第6話

 煙から目を守っていた腕をおろすと、教会の入口にあった瓦礫の山が吹き飛んでいた。

 ナイフの飛んできた方角を辿ると、芝生でハルカが直立していた。彼女の左手からは、タイプⅠの装甲を紙でも切るように断絶したナイフが消えていた。


「悪ぃな。ちょっと熱くなって適当に投げちまった。怪我はねぇか?」

「あっ……えぇと、うん」


 それは不意打ちの優しさだった。粗暴な喋り方はそのままだが、“ハルカ”に初めて気を遣われて、彼は本物の姉に答えるかのような気の抜けた返事をした。

 ハルカがシュウに歩み寄る。

 長い髪は肩の高さで不揃いに断たれてしまったが、瞳を支配していた険しさが抜けて、澄んだ色を取り戻していた。シュウが長い間ずっと見てきた、彼の姉と同じ瞳だった。


「怪我はなかったか。そうかそうか」


 爆風で掃除された瓦礫を踏んで、シュウは教会の外へ出た。

 近寄ってきていたハルカが、彼の前で歩みを止めた。彼女は朗らかな笑みを浮かべている。


 途端、彼女の表情が豹変した。

 シュウはいきなり襟元を掴まれ、姉の原形を留めないほどに歪めた顔を近づけられた。


「――んな心配するわけねぇだろうがッ! あんな状況で外すか? お前それでも狙撃手か? このドヘタクソがッ!」


 姉を想起させる態度に騙されそうだったが、目が覚めた。

 彼女に姉の優しさが残っているかもしれないなんて、期待するだけ無駄だった。

 襟元を掴む力は、女性とは信じられないほどだった。

 睨むハルカを見下ろす視界の奥に、バイクに跨るジャックの背中が見えた。ジャックは揉めているハルカとシュウを一瞥だけすると、エンジンをかけた。排気口から煙があがり、生物の脈動のような駆動音が辺りに響く。


「はなせプラネトリア……っ! あいつが逃げる……っ!」

「その名で呼ぶなといっただろうがッ!」

「そんなの気にしてる場合……っ!? いいよ、じゃあ……ハルカ、敵技官のジャックが街のほうに逃げた」

「逃がせばいい。オレの目的は、あいつを殺すことじゃねぇからな」


 そういって、ハルカはシュウを解放した。思わぬ行動によろめく。

 バランスを取り戻してハルカを見据えた。彼女はジャックが逃げた方角をジッと眺めていた。


「敵技官を殺すことが目的じゃないって、どういうこと? 技官は僕達の軍でいうところの大尉と同等なんだよ? ここで討てば必ず敵軍の大打撃になる」

「お前は本当に何もわかってねぇな。人間を殺したところで戦闘AIが絶滅するわけじゃねぇだろうが。それに、統率が取れなくなるっつーのはつまり凶暴化だ。しつける飼い主を失った獣がどうなるか、お前にだってわかんだろ」

「でも、敵技官を暗殺したら戦闘AIが凶暴化したなんて話は聞いたことがない。おとなしくなって簡単に片付けられたって話は耳にしたけど」

「過去にはそういうこともあったらしいな。だがよく考えろ。敵はAIだ。失敗から学習するんだよ、奴らは。大半の人間よりは賢いと思っておいたほうがいい。事実、ウェステリアでは既に人間とAIの序列が逆転してるらしいからな」


 戦闘によって凄惨な荒地と化した景色には目もくれず、ハルカは教会の側面へと歩き始めた。


「ま、待てっ! どこいくんだよっ! これからどうするかも決めてないのに!」

「なら教えてくれ。お前の乗ってきた車はどこにある?」

「は……?」

「でかい棺桶を運び込んだんだ。レングラードには車で来たんだろ? その車はどこにあるかと訊いてんだよ」

「それは……お前のいうとおりだけど。車をどうするつもり?」

「んなもん移動に使うに決まってんだろ。お前は車を壊してストレス発散でもしてぇのか?」


 馬鹿にするような呆れた口調で答えて、教会の角にハルカが消えた。

 彼女が何を考えているのかは保留として、シュウは消えた背中を追いかけた。

 角を曲がった先で、彼女は悠然と歩いていた。


「だから待てって! どこに行くつもりなんだよっ!」

「オレもお前もアスタリアという国家に仕える軍人だ。だが今は孤立してる。戦線に復帰するため、本陣に帰還することが最優先事項だ。これ以上の説明がいるか?」

「だけどもう姉ちゃんは戦死したって周知されてる。戻れば混乱は避けられない」

「知ったことか。オレの目的を達成するには、お前達の軍の力が必要なんだよ」


 車の場所は教えていないにも関わらず、彼女は確信めいた足取りで教会の裏手に回った。

 眼下の土に真新しい轍が残っていた。車輪の跡の終点で、シュウが戦線を離脱する際に運転した中型トラックが鎮座していた。


「わざわざ裏手に隠したんだから、お前も帰るつもりだったんだろ? それなら何も渋ることねぇじゃねぇか。オレ達の利害は一致してんだぜ?」

「ここに停めたのはたまたまだ。僕には……軍に戻る理由がない。どうせ戻っても、ウェステリア軍に殺される順番待ちをするだけだ。どうせ死ぬなら、この生まれ育った故郷で最後を迎えたい」

「はっ、女々しい野郎だな。お前の姉も悲しんでるぜ」

「お前が姉ちゃんを語るなッ!」


 脳が芯まで熱くなって、感情のままに怒声を浴びせた。

 いくら姿が同じでも、彼女は姉とは異なる存在だ。そんな他人が知ったふうに姉の気持ちを代弁するのは、彼にとって最も許せない行為だった。

 わずかに嘲笑を浮かべていた表情を真顔に変えて、ハルカは彼の憤怒を受け止めた。

 何かいいたげな様子にも見えたが、彼女は黙って車の助手席側に移動した。


「運転はお前だ。早く乗れ」

「いや……だから僕はもう……」

「目的がないっていうつもりなら、オレの支援をしろ。どうせ死ぬなら、オレのために死んでも一緒だろ?」

「お前のためって……だいたいさっきから目的目的って、お前の目的ってなんなんだよ」


 助手席のドアを開けて、ハルカは片足を車内にのせた。

 ドアに手をかけた状態で横に振り向くと、立ち竦んだままのシュウと目が合った。

 まだ迷っているらしい彼に、彼女は艶やかさを取り戻した唇を動かした。


「オレの目的は、この戦争を終わらせることさ」

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