第26話
白色と黄色が織り成す花が願うのは、世界の平和。
その花言葉は、現在の世界情勢に相克する願いだった。
デイジーの咲き誇るこの地で争いの収束を祈った住民達は、無情にも敵国の兵器に惨殺された。
島全体を蹂躙されたにも関わらず、人々の愛したデイジー畑だけは戦禍から逃れていた。それはもしかすると、住民達の最後の抵抗だったのかもしれない。デイジーを希望に見立て、希望だけは荒らされないよう最後まで守り抜いたのかもしれない。
だがいま、ついに一人の敵が住民達の聖域に足を踏み入れてしまった。
人質のレオナルドを盾にして、ジャックはシュウとカナデとの距離をじわじわと詰めてくる。
歩み寄りながら、ジャックは隠していないほうの手で双眼鏡のような代物を持ち、レンズ越しにシュウの隣に立つカナデを眺めた。
「カナデ=イガラシ。シュウ=カジさんのお姉さんと同日の入隊ですか。興味深いですね」
「どうして、わたくしの名前を……」
「素晴らしい反応ですね。これこそ情報強者の愉悦です。昨日のハルカ=カジは塩っぽい反応でしたし、このレオナルド=チャイコフスキーはどういうわけか名前が割れていることが当然だと思ってました。しっかり驚いてくれて安心しましたよ」
「答えになっていませんが……」
「失礼。開戦当初にアスタリアから回収したデータと照合したわけです。ネットワークを完全遮断する技術を開発したことは褒めますが、対応が遅すぎたのですよ」
ジャックは双眼鏡をしまって、シュウとカナデを交互に見た。
「ですが、それはどうでもよいこと。――レオナルド兵長、彼らに説明してください」
不可解なことをいって、ジャックは斜め後ろに下がった。
隠れていた右腕が視界に映る。シュウとカナデは彼の持つ武器に注目した。
彼の手には、何も握られていなかった。するとレオナルドは、素手で脅されていたことになる。
レオナルドはわざとらしく咳払いをして、喋り始めた。
「まずさっきの銃声ですが、あれは私がジャックの指示で撃ちました。シュウやカナデ四等兵の頭上に向けて」
「なんでそんなことを?」
「おふたりの注意を向けるためです。いきなり敵の技官が現れたら、発砲する危険がありますので」
「そこじゃなくて……いや、そこもそうなんだけど……なんでそいつの指示に素直に従ってるんだよ!」
「戦うつもりはないようですので。抵抗しない人を誤射するのは良くないでしょう」
「騙すつもりだったかもしれないじゃないか。後ろから撃たれたかもしれないんだよ!」
「あ……そうですね。そこは盲点でした」
レオナルドは頭の回転が早いほうではない。それは知っていたが、命に関わる場面でも暢気な姿勢でいられるとは驚いた。兵長の座につけたのは奇跡としかいいようがない。
シュウが呆気に取られているうちに、カナデがジャックを見た。
「でも、敵意があったならレオナルドさんはもう撃たれているはずです。おそらく、わたくしとシュウさんも。そうですよね?」
「私に訊く意味がありますかね? 敵の言葉など信用できないでしょう?」
「レオナルドさんに吹き込んだのがあなたであるなら、同じことです」
「なるほど。至極そのとおりですね」
感心した様子で首肯すると、ジャックはデイジー畑をゆっくりと歩きだした。
「レオナルド兵長の申していたように、私に君達への敵意はありません。ひとまず、いまこの状況に限った話ではありますが」
「だけど、お前がここにいるってことは、レングラードに潜んでいた戦闘AIはお前が連れてきたんだろ!」
「その口ぶりから察するに、遭遇したようですね」
「この場所に来るまでに見つけて、破壊させてもらったよ」
誇るようにシュウはいった。俯瞰的な態度に感じるジャックへの意趣返しのつもりだった。
きっとジャックは悲しむにしろ怒るにしろ、機嫌を損ねると期待した。
だが実際の彼は、シュウの報告を聞くと目を輝かせて拍手した。
「すばらしい。助かりましたよ、シュウ=カジさん。君が五等兵とはアスタリア軍幹部の目は装飾品のようですね」
想像とは正反対の反応を示されて、シュウは敵国の技官を睨んだ。
剥き出しの敵意を受けて、ジャックは胸の前で手を振った。
「いやいや、これは失礼。あの腰巾着はどうにも邪魔でしたから、始末してもらったと聞いてつい感情が出てしまいました」
「邪魔だって? 自分が連れてきたのに?」
「しかたがなかったのです。戦闘AI技官である私が戦闘AIを引き連れずに単独行動をしていたら、それだけで自国から怪しまれます。これでも愛国者の一人ですから、国から疑われるというのは耐えがたき苦痛なのです」
「戦うつもりは初めからなかった、とでもいうのか」
「そういうことです。昨日君達と別れたあと、私はしばらくして別の目的のためにレングラードに戻ったのです」
「誰もいないレングラードに、どんな目的があるっていうんだ」
シュウがそう問い質すと、ジャックは花畑の間を歩いていた足を止めた。
「聞いたのですよ。君達の隊長による通信を。私はデータ収集が仕事というか、趣味みたいなものですからね。比較的近くで突如開いた回線は見逃しませんでした」
「お前が聞いてたのか。だけど、反撃するとはいってたけど、場所まではいってなかったはずだ」
「そうですね。ですから、我が軍は後手に回らざるをえませんでした。敵軍が何かを企んでいると看破していても、詳細は不明でしたから。ですが、私には君達が何を画策しているかわかりました。ウェステリア軍でただひとり、私だけが」
「僕達がレングラードにやってくることか?」
「確証があったわけではありません。ただ、この土地には我が軍の膨大なデータベースにも記録されていない何かがある。君の姉上が常識では説明のつかない力を見せたように、この土地では戦闘AIは絶対強者ではいられない可能性がある。その直感に従ったまでです」
まるで台本をなぞっているように、ジャックは滞りなく答える。
シュウは敵の話に違和感を覚えたが、具体的にどこが問題なのか言語化できずにいた。
「君達はできるだけ多くの我が軍をこの地に集めたかったはずです。しかし先回りされて待ち構えられるのは都合が悪かった。そして、君の姉上が見せたような常軌を逸した力で――いえ、おそらく君の姉上だけが扱える特別な力で、我が軍の戦力を一掃しようと考えているのではないですか?」
「……それは、お前以外も知ってるのか」
シュウは穏やかではいられなかった。教会で顔を合わせたときは、このジャックという男がここまで頭の切れる辣腕とは思わなかった。あのときはハルカの存在に圧倒されて混乱していただけのようだ。
ジャックの推測はほとんど完全に的中していた。バレていたとなると、敵は警戒してレングラードへの侵攻を躊躇するかもしれない。ハルカがどんな手段で殲滅を企んでいるかシュウは知らないが、警戒されて得があるはずがない。
不安に揺れるシュウに、ジャックはまた歩き出して答えた。
「ご安心を。誰にも話しておりません」
「それなら、何をしにここへ戻ってきたんだ」
「僭越ながら、助力したかったのです。“偶然”レングラードにいた私の戦闘AIが全滅したとなれば、その情報を知った我が軍の司令部は事態をより重く受け止めます。すると、君達が引き連れてくる軍団とは別に、追加の援軍を寄越すはずです。君達の迎撃準備が整う頃に」
まるで自軍の敗北が至上の喜びであるようだった。
本来、敵国であるウェステリアの技官から出るはずのない言葉を耳にして、シュウは彼と再会してから抱いていた違和感の正体に気づいた。
同じ違和感を覚えていたカナデが、一足早く尋ねた。
「あなたは……味方が負けることを望んでおられるのですか?」
「そうであれば、こんな回りくどい真似はしません。先に申し上げたように、私は自分の生まれた国を愛しております」
「でしたら、どうしてわたくし達を前に引き金を引かないのですか」
「白か黒か。この戦争はそんな単純なものではないということです。私は国の人々を信じられても、彼らが生んだ冷たい機械はどうにも好きになれない」
「戦闘AIのことをいっておられるのですか」
「直球で尋ねる方ですね。そうです。私達生物は惑星の誕生以来、弱肉強食によって繁栄してきたわけですが、いまの惑星で最も力を持つのは人間の脳を超える処理能力を有したコンピュータ――それに武器を持たせた戦闘AIといっていいでしょう。戦闘AIの脅威については私より敵である君達のほうが詳しいはずです。戦力という面ではこれに勝るものはありません。しかし、戦闘AIには心がない。ただ作業的に敵を駆逐する機能しか持ち合わせていない。そこには戦争に参加する誰しもが抱くべき愛国心が欠落しているのです」
「あなたは戦闘AIを危険視しておられたのですか? 技官という戦闘AIから最も近い立場にいるのに」
「恐れているからこそ、自分の目が届くところに置いておきたかったのですよ」
ウェステリア軍の者に盗み聞きされていれば、今頃ジャックは射殺されているだろう。
彼の語る内容は、敵国に所属する軍人の押し隠された総意にも聞こえた。
シュウがデイジー畑で再会した当初にジャックへ向けていた敵意は、彼が心情を包み隠さず吐露したいま、行き場を失いさまよっていた。
森の方角から足音が聞こえてきた。
シュウだけでなく、彼の周りにいる全員が音のしたほうを振り向いた。
先遣隊のどこかの小隊が来たのだとシュウは予想した。この状況をどう説明すべきか、彼は頭を熱を帯びるほどに回転させる。
だが、対策は不要だった。
現れたのは、敵であるジャックの想いに誰よりも共感を覚えるであろう淡い短髪の女性だった。
「ハルカ。この人は――」
「説明しなくていい。全部聞いてたぜ。オレは目だけじゃなく、聴力もお前達とは段違いだからな」
長槍を右肩に担いだ状態で現れたハルカは、不気味な笑みを浮かべて敵軍の軍服を着る男に近寄った。
「昨日は悪かったなァ。お前がそんな反抗期とは見抜けなかったぜ」
「シーブリッジでの一件は感動いたしました。ああも容易くタイプⅣを撃破するとは。こうして再会できて光栄です、ハルカ=カジ一等兵。昇進をお祝いいたします。データも更新しておきましょう」
「些末なことをいちいち口にすんじゃねぇ。お前が機械を裏切ろうとオレには関係ねぇが――お前、死ぬぜ」
「君が戦闘AIを一掃すれば、私は助かります」
「お前の敵は戦闘AIだけじゃねぇ。白か黒か。単純じゃねぇっていったのはお前だろ。アスタリア軍人がどれほど敵国の人間を恨んでいるかわかってねぇようだな」
「アスタリア軍人に撃たれるのはしかたありません。これは戦争です。彼ら――いえ、あなた方には私を撃つ権利があります」
「興味ねぇよ。お前がどうなろうとな」
つまらなそうにいって、ハルカは海岸の奥にある西の空を見上げた。
あと数十分もすれば青空は茜色に染まり始める。シーブリッジにも本隊が到着している頃合だ。すでに苛烈な死闘の最中かもしれない。
雲がまばらにある晴れた空を眺めていたハルカが、瞳に険しい色を滲ませた。
「ジャック、より敵を集めようとしたことには感謝するが、機械はお前が期待した以上にオレ達を警戒しちまったらしいぜ」
話しかけられたジャックは、ハルカが何を伝えたいのかわからず表情を強張らせた。
ハルカは背中を見せたまま、一向に顔を合わせようとしない。意図を探るように、ジャックは彼女と同じ方角を向いて空を見上げた。
シュウも様子を窺ってみたが、何かがあるようには見えなかった。
いや、あった。
青空に針の穴のような小さな黒い点がいくつもあった。
黒い点を認識したとき、点は小さな塊になっていた。
複数の飛行物体がレングラードとの距離を着実に縮めていた。初めは何かわからなかったが、それが戦闘機の形状をしていると認識した途端、ハルカを除くアスタリア軍の三人は青ざめて愕然となり、ウェステリア軍のジャックもまた驚愕に目を剥いた。
半開きになっているシュウの口から、飛来する物体の名前がこぼれた。
「タイプ……Ⅱ……」
「戦闘機型のタイプⅡは量産が難しいのか知らねぇが、最近ではアスタリア本国への侵攻でしか投入されていなかった。それが、十機程度とはいえこんな辺鄙な地域の戦闘に呼ばれるとはな」
おぼつかない足取りで、ジャックはデイジー畑の端に寄った。
「私は……こんなものは呼んでいない……」
うわ言のように呟く。ジャックは大海を隔てる断崖絶壁の手前に立ち、呆然としたまま上空を仰いだ。
高度を落としてきた第一陣の五機が、編隊を維持してデイジー畑の真上を駆け抜けた。
疾風に草花がなびく。長髪のカナデは髪を押さえた。
風が収まりカナデは髪から手を離しかけたが、残りの五機もまた高度を下げて迫ってきていた。カナデは顔をあげて、再びの衝撃に耐えられるよう足腰に力を込めた。
今度は、風圧だけでは済まなかった。
くの字に編隊を組んだ先頭の一機から、棒状の物体が射出された。物体は火花を散らし、その軌跡を多量の白煙で彩り一直線にデイジー畑目掛けて飛来する。
シュウは愕然としながらも視界から壁となりそうな場所を探す。
見晴らしの良いデイジー畑に、隠れられるような所は存在しなかった。
絶望に染まりかけた彼の前に、ハルカが長槍を構えて立つ。
防げるのかと問いたかったが、喉から言葉が出なかった。
ハルカは無言で迫るミサイルを見据える。
迎撃の態勢を整えていたが、ミサイルはハルカやシュウのいる地点まで届かなかった。
ミサイルは、ジャックのいた海岸付近を消し飛ばした。
辺りに霧のように土埃が舞い上がる。
ミサイル激突の直後、誰もが身動きできなかった。ハルカでさえも意表をつかれた表情を晒した。
上空を通過したタイプⅡの風圧により、一息で霧が晴れた。
爆発の被害が明らかとなる。突きつけられた結末に、シュウは息を呑んだ。
そこにあったのは、土をかぶったデイジーと、不自然に崩れた崖だけだった。
敵軍の男は黒い軍服の切れ端すら残さず、跡形もなく消滅していた。
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