第8話

 メインルームの自動扉を抜けて、広大なエントランスホールに出た。

 いったいどこに隠れていたのか、エントランスホールには何十人もの武装した男達が集っていた。彼らの風貌は様々で、歴戦の勇士といった精悍な鍛え抜かれた肉体を持つ者がいれば、強風が吹けば立っていられないのではないかと心配になる痩せ細った者もいた。

 体格に差があれども、彼らの瞳に恐怖が介在しない点だけは共通している。

 男達のむさ苦しい空気から逃れるように、エントランスホールの隅に二人の女性が立っていた。二人とも入ってきたばかりの俺に視線を向けている。用でもあるのかと近寄っていこうとしたが、俺が一歩踏み出すより早く、隣にいた人物が集団の前に歩み出た。


「全員揃っているようだな。面倒だが、この拠点も今夜が限界らしい。ならば最後に一花咲かせて、我々からの餞別としよう」

「敵は何人だ?」

「たくさんだ。アーク・ロードも二体投入されている」

「勝算は?」

「愚問だな。ここには私がいるのだぞ?」


 逡巡もなく返された言葉に、質問した全身擦り傷まみれの男はゲラゲラと品の無い声をあげた。リリアの冗談は、彼にとって余程ユーモアに溢れた芸だったらしい。

 質問した男だけでなく、他の構成員達もほぼ全員が弛緩した顔を晒していた。女性陣に目をやると、ヘカテはつまらなそうな様子だったが、シルヴァの頬は少しばかり緩んでいた。


「これは勝てる戦いだ。だが油断すれば命を落とす危険も漂っている。死にたくなければ、己の力を過信しないことだ」

「こちらから打って出るんだろ? 囲まれたら面倒だ」

「もとよりそのつもりだ。シルヴァとヘカテ以外は、第二から第十一までの通路を使って散開しろ。必ず二人以上のチームを組むように。除け者も出すな。地上に出たら敵を発見しだい各個撃破だ。アーク・ロードは倒せそうになければ手を出すな。わかったな?」

「「「「了解ッ!」」」」


 幾重にも重なった低い声色に、リリアは口角に白い歯を覗かせた。


「ならば行け」


 所属する組織の長から下された命令に、部下達は速やかに左側手前を除く複数の通路に消えていった。


「師匠、私はどうすればいい? アーク・ロードデカブツを叩けばいいかしら?」

「まったく、力を過信するなと言ったばかりだろう。一人だけで倒せると思うな。アレには一撃で我々を塵に変えるだけの威力がある。たとえ倒した実績があるとしても、運勢が悪いほうに傾けば命の危険が生じる。前にも注意したはずだが?」

「む、説教されなくたってわかってるよ。そのためにヘカテも残したんでしょ?」

「そういうことだ。残った第一通路から出れば、アーク・ロードを輸送してきた船の裏手に回れるはずだ。後方から奇襲して、鬱陶しい殺戮兵器を鉄くずに戻してやれ。ヘカテは、そこのお調子娘がヘマしないよう援護を頼む」

「お任せください。敵の注意は、わたしが引きつけます」

「むぅ、なーんか馬鹿にされてる気がする」


 ――実際にそうだと思うが。


 胸の内側で密かに感想をこぼすと、まるで心の声を傍受したかのようにシルヴァが俺を睨んだ。


「なに? 言いたいことでもあるの?」

「何もねぇよ」

「ふぅん」


 あっさりと引き下がったシルヴァは、指示された通路に身体を向けた。


「行くわよ、ヘカテっ!」


 相変わらず身軽な服装のシルヴァの手には、例の特殊な長柄武器があった。

 通路の奥に駆け出した彼女の後ろを、身軽とは正反対のドレスを纏った少女が続く。

 強制加入させられた組織でも一層の存在感を放つ二人も戦いに赴き、潔白な色に染められたエントランスホールに、俺とリリアだけが取り残された。

 やがて、喧騒がなくなった。

 遠ざかっていった靴音の残響も消失した。地上では戦闘が開始されているのかもしれないが、厚い壁を挟んで密閉された空間には、微かな音さえも届くことはない。


「なんだぁ? 俺はここでお前とお留守番かぁ? 機械相手じゃなけりゃあ、足手まといになるつもりはねぇんだけどな」


 自分が最前線に投入されなかった理由をそう解釈して、命を救われた汚名を返上する機会が与えられなかったことに不満を漏らす。


「君は勘違いしているな」


 機嫌を悪くした俺を面白がる声色で答えて、リリアは中央の通路を見据えた。


「門番など私一人で充分だ。さっきも言っただろう。君は、倒すべき敵と会うのだと」

「敵だぁ? だったらなおさら地上に行かせろよ!」

「必要ない。耳を澄ませてみろ。近づいてくる足音が聞こえるだろう」

「あぁ? なに言って――――」


 抗議しようとした意思は、中途半端に途切れて霧散した。

 規則的な間隔で奏でられる靴音が、どこからか近づいてきていた。靴音は余裕と、漠然とした高貴な雰囲気を帯びていた。

 接近してくる方角が判然とせぬうちに、突如響いた乱暴な靴音が冷静な靴音を上塗りした。

 続いて銃声が反響する。引き金を引き絞ったような、装填された弾を撃ち尽くす勢いの轟音の連続。

 密室に喧しく響いた騒音は、けれども寸秒でぴたりと止んで、辺りに静寂が戻った。

 ただ、喧騒から一転した沈黙ほど気味の悪い空気はない。

 冷静な靴音が、再び歩き出した。乱暴な靴音がその音の接近を妨害することは、もうなかった。

 隣に立つリリアの焦点は、動じず誰もいない中央の通路を注視している。

 何が起こるのか?

 誰が現れるのか?

 見当もつかなかったが、それが正しいと語る直感に従って、リリアと同じくエレベーター室に続く通路に視線を注ぐ。

 途端、曲がり角から何者かの影が差した。

 影の持ち主が待っていた俺達の姿を認識する。目が合うなり、〝そいつ〟は規則的な歩行を乱さずにやってきた。

 広大な部屋の中心まで歩いて、〝そいつ〟はようやく動きを止めた。

 アンドリヴァ・ナイツの制服たる真紅の軍服。赤い服の裾には、より濃い赤色の飛沫が付着していた。片手には剣。その長さは俺が倒した兵士の帯びていた物と同等だが、鍔が大きく、刃の幅も軍で支給される剣の三倍近く広い。何より、武器の放つ不可視のオーラが、他とは一線を画す存在であるのだと雄弁に主張していた。

 異質な雰囲気を振り撒いてエントランスホールの中心に立つ燃えるような赤い髪の男は、彼にとって敵の親玉たる女性を剣尖で指して、唇を歪めた。


「貴様がリリア=リリトーだな。私はエリゴール=エリンゴス。この場で手合わせ願おうか。悪いが拒否権はない」


 指名されたリリアは、奇異な眼光で対峙する男を見つめ返した。


「紳士なのか野蛮なのかわからん物言いだな。しかし得物が銃ではなく剣とは珍しい。君のとこの特殊部隊は正装だから帯剣しているだけと思っていたが、君のそれは装飾品ではなさそうだ」

「いい眼をしている。これは支給される剣とは別物だ。稀代の名工の鍛えた傑作・アロンダイト。この剣の前では、鋼すらも紙片同然となろう」

「それは凄い。さて、自慢の剛剣をひけらかしに来たのなら、これで満足しただろう。帰ってくれて構わんぞ?」

「つれないことを言うな。幾つもの拠点が一人の女に潰されたと聞いて、追い回した果てにようやく邂逅できたんだ。私の気持ちを汲んでくれるとありがたい」

「戯けたことを。上官の指令を受けて来ているのだろう? ならばもっと大切なことがあるのではないか?」

「この地下拠点を潰せ、か? 私はそんな任務に興味はない。より強い者と手合わせできれば、それ以外は一切を望まん。勝手ながら、その対象に貴様を選ばせてもらった」


 平静のまま淡々と喋るエリゴールに、リリアは目を丸くした。


「嘘をついているようには思えないが、正気か、君は?」

「正気など、至上の強さを願ったとうの昔に捨てた。御託は結構だ。武器を構えろ、リリア=リリトー」

「断る」

「拒否権はないと言った。来ないなら私から行く」

「来たければ来るがいい。相手をしてやろう。――ここにいる、私の優秀の部下がな」


 欄とした光を双眸に宿していた男が、臨戦態勢を緩めた。溢れそうな疑惑を込めた瞳が、俺の視線と重なった。


「貴様は強いのか?」

「さぁな。お前には負けねぇだろうけど」

「自信家か。結構。どの道リリアとは戦うのだから、前座として楽しませてもらうとしよう。殉職者が増えることになるが、恨むなよ」


 憐れむような表情を晒して、エリゴールは俺ではなく隣の女に最終確認を行った。

 問われたリリアは、子供っぽい笑みを浮かべた。


「アレス、どうもあの男にも未来が視えるらしい。あの男が予見した世界では、君はこれから情けない死を迎えるようだが、死ぬのか、君は?」

「んなわけねぇだろ。鏡と見間違えてんじゃねぇか?」

「ふっ、なるほどな。ナルシストの雰囲気を醸しているが、正解だったか。では君は、あの男に勝てると言うんだな?」

「言っただろ。一対一で負けるほど俺は弱くねぇよ」


 リリアはエリゴールをナルシストと呼んだが、俺も大概だなと自嘲した。

 誰よりも優れた存在となる。頂点に立とうと願う者には、この身こそが最も優れているという自負が絶対的に必要だ。エリゴールとはこれが初対面だが、その気持ちが揺らぐことはない。

 俺のほうが強い。

 そう信じるだけで、心に余裕が生まれた。


「いいだろう。威勢は気に入った。予定外ではあるが、相手をしてやろう」


 相対する彼は、落ち着いた緩慢な喋り声をかけてきて、


「――だが、本気で行くぞ」

「――――ッ!」


 敵は、急激に前方へ体重を傾けた。

 上体を白い床と水平に、赤色の影が弾丸の如く飛来する。

 初めの間合いは二〇メートル。

 接近に反応して拳銃を構える頃には、半分まで詰められた。

 銃撃した。

 初弾の狙いは、手堅く命中判定の広い胴体。

 電光石火を狙う敵の動きを止めるには、当たりさえすればいい。

 銃弾に対して敵は刃。時代錯誤の近接武器と現代兵器の遠距離武器では、比べるまでもなく優劣は明白だ。

 硝煙を散らして、殺意は正確無比な軌道を描く。

 一〇メートル未満の至近距離では、銃口から煙が噴出するより早く肉体に穴が穿たれる。

 回避など不可能だ。防御を可能とする盾も、この殺風景なエントランスホールにはない。


「――――甘いなッ!」


 だというのに、エリゴールは上半身を捩るだけの動作で弾丸を回避した。

 動揺に意識が無色で塗り潰される。

 我に返って眼前を見据えると、

 点となった刃が、眉間に迫っていた。

 弾丸に比べれば幾分か遅い刺突に、首を曲げて咄嗟に回避を試みる。

 頬を浅く裂かれるが、怯まず銃口を敵の胸に突きつけた。

 限りなくゼロに等しい距離。

 銃を初めて握った奴ですら外しようのない状況。

 凶刃から逃れながらも、捉えた敵の心臓目掛けて引き金を引いた。

 銃弾は、虚空を貫いた。

 軍服を翻してまたも弾丸を避けた赤髪の男は、間合いを取った俺を追わず、足を止めて立ち止まった。


「彼女に紹介されるだけの腕はある。それは認めよう。しかしそんなマニュアル通りの撃ち方では、私には当たらん。マニュアル通りであれば、その逆も容易い。当て方を知っていれば、もちろん避け方もわかる」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ、バケモノが。そんなデタラメ理論、お前以外に適用できる奴がいるかよ!」

「そうか? 例えば、そこにいる貴様の組織のトップは私と同じ考えを持っているんじゃないか?」

「勝手に人を怪物扱いするな」


 外野で傍観している女が、不快そうな声色で意見を挟む。それを聴いても、男は薄っすらとした微笑みを作ったまま崩そうとしなかった。

 こいつは、狂っている。

 正常という名のネジが残らず抜け落ちているようだ。

 常識に囚われている俺に、勝てるだろうか。

 間違いなく、次に敵の刃が届けば俺は絶命する。

 それは憶測でもなければ確信でもない。覆しようがない確定事項だ。

 ならば――と、立ち尽くしていた敵に対して、手にした武器の引き金を引く。

 唐突な銃声に、唐突な殺意。

 どれほどエリゴールの動体視力が優れていたとしても、肉体を動かす筋肉が硬直していれば初動までの時間は遅くなる。たとえコンマ以下の秒数だとしても、狙う銃弾から逃れられるか否かの話になれば、暖気の有無によって結果は左右される。

 当たるはずだった。当たらなければ、おかしかった。

 なのに、側面に跳んで敵は当然のように弾丸をかわした。

 弾倉に残る弾は四発。

 着地地点目掛けて放った次弾も、引き金を引く速度を上回るエリゴールを捉えられない。

 そんな無駄を繰り返して、残弾は底をついた。

 せめて間合いが開けば装填の時間を確保できたが、俺を軸にして円を描くように動き回る敵との間合いは、苛烈な連射を敢行する以前と殆ど変わっていなかった。


「終わりか。射撃の腕は優秀なようだが、それが仇となったな。貴様の銃では私は倒せん。成長の機会を与えてやりたいところではあるが、全力で行くと前置きしてしまった。騎士に二言は許されん」


 剣尖をあげて、刹那の硬直。

 自らも突き出した剣の一部となり、敵は風の衣を纏って肉薄する。

 俺の手元には、空になった金属片。

 抗う術はなく、ただ切迫する死を先延ばしにしようと、淀みなく連鎖する凶刃から紙一重で逃れ続ける。

 避けられたのは偶然だった。避け続けられたのは奇跡だった。

 故に、そのような幸運がいつまでも続くはずもなく――


 ――――――――あ、無理だ、これ。


 異様に冷めた心情を吐露して、次の一撃がどうしようもないと悟った。

 視界の左斜めから袈裟の閃光が迫る。


「貴様とは、良き好敵手になる未来があったかもしれないな」


 別の世界の可能性と共に繰り出された刃が、隙だらけとなった身体に迫る。

 そう。

 それは別世界の話だった。

 この世界で、俺と彼が好敵手になることはありえない。

 俺は今、次のシーンで殺される。

 彼が殺して、俺が殺される。

 二人の間にあるのは、確定されようとしている結果だけ。


 ――――なら、


 それが真実だというのなら、〝あの未来〟は違ったのか。


 ――影と戦っていた俺は、俺じゃなかったのか。


 これから先の未来、この足で辿っていく世界の延長ではなかったのか。

 俺と敵。彼我に流れる時間が、凍て付いたかのように錯覚した。


 ――――違う。

 

 事実として、俺を取り巻く時間は停止していた。

 

 リリアによって導かれた鮮やかな青と深淵の黒が形作る裏次元。

 いずれ出会う人影宿敵の姿を脳裏に浮かべた瞬間、俺の意識は、無限に連なる〝裏側〟の地平に立っていた。

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