第10話

 景色に色が戻った。

 迫る白刃もまた、そのままに。

 もはや避けられない一撃。身体で受け止めて、それで終わるのだと悟っていた一撃。

 奇跡でも起きない限り、眼前に迫った結果が覆ることはない。


 ――ならば、


 〝奇跡〟の起きた身体は、触れようとした殺意に対して反射的に動いた。

 空になった拳銃を握る手に力を込めて、

 胴体を斬り裂こうとした長剣を、拳銃のトリガーガードで受け止めた。


「なに――ッ!」


 想定外の事態にエリゴールが目を見張る。

 俺が逆の立場でも、きっと同じ反応を返しただろう。

 長剣にかかっていた力は単純な腕力だけじゃない。外側から薙ぎ払われた刃には、相当な力が作用していた。加えて敵の剣はかなりの業物で重さもある。

 フルスイングされた巨大な鉄の塊を受け止めるには、同じくフルスイングした同等の鉄でなければ相殺できない。ましてや片手で持った拳銃の――それも厚みのないトリガーガードの部位で止められるはずがない。それが常識だ。

 もたらされた結果は、理詰めで導かれる推測からかけ離れていた。

 俺は〝以前の俺〟になかった技量で、常軌を逸した膂力の受け流しを実演してみせた。

 止めて威力を落とした長剣を敵の胸元に押し返した。


「どうしたよ、腑抜けた顔しやがって。まるで死んだ恋人の幽霊でも見ているかのようだぜ?」

「……ああ、そうかもしれないな。私は恋人を作った経験はないが」


 拳銃を振り上げ反撃に転じるが、今度は相手が刃で受けて鍔競り合う。

 一瞬前まで焦燥の汗を流していた眼前の敵の顔には、とても反撃を受けている奴の表情とは思えない、嬉しげな笑みが滲んでいた。


「何だその顔は。随分と余裕じゃねぇかよ」

「それは貴様の勘違いだ。むしろ逆だよ。正直なところ、先ほどまでは余裕だったが、今はそうではなくなった」

「言葉と顔が釣り合ってねぇぞ。頭おかしくなっちまったのか?」

「戦いを好む時点で私も貴様もとっくに狂っているさ。――笑っているぞ、貴様も」


 敵の刃に映る俺の口元は、確かに愉悦に歪んでいる。

 当たり前だろう。この状況で笑うなというほうが無理だ。

 勝ち目がないと諦めかけた敵を前に、負ける気が微塵もしないのだから。


「しょうがねぇだろ。頬に付けられた傷の仕返しができると思うと楽しくってなァ!!」

「ふっ。さて、そううまくいくかな?」


 力任せに拳銃を弾いて、敵は詰めていた間合いを一旦ひらく。

 この隙にリロードしようと、空の弾倉を捨てて予備弾倉を差し込もうと手を伸ばした。

 当然そういった行動に出ることは、敵も充分に承知しているだろう。


「させると思うかッ!」


 予備弾倉を握った直後に、敵は刺突を放ってきた。

 初めの突撃より、幾分か鋭さと速度が増している。

 点の攻撃を受け止めることは難しい。それに、リロードに気を取られていたせいで、回避できるだけの時間は残っていない。

 左手には予備弾倉。右手には愛用の拳銃。眼前には殺意の刃。

 俺の魂は、知っていた。

 この状況における最善の対処方法を、この肉体に宿る魂が教えてくれた。

 避けられない一撃は、左手に持った弾倉の底で払ってみせた。


「――――!」


 敵は愕然。鋼は甲高い音を立てて、殺意は描くはずだった軌道から外れる。

 弾倉を振り抜いた勢いのまま、右足を軸に身体を半回転させた。

 がら空きの敵の胸元に後ろ回し蹴りを放つと同時、弾倉を差し込み装填する。

 渾身の蹴りを受けて僅かに浮いた敵に、振り向きざまに引き金を引いた。

 この男は、弾丸を避けるバケモノだ。

 そんなバケモノといえど、地に足がついていなければどうしようもない。

 人間の急所たる胸の中心に、放った金色が一直線に飛んでいく。

 直撃した。

 

 エリゴールが咄嗟に引き寄せた剣に直撃して、弾丸はどこかに弾かれた。

 

 着地した相手に、内心の動揺を悟られないよう銃口を向けた。

 自らを凌駕する〝異様〟を前に、額から妙な汗が頬を伝って流れ落ちた。


「やっぱバケモノじゃねぇか、お前」

「なにを言う。貴様こそ妙だろう。手を抜いていた、というようには見えなかった。と言っても、なにをしたか訊くつもりはない。私にとってはどうでもいいことだ。ただ一つ、途中からの貴様は紛うことないバケモノだった。流石はリリア=リリトーに仕えるだけあるな」

「そりゃあ光栄だ。んじゃあバケモノ同士、第二ラウンドといくか?」

「素敵な誘いだが、私は楽しみは後に取っておきたい性格でね。好きな食べ物も最後に頂くよう心がけているのだよ」

「は……? お前の嗜好なんて誰も訊いてねぇよ!」

「まぁ待て。最後まで聞け。ここは私が退こう。貴様達には私の敗走を見逃してもらうことになるが、無論、無償で頼むような横暴をするつもりはない」

「ふざけんじゃねぇぞ。何勝手に主導権握って――」

「――待て、アレス」


 敵と味方の双方から制止を食らって口を噤んだ。

 背後で傍観していたリリアが、苦味を浮かべる俺の隣に歩み出てきた。


「エリゴールといったか。自分から取引を持ちかけるあたり、我々にとって非常に有益な情報を提供してくれるのだとお見受けしたが、そうなのだろ? 言っておくが、生半可なネタで逃がしてもらえるとは思わんことだ。ここにいるのはアレスだけではない。この私もいるのだからな」

「ふっ、確かに二対一では分が悪い。これは、こちらのネタを気に入ってもらわねば、命を捨てる覚悟を決めねばならんようだ」


 言葉とは裏腹に鼻で笑い、エリゴールは長剣を鞘に納めた。


「二つ教えよう。アンドリヴァ・ナイツの量産兵器であるアーク・ロードがあるだろう? 貴様達が各地で破壊して回っている巨大な兵器のことだ。その兵器の新型が、最近完成したらしい。早速明朝から配備されるそうだ。――この街・第七二区画都市に」

「ほう。つまり我々がこの地域を政府から奪おうとするならば、その新型とやらを破壊せねばならんわけか」

「貴様らも対アーク・ロード用に色々な武器を開発しているようだが、新型にも従来の戦法が通じるとは思わんことだ。あれは規格外だからな」


 機密を冗談のように滔々と語る敵に、俺は疑念の眼差しを向けた。


「味方を売って自分が助かろうって魂胆か?」

「私には仕えるべき主君も友もいない。これだけ言えば、理解してくれるだろう?」

「いちいち鼻につく物言いしやがってッ! じゃあなんで軍の秘密部隊になんか入ってんだよッ!」

「それを君が言わせるかい?」

「はァ?」


 狂っている男は腰の鞘に左手を乗せて、携える名剣のごとく眼光を鋭くした。


「君のような強い奴と出会い、競い合うためさ。完成された国家に歯向かう者達には、君やリリア=リリトーのようにバケモノじみた――否、バケモノそのものが潜んでいることがある。そういった強敵と命を秤にかけて戦うには、敵対していなければ駄目だろう?」

「お前……本気でそんな理由なのか?」

「本気でなければ強くはなれんさ」


 エリゴールは血痕の残る軍服を翻して背後を晒した。

 去る前に、彼は肩越しに俺とリリアを見た。


「新型の話が一つ目。そして、貴様達の仲間が現在地上で戦っている兵器が、件の新型の開発過程で試作された改良型であること。それが二つ目だ。苦戦するだろうが、機械ごときに負けて死ぬなよ? 貴様は私と死合うのだからなッ!」


 返答の暇も与えぬまま、エリゴールは俺に焦点を合わせて続けた。


「ではな、好敵手。貴様の名が軍内に知れ渡るのを楽しみにしていよう」


 名前も呼ばず。勝手につけた肩書きを一方的に押し付けて、赤服の奇妙な軍人はエレベーターホールに続く通路に消えていった。

 リリアの反応を窺う。

 男の去った方角を見て僅かに微笑む彼女には、逃げた敵を狩るつもりはないようだった。

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