第4話

 教会の入口から十歩ほど進んだ地点で、ハルカは佇んでいた。

 レングラードの市街地と郊外にある教会とは、草を刈り取っただけの道路が結んでいる。その市街地に続く道を阻むように、敵軍の戦力が集っていた。

 敵との間合いは約四十メートル。敵軍の先頭には、スキンヘッドの壮年の兵士が立っている。その男以外に、人間の兵士は見当たらない。代わりに多数の黒い兵器が男の背後に控えている。

 縦横高さ全てが八十メートルの三角錐に似た形の兵器は、最初に作られた|戦闘AI(ディスペア)のタイプⅠだ。本来であれば敵を発見しだい天辺の小型機関銃で対象を殲滅するはずだが、兵器はシュウやハルカを前にしても静寂を保っている。兵器の先頭に立つ男が特別な身分であることの証左といえた。


 スキンヘッドの男が従えるタイプⅠは十二体。

 シュウの所属するアスタリア軍では、タイプⅠの相手をする際には必ず二人で当たれと命じられている。軍の定める基準で考えるなら、戦闘要員があと二十二人も足りないことになる。絶体絶命と表現するならば、このうえなく適切な状況だった。

 兵器の長たる男は懐から双眼鏡のような代物を取り出すと、入口から一歩も動かないハルカとシュウにレンズを向けた。

 双眼鏡が目元にくっついたまま、男の口元が動いた。


「……なるほど。おふたりとも見た目通りお若い。それに、姉弟ですね? ハルカ=カジに、シュウ=カジ。苗字が一緒なうえ、出身も同じこのレングラードですか。単なる偶然ではないでしょう。そうですね?」


 初対面の相手に名前で呼ばれ、大きく心臓が脈打った。何故男が自分と姉の名前を知っているのか、シュウには見当もつかなかった。

 当惑に沈められたシュウとは対照的に、ハルカは男の話をつまらなそうに聞いて答えた。


「それがどうした」

「どうしたとは……初対面の人間に個人情報を言い当てられて、不安や恐怖を覚えないのですか?」

「知るか。だいたいオレとこいつが血縁関係にあったとして、お前にどんな得がある。くだらねぇな。その双眼鏡みてぇな代物に仕掛けがあんだろ?」

「随分と肝が据わっておりますね。そのとおりです。これに人の顔を映すと、我が軍のデータベースから一致する人物を検索して、瞬時に個人情報の確認が可能という仕組みです。あなた方の国はネットワークを遮断して情報漏洩を防いでいるつもりでしょうが、開戦以前のデータベースと戦地で記録されるデータさえあれば我々にとっては充分なのですよ」


「だからなんだ」

「ふぅ……あなたは敵に情報を握られている状況の危うさを理解していませんね。我が軍は個人の情報はもちろんのこと、戦況を左右する情報も収集して蓄積しているのですよ? 具体的にいえば、あなた方がどこにどれほどの戦力を投入しているのか、斥候を使って収集しているというわけです。あなた方のような兵士は近代兵器である戦闘AIを最大の脅威と感じているでしょうが、上層部の方々は我が軍のネットワークを真の脅威と恐れていることでしょう。わかりますか、ハルカ=カジ三等兵」


 自慢するように鼻の穴を大きくして、ジャックと名乗った男は語る。彼が祖国を誇りに思っていることは、訊くまでもなく明らかだ。

 ジャックが何をいっているのか、シュウの頭にはほとんど入ってこなかった。敵が余裕をかましている間に現状を打開できるか思案したが、彼自身の手で解決できる方法は一つとして浮かばない。

 ジャックは両手を平にして首を左右に振った。


「しかし、情報能力で圧倒する我々にもわからないことはあります。たとえば、あなた方の背後にある教会にはあと何人のアスタリア軍人が潜伏しているのか。こればかりは調べないことにはわかりません。できれば自主的に教えてくださると手間がはぶけるのですが」


 尊大な態度のまま、ジャックは教会の入口に立つふたりの間を縫って教会に視線を飛ばす。

 ハルカが低い笑い声を漏らした。すかさずジャックの注目が彼女に移る。


「この状況で笑えるとは。そちらの男性と違い、ほんとうに大した度胸ですね。もっとも、それで誤魔化せると思っているのであれば、愚かという他にありませんが」

「ハッ、笑えるな。この世で自分だけが絶対的に正しいと信じてるみてぇだ。その認識がどれだけ間違ってるかも知らずにな。まったく、幸せな奴だぜ」

「そのような稚拙な挑発にのるとでも? 諦めなさい。支配地域を奪還して英雄にでもなるつもりだったのでしょうが……断言しましょう。君達では無理です。

 ――さぁ、観念したら全員でてきなさい。おとなしく投降すれば、その勇気に免じて悪いようにはしません」


 拡声器を口元にあてて、ジャックは教会に勧告する。

 反応は返ってこない。当たり前だ。教会内にはもう、返事ができる者は誰も残っていないのだから。

 察しの悪い敵の男を見て、ハルカは不快そうに眉間に皺を作った。


「だから誰もいねぇっていってんだろ。人の話聞いてんのか?」

「馬鹿もほどほどにしてください。タイプⅣの反応がこの教会で途絶えたから、我々は駆けつけたのですよ? アレを破壊したことは敵ながら見事と称賛しましょう。ですが、あなた方が生え抜きの精鋭部隊であろうと、ふたりだけで壊すのは不可能と断言できます。ざっと見積もっても、かく乱に三人、攻撃に二人。最低でも五人は必要でしょう。そんな浅はかな嘘など通用しません」

「浅はかなのはどっちだ? 破壊に五人? じゃあその古い知識を更新しないとな。ああそれと、ふたりってのが誤りなのは事実だぜ。オレ一人で壊したからな」

「お話になりませんね。教会にいる味方を逃がすための時間稼ぎですか? 投降する意思がないのであれば、これ以上の問答は無意味ですね」


 漆黒の軍服に身を包む敵兵士が片腕をあげると、指示に応じて敵兵士の背後で待機していたタイプⅠが一斉に前進した。

 三角錐形の機械は横三列に整然と隊列を組み、頭部の銃口をハルカとシュウに向けた。


「けっ、最初からそうすりゃあいいんだよ」


 十二の銃口を突きつけられて戦慄くシュウの隣で、ハルカは怯むどころか満足そうな笑みを浮かべる。その横顔を目の当たりにして、シュウは自分が生き延びるには彼女に賭けるしかないと理解する。


「姉ちゃ――プラネトリア、この状況をどうするつもり?」

「その名で呼ぶな。さっきもいったが、それはオレがお前を〝人間〟って呼ぶのと一緒だぜ? この肉体はハルカ=カジと名付けられてんだ。『姉ちゃん』が嫌ならせめてそれにしろ」

「それだって同じじゃないか」

「あァ……? 文句垂れてんじゃねぇぞ! いいからお前はオレをハルカと呼びゃあいいんだよッ! 確認は取らねぇッ! こいつは命令だッ!」


 抗議に憤怒を返すと、ハルカは閉口したシュウから目を逸らして敵の戦闘AI集団を見回した。

 左から右へ。右から左へ。視線の往復が終わると、彼女はため息をついた。

 ハルカは握っていた長槍を手放した。瞬間、掌を離れた槍は霧と化して空気に溶ける。彼女に縋っていたシュウは、予想外の行動に目を見開いた。


「ちょ、ちょっとっ! 好きなだけ豪語して諦めるのかよっ!」

「うっせえな……」


 苛立ちを声にして、戦う意志を放棄したとしか思えないハルカはシュウに近寄った。

 彼女の意図がわからず、なんとなく背筋に悪寒がはしり一歩後ずさる。

 だが、できない。背後は教会の外壁で、それ以上はさがれない。

 構わず彼女は歩みを続ける。手が届く距離になっても立ち止まらず、相手に息が吹きかかる至近距離でようやく止まった。

 彼女はシュウに右手を差し出した。


「お前の武器を貸せ。こいつの服からは武器の類が全部抜かれてるからな」

「はっ……? えっ……?」

「いいから寄越せッ!」


 語気を強くされて、シュウの心は震え上がった。温厚だった姉も、その気になれば結構な迫力を出せるポテンシャルがあったのだ。吊り上った眉が怒りの度合いを示している。その剣幕に、逆らう意思は完全に抑圧された。

 いわれるがまま肩からスナイパーライフルをおろして、両手で持ってハルカに手渡そうとする。


「それじゃねぇッ! そいつはお前が使うんだよッ! お前だって兵士だろうがッ!」

「ひぇっ……! じゃ、じゃあ、いったい……?」

「腰のホルスターに収まってる拳銃に決まってんだろッ! あとナイフも寄越せ! この状況のお前には必要ねぇだろ?」

「拳銃とナイフ……? そんなの、なにに……?」

「口答えすんじゃねぇッ! いいからさっさと渡すんだよ! 渡したら壁を盾にして援護しろ。一体か二体くらいはお前でも倒せんだろ?」

「そ、それくらいできるよっ!」


 肯定を強制する圧力に、急ぎホルスターから拳銃を抜き取って手渡す。右手で受け取った彼女は次いで左手を差し出した。シュウはホルダーごとナイフを取り外し、彼女の手に要求された品を納める。

 ハルカは拳銃を顔の前まで持ち上げ、まじまじと提供された武器を観察した。


「|M9-AD1(エムナイン)、アスタリア軍に支給されてる対|戦闘AI(ディスペア)用ハンドガンのなかでも最も古い型か。まぁタイプⅠなら直撃させりゃあ問題ねぇだろうが、狙撃手にこんな粗末なサブウェポンが支給されてるとはお前の姉も知らなかったみたいだぜ?」

「う、うるさいっ! 姉ちゃんの記憶を勝手に覗くな!」

「急に威勢がよくなったな。結構だ。さがってライフルを構えろ」


 拳銃をおろして、ハルカは待ち構える敵の大軍を見据える。

 淡い色の短髪、所々に血痕と焼け跡の残る白い軍服の女性は歩き出す。

 今頃になって、シュウは彼女が自分の武器を借用した理由を察した。

 その“粗末な武器”で戦うつもりなのだ。ありえない判断だが、彼の姉の身体を動かしているのは常識で量れる存在ではない。

 推察が真実であれば、次の瞬間にも戦闘の火蓋が切って落とされる。

 呆然としている場合ではない。命じられたように、シュウは崩壊した教会の入口からなかに戻り、残骸の山にスナイパーライフルの銃身をのせた。

 向けた銃口の先から、機械を率いる男の声が聞こえた。


「拳銃と短剣に、援護射撃ですか。てっきり先ほどから握っていた槍のような武器を使うのかと思いましたが、違ったようですね。急に消えましたが、光学迷彩ですか? ――いえ、答えずとも結構です。秘匿したければご自由に。それが死因になっても知りませんが」

「そんなにアレの威力を拝みたけりゃあ、お前の後ろにいる戦力の百倍は連れてくるんだな」

「愚かしくてかける言葉も出ません。本気で戦うつもりですか?」

「くどい」


 ナイフを握る左手の親指と人差し指で右手に持つ拳銃のスライドを引き、弾丸を装填する。カチャリという装弾の音が、妙に大きく響いた。

 整列したタイプⅠの銃口は依然として彼女を捉えている。

 相変わらず敢然とした佇まいのまま、ハルカはナイフを口元に運び、刃を収めるホルダーを軽く噛んだ。咥えたホルダーを吐き捨てて、逆手で柄を握り直す。


「こねぇならオレから行くぜ? アレを使わないでやるんだ。慈悲をかけられた意味をよく考えろ」


 大軍と対峙する彼女の背中を、シュウはスコープ越しに見守る。レンズを介していても、ハルカの絶対的な存在感は凄まじかった。

 不思議なことに、勝ち目のない戦力差であるにも関わらず、彼女が敗れるとは微塵も思えなかった。


「――全開でいくぜ」

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