第31話

 ハルカがやられれば、この戦闘にも、この戦争自体にもアスタリア軍の勝利はない。

 現実は非情だった。アスタリア軍の得た勝利の鍵が失われようとしている。


「ハルカ一等兵はやらせませんよっ!」

「こいつがやられたら終わりだぞっ!」


 後退してきたレオナルドとルドルフが咄嗟にタイプⅣを射撃するが、対戦闘AI用の武器とはいえ、あくまでタイプⅠ用に調整した威力だ。タイプⅣの厚い装甲版を貫くことは叶わない。

 弾丸は破壊に至らず、虚しく弾かれる。

 視界の端で、上空を駆け回っていたタイプⅡが何故か高度をあげた。それが最後の一機のようだ。

 空を気にしている暇はない。真正面に迫る死に対し、シュウはスナイパーライフルを向けた。

 だが、仮に込められた銃弾に戦車を破壊する威力があったとしても、敵の砲撃は止められないとわかっていた。

 そのとき、三機並んでいたタイプⅣが急に自爆した。


 いや、それは自爆ではなかった。

 超低空飛行で橋上を駆け抜けた味方の戦闘機が、爆発の理由を説明づけた。

 戦闘機の通過により巻き起こった突風に煽られる。味方の航空支援に感謝する暇もなく、シュウは寸秒前に頭上の蒼い空に上昇していったタイプⅡの姿を探した。

 目を凝らさなければ見えないほどの上空に、敵はいた。

 蒼い背景に、針の穴ほどの黒い点がある。それが例のタイプⅡらしかった。

 もはや空中戦では勝ち目がないと判断して、逃げたのか。

 戦場から逃走する戦闘AIは、これまでに一度も見た覚えがない。新たな行動パターンが増えたのかとシュウは訝しく思い観察する。

 ハルカが提示した時間まで、あと十秒は切っている。


 あと十秒耐えれば、この戦いは終わる。

 ふと、小さな黒い点が、大きくなっている気がした。

 気のせいではなかった。

 遥か高い空に逃亡したと思しきタイプⅡが、百八十度縦に旋回して地上へ急降下していた。

 蒼色に変貌した空を落ちてくる機体は、両翼で白い軌跡を刻む。そのタイプⅡの目的など、見上げることしかできないシュウにわかるはずもない。


 わかるはずもないが、シュウの身体は動いていた。

 脳幹の指示を待たず、彼は長槍を両手で握り佇立するハルカの隣に大股で素早く移動する。

 ギリギリ密着しない距離で彼女と並び立った。

 微動しないハルカの隣で、シュウはスナイパーライフを支える左手に力を込めた。

 シュウの持つ武器の銃身が持ち上がる。銃口は徐々に地面との角度を広げ、やがて垂直になる位置でぴたりと止まった。

 銃口に追従させた視線の先で、急降下してくる機体を見た。

 もはや黒い点ではない。戦闘機の形をした物体が、全開の出力で地上に迫る。

 ようやくシュウの思考が、自身の行動に追いついた。


 馬鹿げている、と思った。自分は何を心配して、何をしようとしているのか。

 “それ”はあり得るかもしれないが、“それ”は無謀としかいいようがない。

 標準装備のAK74-AD4は大量のタイプⅠを殲滅可能だが、威力はさほど高くない。一方でシュウのスナイパーライフルは、タイプⅣの一部装甲をも貫く威力を有している。ただし連射はできないうえ、装甲の厚い箇所を貫通できるほどではなかった。そのために、持ち主の腕しだいではタイプⅣの弱点を射抜けるスナイパーライフルの形態をとっているのだ。


 タイプⅡの装甲は、せいぜいタイプⅠより少し堅い程度だとシュウは考えていた。飛行するのだから装甲は軽く、薄いはず。ならば当てさえすれば、どこであっても装甲は貫通できる。

 なおもタイプⅡは降下を続ける。

 馬鹿げていると思った妄想は、たった一秒後には恐怖を伴う確信に変わった。

 戦闘AIは総力をあげて最優先目標のハルカを排除しようとしている。舞い戻ってきた最後のタイプⅡの狙いも、彼女以外にありえない。

 現に敵は、目を瞑る彼女の頭上に落ちてきている。

 ミサイルは発射されなかった。幾度と迎撃された確実性のない方法は取らず、目標を排除するという点では古の時代から最も有力とされてきた方法を戦闘AIは選んだらしい。

 多量の火薬を内蔵した状態で敵に衝突する――神風をしかけてきたのだ。


 ハルカとシュウの周辺にいた兵士たちも、遅れて敵の算段に勘付いた。

 誰もが自らの運命を悟り、全身から脱力した。

 タイプⅡがシーブリッジの地面に衝突すれば、防衛線一帯が吹き飛ぶ。それは事実上の全滅であり、完全な敗北を意味する。

 ひとり、まだ諦めていない兵士がいた。


 彼は天高くに銃口を掲げ、スコープ越しに見える世界の中心に敵の姿を捕捉しようとする。

 タイプⅡが地上に到達するまで、あと二秒。

 手先の震えが止まらなかった。止まれと祈っても、脳内で命じても震えは治まらず、レティクルと標的が重ならない。

 闇雲に撃つしかないのか。

 当たればラッキーで、撃墜できれば奇跡だ。


 奇跡なんて起きないとわかっていた。

 奇跡を起こすのはハルカで、平凡な自分には起こせない。卑下しているわけではない。彼女が特別なだけで、それが当たり前だ。

 そんなこと無理に決まっているのに、何故自分は上空から迫るタイプⅡを撃ち落そうとしているのだろう。いまさらすぎる疑問がシュウの脳裏をよぎったとき、シュウの目が〝幻〟を映した。

 ハルカではない本物のシュウの姉が、彼と同じように天空に銃口を向ける光景を見た。

 それが、シュウの抱いた疑問の答えだった。

 あまりに単純だ。


 だが、これほど納得できる答えもない。

 あと一秒。急降下するタイプⅡの輪郭が、蒼い世界で明瞭に浮き上がる。

 シュウは敵に狙いを定めた。

 手先の震えは、止まっていた。

 レティクルの中心に敵影が重なる。


 あとは、射撃のタイミングだけだ。音速で迫る相手では、コンマ数秒の誤差も許されない。弾丸の威力が低下するより早く、なおかつ粉砕時に地上へ被害が出ない距離で当てる必要がある。

 悩んでいる暇はない。シュウは自分の直感に頼るしかなかった。

 憧れていた姉を今度は自分が守れるよう、歩んできた日々で培った直感を信じた。

 

 ――大丈夫。シュウは私が守るから。

 

 引き金を引いていた。

 長い銃身から射出された弾丸が黄金の閃光となり、真上から迫るタイプⅡに伸びる。

 閃光は、敵に直撃しなかった。

 水平尾翼のひとつに命中して薄い装甲をはがしただけで、大きな成果は得られなかった。


 ただ、機体の軌道を逸らすには、それで充分だった。

 尾翼の破損によりバランスを崩したタイプⅡは、軌道を修正する暇もなく横に逸れると、シーブリッジ周辺の海面に音速で突っ込んだ。何十メートルもの水飛沫が舞い上がり、直後に海中から大気を揺るがす轟音が響くと、さらに激しい量の水飛沫が拡散した。

 まるでゲリラ豪雨のように水滴が降り注ぐなか、ハルカの持つ長槍に引き寄せられていた白い結晶の最後の一粒が、穂先で燦然と輝く蒼い光に吸収された。

 淡い色の短い髪と白い軍服を水飛沫に濡らしたハルカが、ゆっくりと瞼を開いた。


「よくやった。あとは任せろ」

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