第17話
追っ手の先頭車両の窓から、銃を構えた男が姿を現す。
タコメーター下のナビ画面の背面に片手を伸ばし、謎のボタンを手の感触で確かめて、わけもわからぬまま指で押し込んだ。
向けられたライフルの初弾が視界の端を通過する。
サブマシンガンで応戦するヘカテに相手が怯んだ隙に、スロットルを渾身の力で許される限り回した。
本来は、完全制御されたマシンには出すことのできない速度のはずだが、
バイクは爆発する勢いで急加速した。
エンジンが爆音を轟かせ、タコメーターの針が危険な領域に肉薄する。
「どうなってやがる――ッ!」
「簡単な話だ。|制限(リミッター)を外したのだよ」
シルヴァ達のバイクもまた、制限を解除した速度で爆走していた。速度と距離の関係上、肉声での会話は不可能だ。
彼女の鮮明な声は、ヘルメット内部のスピーカーから聞こえていた。
「見つかってしまった以上、秘密兵器たる制限解除装置を封印している意味はない。存分に活用して、この死地を抜け出すことに役立てねば間抜けだ」
「逃げられんのかッ!? この状況でッ!」
「逃げられるかではない。逃げるんだ。未来とはそうして勝ち取るものだと、そう教えただろう」
脳に直接響く声を無茶苦茶だと思いながらも、無人の道路を文字通り高速で突き進む。
初めのうちは敵との距離が瞬く間に開いたが、俺達に課せられていた制限が解除された事実を受け入れると、敵もまた急加速して追ってきた。
馬力は相手の車両が勝っているようで、徐々にだが着実に間合いが縮まっていく。
「――ベルトを借りますよ」
「――!?」
焦りを感じずにはいられない切迫の中、ヘカテは俺の返事も待たず、そう言うなり俺の腰に手を回してベルトを強奪した。止める暇もなくするりとズボンから抜けたベルトは、腹部の辺りで服の上から回される。
制限速度の倍――時速一六〇キロの暴風をものともせず、リアシートに座っているヘカテが身体の向きを反転した。俺と背中を合わせた彼女は、ベルトを自らの身体にも巻きつけた。
こいつは恐怖を感じないのか。大胆に俺の身体に自分の身体を固定して、なんでもないように彼女はなびくドレスの裾から予備弾倉を取り出すなり、サブマシンガンの空弾倉と入れ替えた。
「これで狙いやすくなりました。アレスさんは運転に集中してください。大丈夫です。弾は充分に持ってきました」
「心配すんのはそこかよッ!」
「? 弾切れ以外に、気をつけることがありますか?」
「……いいや、頼もしい限りだぜ。そんなふうに言われちゃあ、俺も多少の無茶は通さなくっちゃいけねぇなァ――ッ!」
戦意を喪失するほうが自然な戦力差を前に、少女は毅然とした態度を貫く。彼女の姿と言葉に、いつの間にか俺の心を支配しようとしていた不安は、跡形もなく消え去っていた。
「どうやら敵はアンドリヴァ・ナイツではなく、通常の部隊のようだ。ヘカテの弾幕を警戒して一定の距離を詰められずにいる。全員に捨て身覚悟で突貫されると厳しいが――心配は不要だな。我々の勝利だ」
「特攻されたらヤバいって言ったくせに、何言ってんだッ!」
「時間切れということだ。周囲の景色をよく見ろ」
言われるがままに、首を左右に回して周りを眺めた。
ずっと見えていたはずなのに、前方の道路だけに夢中になっていて気づかなかった。
山の奥地を爆走していた俺達の視界の両端。高速道路を囲む樹海が、新緑から灰色に変貌していた。自然ではなく、人工的なその色に。
いつの間にか俺達は、第七二区画都市の中心部に足を踏み入れていた。
だが、街に進入したからといって、追っ手が追跡をやめてくれる様子はなかった。敵としても街に逃げ込まれると困るのだろう。その意思表明と言わんばかりに、静観していたヘリの機銃が、遂に火花を散らし始める。
サイドミラーに移る機体の位置を頼りに、蛇行してかろうじて弾丸を避ける。少しでも運転を間違えればタイヤがスリップして即死する。一六〇キロは、まさに死の速度だった。
「――アレス、シルヴァ、ナビの電源を入れてくれ。側面にあるスイッチだ」
ヘリが銃撃でバランスを崩した隙に、素早くスイッチを押した。ヘルメットを被る俺の顔が反射していた真っ黒な画面が、微かに発光した。映し出されたのは、地図でもナビでもなく、ヘッドセットを付けた事務員ふうの若い女性の上半身だ。
「待ってましたよ、リリアさん」
「予定より早いが、準備できているようだな」
「もちろんです。ご指示を」
「十五秒後に〝ポイント・六〟を切り替えてくれ。切り替えたらすぐにそこを離れろ」
「了解しました」
ほんの数秒。たったそれだけのやりとりで、ナビは黒い画面に戻った。
「今のはなんだ? 何をするつもりだ?」
「説明は後だ。それより速度を落とすなよ。落ちたくなければな」
薄々予想はついていたが、答え合わせをしている余裕はなかった。
空から掃射が襲い来る。ヘカテは地上部隊への牽制で手一杯で、銃弾の雨は俺の技術でかわすより他にない。
――あと何秒だ?
わからない。手を緩めれば撃たれる。力を入れすぎれば転倒する。
リリアは十五秒と言った。感覚ではもう一分を過ぎていた。
何も起きない。このままでは、敵前に晒す自分の命を拾い上げることができない。
呼吸すら忘れるほどの緊張。
もう応対しきれないと焦燥が限界に達した時、
先頭を走っていた敵車両が、ヘカテの弾幕を恐れずに突貫してきた。
ヘカテは猛烈に加速する敵車両の
――駄目かッ!
あと五秒もすれば追いつかれる。心中するつもりなのか、敵車両は一向に減速しなかった。
決死の攻撃を避けるのは無理だった。思索して様々な手段を模索するが、
〝ポイント・六〟と記載された看板の横を通り抜けた瞬間、後方に繋がっていた道路が分離した。
脅威は高架下の川に落下して、対抗策を練る必要はなくなった。
追随した車両もブレーキが間に合わず、甲高い残響を伴って〝道路の終端〟から続々と落ちていった。
「アレス、シルヴァ、一旦止まれ」
あまりの高揚感に返事ができなかった。それはシルヴァにしても同様で、俺達は無言のままにブレーキをかけて、加速する世界からようやく解放された。
軍用ヘリは無傷だったが、こちらを攻撃してくる意図は窺えなかった。人命第一を遵守して、水没した車両と隊員の救助を優先したようだ。
深呼吸で高揚感を静めてから、ヘルメットを外してリリアを見た。
「信じられねぇが、切替システムをハッキングしたな?」
「街中は渋滞緩和のために切替ポイントが多く、いざという時に利用できると思って部下に解析させていた。できれば〝本番〟までとっておきたかったが、温存していては生き残れるか怪しい状況だったのでな。まぁ、君が|魂の同期(トランス)を使えば、思わぬ方法で窮地を逃れられたかもしれないが」
「いくらなんでもあれは無理よ。師匠が秘策を使ってくれなかったら、私達全滅してたんじゃない?」
俺と同じように死線を抜けた解放感に浸るシルヴァが、バイクの車体に体重を預けて、ぐったりしながら両手を挙げた。
「今日生き残った代わりに、明日からの生存確率が犠牲なったかもしれないがね。ところで、あの建物が見えるか、アレス。――いや、紹介は不要だったか。君は一年前まで、あそこにいたのだったな」
「……そうか。結構離れてるはずだが、ここからでも見えるのか」
自分の目で確かめずとも、リリアの説明だけで充分だった。
ここは第七二区画都市の中心部。この都市を統括している管理庁舎がある場所だ。
管理庁舎の敷地内には、区画で最も高い建造物が建てられている。それが管理庁舎の本館だ。管理庁舎は兵士の訓練場も備えているので敷地が相当に広いが、なによりも都市で一番の高さを誇る本館が、住民達に誰が支配者であるのかを誇示している。
「ちなみに、あれは何でしょう?」
「む――――アレス、ちょっとこっちを見ろ。シルヴァもだ」
思わせぶりなヘカテの声に、リリアの重い声色が続く。不穏なモノでも見つけたのかと、見飽きた建物がある方角に注意を向けた。
驚かないほうが、無理な話だった。
それはまさしく、不穏という言葉が形を成したような物体だった。
四隅から伸びるワイヤーを四機のヘリに支えられて、地上に巨大な影を落としながら尋常ではない大きさの物体が空中を移動していた。四本足の、アーク・ロードすら軽く凌駕する巨大な兵器が。
「な……なによ、あの大きさ……」
遠方から眺めても明瞭にわかってしまう兵器の異常性に、脱力していたシルヴァの顔が青ざめた。俺としても、目に映る〝非現実〟をどう言葉にすればいいか浮かんでこない。
それはどう形容すべきか。機械の魔物ですら小物に見える四本足の〝要塞〟が、ヘリから放たれて管理庁舎の敷地内に着地した。敷地は約五メートルの外壁に囲われているはずだが、〝要塞〟の全長の半分も隠せていなかった。
誰もが一様に絶句していた。
誰もが〝要塞〟の登場が意味することを、理解してしまったからだ。
敵に勝つには、|要塞(アレ)を倒さなければならない。
あんなもの、どうやって破壊しろというのか。対峙した状況を想像してみたが、倒れる姿が欠片すらイメージできなかった。
心は絶望の色に染まる。愕然と佇んでいると、〝要塞〟が方向転換をした。
顔があるわけでもないのに、その瞬間、何故か俺は〝要塞〟と目があった気がした。
誤解ではなかった。
直感が馬鹿げた警鐘を鳴らした直後、〝要塞〟の背中の一部が開いて、一条の光が青空に射出された。陽光を浴びるその物体は、吸い込まれるように俺達のいる地点目掛けて一直線に飛んできた。
「ち――ッ! ここが見えるのか――ッ!」
珍しく穏やかでない雰囲気を醸して、リリアが一度も使わず背負っていたスナイパーライフルを構えた。
「シルヴァ、アレスッ! バイクのエンジンをかけておけッ! ヘカテも座っていろッ! すぐ逃げるぞッ!!」
ボルトハンドルを引いて弾丸を装填する。銃身を飛来物――光沢を放つミサイルに向けて、レティクルを調整してスコープをのぞく。一連の動作を手慣れた手つきで瞬時に済ませ、銃の射程に目標が収まると同時、リリアは失敗の許されない状況で迷わず引き金を引いた。
真昼間の突然の爆発。高架の上にある高速道路からでも、街の騒然としている空気が伝わってきた。
空薬莢を捨ててライフルを背負い、リリアはシルヴァの後ろに飛び乗った。
「次のインターチェンジで降りるぞッ! あれは恐らく赤服連中の独断だ。正規軍は混乱しているに違いない。この隙を無駄にするなッ!」
ギアを上限に入れて、先導するシルヴァのバイクの後を追う。
逃走が失敗する不安は、もうなかった。
それよりも大きな不安が、俺の心に渦巻いていた。
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