第17話

 騒然とした一夜が明けた。

 無線を介した大隊長直々の命令は、敵軍にやられる瞬間を待つばかりの兵士達の心を震わせた。勝利とは甘美な響きだ。兵士達は大規模戦闘を戦い抜く準備に奔走して、明日命を天秤に差し出す不安に眠れない夜を過ごした。

 シュウも睡眠不足を抱える兵士の一人だった。

 だが、それは恐怖が理由ではなかった。


 第六大隊にとって過去に例のない規模の作戦が行われるのは、シュウの故郷であるレングラードだ。

 当然彼は考える。どこが最も|戦闘AI(ディスペア)との戦いに適しており、どこが近づくべきでない場所であるのかを。そんなことを夜更けまで思案していたために、シュウは満足に寝られなかった。

 一二四○時、先遣隊の集合地点に続々と人が集まりつつあった。小隊は四人から五人で編成されており、各中隊から先遣隊に選出される小隊の合計が二十であることから、先遣隊の構成人数は百人前後と推測できた。


 リベックと侵略地域の境界である長い川に沿って歩いていると、見知った顔を見つけた。

 最も敵が寄り付かない辺境を防衛しているはずの男が、緩やかに流れる川の水面を眺めていた。


「レオナルド?」


 名前を呼ぶと、彼はシュウのほうへ首をまわした。別段驚いているようではなかった。


「これはシュウ。貴公も先遣隊に選出されたのですね。僥倖というやつですか」

「僥倖じゃないよ。別に戦いたいわけじゃない。なのに、僕だけ特別扱いで小隊単位じゃなく個人で先遣隊に入れられたんだ。ハルカを組み込む小隊の一員として」

「わかってあげてください。貴公は元々の彼女の親族であり、蘇った彼女を一番知る人物であり、これから向かう戦地の出身でもあるのです。例外となるのも道理でしょう」

「全部ハルカのせいだよね……なんだか嫌な予感がするよ」

「気持ちの問題ですよ。ちなみに、私もあなたが配属された小隊の一員です」

「境界の防衛は……守る必要もないか」

「つまりそういうことです。駐留地域から無断で逃げ出す貴公を見逃した贖罪として、此度は危険な部隊へ志願しましたが、どうやらほんとうに罪人が集まる小隊であるようですね」

「……僕のせいで、ごめん」

「何を謝っているのですか。見逃したのは私の判断です。それは罪ですが、誇りでもあります。私の功績を奪うなら、シュウ、貴公でも許しませんよ?」

「……うん。わかった。ありがとう」


 気を利かせてくれているわけではさそうだった。

 飾り気のない賛辞はシュウにとって嬉しい言葉だった。

 礼をいうと、次の話題を出しづらい雰囲気になってしまった。レオナルドの性格からして彼は沈黙を許容するだろうが、シュウは妙な静けさが苦手だった。脳を動かして彼と喋る話題を探す。


「せ、先遣隊に編成されたのはレオナルドだけなの? 部下達はどうしたの?」

「部下は皆、本隊のほうに編成されました。退屈な境界の防衛任務しか経験のない者達ですから、今回の作戦はいい刺激になるでしょう。本来の任務に戻ったあと、彼らの話を聞くことが楽しみですね」

「生きて帰れれば、だけど」

「一度は死を覚悟した貴公がそのような台詞をいうとは。ハルカ一等兵の影響ですか?」

「そんなんじゃないよ。……いや、そうかもしれないんだけど」


 親しい友人の前では虚栄を張る気が失せた。

 正直に心情を吐露したシュウに、友人は瞳の奥に優しい色を浮かべた。


「いいじゃないですか。撤退して延命か、勇敢に自害か。その二択しか持ち合わせていなかった我が第六大隊に希望を与えるほどの人物なのですから、一個人の考えを変えるくらい造作もないでしょう。それを素直に認められるシュウも、尊敬されるべき優れた精神の持ち主であると思いますよ」

「……そうだね。ハルカがどこまで凄いのか未知数だけど、彼女の自信は本物だ。まだ出会って一日なのに、少し考えたよ。彼女の力があれば、この戦争の結末は変わるかもしれないって」

「――なんだよ。直接いったら否定したくせに、陰では信じてやがったのか」


 突如視界の外からかかった声に、シュウは肩を震わせた。

 振り向くと、綺麗な軍服に身を包んだハルカが立っていた。階級章が一等兵のものに変わっている。武器や道具の類は装備しておらず、短髪と相まって身軽そうだった。


「ホントに陰気な野郎だ。それにしても姉弟ってのは不思議なもんだな。同じ場所から生まれたくせに、こうも違う生き物に育つんだもんな」

「ハルカっ、いつからそこに――いや、いつから聞いてた!?」

「んなもん話したって何にもならねぇだろ。無駄口叩く暇があるなら作戦の一つでも考えとけ」

「いわれなくたって考えたよ。うまくいくかはわからないけど」

「そいつは感心したぜ。せっかく救ってやった命を呆気なく捨てられたらムカつくからな。気をつけろよ」


 眉間に皺を作ったシュウを無視して、ハルカは川と堤防の境目に作られた胸の高さほどの欄干に背を預けた。

 柔和な表情をしたレオナルドが、一歩彼女に近づいた。


「同じ小隊に配属となったレオナルドと申します。以後お見知りおきを」

「パーティー会場じゃねぇんだから、もう少しマトモな挨拶をしたらどうだ」

「これは失礼。あまり頭が良くないものでね」

「どうやらそうらしい。その言葉を自信たっぷりにいう奴は初めて見た」

「ですが、その馬鹿を隊に加えたのは貴公の意向ではありませんか? 昨晩伝達されたとき、指名いただいたのだとお聞きしましたよ」


 不可解だといいたげな顔をしているシュウに、ハルカは視線を送った。気づいたシュウが目を合わせると、ハルカは彼に軽く顎をしゃくった。


「何を勘違いしてるか知らねぇが、お前を隊に入れたのはそいつの相手をさせるためだ。喋る奴がいないからといって、オレを暇つぶしの道具にされるのは御免だからなァ」


 淡々と語られた理由に、レオナルドより早くシュウが噛みついた。


「ちょ、ちょっと待ってよっ! なんだよそのふざけた理由っ!」

「あァ? お前が一人じゃ何もできねぇから、オレの優しさで優秀なオトモダチを付けてやったんだろうがッ! ふざけてんのはお前だ。そういう立派な台詞は一人前になってから吐けッ!」


 ハルカの発言は、正しかった。

 たった一言で口をつぐんだシュウと入れ替わるように、レオナルドは友人と友人の姉だった者の間に割り込んだ。


「喧嘩も時にはいいものですが、いまはその時じゃないでしょう。シュウ、『ふざけた理由』とは貴公もひどいことをおっしゃる。私はご一緒できて嬉しいのに」

「ああ、ええと……」


 今度はレオナルドの優しさに言葉を見つけられなかった。

 ハルカは鼻を鳴らして川のほうに向いた。


「別に逃げてもらってもよかったんだぜ? 昨晩のうちに、この街から脱走した奴が何人もいたそうじゃねぇか。戦争に参加してるくせに、命が危うくなったら逃げ出すとは。理解できねぇな。だったら最初から軍人になんかなるんじゃねぇって話だ」

「誰だって死ぬのは怖いものでしょう」

「死ぬのはな。だが肉体の死なんてのは生まれた瞬間から約束されてんだ。それは死じゃない。魂は何度も転生するが、その回数は均一じゃない。最後の肉体に移ったとき、当人だけが知るのさ。それだけが死への恐怖だ」

「逃げ出した人々は貴公の話に該当しているのかもしれない」

「お前も大概だな。そういう連中は軍人になったりしねぇよ。もしもいるとしたら、そいつは最後の肉体で偉業を成そうとする大物だろうぜ」


 嘲るようにハルカは喉を鳴らした。まるでその人物を知っているかのような口ぶりだ。

 煽られてもレオナルドは動じなかった。無表情でハルカを見据えて、何もいわずに立ち去ろうとした。


「どこへ行く。あと一五分で作戦開始だぜ? 逃げるのか? オレは別にどうでもいいけどよ」

「答える義理はないと思いますが」

「ふん……そりゃそうだ。なら勝手にしろ」


 レオナルドが不快な感情を表に出すのは珍しかった。

 再び歩き出した友人に、シュウは一歩近寄った。


「レオナルド……その、本当に戦いへの参加を辞退するの?」


 寂しげな声色に、レオナルドは足を止めて振り返った。


「誰も辞退するとはいってません。ハルカ一等兵の言葉を借りるわけではありませんが、軍人を志した以上、戦いを放棄するなんて真似はいたしません。それとも、兄妹揃って私を馬鹿にしているのですか?」

「え……そんなつもりはないんだけど……。もしかして、レオナルドが不機嫌なのは『逃げる』っていわれたから?」

「他に何があるというのですか」

「わからないけど……でも、それならどこに行こうとしてたんだよ」

「作戦の前に、四葉の葉っぱを探しに行っておきたくてですね」

「よつば?」


 ハルカ以上に理解困難な話をされて、シュウは間抜けな顔でオウム返しした。


「ションベンのことだろ。生き物ってのは難儀だな」

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。時間には戻ります」

「あたりまえだ」


 彼の姉と同じ声色で平然と放たれた品のない単語に、今度はシュウが不快感を顔に出した。

 文句をつけたかったが、察しの悪い自分が蒔いた種と思い我慢した。まわりくどい表現をするレオナルドが悪いとも思ったが、それも喉の奥に飲み込んだ。

 気を取り直して周辺にお手洗いはあったかと記憶を探ったが、すぐに考えるのをやめた。そんな暢気なことを考えていられる状況ではない。

 三度、レオナルドが足を止めた。今回はコンクリートに垂直に突き立っているがごとく背筋が直線に伸びて、敬礼までしている。

 突然そんな格好をした理由については、レオナルドの対面から歩み寄ってきている人物を見つけて納得した。

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