第8話
興味深そうに橋を凝視していたハルカが、ぼんやりと呟いた。
「この橋が、使える? いったい何に?」
「あとで話す。自軍に合流したあとでな」
聞き出そうとして、濁された。
橋を見たときに口角を吊り上げた彼女の反応から、何か思いついたらしいことは明らかだ。
「いま教えてくれたっていいんじゃないの? 戦争の原因根絶と関係あること?」
「あとで話すってのが聞こえなかったか? 他人の話を聞かん奴だな」
「いやだって、中途半端に話されたら気になるよ」
「付け加えよう。お前は考えるのが苦手な奴だ。克服しなきゃ早死にするぜ?」
「戦場じゃあ考えてしまう奴から死ぬ。教官からはそう教わったけど?」
「極端な解釈をするんじゃねぇよ。そういう虎の威を借る狐みたいな生き方が危険だって忠告してやってんだよ。そりゃあ戦ってる最中は相手より手が遅れれば殺される。特に戦闘AIは人間の兵士と違って迷わない。演算能力で上回らなきゃ勝てる道理がない。だが、戦ってるとき以外は常に頭を働かせておくべきだ。そうしなきゃ、いざってとき判断に迷い、呆気なく命を落としちまうぜ」
ハルカは助手席のシートの上で脚を組み、胸の下で腕を組んだ。
「お前は迷い、立ち止まってしまうタイプの人間だったな。お前の姉はそれでもいいと感じていたようだが、その姉の死がお前の姿勢に一石を投じたらしい。
お前の姉が死んでからさっきの教会でオレが目覚めるまでの間、この世界で何があったのかオレには知る由もない。お前の姉の記憶にも、オレの記憶にもない空白期間だからな。この空白期間に何か心境の変化があったんだろ? でなきゃ占領された故郷に単身で赴けるはずがない。そんな無意味な行動を軍が許可するわけもなく、となれば命令違反だ。お前の姉が知ってる弟は、そんな大胆なマネができる性格じゃなかった。ところがお前は単身で行動を起こした。心変わりでもなけりゃあ結び付かない」
「冷たくなった姉ちゃんに触れて、最後に何かしてあげたいと思ったんだ。僕は助けてもらってばかりだったから。決心してからは、自分でも驚くくらい大胆に準備を進めてた。……お前のいうとおり、姉ちゃんの死が僕を変えたのかもしれない。具体的にどう変わったとかは全然自覚ないけど」
「簡単な話さ。頼れる人間を失ったから、思考が最適化されたってわけだ。背中を押してくれる奴がいなくなったら一人で歩かなくちゃ進めない。一人で歩くってのは、自分を信じて尊重するってことだ。お前は自分が一番やりたいことを考えて、周囲を気にせず遂行した。その覚悟は立派だと思うぜ?」
車はトンネルに入った。丸みを帯びた天井の両端に並ぶ電灯は生きており、薄っすらとした橙色の光が地面に散らばる戦闘AIと自動車の残骸を照らし出す。
シュウは今朝レングラードに来たときのように、ハンドルを切って障害物を避けながら車を進めた。
人間の思考を機械のように語るハルカは、遠回しにシュウの行動力を褒めた。世辞をいっているようには聞こえず、そもそも世辞をいうような人種とも思えない。
しかし教会で出会って以来初めて受けた称賛に、シュウは背中が妙に痒くなった。
「だがそれだけだ。教会に運び込んで“平和の花”で弔ったら、また以前のお前に戻った。お前を追いかけてきた敵を相手に、お前は戦おうともせず、“お前の姉が望んだ命”を諦めた」
頭のなかの風景が一転した。
教会でタイプⅣが攻め込んできた直後の映像がフラッシュバックする。
「僕が戦おうとしなかっただなんて……なんでそれがわかるの?」
「砲弾から守ったとき、お前は丸腰だった。そばには立派な狙撃銃があったのにな」
「なんで……じゃあなんで、姉ちゃんが望んでただなんて――」
「いっただろ。『お前の姉が死ぬ』までの記憶はあると」
明言されて、ようやくシュウは記憶の継承が意味するところを知った。
社会や常識に関わる知識や知恵だけが記憶ではない。人間関係も記憶の根幹をなすひとつだ。
ハルカはシュウの姉が他人に持っていた印象を知っている。普段話してくれていた感情ではなく、隠していたかもしれない本心も含め、彼女はシュウの姉の全てを把握しているのだ。
「お前の姉はな、シュウ。凶弾に倒れ意識が途絶えるまでの間に、支離滅裂に色々なことを考えた。そこにはもう叶えられない願いも多くあった。叶えられないと知りながら、誰かに縋るように願った。お前に生きてほしいってのも、彼女が最後の瞬間に抱いた願望だ」
「……そっか。もしそれが嘘だとしても……いや、嘘じゃないか。みんなが憧れた勇猛な姉ちゃんが、途中で諦めるわけがない」
進行方向の先に、人工の光ではない小さな明かりが見えた。トンネルの出口だ。
トンネルを抜ければ、街の外に続くシーブリッジの入口はすぐそこだ。
プラネトリアと出会わなければ、生涯聞けるはずのない真実だった。無論、ハルカがいい加減な話をしているだけかもしれないが、シュウはその話を信じることにした。平和を願っていた姉ならば、家族の死を望んだりなんてしないだろうから。
少し間を置いて、シュウは懺悔するように暗い声色で続けた。
「……ハルカのいうとおりだよ。教会で戦闘AIに遭遇したとき、僕は懸命に戦おうなんて考えなかった。死ぬ順番が回ってきたのだと、自分の死を受け入れようとした。死ぬことに少しの喜びさえ感じてたんだ。姉と一緒に、故郷の地で旅立てるとね」
「そんな救いがあるかよ。抗おうとしなかったのは、一人では勝てないし、逃げられなかったからだろ?」
「そう。太刀打ちできないから諦めた。死ぬしかないから、死ぬ方向で自分を納得させようとしたんだ」
「どうせ死ぬなら、己の限界を超えてみようとか考えられないのか」
「お前はプラネトリアとかいう特別な存在だから、そんなふうに偉そうなことをいえるんだ。人間はお前みたいな身体能力も特別な武器も持ってないんだよ。人間は弱いんだ」
「決めつけだな。同じ人間でも、お前の姉は最後まで生き残ろうとした。オレが誕生するような結果になってしまったが、ハルカ=カジは最後まで運命に抗った」
情けない言い訳をしている自覚はあった。
彼女の主張が正論だともわかっているが、理想のように生きられる人がどれだけいるというのか。
そんな一握りの区分に入れるわけがない。憧れるほどの強さを持つハルカに、シュウは嫉妬せずにはいられなかった。
もしも彼女のような強さがあれば、姉と同じ最前線の部隊に投入されていたはずだ。
同じ部隊で戦っていれば、姉の死の運命を変えられたかもしれないのに。
「弱いのは人間じゃなく、お前個人だ」
かけられた言葉に、返すべき答えはなかった。
シュウは自分自身の本質を呪った。
ないものを願い、持てなければ諦める。迷いも考えもせず、都合の良い状況が空から降ってくるのを口を開けて待っている。行動しないくせに、文句だけは一人前。情けない自覚はあっても他にどうすべきかわからず、自我を守るために自己の価値観を多数派と決めつけ更生を諦める。
「強くなれよ、シュウ」
虚を突くような励ましは、ハルカの声色で紡がれた。
言い訳ばかりするシュウに呆れているのかと思われたが、かけられた声に侮蔑の色はなかった。むしろシュウのほうが当惑して閉口してしまう。
「勘違いするな。これはオレが望んでるわけじゃねぇ。お前の姉が望んでいたことだ。どういう意味かは自分で考えるんだな」
吐き捨てるようにいって、ハルカはまた窓枠に肘をついた。ぶっきらぼうな顔が窓側に向けられて、ガラスに薄っすらと反射している。
シュウの運転する軍用トラックの駆動音だけが響く沈黙のあと、トンネルを抜ける前にシュウは答えた。
「……僕は強くなるよ、ハルカ」
「そうか」
姉と同じ容姿をしたハルカは短く相槌を打ち、それ以上は語らなかった。
正直なところ、シュウは自分が宣言したとおりになれるとは思えなかった。
それでも、叶うよう努力はしてみようと決意した。
それが姉の望みだったというのなら、姉を安心させるには彼女の好きだった花で弔うだけでは駄目だ。
姉を超えるくらい、強くならなくて。
シュウの運転するトラックは暗いトンネルを抜けて、ふたりの前に巨大な橋の入口が映った。
車はレングラード・シーブリッジにのった。透き通る色の海に架けられた橋は、渡る者に絶景を魅せてくれる。この橋は国内の観光地としても著名で人気があったスポットだ。戦地として敵国に侵略された現在でも、かつての美しさは衰えていない。
果ての見えない長い橋は、街のなかに比べれば随分とマシな状態を維持していた。
レングラードが敵軍に攻め込まれた際、アスタリア軍は逃げ場のない橋上での戦闘を避けて、渡りきった先端での待ち伏せを画策した。しかし、それだけでは戦闘AIと人間の彼我にある溝は埋められなかった。構わず侵攻した戦闘AIを止められず、レングラードは敵の手に堕ちた。
レングラード防衛に際して、シーブリッジを爆破して橋ごと敵を葬る案も浮上していた。仮にそうしていたら唯一の陸路である橋は使えなくなり、侵攻が遅れて街に住む人々の運命も変わったかもしれない。
その案が没となったのは、破壊が困難であるからだ。天災に耐えられるよう頑丈に建造したことが、皮肉にも敵軍の侵攻を早めてしまった。
「お前がどうやって一人でこの身体を運べたのか気になってたが、理解したぜ。見張りがいなくて橋を素通りできたんだな」
片側二車線のひたすら真っ直ぐ伸びた道路には、前方にも後方にも動く影がまったくない。
「敵が待ち構えてたら振り切るつもりだったけど、タイプⅠすら一体も見当たらなかったんだ。教会に着くまでも遭遇しなかったから、教会でタイプⅣに発見されるまでは敵軍はもう島から撤退したのかと思ってたよ」
「無用心か余裕か。……機械にそれはねぇか」
「僕も理由を考えたんだけど、たぶん機械は僕の行動を予測できなかったんじゃないかな。普通に考えれば、支配した地域に単身で戻ってくるなんてありえない」
「なるほどな。確率がゼロと判断すれば、守りの駒もおかねぇか」
ハルカは海には興味がなさそうだった。まだ見えない橋の出口の方角にずっと目を向けている。シュウの姉はシーブリッジから見える海が好きだったが、その感性は引き継いでいないようだ。そんなことは、彼女の言動からして語るまでもないが。
「いるな」
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