第10話

 人の気配がなくなった街並みを眺めながら、レオナルドは今朝の出来事を思い出していた。

 同期の軍人が戦死者の遺体を持ち出して、行く先も告げずに街の外へ行ってしまった。軍がそんな無意味な命令を出すわけがないため、独断による行動だと彼はすぐに悟った。

 レオナルドが“お飾り”の拠点兵長を任されている防衛線から街を抜け出したのは、脱走者の同期である自分ならば黙認してくれると思ったからだろう。親友といっても過言がないほど交流のあった同期の考えなど、レオナルドは看破していた。

 防衛線の先頭に立つレオナルドの後ろで、ふたりの軍人が暇そうに雑談していた。


「実は自分、この戦争の起きた原因ってよく知らないんすよね」

「お前そんなことも知らねぇのかよ。でも、そうだよな。向こうが急に攻撃をしかけてくる瞬間までは、戦争なんて起きるわけがないってくらい両国の関係は良好だったもんな。意味わからないって奴も多いか。特に民間人だとか、最近入隊したお前のような新兵は」

「自分頭悪いっすけど、守られてるばかりじゃなくて戦わなきゃ卑怯だって思ったんすよ」

「殊勝な性格してんな。まぁ実のところ、俺もよくわかってないんだが、国の偉い連中はアスタリアの豊富な天然資源を独占するつもりだと解釈してるらしい。いままではウェステリアが技術を提供して、アスタリアが資源を提供していたが、麻薬みたいに段々と供給量に不満を感じ始めて、ついに暴走しちまったんだろうよ。正気じゃ戦闘AIなんていうイカれ兵器は作れねぇって」


「ネットを含む通信全般が使用禁止になったのも、情報がウェステリアに漏れているからって噂を聞いたっすけど、マジなんすか?」

「マジじゃなかったら禁止になんてしねぇだろ。おかげで不便でしかたねぇが、結局あの国の見解は概ね正しかったわけだ。俺達は奴らの技術で豊かな生活ができてたんだよ。うちの国の技術者がバレるのを承知で敵から技術を盗み出して独自のネットワークを築こうとしたらしいが、結果はいうまでもねぇよな。せめて謎に包まれた戦闘AIの情報を持ち帰ろうとしたらしいが、それも叶わなかったみてぇだ」

「ふぅん。先輩よく知ってるんすねぇ」


 感心した様子で新兵は表情を弛緩させた。


「レオナルド兵長、先輩の話ってマジなんすか」


 明朗な声をかけられたが、レオナルドは反応しなかった。固まったように地平線をジッと見据えている。


「ねぇ兵長~、どうせこんな辺境から敵は攻めてこないんすから、自分の雑談に付き合ってくださいよぉ。なに考えてんすか兵長~。教えてくださいよぉ~」


 気の抜ける怠けた口で喋りかける部下に、レオナルドは首をまわした。


「うるさいですね。現在脳内チェスで戦いの“シュミレーション”をしているのです。機械連中に勝つには人間の優れた知能を活かす他に手はないと私は考えております。寂しい奴だと同情しますか? ならば貴公が相手してください、新兵。早速始めるとしましょう。私の一手目は九七ポールです」

「レオナルド兵長、普段からいってますけど、無理して頭の良さそうな喋り方はしないでください。いってることがぐちゃぐちゃにかき混ぜた鍋料理のようです。手に負えませんが、とりあえず“シュミレーション”ではなくシミュレーションです。以降の指摘は省略します」

「なに……! ふむ。貴公からその言葉を聞くのは二度目ですね」

「だったら覚えてください! 今日から加わった新兵が唖然としてます」


 やや苛立った部下からの抗議を、レオナルドは聞いていなかった。

 レオナルドの部隊は、隣の街との境界のひとつを見張る任務を任されている。境界は浅い川が隔てており、二百メートル程度の橋が双方の街を繋いでいる。敵の侵攻ルートからは最も離れた位置にある防衛線だ。住民の疎開も完了しているため、レオナルドが防衛線で隊員以外の顔を見たことはまだ一度もない。


「――兵長ッ! まっすぐ接近してくる機影がありますッ!」


 一足先に気づいた状況の変化を、高台から遠方を監視していた部下が声を張って知らせた。

 途端、部隊に緊張がはしる。小言をいっていた者は目を見開き、橋の先に注目した。

 新兵は抱えていた銃を前方に構えて、指示さえあれば即座に射撃可能な姿勢を整える。


「高台にいる貴公、接近する機影は|戦闘AI(ディスペア)ですか?」

[い、いえッ! 軍用トラックが一台……それも、我が軍の――」

「まさか……だとしたら、驚きと形容する以外にありませんね」


 高台から報告を受けて、レオナルドは近づいてくる物体の正体に見当がついた。

 仮に違ったとしても、自軍の車両ならば通しても問題ない。問題があったとしても、結局は乗っている人物を確かめなければ対応の判断はできないのだ。

 若き拠点兵長は武器を構える部下を制するように背後へ手を伸ばした。


「銃をおろしてください。どうやら、あれは敵ではないようです」

「じゃあなんなんすか。今日は車両の出入はないはずっすよねぇ?」

「新兵、貴公も今朝みていたでしょう。死の臭いをぷんぷんと巻き散らして、この境界から外に出ていった男を」

「いましたけど、あの人はもう帰ってこないって、兵長がそういってたじゃないすか」


 命令に従って銃口をさげたが、新兵は合点がいっていない様子だった。

 接近する軍用トラックが橋に侵入した。

 隊内では比較的高い視力を有するレオナルドには、周囲より一足先にトラックを運転する人物の顔が見えた。


「そんなこといいましたか? 実は、こうみえて記憶力が低いのです。大目に見てくれると嬉しいのですが」


 運転手はレオナルドの予測したとおりの人物だった。

 レオナルドは泣きそうになるほどの感動を覚えた。部下には背を向けているため見えないが、すでに瞳は潤んでいる。

 しかし助手席にも誰かがいると気づいた瞬間、溢れそうだった涙は奥に引っ込んだ。


「も~兵長はテキトーすぎるんすよ~。それでよく入隊して間もないのに拠点を任されたっすね。前に立候補したらそのまま通ったって聞いたっすけど、マジなんすか? ていうか、あの車運転してるのって今朝出ていった兵長の同期っすよね? あ、でも、あの助手席にいる女性は初めて見るっすね。あの人も兵長の知り合いっすか?」

「私は知っておりますが……向こうはきっと知らなかったでしょう」

「そうなんすか~。で、結局誰なんすか、あの短髪の女は」


 非常に優秀な兵士だったので軍のなかでの知名度は高いはずだが、新兵である彼は彼女について知らないようだった。

 新兵以外の部下は全員事態の“異常性”に気づいているようで、幻でも見せられているように怪訝な視線をトラックに注いでいる。

 その“異常性”が何も知らない部下に伝わるように、レオナルドは端的な言葉で新兵に答えた。


「戦死したはずの同胞ですよ」

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