第30話

「残念ながらあと数分ある。せっかくここまで守り通したんだ。最後まで意地を張ってみせろ」

「俺があんな機械にやられたりするものか」

「くれぐれも油断するなよ」

「上官に向かって偉そうに命令するな」


 そういってハルカを睨むと、ルドルフは銃声と爆発音が乱れる地獄に戻っていった。

 ルドルフの背中を見送り、ハルカは橋上のコンクリートに対して垂直となるよう長槍の柄を立てた。穂先は彼女の頭より高い位置にある。右手で握っていた長槍に左手をそえると、穂先に刻まれたルーン文字が輝きを放ち始めた。

 その輝きは、これまでに見た白光とは異なり、深い青色をしていた。


「オレが惑星の力をかき集めるまで、約一分。その間オレは反撃できない。だから宣言通り、お前がオレを守れ」


 突然の要求に、シュウはハルカを見据えて目を見開いた。


「お前がいったんだろ。いっとくが、やり直しはできないぜ。これで失敗すりゃあ、次はねぇ。防衛線は突破されて、第六大隊は全滅する。まぁオレだけは生き残れるかもしれねぇけどなァ」


 唇から漏れそうになる弱気な言葉を、シュウは必死に飲み込んだ。

 代わりに強気な台詞を吐きたかったが、それはそれで思い浮かばない。口を真一文字に結んで、ただハルカを見つめた。

 それを返答と受け取ったハルカは、微かな笑みを口の端に作った。


「力が溜まるまで、オレは意識を集中する。それまで――任せたぜ」


 シュウに合わせていた焦点を長槍の穂先に移動させて、ハルカは両方の瞼を閉じた。

 途端、微弱だった穂先の蒼い輝きが、一息に鮮烈となった。

 その光は凄まじく、シーブリッジ上空の茜色の空をも染め上げる。背後にそびえるレングラードの山々は語るまでもなく、大地も海もひとつの色で彩った。

 晴れた日よりも鮮やかな青色の海面から、白く輝く極小の結晶が浮き出てきた。

 結晶の数は一つや二つ、十や百でもなく、千や万ですら凌駕する。シーブリッジ周辺の海面一帯から抽出された結晶は、海面から空中に飛翔して、緩慢な速度でハルカの握る長槍の穂先に吸い込まれる。


 結晶は橋を構成する柱もコンクリートの地面も貫通して、死体やバリケード代わりの車体すらすり抜け、直線距離で引き寄せられていた。

 後方からも穂先に吸い寄せられる光があることに気づき、シュウは背後に振り返った。

 レングラード全体が、白色の発光物に囲われていた。それらはやはり徐々にハルカの持つ長槍に吸い込まれ、燦然と輝く蒼い光の一部と化していく。


「な、なんだよ、これ――っ!」


 これまでに見せられたプラネトリアの力とは桁違いの光景に、誰に伝えるわけでもなく愕然と叫んだ。

 茫然自失に陥りかけたシュウの目が、上空から接近する一機のタイプⅡを捉えた。

 次の瞬間、見据えていた機体に味方の放ったミサイルが直撃した。黒煙をあげたタイプⅡは数秒間急降下したあと、空中で爆散する。

 しかし爆散した機体は、被弾する直前に一発のミサイルを射出していた。

 ミサイルの狙いは味方の航空部隊ではなかった。


 ハルカのいる地上を目掛け、ミサイルは蒼く変貌した世界を高速で降下する。

 シュウはスナイパーライフルを構えて銃弾を装填する。

 斜め上空に銃口を向け、スコープ越しに飛来物の全貌を捉えた。

 失敗の許されない状況に動揺する心は、息を止め一時的に鎮めた。手先の怯えもわずかとなり、ぶれていたレティクルが落ち着く。

 レティクルと飛来物が重なった。

 コンマ一秒の誤差なく、シュウは引き金を引く。

 耳元で弾けた炸裂音は、直後の爆発音に掻き消えた。


 蒼く染め上げられた世界では、灰色の爆風もまた蒼かった。

 目標の撃破を視認したシュウはコッキングレバーを引いて排莢と次の弾丸の装填を行う。

 コンクリートに落ちた空薬莢が、甲高い音をたてた。


「――後ろからも来ますっ! シュウさんっ!」


 どこかからカナデの警告がシュウの耳に届いた。

 振り返ると、二秒、三秒分の間隔をあけて二発のミサイルが背後からハルカを狙っていた。

 撃墜できるか。

 そう自問自答する頃には一発目を撃ち落して、次の弾丸を装填していた。

 自分の狙撃の腕に驚いたのは、二発目を正確に撃ち抜いたあとだった。

 こういった多少の成果で天狗になり、油断して足元をすくわれるのがシュウの悪い癖だ。自分の短所を自覚した彼はすかさず迎撃態勢を整え、次のミサイルを探した。

 蒼く上塗りされた空では、アスタリア軍の航空部隊が残存するタイプⅡを追い詰めていた。先ほどのように捨て身でミサイルを撃ってくる気配もあるが、いまはまだ射出されていない。

 空を仰いでいた顔を一旦おろした。


 カナデがそばに立ち、防衛線のほうへライフルを構えていた。彼女は負傷した兵士達の撤退を援護しているようだ。

 カナデに守られる兵士達は、なおも光を集め続ける蒼い穂先に目を丸くしながら、橋の端に座り込んだ。

 カナデも蒼くなった長髪を揺らして、横目をシュウに向けた。


「いったいなにが起きているのですか! この光はなんなのです!?」

「わからないっ! でも、あと少しで勝てるってことみたい!」

「少しとはどれくらいですか! 急に敵の攻撃が激化いたしました! これ以上は危険です!」

「たぶん三十秒くらいだ! なんとか耐えてっ!」

「ギリギリですね――っ! シュウさん、次のミサイルがっ! 四時の方角ですっ!」


 シュウの反射神経は過去最高に研ぎ澄まされていた。

 カナデが喋り終える前に教えられた方角に身体の向きを変え、まず肉眼で飛来物を捉え、スコープに片目をあてる。

 精密な射撃でミサイルを撃墜させ、攻撃をしかけてきたタイプⅡは味方の戦闘機に落とされた。

 シュウは空になった弾倉を投げ捨て、予備弾倉をスナイパーライフルに装着した。直後に襲来したミサイルに照準を合わせ、破壊する。


 カナデの報告したように、戦闘AIの攻撃姿勢は明らかに変貌していた。それまでの毒を盛るようなじわじわとした攻め方から、相打ち覚悟の特攻に近い乱暴な攻勢に変わったのだ。

 変貌の契機は、ハルカが長槍から蒼い光を放ち始めたこと以外に考えられない。

 戦闘AIは人工知能である以上、人間とは桁違いの速度で学習する。ハルカは昨日から数えて幾度も戦闘AIと交戦しているのだ。敵が彼女の異様な力を共有しているのは道理で、危険視しないほうが不自然だ。

 ハルカが戦場に現れたとなれば警戒するのは当然である。それが説明不可能な現象を再び起こしているとなれば、何よりも優先して阻止を目論むのも頷ける。

 シュウの頭を一秒未満で駆け巡った推論を証明するがごとく、シーブリッジから迫る敵地上部隊の攻撃も激しさを増した。


 雪崩のように押し寄せるタイプⅠの群れを、味方の兵士達がバリケード代わりの車両を盾にして後退しつつ迎撃する。

 なりふり構わなくなった敵を足止めすることは不可能に等しかった。タイプⅠの大軍は犠牲を顧みず特攻して、タイプⅣはタイプⅠを巻き込むことも厭わず、強力な砲撃によってバリケードを一撃で粉砕する。

 ハルカと敵軍の彼我にあるバリケードが、ついに残り一台となった。

 バリケードの両端からタイプⅠが溢れ出る。

 ハルカの長槍から異様な蒼い光が漏れている光景を目の当たりにして、アスタリア軍の面々は状況を察した。そこが限界線と解釈した兵士達は、後退をやめてハルカのもとへ辿り着こうとする戦闘AIを必死で食い止める。

 手にしたライフルの弾倉を替えつつ、カナデはシュウに叫んだ。


「このままじゃ食い止め切れませんっ!」

「あと十五秒もないはずっ! なんとか持ちこたえないとっ!」

「そんなこといったって――」


 弱気な発言をこぼしながらもカナデがライフルを敵に向ける。

 瞬間、最後のバリケードがタイプⅣの砲撃によって吹き飛び、何体かのタイプⅠを轢きながら転がった。

 蒼い煙のなかから三本の砲塔が現れる。

 横並びになった三機のタイプⅣのうち、ひとつはバリケードの破壊したばかりで砲塔の先端から煙があがっていた。

 残りのふたつは、即時の砲撃が可能な状態でハルカに照準を合わせている。

 砲撃を隔てる障害物は、もう介在しない。撃たれれば終わりだ。


 ハルカに意識があれば、タイプⅣの砲弾など蝿を叩き落すくらいの所作で無効化できるのかもしれない。

 シュウは反射的にハルカを一瞥する。

 生死が危ういというのに、ハルカは穏やかに瞼を閉じたまま微動だにしない。

 彼女には周囲が見えていなければ、間近で炸裂した砲撃音も聞こえていないようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る