通過した。無論引き落とし口座はダミー情報で登録しているそうだ。ダミーといっても実在する住所であるし、料金は平常通り引き落とされているので、それが原因で怪しまれる可能性は心配しなくてもいいらしい。
問題なくカードが認証されたのは、持ち主の正体について気づかれていない証拠だろう。
……〝高速〟に移った直後はそう思ったが、しばらく走っていると、その考えが楽観的すぎるのではないかと不安になってきた。
「カードの情報がダミーってのはもう既に割れてて、利用場所を監視されてるってこともあるんじゃねぇか?」
一車線に二台で並び、制限された速度で強制的に安全走行している。悪い予感が浮かんではいたが、現状特に追っ手が忍び寄ってきている気配はなかった。
俺の不安を聞いて、シルヴァがヘルメットに覆われた顔を後方に向けた。
「仮に監視されてたとしても、ダミー情報から私達を特定なんてできないんじゃない? そうでしょ師匠?」
「まったく不可能というわけでもないが、心配するほどの懸念ではないな。口座を登録した奴の容姿から本人を特定して、素性を洗っていけば我々の仲間であることが割れるかもしれん。口座登録の際には特殊メイクで別人を装わせていたから、特定された人物は実在しない人物だろうがね」
「誰かに偶然一致してしまったら、その無関係な人は気の毒ね」
「奴らもそこまで馬鹿ではないだろう。詳しく調べれば、特殊メイクが施されていたことには気づく。気づいて、それでお手上げだ。だからカードの利用履歴から我々が特定される心配はない。そこまで馬鹿ではないが、それほど頭の切れる連中でもないからな」
安全性に関するリリアの説明は充分な説得力があった。万全を期して登録してあるのなら、カード利用が継続されている現状を鑑みるに、俺達がどこのインターチェンジから高速道路に入り、時間から計算してどの辺りを走っているのか。その情報が漏れているとは考えにくい。実際に俺達を追跡している影はない。速度制限を免除された軍用車両はどこにも見えないのだから。
だというのに。
問題ないと反芻しているのに、リリアの話を聞いても俺の心のざわつきは収まらなかった。それどころか、話を聞く前よりも脈拍の上昇が加速している。
――この妙な悪寒はなんだ?
言葉にならないので、他の三人に伝えることもできない。
正体不明の不安を拭えぬままさらに数十分走った。不意に、背中に座っている無口な少女が久方ぶりに声をあげた。
「気をつけてください。軍用ヘリです」
警告に蒼穹を仰ぐ。
晴天の彼方から猛烈な速さで接近している〝異物〟が、俺の視界にも映った。
「たまたま通りがかっただけだろ。変に警戒するほうが怪しまれるぜ」
「いいえ。残念ながら偶然ではないようです。――前を見てください」
不吉な見解を告げるヘカテの声に、俺は前方を注視した。
目測で約一キロメートル前方を走っていた自動車が、ある地点を過ぎた瞬間、
俺達の下にある道路全体が右側に角度を変えて、先に続く道路と分離した。
「なにィッ!?」
「待てッ! 減速は必要ない。この距離ならば間に合う」
咄嗟にブレーキをかけようとした俺を、並走するリリアが制止した。その言葉の意味を理解して、俺はブレーキレバーから手を離した。
切り離された道路の先――コンクリートの断崖が二〇〇メートル手前まで迫った時、一度は失われた先端が、別の道路に連結した。
俺達が繋ぎ目を過ぎると同時、道路は再び分離して、元々繋がっていた道路に結合した。
「走行道路切替システム……電車がレールを切り替えるように、走行道路を必要に応じて使い分けることで、交通事故や工事の際に発生する渋滞を緩和する機構だが……これは国の連中が管理しているんだったな。速度制限の強制化も、奴らがコントロールする権利を握っているから、軍用車両の例外が認められるわけだ」
「悪いなアレス。どうやら我々の敵は、想像以上の知性を持っているらしい」
「そうだな。的確にシステムを利用して、無人の道路に俺達を隔離したってことは――」
対面の上空を駆け抜けた深緑色の軍用ヘリが、入口の無くなった道路の奥で旋回した。ヘリが最接近した時、操縦席の下方に装備された物々しい機銃が見えた。
バイクの限界速度を緩めぬまま振り返った。
たった今通り過ぎたインターチェンジから、多数の車両が俺達しかいない高速道路に侵入してきた。その全てが、軍用ヘリと同色の中型四輪自動車――軍用トラックだった。
ヘリはともかくとして、トラックとの間合いは充分にあった。しかし敵方には速度制限の縛りがない。エンジンを全開にされれば一〇秒も経たずに追いつかれる。
逃げられなかった。
――壁を突き破って高架下に落ちるか?
迷っている暇はない。無謀な対抗策だが、このままではどうせやられる。急加速してくる後方車両を流し見て、ハンドルを曲げてはならない方角に傾けた。
「――ナビの裏にボタンがある。それを押して、スロットルを限界まで回せッ!」
ヘルメットの内側から響くリリアの絶叫に、僅かに場外に寄った車体を立て直した。
それがどのような結果をもたらすのか。
考えるより先に、身体は動いていた。
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