第15話
多量の鮮血が舞った。
付近の床が赤く染まる。
眼球が飛び出る勢いで目を見開いたジャンが、呆然とハルカを見据えたまま真っ赤に染まる右肩を左手で抑えていた。
ジャンの抑える右肩の先からは、“あるべき物”が失われていた。
「大したもんじゃねぇか。戦う気のない臆病者だと思ってたが、片腕を切り落とされても声をあげねぇとはな。叫ばれたら殺すつもりだったが、生かしておいてやる」
手にした長槍を虚空に霧散させたハルカに、呼吸を乱しながらもジャンは尋ねた。
「……その槍は何だ」
「プラネトリアの生んだ武器は、使用者が有害と判断した対象を抑止する能力を持つ。オレはお前が最初に銃を向けたときから敵と認識したから、長槍はお前の拳銃に反発した。だがそんなことが重要か? さっさと治療を受けにいけ。あいにくとこの長槍に傷を癒す能力はねぇぜ」
「……そんなこと、期待しておらん」
弱々しくいって、足元に鮮血をこぼしながらジャンは会議室の出口に向かって歩いた。途中、尉官の一人が手を貸そうとしたが、彼は首を横に振って拒んだ。
歩調を乱さず、別の尉官が開いた扉から彼は出て行った。廊下から会議室前で見張りをしていた兵士達の驚いた声が聞こえた。
「扉を閉めろ」
部隊長の命令に扉を開いた尉官は黙って従い、自分の座っていた位置に腰かけた。
「協力するつもりがなければ容赦しない、ということか」
会議机の上に立ったままのハルカに、シグムントは眼光を鋭くした。
「オレはお前達と協力したいだけで、味方になりたいってわけじゃねぇ。歩み寄ってやってるのさ。極論をいえば、人間は男と女が一人ずつ残れば子孫を残せる。“イブ”の機能はオレが有してるから、“アダム”だけいれば他は死んだって構わねぇんだよ」
「なるほど。冗談でいっているわけではなさそうだ」
「お前は協力してくれると思ってたぜ。臆病な上官の命令に歯向かって主力部隊から第六大隊に左遷されたって噂だからな。勝ち目を見極める能力に秀でるのは確からしい」
「早合点はしないでもらいたい。君がどのようにして戦闘AIに対抗するか、その作戦内容を聞いて判断する」
満足そうに二度頷くと、ようやくハルカは会議机の上から降りた。
状況の理解に手一杯になっているシュウとルドルフの隣に並ぶと、彼女は胸の前で腕を組んだ。
「ここに来るまでの間に、レングラード・シーブリッジを見てきた。お前達の間でも有名なんだろ?」
「レングラードか。あそこは一ヶ月前に陥落したはずだが」
「だからまずはレングラードを奪還する。そうすれば、殲滅しか能のない戦闘AIは必ず攻めてくるはずだ。あの長い橋を渡ってな」
「橋? ……信じられんな。君の持っている槍とは、それほどの威力があるのか」
「察しの良さが別格だな。ますますお前のことが気に入ったぜ」
シグムントはいまのやりとりだけでハルカの頭のなかを覗けたようだ。
シュウにはどれが推量の材料になったかすらわからなかった。ちらりと軍曹と高官達に目をやると、彼らも難しそうな顔を作っていた。
「……ねぇハルカ、もう少しわかるように説明してよ」
「あァ?」
これ以上ないほどの不機嫌を浮かべて、ハルカは後ろから口を挟むシュウを睨んだ。
「認識に相違ないか確認するためにも、私から説明しよう。彼以外にも察しのついていない者がいるようだ」
ふたりの会話が聞こえていたらしい対面に座るシグムントは、室内全体に響く声量で続けた。
「といっても至極単純な内容だ。我々がレングラードを奪還すれば、敵対存在を探して殲滅するようプログラムが組まれているらしい戦闘AIは、我々を根絶やしにするためレングラードまで追いかけるくるだろう。陸路でレングラードに侵入するには、全長十キロのレングラード・シーブリッジを渡らなければならない。我々はそこで敵を待ち構えて、返り討ちにするというわけだ」
「戦闘AIの大軍を抑えられるだけの見込みがあるのですか?」
シグムントの部下であるルートビッフィが尋ねた。
質問者に直接答えるのではなく、シグムントはハルカのほうに目をやった。
「それだけの力が、彼女の手にはあるというわけだ」
「心ない機械に心的外傷を与えるだけの自負はあるぜ。期待してくれていい」
「一掃できるなら、敵の数は多いほうがいいか。大隊の全戦力を投入すべきか。決行も早いほうがいいだろう」
「オレはいますぐでも構わねぇが」
「流石にそれは吞めない。我々は機械ではなく生き物なのでな。君とっては煩わしいと感じる色々な準備が必要なのだよ。その代わり、より多くの敵が集まるよう一芝居うってやろう」
「そいつは興味深い。いったいどうするつもりだ?」
「これもまた単純なことだ」
そういってシグムントは初めて席を立ち、大会議室の隅に移動した。
長方形の台のうえに、第六大隊が駐留するリベックの要所を有線で結んだ旧世代の電話機が置いてあった。
敵国であるウェステリアの技術を借りて構築した無線ネットワークは、傍受されている疑いがかけられて開戦直後に廃止された。以来、アスタリアでは有線通信と口頭だけが情報の伝達手段となっている。
受話器を持ち上げず、シグムントは電話機のボタンを何個か押した。
会議室中央の天井に取り付けされたスピーカーから、接続を待つ効果音が聞こえてきた。三回ほどその音が鳴ったあと、効果音が中途半端に途切れて女性の声が天井から発せられた。
《こちら情報管理室です。所属とご用件をお願いいたします》
「第六大隊部隊長のシグムントだ。そちらに無線遮断装置のスイッチがあるはずだが、知っているか?」
電話機本体に取り付けられたマイクがシグムントの音声を拾っているようだった。
応答した女性は、シグムントがかけてきたこと自体には驚いていなかった。それなりの頻度で電話をかけているのだろう。
しかし、そのあとの質問には戸惑う声を返した。
《無線の遮断装置、ですか……? 制御パネルの隅にあるスイッチですよね》
「そうだ。区域ごとに複数あるはずだが、それを全て無効にしろ。全てだ」
《え……? で、ですが、無線は敵に傍受される危険があるのでは……?》
「その敵に私の言葉を聞かせるためだよ」
電話口にいる彼女は黙り込んだ。
しばらくしてもう一度確認を取ったあと、彼女は努めて落ち着いた口調でいった。
《……無線遮断装置を全て無効にしました。いまなら無線通信が使えるはずです》
「では次に、この電話をリベック市街のあらゆるスピーカーに繋いでくれ。かつて敷いたインフラが残してあるので可能なはずだ」
《了解しました。少々お待ちください》
再び女性の声は途切れた。パソコンのキーボードを叩く音が続く。
一分も経たないうちに、準備が完了したとの報告が入った。
シグムントは実行を許可して、咳払いをした。
彼の咳払いが、会議室のスピーカーと窓の外から幾重にもなって聞こえた。
「第六大隊に所属する諸君、部隊長を務めているシグムント=ヴォルフリードだ。無線回線を使って諸君に話しかけている。何故無線を使用しているかに関しては、申し訳ないが答えられない。各々で意味を考えてくれ。
急な話だが、今より二十時間後の一五○○より新たな作戦を開始する。本作戦の詳細については各中隊長から伝達させよう」
聞き取りやすいように鷹揚とした口調で、シグムントは続けた。
「これは我々がこの戦争で初めての勝利を収める作戦だ。作戦開始時刻より第六大隊は総力をもって敵軍の包囲を突破して、“ある地点”への到達を目指す。目的地について気になる者は中隊長に確かめよ。素直に答えるよう命じておく。
あまり長く話すと傍受される危険があるため、以上で無線による連絡は終了とする。作戦が始まれば、いつ終わるか確約できない。身体をできるだけ休めておくように。通信終了。管理室の者は無線遮断装置を有効に切り替えよ」
指示して数秒後に返ってきた情報管理室にいる女性の声は、窓の外からは聞こえてこなかった。
シグムントは礼をいうと、電話機の切断ボタンを人差し指で押した。
彼は部屋の隅から席に戻ろうとせず、その場でハルカのほうを向いた。
「ハルカ三等兵――いや、殉職したなら一等兵か。新しい階級章は後で用意させよう」
「そんなのはどうだっていい。いくらなんでも露骨すぎねぇか?」
「しかし聞いてしまった以上は無視できまい。注目されれば充分だ。問題はむしろ、敵が君の想像を絶する戦力を投入してくることではないかな?」
「ふっ、なら問題ねぇな」
不敵に笑ったハルカを目にして、シグムントも微かに笑みを浮かべた。
それも一瞬。彼は固い表情を取り戻して、中隊長の面々をぐるりと見回した。
「各自持ち場に戻れ。無線は以降使えないため、明日の作戦開始時刻となったら君達中隊長の判断でレングラード・シーブリッジへ向かえ。できるだけ敵を集めてな。全部隊が集結しだい、橋を渡り迎撃を開始する。島の安全は先遣隊を送って確保しよう。各中隊から小隊を二つ選定して、当該部隊を一三〇〇までに四番の防衛拠点に向かわせよ。何か質問はあるか?」
再びシグムントが視線を巡らせる。
目まぐるしい展開に困惑を隠せずにいた高官達だったが、大隊の長が指示を伝え終える頃には軍人らしい顔になっていた。
腹を括ったのだ。敗北が確定しているような戦争に前触れもなく介入した奇跡(ハルカ)に縋ってみようと。あるいは、奇跡など無くとも辛酸を舐めさせられてきた敵軍に一糸報いろうと。
「では解散。諸君の活躍に期待している」
高官達は一斉に敬礼を返した。
シグムントの返礼を見届けて、彼らは大会議室を後にした。シュウ達も彼らに続いた。
部屋を出る前に振り返ると、シグムントは窓からリベックの様子を見下ろしていた。
明日の準備があるといったルドルフと作戦本部のロビーで別れて、シュウとハルカは駐車場に停めてある車に向かった。
会議の緊張が解けると、シュウの身体は強烈にエネルギーの補給を求めてきた。彼は早朝にリベックを抜け出して以来、何も口にしていなかった。
「そういえばさ、ハルカっておなか空かないの?」
「この身体は朽ちてんだから空くもクソもねぇに決まってんだろ。腹が減ったんなら勝手に食え」
「姉ちゃんは気品があったけど意外とフライドチキンが好物だったんだ。そういった情報自体は覚えてるんでしょ?」
「だからどうした。記憶を受け継いでても欲求とは切り離されてんだ。語弊があるかもしれんから捕捉すると、食事自体は可能だぜ? エネルギー補給がなくとも身体が動くってだけでな」
「便利にできてるんだね、プラネトリアって存在は」
「オレは“戦闘”の概念の集合体だからな。一概にプラネトリアといっても、“食事”の概念ならお前の希望に沿った反応をしてくれると思うぜ? 食う量に腰抜かしちまうだろうが」
「くっくっくっ」と上機嫌な笑いをこぼした彼女は、一転して眉を寄せて立ち止まった。
彼女が凝視する先には、レングラードから作戦本部までの移動に使用した軍用トラックがあった。
「おい、誰かいるぞ」
その人物は、シュウの瞳にも映っていた。
それはハルカと同じ軍服を着た女性だった。シュウ達に背を向けた状態でジッと硬直している。身長はハルカとさほど変わらない。髪は長く、断髪する前のハルカとよく似た髪型をしていた。
不意に、車の前に立っていた女性が振り返った。
長髪が風に踊る。その光景は、シュウに姉との記憶を思い出させた。
対面した女性は整った顔立ちをしていた。後ろ姿はシュウの姉と瓜二つだったが、正面から見た彼女は彼の姉と比べ、より女性らしい外見をしていた。
「おねえ、さま……?」
待ち構えていた女性はハルカを見た瞬間、愕然と全身から脱力した。
シュウはその女性を知らなかった。ハルカに誰なのかと確かめる視線を送ると、彼女は無感動な声で答えた。
「お前は初対面か。こいつはカナデ=イガラシ四等兵。お前の姉とは寮でルームメイトだった女だ」
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