第9話

 それまで軽かった声色を重く変えて、ハルカがいった。


「いるって……僕には何も見えないけど」

「三キロ先にある橋の出口に、戦闘AIが待機してる。数は……タイプⅠが十四体、タイプⅣが一体だな」

「三キロ先が見えるのっ!? いやいやそれより何だよその数っ!」


 シュウは咄嗟にブレーキを踏んだ。身体の重心が後部座席側に引っ張られる。

 反動を返すと同時に、車は停止した。

 助手席から伸びた細い腕が、運転手の襟首を掴んだ。


「くっ、なに勝手に停まってやがるッ!」

「いやだって待ち伏せされてるんでしょっ! 引き返すしかないじゃんっ!」

「よく状況を考えろッ! 何回同じことをいわせんだッ!」

「危険だと思ったから停めたんだよっ!」

「考えが甘すぎんだよッ! 出口で待ち伏せてんなら、入口からも敵が迫ってるに決まってんだろうがッ!」

「そんなの確かめなきゃわからない!」

「『わからない』で命を捨てるつもりかッ!」

「じゃあどうすれば――……」


 そういいかけて、シュウは口を噤んだ。自暴自棄になっても状況は変わらない。

 サイドミラーを確認したが、まだ敵影は見えなかった。

 ハルカが懸念するように、敵が挟撃を目論んでいる可能性は充分にある。安易に戻るのは最善の策ではない。そもそも街にいることは敵の技官や戦闘AIに目撃されているのだ。

 仮に戻れたとしても、レングラード脱出にはこの大橋を避けては通れない。長く留まれば留まるほど、状況は悪化するかもしれなかった。


 ハルカは唐突に助手席のドアを開くと、両腕でドア枠の上部を掴み、逆上がりの要領で身体を助手席から車体の天井裏に押し上げた。シュウの頭上から伝った着地の衝撃が車体を揺らす。

 彼女の不可解な行動に、シュウは窓をあけて上半身を乗り出した。

 車体の上をのぞくと、ハルカが片膝立ちになっていた。


「なにしてるの?」

「こうすんだよ」


 ハルカは体勢を維持したまま右手を水平に伸ばした。

 大気が虹色に輝き、収束して、伸ばした掌に一振りの長槍が顕現する。


「見せてやるよ。世界を救う力の片鱗をな」


 立ち上がり、ハルカは長槍を両手で握り直す。

 銀色の穂先に刻まれた見たことのない文字が光を放ち、浮き上がる。

 戻っても進んでも危険は避けられない。目の前の恐怖から逃げるだけでは駄目だ。そう自分を説得して、シュウは二度自分を救ってくれた彼女の提案にのろうと決めた。


「……僕はどうすればいい? このまま運転すればいいの?」

「ああ。全力でアクセルを踏み込め。ハンドルはきるな。ブレーキもかけるな」

「エンジン全開にしたらハルカが落ちちゃうんじゃ?」

「そんな心配があるなら最初から頼むわけねぇだろ。問題ねぇからとにかく一直線に進んでアクセルを踏み続けろ。怖いならブレーキを壊しとくか?」


 長槍が荷台と車体の間に差し込まれて、金属の部品を叩く甲高い音が響いた。その辺りにはブレーキの制御に関わる部品が取り付けられている。


「そ、そんなの必要ないっ! だいたい使い物にならなくなったらどうやって本陣に帰るんだよっ!」

「それもそうだ。オレはお前を信用するぜ、シュウ」


 槍を肩に担いで腰を左右に捻ったあと、ハルカは運転席の窓から顔を出しているシュウを見下ろした。


「だからお前もオレを信用しろ。勇気を出して突っ込め」


 向けられた瞳の奥に、真摯な色を見た。

 得体の知れない存在だが、少なくともいまは敵ではない。姉の望むように生き残るには、ハルカの力が不可欠であるとシュウは理解している。

 ならば信じるしかない。シュウは無言で頷いて、運転席に戻った。

 シートベルトを着用して、アクセルペダルに足をかける。ハンドルを右手で握り、左手をシフトレバーに伸ばす。シフトレバーを“D”にいれて、左手でもハンドルを掴んだ。


「いくよ、ハルカ」

「いつでもいいぜ」


 ゆっくり息を吸って、呼吸を三秒ほど止めて、肺から空気が抜けることを惜しむように緩慢に吐き出した。

 思考が澄み渡る。落ち着いてアクセルペダルを徐々に踏み込む。

 車は段階的に加速する。メーターは時計回りに針を進めていく。

 十キロ、二十キロ、三十キロ、四十キロ、五十キロ――


「ハルカ、大丈夫なの」

「いい風だ。もっと速度をあげろ」


 窓から吹き込む風と一緒に、ハルカの声が帰ってくる。

 風の音は速度に伴い変化する。激化した風圧に、シュウの髪は逆立った。

 メーターの針はすでに百を超えていた。なおも車は速度をあげる。

 窓の外から聞こえる音にエンジンの悲鳴が混じり始めた頃、シュウにも橋の出口が見えた。

 ハルカの報告は嘘ではなかった。正確な数までは判然としないが、大量のタイプⅠと一体のタイプⅣが待ち構えている。


 間合いは飛躍的に縮む。

 ここは隠れようのない橋上だ。こちらが気づいているのなら、敵も気づいている。

 普通なら、一旦停まって作戦を練る場面かもしれない。シュウはぼんやりとそんなことを考えながら、まったく逆の行動を続けた。

 メーターの針の上昇が止まった。限界速度(リミット)だ。

 十数体のタイプⅠが一斉に動き出して、出口から橋に侵入してきた。

 片側二車線の狭い道路に散開して、弾幕を張るように様々な方角から射撃を開始する。超加速で狭くなったシュウの視界一面を、鋼鉄の弾丸が支配した。

 濃密な死の気配に、足がブレーキペダルに伸びる。そのまま踏み込みそうになったが、ハルカの言葉を思い出してこらえた。アクセルペダルに足を戻す。


 不意に、前方の空間が陽炎のように歪んだ。

 歪みは車体を覆うように現れて、触れた無数の弾丸を悉く弾き返した。

 シュウには何が起きているかわからない。しかし、ハルカに従えば絶体絶命の窮地さえ乗り越えられる。そう確信して、余計な疑問を頭のなかから除外した。

 突き進む弾幕の中央に、丸い飴玉のような物体が出現する。

 飴玉は一瞬のうちに大きく見えるようになった。


 タイプⅣの主砲だ。

 直撃コースで襲来した砲弾さえ、ハルカの防御の前では無力だった。車体に直撃する手前で炸裂して、黒煙が車体の両脇に流れていく。

 密集するタイプⅠを無視して、その脇を駆け抜ける。

 サイドミラーを一瞥した。三角錐の黒い影が追いかけてきていたが、速度は全速力の軍用トラックのほうが上のようだ。

 視線を正面に戻す。

 彼の瞳に、橋の出口を防ぐように車体を縦向きから横向きに変えようとしているタイプⅣが映った。


「このままじゃぶつかるっ!」

「いいから黙って突っ込めッ!」


 行く先を阻むのは、もはや敵ではなく壁だ。

 このままでは、あと数秒でこの肉体は圧死する。

 振り払った恐怖が蘇る。ブレーキペダルに足を伸ばしたい衝動を抑えられない。

 踏み込めば、間に合うか。

 間に合うか間に合わないかなんてどうでもいい。恐怖から逃れるには踏み込むしかない。


 踏み込んだ。


 歯を食いしばり、全体重をかけるようにアクセルペダルを踏み込んだ。

 瞬間、虹色の閃光が視界を縦に裂いた。

 タイプⅣの車体が、中心で真っ二つに割れた。分離した左右の半身の間に生まれた道を、トラックは文字どおり一瞬で駆け抜けた。

 後方からの衝撃波に車体が揺さぶられる。片側の車輪が宙に浮いて傾いたが、トラックは横転することなく数秒で安定したバランスを取り戻した。


「停めろ」


 天井裏から届く声を聞き、ようやくブレーキペダルに足をかけた。緩やかな踏み込みに応じて速度が低下して、トラックは住民の気配が消え失せた幹線道路の真ん中で停車した。


 エンジンをかけたまま運転席を降りると、すぐ横にハルカが降り立った。彼女の手から謎の長槍は消えていた。


「なにが起こってるのか全然わからなかったけど、とにかくすごかった」

「感想なんざ聞いてねぇよ。こんなもん当然の結果だ。これくらいで驚いてたら、オレと一緒にいたら気が狂っちまうぜ?」


 謙遜しながらも、ハルカは満足そうな笑みを浮かべていた。もう一生見られないと思っていた姉の笑顔に、張り詰めていたシュウの心は弛緩した。


「それより、あっちを見てみろ」


 ハルカは表情を戻して、橋がある方角に顎をしゃくった。

 橋の出口は黒煙が支配していた。青空までも黒く濁っている。タイプⅣだけの残滓にしては量が多い。トラックを追尾していたタイプⅠも巻き込まれたようだ。


「見つけたか? あの野郎がいるってことは、防衛線を張ったのは奴の仕業だろうな」


 どうも話がズレていた。シュウは引き続き黒煙の周辺に眼球を巡らせる。

 黒煙を背景に立つ黒い服の人物を見つけた。

 顔までは見えないが、誰であるのかは容易に想像がついた。


「橋での待ち伏せを指示していたのか。たしかに、戦闘AIの攻め方にしては回りくどかったかもしれない」

「機械を動かしてたのはあの男に違いねぇ。……だが、なぜだ?」

「なぜって、なにが?」

「お前には見えねぇか。あそこにいる男の顔だよ。増援も蹴散らされて相当間抜けな面を浮かべてると期待したが……奴の余裕はなんだ? 教会で面白いように動揺してた男と同一人物とは思えねぇ。まぁ、オレの異常性を二度も目の当たりにしてイカれちまったのかもしれねぇが」


 気味悪そうにしながらも、ハルカはすぐに興味を失い助手席に戻った。

 運転席に戻る前に、シュウはもう一度シーブリッジを眺めた。硬直して立っている男の表情までは、やはり彼の視力では認識できない。

 険しい顔をしているハルカの隣に座り、シフトレバーを操作して車を発進させた。

 これから自軍の拠点に帰還するわけだが、無断で遺体を持ち出した行為と戦線離脱について、どんな叱責を受けるだろう。

 待ち受ける試練にシュウは辟易した。その持ち出した遺体が自分の足で歩いている理由を説明しなければならないと思うと、陰鬱とした気持ちはさらに暗くなった。

 サイドミラーを見ると、黒煙のそばに佇んでいた姿はもう消えていた。

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