第25話

 何をいわれているのか、よくわからなかった。シュウは呆然とカナデの姿を眺める。

 屈んでいたカナデが立ち上がり、シュウから顔を背けた。


「彼女が何者かは知りませんが、少なくともお姉さまとは別人です。一目見ただけでは気づけませんでしたが、一言交わして確信しました。ひどい嫌悪感を覚えました。なのに、あなたは穏やかに彼女と喋ってましたよね? あなたはお姉さまが亡くなったと認められないだけではありませんか?」

「認めてるよ。だから軍を裏切るなんて大罪を犯す覚悟ができたんだから」

「“彼女”と出会う前は、ですよね。あなたはもしかして、お姉さまと同じ容姿の存在が動いているから、お姉さまも生き返るかもしれないと考えているのではありませんか?」


 核心に触れる発言だった。口を結んだシュウを、カナデは責めるように見つめた。

 シュウはどう返答すべきか言葉を選んでいた。熱くなっている相手に自分の意志を誤解なく伝えるためには、慎重にならなければいけない。

 深呼吸をして、鼓動を落ち着かせてからシュウはいった。


「姉ちゃんはもういません。それぐらい僕もわかってます。『ハルカ』と呼んでいるのは、彼女に固有の名前がないから便宜上そう呼んでいるだけです」

「それなら、どうしてわたくしの行動を否定するのですか?」

「思い出したからです」

「思い出した?」

「そうです。自分の姉が、誰かを守るために軍人として戦うことを選んだ姉ちゃんが、自ら死に向かう人をどう思うか。それが本人の意志を無視して『姉のため』なんて説明されたら、どんな顔をするか。答えは、“ハルカ”が教えてくれました」


 教会で初めてハルカと遭遇したときの記憶が、また蘇ってきた。

 まだ二日も経っていないのに、それを思い出した回数は両手では数え切れないほどだ。


「姉ちゃんは僕が生きることを望んでいたと、ハルカがそう教えてくれたんです。もちろん、それが真実かなんてわかりません。ハルカがそんな嘘をつくような性格にも思えませんが……だけど、カナデさんもわかってますよね。昨晩の別れ際にもいっていましたから」


 カナデの澄んだ瞳が揺れていた。

 シュウに諭されるまでもなく、彼女は自分を庇って亡くなった親友が、自分に何を望んでいるかなど知っていたのだ。

 知っていたが、望まれているように生きる勇気がなかった。

 カナデは痛々しいほどに下唇を噛み締めていた。


「……お姉さまが何を望まれていたとしても、ただ望まれたように生きるだなんてわたくしには無理です。ですが、どうすればお姉さまのためになるかもわかりません。そのお姉さまが、もうこの世界にいませんから……っ」


 震える声を聞きながら、シュウは辺りの景色を見回した。

 絨毯のように敷き詰められた花が、平和だった頃と変わらず気持ち良さそうに風に踊っていた。


「デイジー畑を守ろうとしたことは、きっと喜んでいますよ。僕の勝手な弔いは正しかったか自信がありませんけど」

「ですが、わたくしはやろうとしただけで、できるとは思っていませんでした。結局は自己を満足させたかっただけです」

「もう答えは出てるじゃないですか。あとは無理でもやるだけです。……簡単にいえることじゃないですが」

「不可能だとしても、最後までお姉さまの大切だったものを守り抜く、ということですか」

「つまり、この戦争を終わらせる、という意味です」


 真剣にいったつもりだったが、いまいち伝わっていないのか、カナデは呆けた表情で硬直していた。

 もしもハルカが聞いていたら哄笑されそうな受け売りの台詞だが、彼女はこの場にいない。考慮する必要はないだろう。そう思いながらも、シュウは自分の吐いた台詞の重みに内心で汗をかきはじめていた。

 本物の汗が額に滲んできたが、呆然から一転して柔和な笑みで吹き出したカナデの姿に、溢れ出しそうだった汗は勢いを止めた。


「ふふっ、申し訳ありません。笑うつもりはなかったのですが」

「いや、ええと……そんなふうに笑ってほしくていったつもりもないんだけど」

「わかっております。ですが、やはりシュウさんがお姉さまの弟なのだと、再認識いたしまして」

「どういう意味ですか?」

「以前、お姉さまもいっていたんです。『この戦争を終わらせる』と。シュウさんと同じ真剣な表情で」


 重苦しかった雰囲気はどこへやら。カナデは明朗にくすくすと絶えず笑みをこぼしていた。

 シュウはハルカの台詞を無断で借用したつもりだったが、そのハルカもまたシュウの姉の台詞を借りていたというわけだ。

 ただ姉と同じ言葉を使っただけなのに、そのことがシュウにとっては嬉しかった。

 尊敬する姉に、ようやく一歩近づけた気がした。

 ひとしきり笑うと、カナデは晴々とした顔でシュウを見た。


「なんだか悩んでいたことが馬鹿馬鹿しくなりました。どうせ死のうとしていた命なんですから、何でもできますよね。たとえそれが、こんな一方的な虐殺に等しい戦争を止めることであっても」

「たしかに、いままでは勝ち目がない虐殺だった。でもいまはハルカがいる。彼女がいれば、姉ちゃんの願いを叶えることができるかもしれない」

「あの人は嫌いですが、力だけは認めます。それがお姉さまの願いを叶えるために必要な力なら」


 少し棘のある言い方をして、カナデは断崖の奥にある海に目をやった。

 それから、背後にいるシュウに首をまわして微笑んだ。


「わたくし達はこれから、お姉さまの悲願を成すための同志です。ですので、もっと親しくなりましょう」

「親しく……ですか?」

「具体的にいうと、そういった敬語をやめてほしいわけです。わたくしは年齢も階級も上ですが、あなたとはそれ以上の関係でありたいと思っていますので。形から入るのも悪くないでしょう?」


 シュウの心臓が、どくん、と大きく高鳴った。


「そ、その表現は誤解を招きますよ……。そもそも、それをいうならカナデさんこそ敬語で喋ってるじゃないですか。年下の僕に向かって」

「わたくしは誰に対してもこういう喋り方なので問題ないんです。文句ありますか?」


 意外と強引な面がある人だとシュウは思った。

 よくよく思い返してみれば、ハルカと邂逅した際の強気な姿勢だったり、単独で軍を抜け出して欲望のままに行動していたりと、強引な発言を裏付ける背景は充分にあった。

 もしかすると、入隊した頃は口調に見合った淑やかな性格だったが、ルームメイトになったシュウの姉に影響されたのかもしれない。おとなしそうに見えるが誰よりも勇敢で気の強かった姉の姿を思い出して、シュウはカナデが姉と歩んできた日々を少しだけ想像した。

 想像していると、実際がどうだったのか気になってきた。だがもうすぐ第六大隊の本隊がレングラードに到着する頃合だ。過去話を聞くのはまた別の機会とすることにした。


「わかったよ。カナデさんは、いまの喋り方のままでいいよ」

「カナデ〝さん〟?」

「……カナデ。……年上の人を呼び捨てにするのは初めてだけど、努力はしてみるよ」

「はい。がんばってください」


 そういって、カナデはこの場所に相応しい平和な頬笑みを咲かせた。シュウの胸がまた大きく跳ねたが、そんな感情に溺れている場合ではないと必死に気持ちを押さえ込んだ。

 そのとき、草木が風に揺れる音しか聞こえなかったデイジー畑に、銃声が反響した。

 恋愛感情を刺激されて興奮していた思考回路が、一息で冷めた。

 脳内は空白。瞼は開いているはずなのに、見えている景色をうまく認識できない。

 一秒か二秒経過して、麻痺した感覚が戻った。

 痛みはない。念のため全身を胸から足元まで眺めてみたが、白い軍服に違和感がある箇所は見当たらなかった。両手を顔を触ってみたが、掌には何も付着しない。


 恐る恐る、視線を隣に向けた。

 カナデが愕然とした様子で佇んでいた。

 彼女の着ている軍服の状態を窺ったが、どこにも赤く染まっている箇所はない。

 シュウが観察している間、彼女もまたシュウの状態を確認していた。


「――少々油断が過ぎるのではありませんか。ここはもう君達の領地ではないのですよ?」


 銃弾の飛んできた方角から男の声が聞こえた。

 カナデとシュウは、ほとんど同時に声の方角へ身体を向ける。

 まず最初に、レオナルドの姿が見えた。両手を挙げた状態で、苦々しい表情を浮かべている。彼の右手には拳銃が握られていた。

 レオナルドのすぐ後ろには、敵国であるウェステリアの黒い軍服を着た男性がいた。右腕の先がレオナルドの背中に隠れている。その右手に拳銃が握られているであろうことは、誰が見ても一目瞭然だった。

 スキンヘッドが特徴的な敵の男は、身動きできずにいるシュウを見て口角を吊り上げた。


「おや、君でしたか。戻ってくると思ってましたよ、アスタリアの若き兵士よ」


 戦闘AI技官のジャックが、デイジー畑に立っていた。

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