第3話
白い壁がどこまでも伸びる通路。異様なほど無音の場所で、二人分の靴音と自分の息遣いだけが喧しく耳に届く。
白塗りの通路を長身の女性の案内で進んでいく。何度目かの角を曲がると、窮屈な通路は途切れて、何も無い殺風景な大広間に繋がった。
「ここは、まあアレだ。エントランスホールといったところだな」
陸上競技場のトラックを作れそうな長方形の大広間。壁面には一辺を覗いて、均等な間隔で通路の出入口がいくつも並んでいる。
「隠し通路はたくさんあってな。どこから入っても、このエントランスホールで合流する仕組みになっている。ちなみに、奥の一際幅のある通路はエレベーターに繋がっていて、物資の運搬に役立てている。食料が無ければ、地底での引き篭もり生活は成立しないからな」
「エレベーターの反対にあるでかいドアは?」
「メインルームに繋がっている。気になるか? では、早速移動しよう――――と、言おうと思っていたのだが、〝彼女たち〟が戻ってきたようだ」
「彼女?」
「君を救った恩人だよ」
そう言うなり、長身の女性は十一もある通路の一つに注目した。会話が途切れて耳を澄ませると、徐々に大きくなる靴音が聞こえた。ただし音は幾重にも反響しており、発信源の方角までは判然しない。
いくら聴覚が優れていたとしても、広々とした空間の中央にいる俺たちには、どの方角から音が距離を縮めているのか正確に判断できるはずがなかった。
だというのに、隣の女性は確信をもっているように一点を凝視していた。
到底信じられるはずもなかったが、
ついさっき俺を助けた身軽な格好の女性ともう一人の少女が、隣の人物の焦点から現れた。
「早かったな。その様子だと、残党はいなかったようだな」
「斥候だったみたい。本隊が遅れてくるかも」
「ここも限界か。引越しの準備を急がねばいかんな」
状況を共有する二人の傍らで、残りの一人が俺をジッと見ていた。
金髪に漆黒のドレスなんていうド派手な格好をした少女。少女がエントランスホールに入ってきた瞬間から、俺の興味は釘付けになっていた。少女は身長も低く、中学生くらいの歳に見える。
片手には無骨なサブマシンガンを握っていた。それを見て、巨大兵器の脚を破壊したのが彼女であったのだと合点した。
少女は目を逸らして、俺を連れてきた女性を無感動に見た。
「総帥、このお方は?」
「そうすい……?」
「無論、私のことだ。君も呼びたければ、そう呼んでくれて構わないぞ」
三人のなかでは年長者と見て間違いない女性が、不敵な笑みを湛えて答える。
一転して、女性は気の抜けた声で尋ねてきた。
「そういえば、まだ君の名前を訊いていなかった。見たところ射撃の腕は良さそうだから、名前はバレットでいいか?」
「お前たちがどんな組織なのか知らねぇが、加入してもねぇ奴を本名以外で呼ぶのはおかしいだろーが。――自己紹介が遅れたな。俺はこういう者だ」
ポケットからケースを取り出して、いい加減なことを言う女性に常備している名刺を差し出した。
「アレス=フィリップス=オーガス。職業は、ボディガード?」
「依頼があれば応じる形式でやってんだ」
「ほう。死線を潜り抜けてきたのなら、あの射撃の腕にも納得がいくな」
「ありがたいねぇ。まぁ、実を言うと始めたばかりで、契約を結んだことはまだ一度もねぇけどな」
「それは始まっていると言うのか……? だとすれば、射撃の技術をどこで磨いたか気になるな」
「仕事を始める前は一年間軍にいた。銃の扱い方は、その頃にな」
「軍を辞めたのか。知っているとは思うが、この国において、軍属に勝る職業はそうないぞ?」
もちろん知っている。
統一国家・アンドリヴァ。それがこの世界に存在する唯一の国だ。途方も無い長大な歴史の果てに、史上初めて全世界を一つにまとめた国家の名前。
管理する範囲が全世界となれば、当然必要とされる管理側の人員も相応の数となる。加えて、統一状態を維持するためには、各地で突発的に起こる反逆の火種まで処理しなければならない。
治安維持の防衛力を国家の軍隊で賄うのだから、人員確保のための政策が生まれるのは当然の帰結だ。結果として、軍属にはもっともらしい理由で多額の補助金が国家から給付されるようになり、おかげでこの国の軍隊は潤沢な兵力を保持している。地位も高く、軍属であれば上流階級の暮らしを営むことが可能だ。
金が多くもらえるのは嬉しいし、でかい顔して街を歩けるのも悪くない。
それでも俺は、軍を辞めた。
多額の報酬によって求められる見返りが、どうにも気に入らなかった。
「失望したのさ。この国が、目立たないところで権力と武力を振りかざした暴政を働いていると知ってな。そんなくだらねぇ連中の道具になるのは御免だった。だから、一年で見限ったってわけさ」
「ふふっ、そうか」
「おかしいかよ?」
「ああ。最高にな。――となれば、これはもう君には不要だな」
一層愉快そうな声で話すなり、
彼女は受け取った名刺を、真っ二つに破り捨てた。
「なッ! なにすんだおま―――」
「私はリリアという。呼び方は任せるが、決められないのなら此方から指定しよう。さ、君たちも名乗っておけ」
抗議に自己紹介を被せて、リリアはそばに立っていた二人の女性に目配せした。
「シルヴァリガンよ。呼ぶときはシルヴァでお願い。あ、さん付けとか要らないからね」
「ヘカテ=ペルテリアと申します。お好きなように呼んでください」
長柄武器の女性、ドレスの少女の順番で、彼女らは命令に忠実に従い、己の名前を名乗ってみせた。
「まぁ互いに仲良くやってくれ。これから長い付き合いになるだろうからな」
「おい待てってッ! それはどういう意味だ? 俺はお前たちの仲間になるなんて一言も言ってねぇぞ!」
「何を言っている。シルヴァが救わなければ君はもう冥府の住人となっていた。つまりは一度死んだ存在だ。まさかと思うが、誰かに救われた命で、これまで通りの日常を送れるとでも思っていたのか?」
「俺に、お前たちの仲間になれっていうのか」
「違うな。〝なれ〟ではなく〝なる〟だ。ボディガードがそんなにしたいのなら、来世にでも期待するのだな」
滔々と紡がれる暴論。
異論を許さぬ淀みない口調に、反論する気は失せていた。この女を口喧嘩でねじ伏せることは困難で、なによりも面倒だ。
「アレス。今この瞬間より――いや、違うな」
……だが、そもそも反論する必要なんて、ないのかもしれなかった。
倉庫の屋根でリリアの言っていた台詞を思い出す。
彼女達が何者であるのか、思い出す。
俺も、同じ存在になりたいと願っていた。
憧れを抱いた者達の勧誘を受けることが、叶えるための近道になるのなら、
「シルヴァに助けられた瞬間から、君は既に我々の組織の一員になっていたわけだ。この私が代表を務める|反政府組織(テロリスト)・ニーベルングの一員に」
強制されるのは癪に障るが、その誘いを拒む理由は、どこにもなかった。
メインルームを訪れる。隣のエントランスホールと違って、そこには大勢の人がいた。乱雑に設置したデスクで端末を操作している者達が半分、もう半分は数箇所の会議スペースで討論を白熱させている。
入口のそばで作業していた若い男性が、いち早く俺たちの登場に反応して立ち上がった。真夏の日差しのような暑苦しい視線は、まっすぐリリアだけに注がれる。
「リリア様っ! お久しぶりでございますっ!」
「あー、もうそんなに経つか。で、異常は?」
「付近を哨戒していた小隊が接近しているようですっ!」
「わかった。警戒区域に侵入されたら教えてくれ。これから管制ルームに向かうが、話は通しておいたか?」
「無論でありますっ!」
「うむ。君は有能だ。長生きできるだろう」
褒められた男は大声で礼を言って頭を下げた。暑苦しい反応を一瞥して、リリアは俺のいる背後に首をまわした。
「ついてこい。シルヴァとヘカテもな」
指示して、リリアはメインルームにある自動扉の一つを開いた。
そこは照明が絞られた個室だった。弧を描くように設置された操作パネルが部屋の奥にあって、男女が二人ずつ座っている。彼らは一様に操作パネルの上を見上げ、所狭しと並べられた数十台のモニターに眼球を走らせていた。
「組織の概要を説明する前に、先ほどのやりとりについて解説しておこう。私たちを出迎えた暑苦しい男の挨拶に関してだ。実は、地上で君と遭遇したのは本当に偶然でな。地下から打って出たわけでなく、私たちもちょうど他所から移動してきたところだったのだ。シルヴァ、この拠点を訪れるのはどれくらいぶりかね?」
「一年よ」
「なにっ!? まったく、時間の経過が早く感じるようになったな。これだから歳は取りたくない。流石にもう、若者は自称できないか」
「当たり前でしょ。だってもうさんじゅ――」
「シルヴァ。それ以上は言わないほうが身のためだ」
「ひぇっ――。わ、わかったわよ。年齢はアレスにも教えないわ」
「ああ。聡明な弟子を持って私は嬉しいぞ。ヘカテも、私の歳を隣の男に話したらコンプライアンス違反で懲戒解雇にするから肝に銘じておくことだ」
「総帥は永遠の十七歳。総帥は永遠の十七歳」
「いい子だ。大切なことを二回言うあたりもポイントが高い。あとでご褒美をあげよう」
小さくガッツポーズするヘカテ。背丈が低い彼女のそういった仕草は、外見から推定される年齢をさらに幼くさせた。
内輪のノリすぎて反応に困ったが、ひとまずリリアの実年齢が見た目以上であることだけは密かに察した。
「そんなわけで、私達もこの拠点はご無沙汰していたのだ。さて、ここからが本題だが、君も軍に所属していたのなら、この世界の情勢をある程度は知っているだろう?」
「圧倒的軍事力に任せた過剰な平和維持活動のことか?」
「まさにその話だ。我々は反政府組織を自称するくらいなのだから、当然、この国とは敵対の関係にある。では、地上でアレスを襲った集団はどこの勢力かわかるか?」
「着ている服は軍服と似ていたが、色が違ったな。俺が知っている軍服は緑色だが、奴らの着ている服は赤だった。そんな色は、軍にいた頃でも見たことがねぇ。まさか、どこかの亡国の軍隊か!?」
アンドリヴァに飲み込まれた国が再興を企てている。適当に言った憶測だが、なかなかに現実的で道理が通っているように思えた。
「いい読みだが、惜しいな。国への無念はきっぱり断っているようだから遠慮なく言うが、奴らもまたアレスの所属していたアンドリヴァ軍の一員だ。もっとも、いわゆる国の秘密組織というやつで、表向きは存在を秘匿されているがね。組織名は、アンドリヴァ・ナイツというらしい。くだらんが固有名詞は便利でな。我々は、我々の敵を一応は正式名称で呼んでいる」
「アンドリヴァ・ナイツ……そんなもん、噂ですら耳にしたことねぇぞ」
「秘密とは元来そういった類を指す言葉だ。それに、仮に奴らの行動が世間に知り渡れば、安定している国家情勢が一息に傾きかねない。奴らが何をしたか、君もその目で見ただろう」
見ていない、なんて答えられるはずがなかった。重篤な心的外傷を負いかねないほどに、あの光景は残酷で、俺から活力を奪いつくしたのだから。
あの光景――罪も無い人々が、守ろうとした存在が、ゴミ同然に処分されていった一瞬は、まさしく悪夢そのものだった。
彼女の話が真実だとすれば、信じられない事実を肯定することになる。
「国民を惨殺したのが……自国の軍隊、だと……」
「ああ。それが世界の裏側の真実だ。君が今日まで見てきた景色は、仮面に覆われた表側の世界だったのだよ」
「だが、なんだって軍が……」
「さてな。ただ、〝騎士〟は秘密機関らしいからな。我々ニーベルングを潰すことが主目的だったとは思うが、目撃者を許すわけにもいかなかったのだろう。原因の一端を担った点を鑑みると、我々に糾弾する権利はないのかもしれないな」
淡々と語るリリアの口調は、その行為は今夜が初めてではなく、幾度も繰り返されてきたのだと暗に示していた。
「我々が憎いか? だとしても、君に許された選択肢は少ない。――右上のモニターを見てみろ」
リリアの指差した画面に注目する。
示されたモニターに映し出されていたのは、鷹揚に波を打つ海面と、暗い海に擬態して浮かんでいる船舶。船は二艘並び、双方とも甲板を夜に溶ける色のシートで覆い、積み荷である巨大な何かを隠している。
「確認したか? ならば次は左のモニターだ」
促されるがままに視線を移動する。
彼女が見せようとしている映像は、探すまでもなくわかった。港の数箇所を監視している複数のモニターに、人の気配の消えた港を嗅ぎ回る集団が映っていた。
「増援か……海から来てんのは、さっきの巨大兵器か」
「そのようだ。あれは〝騎士〟どもの開発した兵器で、アーク・ロードと名付けられている。しかし一度に二体も寄越すとは大盤振る舞いだな。よほど我々が目障りなようだ」
「港に一般人は残ってねぇんだよな?」
「いたとしたらもう遅い。奴らが容赦しないのは、君も身をもって体験しただろう」
その通りだった。
つい数十分前の光景がフラッシュバックする。俺を頼ってくれた同年代の男女。飾り気の無い感謝の言葉。動かぬ〝モノ〟と成り果てた凄惨な現実。
かつて一度は〝正義〟と信じて、自らもそうなりたいと夢を抱いた存在が、俺の守ろうとした罪の無い人々を惨殺した犯人だった。
しかし――だからこそ、夢を抱き、追って、一時は身を置いたからこそ、連中の絶大な力を認めざるを得ない。
「勝てるのか? モニターで確認できるだけでも相当な大人数だ。おまけに強力な兵器まである。ここには、そんなに多くの戦闘員がいるのか?」
「それなりにはいるが、君が想像している兵力には確実に足りないだろうな」
「だったらどうすんだッ!? 圧倒的な戦力差を覆す秘策でもあんのかよッ!」
「ない。我々の組織は正々堂々正面突破をモットーとしている。変化球は好まん」
「ふざけてんのかッ! そんなんで勝てるわけねぇだろッ!」
「ああ、そうだな。私も勝ち目は皆無に思う」
どういうわけか、絶体絶命の絶望的状況に追い詰められているにも関わらず、リリアの目元は笑っていた。
「〝普通〟なら、勝てるわけがない。ならばもう自明の理だろう。それでも抗おうとする我々は、〝普通〟ではないか、ただの馬鹿だ」
「……ただの馬鹿なのか?」
「馬鹿を言うな。|敵(あちら)が科学的な力で捻り潰そうとするなら、|我々(こちら)は超常的な力で返り討ちにするまでだ」
至極当然のように不可解な説明を済ませて、リリアは管制ルームから出て行こうとする。
自動扉を開いて、彼女は取り残された俺たちを順番に見据えた。
「シルヴァとヘカテは戦闘に備えておけ。奴らが入口を見つけるのは時間の問題だろう。アレスは私について来い。君が〝勝てない相手〟に勝つための能力を授けてやる」
その発言は虚言としか思えなかったが、
濁りのない魔力を秘めた瞳は、俺に否定することを許さなかった。
「――未来の自分から、力を受け取る超能力をな」
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