第6話
空は闇。夜よりも深い空に星屑は介在せず、縦横に青色の線が格子状に延びていた。格子の長さは、地平線から地平線まで。限りなく連続する青い光線は、天上だけでなく地上ををも彩っている。
青く発光する支柱が地上と天上を結んでいた。支柱もまたどこまでも、周囲のあらゆる方角に等間隔で配置されている。
出口はない。入口もない。
自分はどこから、この異質な空間に来たのだろう。漠然とした疑問が脳裏に浮かぶが、ありえない景観を前に、まともな解答を期待するほうが滑稽に思えた。
気が狂いそうだった。焦り始めた心拍数を鎮めるように、手近な光の支柱に手を触れた。
瞬間、
「っ――ッ!」
数百種類はあろう雑多な映像が、脳内で同時に再生された。
処理許容量を優に超える映像に脳を揺さぶられ、支柱から手を離して額を抑える。脳を破壊しようとした映像は、それで見えなくなった。
「ほう。早速視たか。いや、まだ流れただけか」
いつの間に、そこにいたのか。
頭部を抑える指の隙間に、現実と同じ格好のリリアが平然と立っていた。
「ぐっ……なんなんだいったいッ! この場所も、いまの映像も、何がどうなってやがる……ッ! 俺に何をした……ッ!」
「解説が必要か? その瞳に映ったもの。それが全てだ。私から他に伝えられることはない。強いて言うならば、君をここに連れてきたのは私だ」
「ああ、そうか……ここが、裏次元とかって空間なわけか……なるほど、こいつは、常識外れな感覚だぜ……」
現実から遥かに離れた構造の世界。到底受け入れられるはずのない事実を、俺の制御中枢は機械的にただ事実として受け入れていた。偽物ではなく、本物の世界として。
頭では否定したいのに、心は肯定を示していた。その異常性に、思わず頬に苦味が浮かぶ。
「嫌悪する気持ちはわかるが、考えてもみろ。ここは君の魂の記録が全て保管された空間だ。過去はともかく未来の記録があるのだから、君はもうこの世界を〝知っている〟ことになる。抵抗なく容認してしまうのは道理だろう」
「さっき脳に雪崩れ込んできたのが、お前の言う記録ってやつか」
「所詮我々は肉体に縛られた脆弱な存在だ。一度に取り込める情報量は極めて少ない。閲覧する記録を定めずアカシックレコードに触れれば、際限無く押し寄せる情報の波に、一秒も要さず脳が焼き切れる。だから、視たい記録を浮かべてから触るのだ。それでも膨大な情報量には違いないが、欲を張らなければ受け止められるはずだ。ちなみに、アカシックレコードを視る行為は|魂の閲覧(リーディング)と呼ばれる。この単語は自己と魂の共鳴率を高める効果もあるので、記録に触れる際に念じれば目的の情報を引き出す成功率も上がるだろう」
「目的の情報と言われたって、どうすりゃいいかわかんねぇよ」
「迷うことはない。君の願う未来、理想を思い浮かべるだけでいい。あとは裏次元が該当する記録を勝手に引っ張りだしてくれる」
助言を受けて、思考に一握りの作業エリアを確保した。絶えず往来する意思の波を押し退けて、願う未来、理想の姿の情景で上塗りする。
言われるがままに、俺は想像した。
――俺は……失敗した。俺は弱かった。俺は助けられなかった。俺は無力だった。
――だから、守りたい。倒したい。救いたい。生きたい。勝ちたい。負けたくない。死なせたくない。強くなりたい。
――今より強く。今より速く。今より逞しく。もっと。もっと。もっと。もっと。
貪欲な望みを幾重にも束ねて、この身の完成形たる理想像を創造する。
己が成長した未来。それを目的の情報と定めて、見えない本の表紙を捲るような感覚で、音もなく命じた。
――|魂の閲覧(リーディング)。
胸の深淵に落とすように、声に出さず沈めた言葉。
それがどれほどの意味と効果を有しているのかは不明だが、
呟いた直後、俺は眼前に突如現れた漆黒の影と戦っていた。
――ッ!?
手足を動かしている感覚はない。暗黒よりも深い色に塗り潰された人間の輪郭を持つ影と〝何者か〟が戦っている光景を、俺は〝何者か〟の主観から眺めていた。
――これは、
〝何者か〟の手に持つ武器は拳銃。必然か、それとも偶然か。銀色に煌く凶器は、俺の愛用している銃とまったくの同形だ。
対する人影の武器は謎。長剣か、それとも変哲の無い棒きれか。手元から伸びた皮膚と同色の漆黒からは、正体を推し量ることは不可能に等しい。
だが、武器の正体など些末な問題だろう。
敵対する影は殺意そのもので、それが刃のない棒であろうとも、掠めるだけで相手の息の根を止められる。誰よりも間近で敵の殺意を体験している俺には、理屈では納得できずとも本能で理解できてしまう。
――これは、
常軌を逸した宿敵。そうだ。こいつは、〝何者か〟にとっての宿敵だ。
迫る刃は、一振りにて二つの軌道を描く。防ぎようのない、文字通りの必殺の凶刃。
名も知らない両者の決闘は、それで決着が着いた。
……ように思えたが、〝何者か〟は拳銃で肉薄する殺意をまとめて薙ぎ払った。
人影が距離を取る。
すかさず銃を正面に構えて、敵対存在の中心に銃口を突きつけた。
――これは、
主観で映像を見せられている俺には、そんなことがわかるはずないのに、どうにも俺には、この〝何者か〟の唇が喜びに歪んでいるように思えた。
確かめるように、手で口元に触れる。今度は腕を動かせた。
笑っていた。
否定し続けていたが、それで遂に確信した。
――これは、俺だ。
他ならぬ俺自身が、得体の知れない存在と対峙していた。
景色は黒と青の裏次元。リリアはどこかに消えて、無限に連なる世界には宿敵が一人、或いは一匹。
敵と再び交錯する。
〝俺〟では絶対に敵わない相手に、〝俺〟は互角の実力で渡り合う。
――これが、未来の俺が視ている光景だとするならば。
辿り着いた答えに応じるように、脳内に新たな知識が芽生えた。いや、それは芽生えたのではなく、未来の自分に植えつけられたのかもしれなかった。
いずれにしても、それが俺の求めたものであることは疑いようがない。理性が働く隙も与えずに、特別な意味を持つ新たな言葉を、声を出して音にした。
「――
「がァ――――ッ!」
突如、稲光が弾けたような白光に視界を潰された。視力が回復すると、〝俺〟が戦っていた人影は忽然と姿を消していた。
「その様子だと、中々に良い記憶を視られたようだな」
代わりに、人影の出現と入れ替わるようにして消えたリリアが、傍らで不敵に微笑んでいた。
「あれが、俺の辿る未来か……? お前も見ていたのか?」
「ああ。集中するあまり、私が意識から消えていたのだろう。付け加えると、ここに私がいること自体が例外中の例外なのだ。ここは君の魂に用意されたプライベート空間だ。言い換えれば、私がここにいるということは、この瞬間の君の肉体に私と君の二つの魂が同居していることになる。それはおかしいだろう?」
「お前が、俺の身体に……?」
リリアの話は難しく、言葉の真意は汲み取れないが、それが不快な行為であるのは間違いない。
「そう睨むな。一時的に同居しているのは事実だが、君の記憶を閲覧する権限は私にはない。喩えるなら、玄関先で立ち話をしているような状態だ」
「で、押し売りする商品が|魂の閲覧(リーディング)っつー能力なわけか」
「買うと決めたのは君のほうだがね。いずれもう一つ売り込むつもりだったが、そちらは自力で手に入れてしまったようだな」
「|魂の同期(トランス)ってやつのことか? 急に浮かんできたんだが、ありゃあいったいなんだ? 魂の閲覧が過去と未来の記憶を読む能力なら、魂の同期はお前の言っていた未来から能力を借りる力じゃねぇのかよ」
「それで合っている。ただ、今回は失敗しただけだ。その理由にも検討はつく。おおかた、使い方を間違えたのだろう」
「間違い?」
魂の同期がどのような能力か不鮮明ではあったが、成功する確信だけはあった。間違いと指摘されても、何が違っていたのか心当たりはない。
合点のいかない俺に向けて、リリアは右手の人差し指を立てた。
「順を追って説明しよう。まず、同期しようとした未来についてだ。先ほどから単に未来と言っているが、君がここに存在している以上、未来なんてものは存在するはずがない。君は現在より過去にしか存在しないのだからな。では繰り返し言っている未来とは何か。それは、異なる世界の記憶だ。平行世界とも言うな」
「別の世界なんざ、空想の概念じゃねぇのかよ。……なんて、こんな常識から外れた場所で文句言ってもしょうがねぇな」
「順応してきたようだな。君の魂は君の肉体に宿っているが、君の肉体は平行世界の数だけ存在する。平行世界は無数に連なっていて、時間の流れも様々だ。先ほど君が視たのは、その内の一つ、その世界で君が見ている光景だ」
「よくわかんねぇが、わかってきたぜ! 同期っつーのは、別の世界と俺のいる世界を連結するってことだな!」
「連結というより吸収だな。同期すれば対象の存在は消滅する。それに、吸収するのは世界ではなく魂に繋がれた存在のみだ。で、肝心の失敗した理由だが、恐らく思い浮かべた未来と現在が、単純に連結できる関係ではなかったのだと思う」
「平行世界を持ち出して合う合わないなんてあるのかよ。パズルのピースじゃあるまいし」
「むっ、的確な喩えだな」
深く考えもせずに漏らした言葉に、リリアは意外そうに感嘆した。
「魂の閲覧を散らばったピースを眺める行為とするなら、同期は組み立てだ。当然一致しなければ組み合わない。つまり過去には魂の起源から組み上げてきたピースが連なっているわけだ」
「無数にある平行世界をピースとして、どのピースを組むかは未確定で、それを意識的に選択する能力が同期ってわけか。けどよ、合わないもの同士を組めないんなら、無数に未来が存在していようが組み合うのは一種類だけなんじゃねぇか?」
「繋げられる世界は確かに一つだけだよ。だが、現在を変えれば未来も変わる。環境、思考、所持品、体調など、それがたとえどれほど些細であったとしても現在は微妙に形を変える。同期したい未来があるのなら、その未来に繋がるよう現在を変えればいい」
「簡単に言ってくれるぜ。こっちはまだ理解すらしてねぇのに」
「君ならば必ず成せると信じているのでな」
俺と彼女は出会ったばかりだ。相手に信じられるような根拠があるはずもない。けれども、そこに確固たる裏付けがあるのだと、自信に満ちた口調が暗に物語っていた。
信じるとは、自らを委ねること。理由もなく自分を売り飛ばす行為は思慮に欠けており軽率だ。人任せな行動を平気でする輩は、人任せな生き方をする芯のない輩だ。自分を持たない奴は、それだけで世間から疎まれて罵詈雑言を浴びせられることも多い。
多くの人々を救えるよう多くを見聞した俺は、世の中の大半がそういった自分を持たない連中であると知っている。本人に自覚がなくとも、そういった連中は自分だけではどうにもならない状況に陥れば、超える方法ではなく真っ先に逃げ道を模索する。
別に、そんな思考を持った者達が嫌いなわけじゃない。無理なことにぶつかったら回避する。その選択を責める権利が、いったい誰にあるというのだろう。
俺の願いは、昔から一つだけ。
そういった弱い者達の救いになることだ。
逃げたいと願う者達に道を作ってやれるような、〝強い〟存在になることだ。
青臭いと馬鹿にされても仕方のない陳腐な願望が、俺の目指す憧憬だった。
「おっと、大事なことを言い忘れていた。魂の閲覧で視た記録は、自分の胸だけにしまっておくことだ。下手に喋れば、それだけで大きく未来が変動するだろう」
思い出したように補足説明すると、彼女はおもむろに両手を広げた。
「さて、最後に裏次元から脱出する方法だが、これは説明するまでもない。自分で裏次元を開けば、閉じ方もわかるだろう。今回は例外で、君のプライベート空間といえど、鍵を開けたのは私だから、閉じる権限も私にある。出る前に質問を受け付けてもいいが、何かあるかな?」
質問など、常軌を逸脱したものを立て続けに体験させられたのだから、掃いて捨てるほどにある。だとしても、ここで聞いたところで今より明瞭な解釈ができるとは到底思えなかった。
俺の視た未来――俺自身の平行存在と同期できなかった具体的な原因も、聞く気にはならなかった。
何故ならば、
自力で障害を超えることこそが、俺の目標とする生き方だからだ。
「ない」
きっぱりとリリアの問いかけに答えを返す。
幻想的な世界を彩っていた幾筋もの青の光、青の支柱が歪み、溶解した。
緩慢に崩壊する景色が消失して、元の個室の内装が視界に戻ってくる直前、俺は知ったばかりの厳しい現実と再度向き合った。
このままでは、あの得体の知れない影と戦っていた〝何者か〟のようになれないのだと。
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