第18話
昨日シュウとともにハルカの暴挙を傍観していたルドルフだった。
レオナルドにとっても彼は訓練生時代の教官である。もっとも、当時から教官を恐れていたシュウとは違い、彼は苦手意識の類は持っていなかった。
先遣隊の集合地点がある方角から来たルドルフは、直立不動で待ち構えるかつての教え子の前で足を止めた。
「軍曹殿っ! ご一緒できて光栄の極みです!」
「レオナルド、兵長になったんだってな。新兵のお前を育てていた身としても鼻が高い」
「訓練生時代、軍曹殿が叱咤激励してくださったからいまの自分がいるのです。軍曹殿にお褒め頂いた“あの言葉”が今日を生きる自分の糧です!」
「それほど記憶に残るようなことをいったか?」
「おっしゃってくださいました! 軍曹殿の『お前は何故兵士になった?』という質問に自分が答えたときです。軍曹殿は嬉しそうな声で『驚いた。お前は知能指数三百か? 将来が楽しみだ』といっておられました」
意気揚々と続けるレオナルドを見ながら、ルドルフは気まずそうな顔を浮かべた。
「そ、そうか。俺には先見の明があったらしい。事実、お前は異例の早さで兵長に昇格したもんな」
「軍曹殿の功績です。平凡な人間である自分を一流にしてくださったのですから」
「素晴らしいことだ。ところで、俺は立場上多くの新兵を育てていたので様々な記憶が入り混じっている。レオナルドにそう質問した覚えはあるが、お前はなんと答えたんだっけか?」
「鮮明に覚えております。私の答えはこうです。『志願書を書きました』と」
「……そうか。当時の俺の発言は正しかったらしいな」
苦虫を噛みながら笑っているような複雑な表情でいった。
レオナルドは敬礼を維持したまま続けた。
「軍曹殿、ひとつお許しいただきたいことがあるのですが、申してよろしいでしょうか」
「なんだ? まだ奇天烈なネタがあるのか?」
「キテレツかどうかわかりませんが、私にとって非常に重要な問題です」
「いってみろ。あとからわけのわからんことをいわれても困る」
「では申し上げます。作戦時間までには戻りますので、四葉の葉っぱを探しにいってもよいでしょうか」
「よつばぁ?」
つい一分前の自分を見せられているようで、シュウは噴出しそうになった。
よほど耳が良いのか、抑えたつもりなのにルドルフがシュウをギロリと睨んだ。上官の瞳は殺気の込めらた色をしていた。
シュウは咄嗟に舌を噛み、姿勢を正して敬礼した。
「軍曹、レオナルドはトイレに行きたいといっているみたいです」
「なに、トイレ……? ……ああ、そういうことか。気取ったいい方しやがって」
「よろしいでしょうか、軍曹殿」
部下からの再三の確認に、ルドルフは蝿を払うように手首を振った。
「許可する。作戦時間に戻ってくれば問題ない」
「感謝いたしますっ! もう少しで私がお花畑に行くところでしたっ!」
「やかましいなッ! 早く済ませてこいッ!」
荒い声色に尻を叩かれて、レオナルドはお手洗いがあるらしい方角に走っていった。
去っていくその後ろ姿を数秒眺めて、ルドルフは後頭部をぽりぽりと掻いた。彼が気持ちを落ち着ける際に見せる癖である。
「俺は戦争が始まる前から軍にいるが、あいつはぶっちぎりの変人だ。腕は立つが、残りを母親の腹のなかに忘れてきたらしい。――おいシュウ=カジ五等兵、いつまで額に手を当てているつもりだ。楽にしろ」
「了解しました」
手を下ろして、無意識にふっと息をついた。
ルドルフを苦手に思っていたシュウにとって、彼の前で油断したそぶりを見せるのは初めてだった。いつもは全身の筋肉が伸ばしたゴムのように張っているに、いまは気持ちが緩んでいた。
戸惑いが顔に出ていたのだろう。ルドルフは片眉を吊り上げて彼を怪訝そうに見た。
それから、ルドルフは柔らかい笑みをこぼした。
シュウはまた困惑した。彼の知るかつての教官は、そんな優しそうな仕草とは結びつかないはずだった。
「露骨な反応だぞ。俺が笑わない男だとでも思っていたか?」
「いえ……その、新兵時代は見たことがありませんでしたし……」
「甘ちゃんを矯正するには厳格な教官が必要だったというだけだ。訓練生を卒業したお前達の前では俺だって普通にする。それに、今日は〝ただの軍曹〟だ」
「僕、ハルカ、レオナルド、軍曹の四人で小隊を組むと聞いています」
「昨晩その話を聞いたときは驚いた。そこにいる超能力者の指名だそうだが」
転落防止の欄干に背を預けていたハルカが、目を向けたルドルフに視線を重ねた。
「他に知っている奴がいなかっただけさ。オレの身体の持ち主は戦死したから、当時の小隊長は別の部隊を率いてるしな」
「訓練生も後方支援として作戦に参加する。本来、俺はそっちで指揮を執るはずだった」
「後方支援なんざ〝鬼教官〟には似合わねぇだろ?」
本人の同意もなく、強制的にルドルフは小隊長に選ばれた。自分を選んだ理由を聞かされた彼は僅かな時間だけ目を丸くしたあと、「そうかもな」とだけいってハルカから興味を失った。
「なんにせよお前達が時間通りにいてくれて安心したぞ。今回はお前達なしでは成立しない。先遣隊にも夜中に逃げ出した奴がいるが、作戦には支障がないと判断して放っておくようだ」
「一部の小隊は人員が抜けたまま作戦に臨むわけですか?」
「そういうことだ。基本的には複数の小隊が組んで行動するから、多少抜けたって結果は変わらん。ちなみに、どうでもいい情報だが、逃げたうちの一人はお前の知っている奴だ」
本当にどうでもいい情報だとシュウは思った。知り合いは多くいても、親しい間柄といえるのはレオナルドくらいなものだったからだ。
射撃の腕前が悪く、姉のような勇敢な心も持ち合わせていないシュウに近寄ってくる人間はあまりにも少なかった。
「昨晩、中佐との会議を終えたあと、お前達が駐車場で話してるのを偶然見かけた。あのときは、まさかそこにいる奴が逃げるとは思わなかったので気にかけなかったが――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
それは確かに友人ではなかった。
いなくなった人物を特定した瞬間、昨晩初めて会った人物の端正な顔が脳裏のスクリーンに映し出された。
「逃げた僕の知り合いって、カナデ=イガラシさんなんですか?」
「そうだ。逃げる者は追うなと上から命じられてるので訊いてもしょうがないが、納得するためにもできれば理由を知っておきたくてな。お前に何か話していたのかと期待したが、その様子だと何も知らされなかったようだな」
「彼女も先遣隊に選ばれていたんですか」
「あっちは俺達と違い、彼女の所属する小隊がたまたま中隊から選ばれただけだがな」
直接言葉を交わしたシュウには、カナデが戦いに怖気づいて逃げ出したとは思えなかった。
勇敢であったシュウの姉に憧れて、その人のようになると初対面の人にも話せる彼女の決意が、たった一夜で崩れたとは思えない。同じ人に憧れるシュウには、昨晩見た決然とした表情が、その場の思いつきで偽装できるものには見えなかった。
カナデの場合、怖くなったという他にも作戦に参加しない理由があることを思い出した。残念だがそちらが理由だろうと、シュウは納得して上官に話した。
「もしかしたら、カナデさんがいなくなったのは、ハルカのせいかもしれません」
「あいつが何かしたのか? 元々のルームメイトに」
「何もしてませんよ。プラネトリアが乗り移った彼女は、僕の姉の親友に欠片も興味がないみたいで、カナデさんにどう話しかけられてもまともに取り合ってませんでした」
「あいつが主導する作戦には参加したくないと、そんな小学生みたいな理由でいなくなったとでもいうのか?」
「わ、わかりません。でも、可能性はあるかと。相当怒ってましたので」
説明しても、ルドルフは腑に落ちていなかった。シュウ本人も信用には足る仮説とは思っていない。だが他にもっともらしい理由は思い当たらない。
「もしかすると、逃げたわけじゃねぇかもしれないぜ?」
不意にハルカの声が割り込んだ。てっきり話を聞いていないと決めつけていたが、目は合わせずとも耳は傾けていたようだ。
変わらず視線を横に向けたままハルカは続けた。
「今朝リベックの防衛線を見て回ってるとき、早朝に一台の乗用車が街の外へ出ていったとかいう話を耳に挟んだ。乗っていたのは若い女性兵士ひとりだったとさ。逃げる者を追うなとのお達しだから放っておいたそうだ。大事なのはここからだぜ? その話を聞いた場所は、昨日の早朝にシュウが街を抜け出す際に選んだ防衛拠点の近くだったのさ」
「レオナルドが担当してたところの? あそこは道が狭くて苛烈な戦闘地域からも離れてるけど、リベックから他の街へ行くならどこも遠回りになっちゃうよ?」
「人の話をよく聴け。オレはカナデって奴が逃げたわけじゃねぇ可能性を話してんだろうが。逃げる前提で質問すんな」
「それじゃあ、彼女は作戦準備によって無人になった防衛拠点から街を出ていったと、そういうの? 逃げるためじゃなくて、ひとりで戦うために」
「馬鹿な行為だが、カナデ=イガラシならやりかねない」
「無謀だよ。信じられない」
「それをお前がいうのかよ。街を抜け出して、敵に占領された地域にひとりで向かったお前が」
嘲笑混じりに否定されて、自覚した。まったくそのとおりだった。
自分が敢行したことを客観的に考えさせられていた。昨日レオナルドがいっていたように生きて帰ってくるとは到底思えないし、実際にシュウもハルカに助けられなければ命を落としていた。
彼女の行く先は誰も知らない。当然彼女の窮地を救う者もいないため、カナデの運命はもう変えられないと思った。
「あの女はお前と似た部分がある。単身で飛び出したのは、案外お前と同じ目的かもな」
「僕は姉ちゃんを弔うことだけが目的だった。彼女も大切だった人のためにリベックを抜け出したっていうの?」
「どうせ昨晩オレと別れてから、ぺらぺらとあいつに身の上話をしたんだろ? お前の勇ましい話に触発されたって動機なら納得もするぜ」
「そんなはず……ない。死ぬかもしれない瞬間があったことも伝えたし」
「この状況で命を惜しむ奴がいたら、戦端を切り開く危険な先遣隊の隊員に選ばれるわけねぇよ」
「そうか……そうかもしれない」
欄干から背中を離して、ハルカは片方の眉尻を持ち上げた。
「お前にしては冷静な反応じゃねぇか。些事には動じなくなったか」
「動揺はしてるよ。でも、僕にできることはない」
「数時間見ねぇうちにご立派になったなァ。ともかく、カナデ=イガラシの話はもう止めようぜ。ある程度は察しがついたが、いてもいなくとも作戦に変更はないはずだ」
ハルカが何気なくいった一言に、シュウの全身を駆け巡る血流が早くなった。
カナデが現在どこにいるのかなどわかるはずもなく、想像する行為すら無意味に感じていた。
だが、ハルカの口ぶりからして、彼女はカナデの居場所に検討がついたようだった。
「まるでカナデがどこで何をしてるのか知ってるふうな口ぶりだね」
これまでの意趣返しのつもりで、シュウは揚げ足を取ったつもりだった。
ハルカはわざとらしく大きく息を吸い、ストレスと一緒に体内の空気を吐き出した。
「ホントの馬鹿だな、お前は」
「いきなりなんだよ。そんな暴言吐かれるようなこといった?」
「いったさ。お前、カナデが何故抜け出したかわかってねぇな」
それがどうしたというのか。カナデとは昨日が初対面だ。彼女の親友だった人物の記憶を継承したハルカと違い、シュウは彼女がどのような性格なのかよく知らない。行動を予測しろというほうが無茶な話だ。
あえて黙ることで、シュウは先を促した。
両腕を胸の下で組んで、肩を落とし脱力してからハルカはいった。
「カナデはお前と同じように、国じゃなくハルカ=カジのための行動を選択したんだろうよ」
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