第13話
『この拠点がバレてしまった以上、ここは破棄するしかないな。非常に面倒だが、袋叩きにされれば勝ち目も逃げ場もない。我々が敵と呼んでいるのは、我々からすれば神話の神様に相当する強大な存在だ。正攻法を許すわけにはいかん。
しかし、組織には様々な足枷が付けられるものだ。我々の拠点を本気で潰しにかかろうとするならば、欠伸の耐えない会議と回りくどい部隊編成やらで時間を浪費するだろう。その猶予を利用して、我々は休息と準備を整える。出発は一〇時間後、一二〇〇時だ。遠足を控えた子供でもあるまいし、眠れないなどと言い訳して夜更かしはするな。逃走先は約三〇〇キロ離れた別の拠点だ。追っ手に襲われることは目に見えている。寝不足を原因に永眠する羽目にはなりたくないだろう?
では解散。刻限にはエントランスホールに武装して集合するように。おっと、新入りのアレスには部屋を与えてなかったな。シルヴァに案内させよう。シルヴァ、こっちに来い。彼の部屋だがな――――』
真夜中の襲撃を撃退させたあと、リリアは生き残った者達を集めて逃走計画の概要を説明した。彼女は次回の襲撃までに猶予があると話していたが、そんなもの、いったいどこに確証があるというのか。即座に反撃に転じてくる可能性も考慮すべきだろう。
取り返しのつかない事態を避けるためにも、懸念事項を指摘すべきだった。だが、〝不測の事態が起きる以前〟から考えていたような流暢な説明には、こちらの考えのほうが的外れなのではないかと、そう思わせる魔力が秘められていた。
リリアがそう言えば、それは真実になる。仮にその時は真実ではなくとも、結果側が彼女の言葉に応じて変化する。馬鹿馬鹿しい妄想だが、もしかするとその通りかもしれないと、そう思わせるくらいにリリアという女性は得体の知れない存在だった。
――これも、そうだ。
今晩の休息場所として用意された寝床に座ったまま、殺風景な部屋の内装を見回した。
特筆すべき感想はない。リリアから|魂の閲覧(リーディング)や|魂の同期(トランス)を伝授された部屋と殆ど同じだ。違っている部分をあげるとすれば、調度品の数と部屋の面積だろうか。簡易ベッドが二つ並べられた部屋は床面積も広く、部屋の規模に合わせて調度品も相応の数が置かれていた。
――いったい何考えてんだ、あの女。
二つあるベッドの間――自分で敷けと押し付けられ、まだ折り畳んだ状態の布団に腰かけて、備え付けの寝床を交互に眺める。
片方には、消灯した室内でも目立つ派手な金髪をした小柄の少女が寝ていた。着替えもせず、戦闘で所々が汚れた漆黒のドレスのまま、仰向けの体勢で爆睡している。爆睡。本当に爆睡だ。片足を掛け布団に載せて、片足はベッドからはみ出していた。片腕も場外に伸びており、フルに開いた口端からたらりと涎が垂れていた。豪快に足を開いているものだから、スカートが担うべき役割を放棄してしまっている。
人間普段見えないところでは何をしているかわからないが、どこでもいつでも静かに過ごしていると勝手に評していた人物の〝うるさすぎる寝姿〟は、そうそう超えられるギャップではないだろう。
対してもう一つのベッドの所有者は横にもならず、同居人が異性である俺の目を気にせず寝息を立て始めてからも、ずっとベッドの下にいる俺を蔑むように睨んでいた。
非難される謂れはない。彼女が師匠と呼ぶ奴こそが元凶なのだから。
リリアは『戦友同士、一晩ともに過ごして交流を深めろ』などと言っていたが、考察するまでもなくあれは詭弁だ。唖然とする俺やシルヴァを愉快そうに見ていたから断言してもいい。
シルヴァもシルヴァだ。
明らかに嫌そうな表情を浮かべていたのに、彼女は逡巡した末に師匠の命令を了承した。そのくせ、実際に俺が部屋に入ってからは軽蔑の眼差しを一向に崩そうとしない。自分で認めておきながら、それはないだろう。
「…………アレスさ、一言いい?」
「……ああ」
部屋の扉を閉めてから、初めてシルヴァが口を開いた。
彼女の瞳に、一層の不審が宿った。
「君って、ロリータコンプレックスな人?」
「……一応訊いてやるが、なんでそうなんだよ」
「だって、さっきからちらちらとヘカテの寝姿見てるし。童顔の女の子が好みなのかなって思って」
「お前な、起きてる時はおとなしかった奴の寝姿が大暴れしてたら、誰だって気になるだろ。お前はいつも一緒に寝てんだろ? 寝相を指摘してやったことはねぇのかよ」
「寝てる時のことって、本人に自覚がないだろうから注意しづらくて。おかげでヘカテの寝相が国宝級に悪いっていうのは、本人以外は皆知っている有名な話よ。気になるなら、アレスが矯正してあげたらどう?」
「これはもう意識したら直るってレベルじゃねぇな……」
裂けんばかりに開いておきながら呼吸は鼻孔が担っているようで、息を吸って吐き出すたびに安らかな音が室内に広がる。それもまた、うるさい寝相とのギャップだ。戦闘能力が秀でていると、こういった反動が返ってきてしまうのか。
自分でも意味不明な推論に、思わず失笑した。
「とにかくな、俺はロリコンなんかじゃねぇ。いきなりわけわかんねぇこと言ってくるんじゃねぇよ」
俺は無理矢理に押し込められただけ。だらしない姿を晒しているのはヘカテの勝手。故意に見ているわけでも、見せるよう強要しているわけでもない。ちょっと珍しいモノに目を惹かれたのは事実だが、それだけで特異な嗜好の持ち主だと非難される筋合いはない。
妙な誤解をされたままでは面倒だ。ここはきっぱりと、自分にそういった嗜好がないことを主張しておくべきだろう。
俺の返答を聞いたシルヴァは、身を引くと自分の身体を抱くように両腕を交差した。
「……じゃあ、ノーマルってこと?」
「あのなッ! それで引かれたら俺はどう答えりゃあ穏便にこの状況を済ませられんだよッ!」
「穏便になんて済むわけないよ。だって女の子と同じ部屋で寝ようとしてるんでしょ? わかるよね? 私達、女性なのよ? それでノーマルってことは、私が寝るのを待ってるってことだよね? どこに穏便に解決できる要素があるっていうの?」
「俺だって好きできたんじゃねぇッ! お前だって聞いただろ。そんなに嫌なら断りゃ良かったじゃねぇか」
「そんなに嫌ならって……君は嫌じゃなかったってこと?」
「べっつに。俺は誰と寝ようが気にしねぇよ」
くだらない会話を終わらせるために、本心を端的にそう伝えた。
俺の意図とは正反対に、シルヴァの視線が気味悪そうに歪んだ。
「変態」
「なんでだよっ! 受け入れたお前のほうに責任があるだろうがッ!」
「あれは……師匠の頼みだったから。あたしにとって師匠は恩人だから、師匠の命令は断れないんだって」
「そんな事情言われたって俺は知らねぇし、だからって俺に暴言を浴びせるのは筋違いだろッ!」
「そうだけど……変態」
またもや冤罪を被せる呼称を投げつけて、シルヴァは背中が壁に当たるほど俺から距離を取った。
――はぁ。そんなつもり、ねぇのにな。
彼女が眼中にないほど異性としての魅力に欠けているわけじゃない。女性ながらに鍛えられた肉体、気品ある所作は、むしろ申し分ないほど魅力的だ。だが、だからと言って欲情するほど俺は獣寄りの人間じゃない。理性が勤勉に働いてくれている。
一方で、彼女が恐れる気持ちも理解しているつもりだった。世の中には、人間でありながら獣に寄っている者も大勢いる。俺が同類かもしれないと警戒されるのは、心外であれども仕方ないことかもしれなかった。俺と彼女は、まだ出会って間もないのだから。
この場を乗り切るには、彼女の警戒を解かなければならない。
そのために俺は、彼女の弱点を利用させてもらうことにした。
「あー、それはともかく――いや、変態と認めたわけじゃねぇけど、ともかくだ。リリアの頼みが断れねぇんなら、お前のことについて色々と教えてもらってもいいんだな?」
「な、なにを訊くつもり? やっぱり変態――!?」
「違うって言ってんだろッ! ほら、あいつが言ってたじゃねえか。交流を深めろって。俺はお前のことを何も知らねぇ。何個か質問してもいいだろ? 嫌だって言うなら、無理には訊かねぇけど」
「――? アレスは、私のことが知りたいの?」
「ああ。こんな謎の組織に身を置いてんのも、あんな物騒な武器を使いこなせるようになった理由も、そこの爆睡してる奴との関係や、俺を変態に仕立て上げようとした女とどうやって知り合ったのかも、訊きたいことなら山のようにあるぜ?」
「そう、なんだ。そんなに私に興味ある?」
「お前に助けられなきゃ死んでたんだ。救ってくれた相手に無関心でいろってほうが無理な話だと思わねぇか?」
「そう、かな? ……そうかも」
腑に落ちない点があったようだが、自らに言い聞かせるように呟いて、彼女は何事かに納得して頷いた。
胸元で交差していた両腕をほどいて、彼女は橙色の常夜灯が微かに照らす天井を仰いだ。数秒だけ目を細めた彼女は、思い出に耽るようにゆっくりと目を閉じた。
「……アレスさ、今は違うかもしれないけど、ヘカテのこと、感情の薄い人形みたいな女の子だと思ってたんじゃない?」
「急な質問だな。まぁ、寝てる姿を拝むまでは、実はよく出来た機械だって言われても信じたかもしれねぇな」
「そうでしょ? でもさ、もっと人間とは思えないくらい感情の薄い女の子がね、昔いたんだよ。この第七二区画都市も田舎って呼ばれるくらい
変わったのは、女の子が住んでた家がなくなった日。大切な家族との憩いの場所は、周辺の住宅街と一緒に焼き払われた。この世界に地獄があるとすれば、それがそうだと思えるくらい、そこには絶望しかなかった。
住宅街に住んでいた住民は、女の子を除いて全員死んでしまった。女の子は最後の生き残りだった。瀕死の住民達が、最後の力を振り絞って女の子だけは逃がそうと命を捧げてくれたの。でも、あと一歩で地獄を抜けられるってところで、女の子は敵に見つかってしまった。その敵がアーク・ロード。殺戮のために生まれた機械の魔物を初めて見た日だった。後からわかったけど、女の子達の地域は、当時試作型だったアーク・ロードの実験に利用されたみたい。住民達は、火事じゃなく殺されたの」
「……だが、そいつだけは生き残ったんだな。とんでもねぇバケモノ女に救われて」
「うん。強さは現実離れしてたけど、女の子にとってその人は現実で、英雄だった。それは三年経った今も変わらない。
全てを失って生きる意味を失くした女の子だったけど、自殺しようとは考えなかった。細かく言うと、考えないようにしてた。感情を動かす心を殺すことでね。救われてから数週間は、一言も喋らない日々が続いた。
生きようとしたのは、復讐のため。全てを奪った奴らを同じ目に遭わせることだけが、女の子の存在理由になった。だけど憎しみはなかった。怒りもなかった。心は死んでいたから。
動く人形と同義となった女の子に、ある日、彼女を救った英雄はこう言った。今でも忘れない、感情を取り戻すきっかけになった言葉」
シルヴァは片手を頭に伸ばすと、前髪に留めてあった安価そうな銀色の髪留めを外して、懐かしむように目を細めた。
「『君が機械のように生きるなら、私は命の恩人として君に命令を与えよう。――もっと女の子らしく生きろ』。この髪飾りを渡して、そう命令されたの。その命令を守っているうちに、女の子の心は息を吹き返していった。
あとのことは、そう大した話じゃない。恩人がどこかから連れてきた自分と似たような年下の少女と出会って、裏次元の話をされて、武器を与えられて、特別な力で使いこなせるようになって――今日、新しい仲間と出会った」
暗い室内でも、女の子の口元が笑っていることがわかった。あまりにも嬉しそうな顔をしているものだから、俺の頬にまで喜びが伝播した。
緩んだ表情を、わざとらしく鼻を鳴らしてごまかした。
「はっ。なーにが『女の子』だよ。バレバレじゃねぇか。それともまさか、お前の話に登場した『女の子』は、実はそこでぐーすか寝てる金髪少女だったりすんのか?」
「ううん、普通に私のことだけど? 自分の昔話をするのって恥ずかしいじゃん? それに、こーゆうのは三人称で語ったほうが味が出るものなの。知らなかった?」
「知ってるも何も、それはお前の勝手な解釈だろうが……」
期待外れの苦言を呈したせいか、気分良さそうにしていたシルヴァの眉間に皺が寄った。
「――でもまぁ、サンキューな」
「えっ、んっ? さんきゅう?」
「ああ。自分の昔話、それも暗く凄惨な過去となりゃあ、誰にでも軽く喋ったりしないだろ? それをお前は話してくれた。今日会ったばかりなのに信用してくれたんだろ? その厚意に感謝ってわけだ」
「信用……」
耳にした覚えのない異国の言葉を聞いたかのように、呆けた顔で反芻される。囁く声には、明瞭な当惑が混ざっていた。
やや黙考して、彼女の顔から迷いの色が消え失せた。
「そっか。私、アレスを信用してるみたい。思えば、過去の話をしたのって、リリアとアレスだけだし」
「ヘカテには話してねぇのか?」
「彼女はそーゆうの興味なさそうだから。私も三年近い付き合いになるけど、ヘカテが|ニーベルング(ここ)に加入するまで、どう生きてきたのか知らないんだよね。あ、でも、だからって信用してないってわけじゃないよ? むしろ頼りにさせてもらってる」
「ふーん。こいつは口数が少ねぇもんな。過去話を誰か喋ってるところなんざ想像もできねぇや。寝相は誰よりもうるせぇけど」
「そ。だからさ、私もそろそろ、自分が話すばかりじゃなくて、誰かの話を聞きたいんだよね~?」
今夜は適当に飽きるまで雑談して、あとは寝るだけだと思っていた。なのに、ベッドに座っていたシルヴァは横になるどころか、急に鋭敏な動作で立ち上がった。
にやけた表情を晒しながら、「どいてどいて」と俺を部屋の隅に退かして、三つに折られた布団を伸ばして床に敷いた。布団自体は、ヘカテとシルヴァが使用しているベッドの物と同じだった。見た限りでは、新品未使用と説明されても頷けるほどに綺麗で柔らかそうだ。
俺への支給品であるならば、最初に心地よさを味わうのは俺の特権だろう。もう寝ろという合図か。シルヴァが気を利かせて、俺の代わりに準備してくれたのか。
そう思ったが、布団を敷いたシルヴァは、間をおかずに俺よりも先に柔らかそうな布団にダイブした。暗がりに浮かぶ純白シーツの端で、膝を崩して座り込む。
彼女は自分と向き合う位置に座ることを促すように、布団をパンパンと繰り返し叩く。
「ほらほら、こっち来てよ。今度は私が、〝男の子〟の話を聞きたいな~?」
そんな仕草が似合う年頃でもないだろうに、駄々をこねる幼児のように彼女は延々と布団を叩き続けている。あんまりうるさくすると、隣で寝ている相棒が起きてしまうのではないか? 一瞬だけ案じたが、次の一瞬で無用な心配と捨て去った。
「ガキかよ。しょうがねぇなぁ」
時刻は、既に深夜二時を過ぎている。戦いの疲れを癒すためにもいい加減眠りたかったが、疲労が蓄積しているにも関わらず不思議と目は冴えていた。
女の子らしく座っている異性と対面して座る。体重が柔軟な表面に吸収されて、身体の感覚が軽くなった。
数時間前にあった生死を賭けた戦闘から一転、身体も精神も弛緩した俺は、似たように脱力している彼女を見据えた。
「言っとくが、お前と違って俺は平凡に生きてきた。聞いてもつまんねぇと思うぜ?」
「それはどうかな? 私は、おもしろく感じるかもしれないよ?」
「そうかよ。聞いた後で文句言うんじゃねぇぞ?」
俺が彼女に興味を持ったことには、相応の大きな理由があった。
けれども、彼女が俺に興味を持ったのは何故だろう。
興味がない相手の過去なんて知りたいとは思わない。例外もいるだろうが、彼女がそういった下卑た人種とは思えない。だとすれば、彼女は俺に興味を抱いていることになる。きっかけは、いったい何だったのだろうか。
或いは、単なる気まぐれか。明日には忘れているような、他愛ない会話の一部に過ぎないのだろうか。
結局真相は知る由もない。けれども、それもまた些末なこと。
俺はただ、信用に値する人物である彼女が知りたいと思うなら、望むように話を聞いてもらいたいと思っているだけだ。
「昔々あるところに、平凡な家庭で育った男の子がいてな――――」
戯けた口調で気恥ずかしさをごまかして、声の調子を落として語り始めた。
つまらない話だと前置きしたのに、聴き手の瞳には興味津々な煌々とした輝きが宿っていた。
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