第12話

 子供っぽい表現をすれば、ここはまさしく秘密基地だった。リリアに指定された真っ直ぐな隠し通路を、地上目指して進んでいる。

 エリゴールとの戦闘で消費した弾丸は補充した。さらに、頼んでもいないのに俺の愛用している銃の弾丸を持ってきた女は、「ついでに」と前置きして妙な物を手渡してきた。

 右肩から左腰にかけて、袈裟にかけたホルダー。ホルダーの五つあるポケットには、黒色の柄に鉛色の刃が付いたナイフが一本ずつ差してあった。

 それは投擲ナイフだが、一般的なナイフが対人用であるならば、これは対巨大兵器用の武器らしい。時間が無く大雑把な説明しかされなかったが、刃に埋め込んだセンサーが刺さったことを感知して、内臓した爆弾が炸裂するそうだ。

 名付けてフレア・ダガーと、そう教えられた。


「こんな危険なもん実戦でいきなり寄越すか、普通」


 誤作動でもすれば一発で極楽浄土に片道切符だ。一抹の不安を拭いきれずに通路を歩いていくと、不意に強烈な衝撃音に天井が揺れた。

 フレア・ダガーが衝撃に反応する最悪の事態に心臓が止まりかけた。幸い、いずれのダガーも誤作動は起こさなかった。

 けれども、心は落ち着かなかった。


「……何か、嫌な予感がするぜ」


 直感の鳴らす警鐘に従って、眩しいくらいに白い通路を駆けていった。

          

 地上に出た俺を迎えたのは、微かに舞うコンクリートの粉塵と、その灰色の紗に透ける〝魔物〟の影。

 隠し通路を抜けて、索敵するまでもなく倒すべき敵と邂逅を果たした。

 数時間前、恐怖に竦んだ圧倒的な存在を再び前にして、全身を巡る血流が沸騰していた。あの屈辱を挽回できると思うと、敵を倒すこと以外、何も考えられなくなる。

 鉄球のような物体が、一帯の煙幕を裂いて兵器の身体に収まった。

 視界が晴れて、殺戮だけを理由に生まれた存在の全貌が晒される。

 敵は二体いた。片方はコンテナの壁の奥に遠ざかっていったが、もう片方は、不自然に崩れているコンテナの隙間から確認できた。共通していたのは、いずれも明らかに標的と定めた〝誰か〟を追っていることだ。

 倍速になった脈拍に急き立てられ、駆け出した。

 袈裟にかけたホルダーからフレア・ダガーを一本引き抜く。

 アーク・ロードの背中から、ワイヤーに繋がれた鉄球のような物体が伸びた。それは鉄球ではなく、鋭く巨大な三本の刃を持つ爪だった。

 敵の伸ばした爪は、港に鎮座する運搬クレーンを破壊する。

 足を止めたくなる派手な音だが、俺の行動は止められない。見向きもせず、不自然に崩れたコンテナの〝異様な圧力〟に潰れた側面を駆け上った。

 二段積まれたコンテナの上に立つと、同じ高さに敵の胴体があった。

 敵は今まさに、獲物と定めた相手の命を刈り取ろうとしていた。

 迷っている暇はない。

 ナイフを投擲した経験など無かったが、


 ――当たってくれよッ!!


 祈りを込めて放ったフレア・ダガーは、銀閃となってアーク・ロードのかざす機関銃の腕に突き刺さった。

 小さく細いナイフの接触音は、耳を澄まさなければ聞こえないほどに貧弱。機械の魔物からすれば、跳ねた道端の小石が当たったに過ぎない衝撃だろう。

 そんな矮小な一撃で、圧倒的な存在の動作を止められるはずもない。

 敵が獲物に向けた銃口が、妨害を意に介さず、その存在意義を果たそうとした。

 

 その直前、アーク・ロードの片腕が爆裂した。

 

 ……フレア・ダガーの接触から爆発までには、僅かな|遅延(ラグ)があるらしい。爆弾が作動してくれないのかと、一瞬だけ焦った。

 腕を一本喪失して、機械の魔物は後ずさる。

 攻撃が止んだ隙に、狙われていた味方と合流した。窮地を救われた人物は、唖然とした顔で俺の顔を見つめてきた。

 そいつに、俺は〝誰か〟のように喋りかけた。


「怪我はねぇか?」

「え――ぁ、うん」

「そりゃあ良かったぜ。思ったより早く、借りを返せたな」


 だが、油断はできない。

 身体の一部を破損した兵器が、体勢を直して俺達の視界を阻む。


「そんじゃ、今度はお前の番だな。俺が囮になるから、一発かましてこい」


 放心状態の彼女の前に立ち、僅かに振り向いて指示をする。

 高揚して偉そうな物言いをする俺に呆れているのか、彼女はしばらく呆然と口を半開きにしていたが、


「――ふふっ、おかしな人だね、君は」

「お前の師匠に比べりゃあマシだろうが」

「当たり前よ。だって私の師匠なんだから。簡単に越えてもらっちゃ困るかな」


 やがて、長柄武器を構え直したシルヴァは、瞳に余裕を取り戻した。


「いいわ。やってやろうじゃないっ! アレス。君の援護、信じるよ」

「ああ、いいぜ。期待できるだけしとけよ。その分だけ応えてやるからよォ!」

「頼もしいの、口先だけにしないでよっ! ヘカテが一体を引きつけてる間に、速攻で倒すわよッ!」


 俺の知っている勇ましさを纏ったシルヴァに、


「任せておけッ!」


 負けないくらいの自信に満ちた言葉を吐いて、俺は機械の魔物に向かって疾走を始めた。

 

 隻腕の魔物が、残った左腕を構える。照準は、シルヴァを捉えていた。


「どこ見てやがんだッ! お前の敵はここにいるぜェ!」


 銃弾を三発放ち、吠えようとした凶器に命中させる。

 破壊はできなかったが、敵の狙いが先頭を走る俺に移った。

 素早く拳銃をホルスターに戻し、胸元からフレア・ダガーを引き抜く。

 魔物の禍々しい腕が、捕捉した生命を殲滅せんと回転する。

 降り注ぐ銃弾の雨は、ただの一発でさえも当たれば即刻死に至る。

 追尾する無数の閃光から逃れつつ、手にしたナイフを投擲した。

 行く先は雨の向こう。回転する凶器の腕の中心部。

 金色の豪雨を逆行する銀閃は、鈍い色の尾を引いて一直線に飛ぶ。

 弾丸の包囲網を掻い潜り、銀の意志は標的に到達した。

 ナイフが爆散した。腕に装填されていたであろう多量の弾丸が宙を舞った。

 凶器の両腕を失って、無慈悲な殺戮兵器は、単に体積が大きいだけの鉄の塊に成り下がった。


「――なんてわけには、いかねぇよな」


 両腕を失った魔物の背後から、ワイヤーに繋がれた爪が伸びてきた。

 間一髪かわした俺の足元に爪が激突する。

 コンクリートで固められた地面が深々と抉られた。出鱈目な破壊力だ。人間を相手にするには、あまりに威力が過剰すぎる。


「けどよぉ、一本だけじゃあ足りねぇんじゃねぇの?」


 めり込んだ敵の爪を見下ろして、敵の本体を見上げた。

 二本目が迫っていた。

 爪は変則的な横薙ぎの軌道を描き、俺の存在を潰そうと接近する。

 回避は――――できそうにない。

 受け流すことは無論、受けきることも、弾くことも叶わない。

 残された選択は、逃走のみ。

 詰まれたコンテナに向かって、俺は突撃する勢いで駆け出した。

 激突の間際、全霊の脚力で飛び上がり、壁面を走るようにコンテナの側面を蹴った。

 高く浮き上がった身体の足元を、地獄に引きずり込もうとする爪が通過した。

 耳元で鼓膜が破裂しそうな轟音が叫ぶ。

 着地して爪を繋ぐ太いワイヤーをゼロ距離で撃ち抜いたが、残弾を撃ち尽くしても断ち切れなかった。


「クソッ! んだよコレッ! 頑丈すぎんだろッ!」


 リロードの隙に、コンテナを突き刺した爪は巻き取られ、魔物の背中に戻っていく。

 その過程――

 巻き取られる爪に、長柄武器を構える女性が飛び乗った。

 いや、〝飛び乗った〟というのは勘違いだった。

 彼女は届かない距離に攻撃を届けるために、利用しただけだ。

 偶然に近くを通過しようとした物体を、高く跳ぶための足場として利用しただけだ。

 左足で地上を蹴った彼女が、右足でワイヤーに繋がれた爪を蹴った。

 彼女の身体が、対峙したアーク・ロードと対等の高さまで飛翔する。

 上昇が最高点に到達すると共に、長柄武器を両手で持ち直し、振りかざした。

 その瞬間の姿――月光を浴びて夜に舞うその姿は、まさに絶対的な死を与える神。

 狙う命は、無機物の動力中枢。

 彼女の勝利は決定付けられていると判断して良さそうだったが、


「|魂の同期(トランス)っ!!」


 一度追い詰められた敵を相手に、死神は万全を期する。

 傍目から見ている分には、呪文を声にする前後に違いは見受けられない。けれども、俺は知っている。それが呪文ならば、彼女が一瞬前と同じであるはずがない。

 何を視たか。何を知ったか。何を重ねたか。

 客観の視点では、何一つとして理解することはできないが、

 機械と彼女。彼我にある勝敗だけは、確信した。

 振りかざした大鎌が、回収の遅れている爪に伸びた。

 銀閃の描いた鋼の月は、銃弾では傷すら付けられなかったワイヤーを、まるで細い糸のように容易く断ち切った。ワイヤーに繋がれていた重量物が、港の地面に転落した。

 頭上に武器を掲げたまま、飛びついた彼女と敵の間合いはさらに縮まる。

 両端で形状の異なる長柄武器。振り上げた武器の向きはそのままに、彼女は武器の握り方のみを変更した。

 斧の部分で敵の爪を破壊した彼女は、

 淀みない連撃で、厚い装甲に覆われた敵の胴体に、反対側の突起物を強打した。


「まだよッ!」


 前回のように突起物を切り離した後、彼女が熱く雄叫びを響かせた。

 流麗な動作は着地後も続いて、敵の片脚の裏側から斧が振るわれる。

 たったの一撃で、鋼の足は崩れた。

 時間差で胴体に埋没された爆発物が炸裂して、敵の身体が後方によろめいた。

 支えもなく、仰向けに倒れていく機械の身体。その下方――下敷きになる位置で、彼女は長柄武器を手に待ち構えていた。

 恐れもせず、迫り来る敵の背面に再度突起物を打ちつける。

 魔物の背中から、ワイヤーに繋がれた爪が天空に伸びた。

 しかし、

 道連れにするための一撃は、本体が炸裂すると同時に制御を失い、真下にあった自らの身体に突き立った。

 宣言通り速攻で敵を倒した彼女が、鷹揚と俺のほうに歩み寄ってきた。


「……やっぱすげぇな、お前。こりゃあ、俺の援護なんざ必要なかったかもな」

「『やっぱ』って?」

「助けられた時も同じことを思った。こんなすげぇ奴、初めて見たって感じにな」

「それを言うなら、アレスだって。私じゃあ、あんなふうに敵の攻撃を避けたりはできないし。援護が無かったら、やられてたし」

「いやいやそう謙遜すんじゃねーよ! お前はすげぇんだって!」

「はあ。そこまで褒められると、どういう顔したらいいかわかんなくなっちゃうなあ。……ふふっ」

「笑ってんじゃねぇかよ」

「ふふっ。そうだね。こういう時は、こんな顔をすればいいのかなって思って」


 口元を手で隠してシルヴァが笑う。彼女が見た目相応の仕草を見せて、俺は少し意外に思った。


「なんつーか、お前も普通に笑うんだな。あまり感情を表に出す奴じゃないと思ってたぜ」

「それは初対面だったから。会ったばかりで全部見せてあげるほど、私は解放的な性格じゃないよ」

「何言ってんだ。今だって充分『会ったばかり』じゃねぇかよ」


 野暮な指摘を受けたシルヴァは、驚いたような顔を見せたあと、ほんのりと頬を紅潮させた。


「ホントだ。じゃあ私って、実は結構解放的な性格なのかも」


 極上の幸福にでも巡り合ったかのように、彼女は満足げに微笑んだ。

 何がそんなにおかしいのか。何がそんなに嬉しいのか。本人に訊かなければ知る由もないが、なんとなく、訊いたところで教えてくれない気がした。

 だが、そんなのは些末なことだ。

 彼女は、俺が初めて命を守ろうとして、守れた人だ。

 初めて救った人が、こうして幸せそうに笑ってくれている。俺にとってはその事実だけで、これ以上ないくらいの喜びだった。


「――いちゃいちゃするのはいいですけど、何か忘れていませんか?」


 空からアンカーを伝って付近に着地したヘカテが、じっとりとした目で俺達を眺めた。


「あ、ごめん、ヘカテ。あの飛んでくる爪みたいな武器、かなり強力だったけど怪我はない?」

「逃走に専念しておりましたので外傷はありません」

「そう。良かった。それで、ヘカテが相手してたアーク・ロードは? 追ってきてる感じがしないんだけど」

「あちらです」


 ヘカテがアンカーを握る手で示した方角に視線を移動した。

 コンテナに囲われた離れた場所に、もう一体の凶悪な殺戮兵器の容貌を視認した。


「いるな。……だが、なんでこっちに向かってこねぇんだ……?」

「無理だからでしょう。移動手段がありませんので」

「移動できねぇって、故障でもしてくれたのか? 確かにアレは試作型らしいから、不具合が起きても不思議じゃねぇが」

「そうじゃないです。壊したんですよ。逃走に専念しておりましたが、足だけは潰しておきました。脚の裏側の装甲は薄いので、私の武器でも充分に効きますから」


 涼しげな表情のまま、さらっととんでもない腕自慢を聞かされた。


「ですが、移動手段を断ったら優秀な固定砲台になってしまい、手が付けられなくなりました。申し訳ないですが、あとはお二人にお任せします」


 抑揚の無い声で喋ったあと、降参であることを強調するためか、ヘカテはそれぞれにアンカーとサブマシンガンを持つ手を頭上に挙げた。

          

 シルヴァの愛用する長柄武器――フレア・ハルベルトと言うらしいが、斧の逆側にある爆弾の予備は、一発分しか装填できない構造になっている。故に、一体目のアーク・ロード相手に全弾を撃ち尽くした彼女もまた、ヘカテ同様にトドメを刺すのは難しかった。

 消去法で前線に立つのは俺になり、二人の仲間の援護を受けつつコンテナを盾にしたりして、敵の隙をついて背面に回り、フレア・ダガーを装甲の薄い面に投擲して兵器の破壊に成功した。

 辺りは、夜の港が元来湛えるべき静寂に満ちていた。俺達以外の戦闘も、どうやら決着がついたようだ。微かなきな臭さが漂う夜空の下で、帰還する前に、俺達は酷使した身体を少し休めることにした。

 今夜はあまりに多くのことが起きすぎた。この一夜で、何度この身が終わりかけたことか。改めて思い返すと身震いした。

 最初の窮地を救ってくれた人物に声をかけようとしたが、話しかける前に、彼女は浮かない顔つきで呟いた。


「……それにしても、どうして私、助かったんだろう」

「俺が駆けつけた時の話か? だったら簡単じゃねぇか。お前が俺を助けた際に間に合ったように、俺も間に合った。お互い運が良かったってことだ」

「そうかもしれないけど……私、|魂の閲覧(リーディング)で敵の銃弾を防ぐ方法を探したの。でも、どれだけ探しても見えなかった。存在しなかったの。あの時、私が敵の攻撃から逃れられる未来は。なのに、私は助かった」

「視える未来は現在で変化するらしいから、考えなかっただけなんじゃねぇのか? 自分だけでどうにかするんじゃなく、誰かの手を借りることを」

「――その通りだ」


 第三者の声に振り向くと、いつの間にかリリアが近くのコンテナにもたれていた。


「未来を変える要因は、自分に起因する理由だけではない。自分を取り巻くあらゆる要素もまた影響を及ぼす。君は願わなかったんだろう。誰かに、自分を救ってくれと」

「……そうね。自分の力ではどうにもならないとわかったから、諦めてた」

「だからといって、他人を頼る未来は視たところで収穫はないがね。それは魂の閲覧で視たところで、どうしたって結果は変えられない。未来に干渉する主導権は、助けられる側でなく助ける側にある。変えられない結果など、視る利点は一切無い」

「それなら、私が助かることは――」

「そういうことだ」


 シルヴァとリリアの会話は、そこで終わった。てっきり続く言葉があるように聴こえたが、二人ともそれ以上は何も言わなかった。

 夜が深まり、風が冷えてきた。高揚していた心身の体温も落ち着いて、夜の港を包む穏やかな空気に、生きている実感を噛み締める。

 周りにいる三人の女性の髪が、海辺から吹き込む冷風に踊っていた。

 今日から俺が属することになった組織の長が、体重を預けていた壁から離れた。


「さて、そろそろ下に戻るとしよう。今夜は色々と進展があったから、やるべきことが山積している。我々の目的の達成も、どうやら急がねばならんようだしな」

「そういや、軍と小競り合いしてんのはわかったが、具体的に何しようと企んでるか、まだ訊いてなかったよな?」

「ああ、まあそうだが、我々はテロリストだぞ? 目的など語るまでもないだろう」


 黄色い満月を仰ぎながら答えたリリアの瞳が、後方に佇む俺を映す。

 口元には三日月。楽しげに歪めた唇で、彼女は答えた。


「この街――統一国家・アンドリヴァの第七二区画都市を陥落させることが、我々の目下の目的だ」


 正義の味方を自称する|犯罪者(テロリスト)は、未だかつて誰も成し得なかった国家への反逆を、本気で実現させるつもりらしかった。

 冷徹を愉悦で隠すリリアの瞳には、その先に待ち構える結末さえ視えているように思えた。

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