第15話

 前日に宣言された定刻を迎えた。リリアの読み通り、寝ている間や早朝に急襲されることはなかった。誰一人遅刻もせず、ニーベルングのメンバー全員がエントランスホールに集結した。

 準備を整えておけと命じられていたが、大荷物を抱えている者はいなかった。昨夜、強制的に加入させられた俺に持ち物がないのは当然として、他のメンバーを見ても両手が塞がっている者は誰もいない。

 拠点にあった電子機器の類は破棄するそうで、必要最低限を小型記憶媒体に複製してデータは全て削除したらしい。わざわざ記憶媒体に移して運ばずとも、別の拠点に転送すれば済む話のように思うが、それは罠だ。

 統一国家・アンドリヴァは、その名が示すように全世界を支配している。それはつまり〝目の届かない場所はない〟ということだ。この国では完全な監視社会が形成されている。

 あらゆるネットワークは常に公的機関に見張られており、通話内容、通信データ、インターネットの閲覧履歴、それらの特定個人、特定団体を対象とした監視が可能だ。ネットワーク関係以外でも、従来のように国民――全世界の人間の個人情報は国家が管理している。当然の帰結としてプライバシー保護を訴える非営利団体が各地で声をあげたこともあったが、糾弾していた団体が数日以内に立て続けに〝消滅〟したニュースが大々的に報じられると、僅か一ヶ月で抗議を訴える者はいなくなった。

 ニーベルングが|反政府組織(テロリスト)として国に認知されているならば、政府側が電子世界で日夜監視の目を光らせているだろうことは想像に易い。故に、いかなる場合も通信は使えない。港の様子を映していたカメラも、有線接続で映像の受信を行っていたようだ。戦闘中に無線を使わなかったのも、傍受される危険を冒すべきでないからだとリリアから戦闘後に解説された。

 荷物が極端に少ないのは、監視社会への対策措置というだけでもない。ニーベルングがその日暮らしで生活している背景も大きく影響していた。基本的に一箇所に定住しない彼女達は、衣類や寝具、調度品などの日用品を〝引っ越す〟なんて考えない。必要物資は〝現地調達〟であると、行動指針に含まれているそうだ。


「名残惜しいが、我々はまだ呼吸を許されている。天命が果てるのは、この地ではないということだ。生きるだけ生きる足掻きが、散った仲間たちの鎮魂にもなろう。この場所に愛着が湧いている者もいるだろうが、心中は私が許さん」


 集まった面々を見回して、睥睨するような鋭利な輝きを眼光に帯びる。緩い表情を見せることの多いリリアだが、今は大規模組織の頭目としての威厳に満ち満ちていた。

 彼女は右手に握っていた〝いかにも怪しいペン型のスイッチ〟をメンバー達の見える位置に晒した。ペン先の透明なカバーを親指で弾いて、保護されていた真紅のスイッチに親指の第一関節を添えて――――押した。

 足場が震えた。エントランスホールとメインルームを区切る自動扉の向こうから、重く低い爆発音が聞こえた。数秒経過して、自動扉の隙間から微量の水が流れ込んできた。

 用済みになった起爆スイッチを部屋の隅に投げ捨てて、背負ったスナイパーライフルを担ぎ直し、リリアは集団の先頭に立った。


「あと一〇分もすれば水没する。速やかに私についてこい。言っておくがこれは|序章(プロローグ)で、これからが本編だ。気を引き締めておけ」


 隠し通路を通って拠点を脱出して、港に林立する倉庫から表に出た。リリアの指示で脱出先の倉庫に隣接する別の倉庫に入った。

 脆そうに見えて意外と強度のある灰色の壁。三階に相当する高さがある天井。幾つかの部屋に仕切られていない、テニスコートが四つは並べられそうな広い空間。

 膨大な容量を誇る倉庫で保管されていたのは、大型の|二輪車(バイク)だった。一台や二台じゃない。整然と並べられた数十台のバイクの車体が、窓から降り注ぐ陽光を反射して煌いていた。


「こりゃすげぇ。こんなもん、どうやって用意したんだ?」

「驚いただろう。国が海路で運搬する物資に紛れ込ませて、ここに運び込んだのだ。君はバイクに乗れるかね?」

「家に一台持ってる。自動車免許はねぇけどな」

「それは好都合だ。まぁ仮に持っていなくとも、君には運転をしてもらうつもりでいたがね。〝運転できるようになった君〟から、操縦技術を会得してもらうことで」

「乗ったことねぇ物を乗りこなすこともできんのか。随分と便利な能力だな、|魂の同期(トランス)ってのは」

「そう思うのは君が優秀だからだ。決して容易く成せる技ではないよ」


 リリアの説明を聞きながら、俺は手近なバイクに寄って車体を眺めた。

 鮮やかな青を基調とする車体。内側に絞られたセパレートハンドル。冬場の寒さを凌ぐ名目というには厚すぎるナックルガード。空気抵抗を調整するカウルもまた重厚で、バイク全体が装甲車のように堅牢な防御で覆われていた。


「それが気に入ったか? いいぞ。ならばそれを君の専用車にしよう。遠慮せず跨ってみろ」


 言われるがままに、ステップを足がかりにして大型バイクの座席に跨った。


「基本的には見た目通りの仕様だが、我々の組織の都合上、いくつか特殊な改造が施してある。例えばこの分厚いカウルは加速性の向上に加えて、防弾機能を兼任している。弾丸の雨の中でも、数秒間ならば耐えられるというわけだ。その様は狂気だろうがね」

「タコメーターの下にあるでっかい画面は何だ? 普通に考えりゃあナビなんだろうが、位置情報送信するなんて馬鹿な真似したら、すぐに移動先がバレちまうよな?」

「ああ。しかしそれは相手を誘導できるということでもある。だからナビとしての機能は殺さずに残してあるんだ。画面には他に、緊急性の高い情報を流すことも可能だ。当然通信は傍受されてしまうが、場合によってはリスクを承知で伝達すべき情報もある。普段は連絡を行わないだけで、連絡網は常に確保してあるというわけだ」

「じゃあメットの中のマイクやスピーカーも?」

「そちらは限られた範囲でのみ送受信可能に調整してある。緊急時には通信範囲の制限を外すことも可能だ」


 情報漏洩の危険を冒してでも伝達すべき情報など、今後発生するかも定かじゃない。たった一回あるかないかかもしれないが、その一回のために資金を投入して万全の状態を整えるリリアは辣腕だ。たとえ一度きりだとしても、その一度が性能不良でうまくいかなければ、備えはまったくの無意味になる。中途半端が最も愚かであることを、常識としてニーベルングこの組織は認知しているようだった。


「失礼します」


 乗り心地を確かめていると、後ろから誰かに肩を掴まれた。

 加わった重量に、車体ががくんと下がった。片方の肩にだけかかっていた負荷が、両肩にかかって均一の力に分散した。

 ステップに俺の足と並ぶ白い肌。僅かに覗く不健康そうな肌色を覆う対照的な漆黒の布地。両方のふくらはぎには、予備弾倉を納めたホルダーが巻きつけてあった。

 バイクに乗るには物騒で不釣合いなドレスをまとった少女が、許可もなくリアシートに跨っていた。ハンドルを握りながら振り返って視線を下げると、ポシェットのようにサブマシンガンのスリングを肩にかける金髪の少女と目が合った。


「…………」

「…………」


 注目を浴びても、ヘカテは無感動に無言を貫く。

 そういえばヘカテとまともな会話をした覚えは一度もない。どんな言葉をかけるべきか逡巡していると、黒髪を揺らして彼女の〝相棒〟がやってきた。


「注意したほうがいいわよ、ヘカテ。その人、ロリータコンプレックスだから」

「おいッ! そいつは昨日否定したばかりだろうがッ! てかこいつの前で何ふざけたこと抜かしてんだお前ッ!!」


 怒声に近い抗議。そばで聞いていたリリアが、冷徹な性格に似つかわしくない驚愕を浮かべた。


「なん……だと……。意外だな。彼は少女性愛嗜好者なのか、シルヴァ」

「昨日の夜、変な目でヘカテのこと見てたもん。そうよ! 絶対にそうよっ!」

「あんな寝相見たら誰だって変な目で見るだろうがッ! つーかその誤解は昨日解いたじゃねぇかッ!」

「昨日じゃないよ~時間的には今日だったもんね~」

「小学生みてぇな屁理屈言ってんじゃねぇッ!」

「――――アレスさん」


 誤解を与えているであろう当人から声をかけられ、肩がびくりと震えた。恐る恐る視点を後方に回していくと、俺の両肩を掴んで身体を傾けるヘカテが、ジッと俺の顔をのぞいていた。


「私は十六です。法律では結婚もできる年齢ですから、ロリータには分類されないのではないでしょうか。アレスさんは、おいくつですか?」

「……今年で二〇だが」

「それなら私とアレスさんは対等な立場なはずです。結婚できる間柄なのですから、私のことをロリータと呼ぶのは間違いだと思いますよ。呼ぶときは名前で呼んでください」

「ヘカテ、俺の名誉のために言っておくが、俺は一度もそんなふうにお前を呼んだ覚えはねぇ」


 淡々と恥ずかしい台詞を吐いたヘカテが、微妙に眼球を上に向けて、考えるそぶりを見せた。

 ややあって、視線を元に戻した。


「そういえばそうですね。どうしてこんな話になったのでしょう?」

「お前の相棒がでっちあげた嘘が全ての原因だ。あいつを恨め。あいつを呪え」

「シルヴァですか。アレスさん、シルヴァと仲良くなったようですね」


 妙な物言いに、背筋に悪寒がはしるのを感じた。

 いかにもこういう話題が好きそうな女のほうに目をやると、案の定、物騒なライフルを担いだリリアがニヤついた笑みを口元に作っていた。


「ん~? いったい昨晩何があったんだろうなあ? そこのところ、あとで詳しく聞かせてもらおうか。せっかく私と一緒に移動するのだからな。なに、女同士だ。恥ずかしがることはない」

「し、知らないわよっ! もし変なこと言ったら、師匠でも落とすからねっ!」

「おおこわい。今から未来を視たら、自分の死ぬ瞬間を視られるかもしれないな」


 熟れた果実みたく顔を真っ赤にしたシルヴァが背を向けて、並んでいるバイクの一台に跨った。未来が視える者にしか通用しない冗談を吐いたリリアが、綻んだ表情のままシルヴァのバイクの後部座席に腰を下ろした。


「そういうことか。二人一組で移動するんだな」

「そうです。逃走の際はいつもそうなので、総帥が説明を省いてしまったようですね」

「新入りの扱いが雑な女だ。んじゃ、落ちないようしっかり掴まってろよ」

「こうですか?」


 肩に置かれていた手の重みが消えた――かと思うと、不意に腰に手を回されて、軽い体重が背中に密着した。反射的に心拍数が急上昇する。幸いというか、不幸というか、ドレスの上からかけた予備弾倉ホルダーが抱きつかれている感触を緩和した。

 もっとも、ホルダーがなくとも、女性としての感触は薄いかもしれないが。


「――アレスさん」

「っ!? な、なんだ?」


 脳裏を過ぎった邪な思考を後ろめたく思い、反応する声が動揺した。察しの良さそうな彼女だ。軽蔑されて、リアシートを降りられるかもしれないと案じたが、


「よろしくお願いします」


 俺の背中を枕代わりにして、ヘカテは頬まで密着させてきた。梳った金色の髪が、視界の端に映りこんだ。

 ……雑念は捨てよう。彼女は、生死を共にする相棒として俺を選んでくれた。

 戦友として、背中を預ける相棒にかけるべき言葉は一つだけだ。


「ああ。よろしく頼むぜ、ヘカテ」


 その一言をもってして、俺と彼女の契約は結ばれた。

 並大抵の相手とは結べない、失敗は死に直結する命懸けの契約が。


 拠点から逃走する作戦が始まった。何十台ものバイクが密集して移動していたら目立つため、三台ずつに分けて時間をずらすことになった。いくら通信を切っていても、一般市民の目に明らかな異常と映れば、通報されて場所を知られてしまう。穏便に逃走を済まそうとするなら、分散は最低限行うべき対策だった。

 一〇分間隔で仲間達が倉庫のシャッターから出ていった。最後の一組として残ったのは、俺とヘカテ、シルヴァとリリアの二台だ。人数の都合上、最後は二台一組にせざるを得なかった。


「全員無事に着けるといいが……なんて、他人の心配をしている余裕もないか。シルヴァ、ヘカテ、アレス。我々四人が殿だ。敵に見つかった場合、真っ先に狙われる羽目になる。どうだ? 想像するだけで胸がときめくだろう?」

「冗談じゃねぇ。街中で軍相手に逃走劇をやろうってのか?」

「そのためのバイクだ。バイクなら多少の無茶が利く。渋滞している時とかな」

「まったく、危険な作戦を考える奴だぜ。本人の合意もなしに〝的〟になれって命じるなんてな」

「忘れたのか? 君の命はニーベルングの財産なのだから、君の意向を確認する必要はない」

「俺の命はいつの間に資産化されたんだ?」

「君がシルヴァに救われた時に、君は君の所有権を失ったのだよ」


 横暴な意見にも聞こえるが、俺が自分の身を守れなかったのは否定のしようがない。こうして思考を巡らす事ができるのも、助からなかったはずの命を救ってもらったからだ。救われた命が自分の物であるのかと問われると、首を縦には振れない。


「これは最も危険な役目だ。この肉体での〝人生〟は一度きりだからな。失うことを恐れるのは自然な反応といえる」


 ヘルメットで顔面を覆ったシルヴァの肩に片手を置くと、リリアは後方にいる俺達を振り向いて、不敵に唇を歪めた。


「だが、そんな危険なことを、今やらずしていつやるんだ? 言っただろう? 人生は一度きりだ。ならば、狂気を味わうのも生きる喜びだと思わないかね?」

「ぶっ壊れた奴の主張だ」

「まともなら、はなから国に反旗を翻そうなどと思わんよ」

「そりゃあまあ……そうだな」

「理解したか。では、アレスの疑問が晴れたところで、そろそろ出発するとしよう。はぐれるんじゃないぞ」

「ぬかせ。あんまり遅いようなら、俺が先頭を交代してやるからな」


 威勢のいい返答をして、先にマイクとスピーカーの電源を入れてあったヘルメットを被り、視界を調整した。


「上等よっ! やれるものならやってみなさいっ!」


 調整した直後、ヘルメット内で反響した声が全方向から両方の耳に吸い込まれた。スピーカー越し煽ってきた声の主に、俺は顔を向けた。ヘルメットに覆われていて表情は窺えなかったが、俺を一瞥した後、彼女の跨ったバイクが動き出した。


「――ああ。やってやろうじゃねぇか」


 跨るバイクのエンジンのごとく、俺の心もまた熱くなる。機械と同化したような一体感が心地良い。これから命を狙われるかもしれないというのに、高揚感に胸を躍らせる自分がいた。


 ――『壊れてる』なんてふうに言ったが、それは俺も同じかもな。


 気づいた〝嬉しい〟事実に、閉鎖されたヘルメットの中で鼻を鳴らした。

 握ったスロットルを回して、俺のバイクが倉庫から外に飛び出した。

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