第28話

 会話を遮るように、トンネルの外から叫び声が反響した。

 橋上に合わせていた焦点を空中に移動する。

 燃えるような色の空で、五つの飛来物が白煙の軌跡を描いていた。

 トンネル内部を狙うそれは、瞬く間にその大きさを増す。

 出口付近にいた兵士達が一斉に武器を構えて弾幕を張った。レオナルドとカナデもアサルトライフルの照準を合わせて、シュウもまたスコープ越しに飛来物を捉える。


 引き金を引くと、僅かな時間差で五つ全てが虚空で爆散した。

 敵の攻撃後の隙を待っていたのか、待機していた部隊は中隊長の号令で一斉にトンネルを出ていった。全員が苛烈な戦闘が続く橋上へと駆けていく。

 隣にいたレオナルドが一歩前に歩み出た。シュウが反応して顔を向けると、彼は頬を弛緩させて左肩の階級章を右手の人差し指で叩いた。


「私もこの中隊についていきます。これでも兵長としての“ギンジ”があるのですよ」

「“ギンジ”?」

「矜持のことをいってるんじゃないですか」


 長髪を揺らして、カナデがレオナルドの斜め前に立った。

 カナデは左手で支えるライフルの弾倉を替えて、コッキングレバーを右手で引いた。装弾の音が彼女の手元から聞こえた。


「文章でしか見たことがなかったのですが……なるほど。あれは〝キョウジ〟と読むのですね」

「変な人ですね。ですが、この状況を恐れない姿勢はお姉さまを彷彿とさせてくれます。その肝の太さは心強いです」

「カナデもレオナルドと行くんだね」


 シュウの確認に、カナデは逡巡なく「はい」と首を縦に振った。


「お姉さまなら、迷わずそうしたと思いますので。お姉さまが守ってくださった命ですが、わたくしのお姉さまへの憧れは捨てられません。いつの日か亡きお姉さまの代わりとなれるよう、わたくしはわたくしにできることをいたします」

「一人でデイジー畑を守ろうとしたときから、覚悟は変わってないんだね」

「いいえ。少し違います。この作戦は無謀ではなく、勝利を確約されたものですので」


 決意を確かめるシュウの問いかけに、カナデはかぶりを振った。

 意外そうな目を向けるシュウから目を逸らして、彼女はシーブリッジでの戦闘を観察しているハルカを見た。

 ハルカはカナデの視線に敏感に反応して、無表情で相手を見た。


「そうなんでしょう? ハルカさん」

「……」


 自信に溢れた表情での質問に、ハルカは即答しなかった。

 数秒の沈黙の間、眉を動かしたりもせず、初めて自分を名前で呼んだ女性を見つめた。

 カナデも相手から目を逸らさなかった。

 やがて根負けしたように、ハルカが視線をトンネルの外へ戻した。

 彼女は質問相手を見ないまま、やや苛立った声で答えた。


「わかりきったことを訊くんじゃねぇ。このオレがいるんだ。勝敗なんざ決まってんだろ」


 そういってから、ハルカは改めてカナデに振り向いた。

 見せた表情に、苛立ちの感情は含まれていなかった。


「だから無茶はすんな。敵を倒す必要はねぇ。抑えることだけを考えろ。いいな?」


 それは、気まぐれなのか。共に戦うアスタリア軍の兵士など何人死のうと興味なさそうなハルカが、カナデの身を案じた。ハルカは特段それを違和感と認識していないようで、回答を待たずにまたもや視線を戦場に戻す。

 カナデはどんな反応をするのだろうと、シュウは彼女の顔を窺った。

 気の抜けた顔を晒していた。

 それも一瞬。カナデは唇を結んで表情を引き締めると、口元に微笑を作った。


「あなたに指示されずとも、そのつもりです。その大言壮語、嘘ではないことを期待しています。――いきましょう、レオナルドさん」


 ハルカを認めたわけではない。暗にそう主張するように、カナデはやや斜に構えて返答した。

 なおも爆発と銃声が絶え間なく支配するシーブリッジの防衛線を目指し、カナデとレオナルドはライフルを胸に抱えてトンネルを飛び出していった。


「勇敢な兵士だ。我が軍の一員であることを実に誇らしく思う」


 シグムントが後方から現れて、シュウとハルカの間に立った。

 この作戦を指揮する人物の姿を眺めて、ふとこの場にいるべき〝もうひとり〟がトンネル内に見当たらないことに気づいた。


「シグムント中佐、ジャン少佐の御姿が先ほどからどこにも見当たらないのですが……まさか、すでに……」

「安心しろ。本作戦は私一人で指揮を執っている。ジャン少佐はそもそもこの戦場にはいない。つまり存命だ」

「怖気づいたってわけか、あのジジイ」


 昨日の会議で作戦を否定されたことを根に持っているのか、私怨を色濃く混ぜた声色でハルカが割り込んだ。

 シグムントが他人の愚痴を話すような性格とは思えないが、ハルカの誹謗には便乗するかもしれない。シュウとしては、好戦的なシグムントは保守的なジャンに良い印象は持っていないと考えていた。

 自らの指揮する第六大隊の副隊長を馬鹿にする言葉を聞いて、シグムントは微かに表情を柔らかくした。


「君に腕を落とされたのだから、前線に立てずともしかたがない。それに、ジャン少佐は長年アスタリア国家を守ってこられた立派な方だ。少し早いが、前線から退くだけの権利はある」

「それじゃあ、ジャン少佐は第六大隊を抜けて退役されたのですか!?」

「それも勧めたが、妙なプライドがあるようでね。それでいて前線に立つことも嫌がっているようだったから、ある特殊な任務を与えることにした」

「特殊な任務……ですか?」

「そうだ。元々は駄目押しの策だったが、存外、起死回生の一手となりそうだ」

「シグムント中佐、いったいジャン少佐になにを――」


 そういいかけたとき、トンネルの天井裏で地響きを伴う轟音がした。

 咄嗟にシュウは身を固くして天井を見上げる。

 崩落の気配はなく、一旦は胸を撫で下ろした。

 直後、トンネルの入口に上空から岩の塊が転がり落ちた。灰色をしたそれは次々と降ってきて、最後には宝石の嵌った見慣れない岩まで落ちてきた。

 岩に嵌っていた赤い輝きを放つ宝石は、着地して数秒すると輝きを失った。

 不可解な現象に目を凝らす。


 それは、宝石などではなかった。

 全ての戦闘AIに付いている状態ランプの明かりだった。

 つまり降ってきたのも岩ではなく、制空権を独占しているタイプⅡの残骸ということになる。

 意味がわからなかった。何故、独占されている空域で敵機が撃墜されたのか。


「予定より少し遅いが、よく間に合ってくれた」


 満足そうに呟くシグムントに目をやって、ハルカはトンネルの外に出た。

 粉砕したタイプⅡのそばに立ち、茜色の空を仰ぐ。


「驚いたな。こんな策を用意していたとは。せめてオレにくらい、事前に教えておいてほしかったものだ」

「来てくれる確証がなかったのでな。突然こんな辺境に支援を依頼されれば、誰だって不可解に思う」

「よくいう。お前はアスタリア軍の主力部隊で活躍していたんだ。おおかた、お前の頼みとあらば喜んで駆けつける連中に頼んだんだろ」

「では、彼らが本隊から離脱した私を変わらず慕ってくれているとは思わなかった、ということにしておこう。ジャン少佐を含めてな」


 ふたりの会話を聞いて、シュウも事態を察した。

 苛烈な戦場に絶望しか抱けなかったシュウの胸中に、初めて希望が生まれた。それが間違いでないことを確かめようと、スナイパーライフルを抱えて彼もトンネルの外に出た。

 夕焼けに染まり、燃えるような色と化した空で、幾筋もの白煙の軌跡が交差している。

 シーブリッジで繰り広げられる攻防戦の奏でる音の合間を縫い、上空で風切り音が幾重にも交錯する。戦場の空を支配していたタイプⅡに、もはや地上を攻撃する余裕はなくなっていた。


 新しく現れた十五機の戦闘機――第六大隊の副隊長が援軍として呼び寄せたアスタリア軍の航空部隊が、茜色の空を舞い踊っていた。

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