第3話
「これでわかったかよ。お前が恐れてるこんな兵器より、オレのほうがずっと強い」
駆動音が消えて静まり返った教会に、ハルカの声はよく響いた。
音もなく戦車の装甲から長槍を引き抜くと、彼女は軽やかに車体の頂上から跳び降りた。
ハルカの握っていた長槍が空気に溶けるように霧散した。目を疑う光景だったが、当人に驚いたそぶりはない。暢気に両肩をぐるぐると回したり、腰を左右に捻ったり、ストレッチ運動みたいなことをしている。
「悪くねぇ身体だな。よく鍛えられてる。女だから腕力はしかたねぇが、その分柔軟性に秀でてる。どうせ戦いの基本は武器を使った戦闘だ。徒手空拳を余儀なくされても、関節技中心で戦えば問題ねぇか」
ストレッチの次はジャンプしたりタックルの練習をしたり、格闘術のシミュレーションを始めた。雑音のない教会に、彼女がステップを踏む音だけが響く。シュウは伏せた体勢から起き上がれないまま、彼女の動向を観察していた。
運動を一時停止したハルカが、床に伏せたままのシュウを不審そうに見た。
「で、お前いつまでそうしてるつもりだ? そんなにここの床が好きか?」
「あぁ、いや……そんなわけじゃ、ない」
馬鹿な質問に真面目に答えて、両手をつき、両膝をつき、順番に足をあげて、両腕で身体を押し上げるようにして立ちあがる。
手首の感触を確かめている彼女に、シュウは念のため尋ねた。
「その後ろの戦車、本当に止まったの?」
「頭が回ってねぇみたいだな。こいつが生きてる状態で、オレが武器をしまうと思うか?」
「そう、か……。でも、いったいどうやって……?」
「それが最初の質問か?」
つまらなそうにいって、ハルカは損壊している木製の椅子に腰かけた。両手を背もたれの後ろにまわして、両足を前の椅子にのせて組む。気品のあったシュウの姉は絶対にしない粗暴な座り方だった。
深々と座るハルカの横に立ち、今度はシュウが彼女を見下ろした。首を斜めに持ち上げた彼女は「あァ?」と威嚇する声をあげ、彼の気弱そうな顔を睨む。
シュウは怯まず、鋭い視線を真正面から見つめ返した。
「いまのは二つ目だよ。まだ最初の質問に答えてもらってない。お前は何者だ。どうして姉ちゃんの声で喋る。どうやって姉ちゃんの身体を動かしてるんだ」
「最初とかいいながら三つあんのかよ。生憎と全部に答えてる時間はたぶんねぇぜ? とりあえず一つに絞っとけ」
「時間って何のことだよ。答えられないなら素直にそういったら?」
「はァ? ……鼻につく野郎だな。お前兵士だろ? ここで敵と遭遇した意味がわかんねぇか?」
怒りを通り越して呆れている様子で、ハルカはがっくりと頭を垂れた。
明らかに見下したいい方に頭の奥が熱くなりかけたが、彼女のいった意味に見当がつき、シュウの憤怒は急激に冷めた。
「そうか……タイプⅣがいたってことは、他にも敵の兵器が街に潜んでて、僕達の居場所に気づいてるかもしれないってことか」
「その『タイプⅣ』ってのが、あの戦車の名前か」
「知らないの? ウェステリア軍の戦闘AIは、現在までに四種類確認されてる。そのなかでも最も強力なのがタイプⅣ――重戦車型の兵器だ。まだ量産体制が整ってないらしく見かける数は少ないけど、地上の敵のなかでは一番厄介な敵だよ」
シュウの説明を聞きながら、ハルカは自分の額に人差し指を立てていた。
「……ほぉう。この鼻持ちならねぇ戦闘AIを創った敵国がウェステリア、オレの誕生したこの地がレングラードっていうのか。……なるほど。この女の記憶にある情報とも一致する。身体が馴染んで記憶も覗けるようになったみてぇだ。礼をいうぜ、シュウ」
「僕の名前……」
「んだよ。この身体の持ち主はお前をそう呼んでたんだろ? 何か文句あんのか?」
見た目も声も彼の姉と同じだが、彼女は姉ではない。いわば初対面の人物で、気安く名前を呼ばれたことに違和感を覚えた――――わけではなかった。
姉と同じ声色で、姉と同じように自分の名前を呼ばれたから怯んだのだ。
彼女は姉ではない。胸の内でそういい聞かせ、シュウは困惑を払うためにかぶりを振った。
「いや、なんでもない。それより答えてよ。姉ちゃんは生きてるの?」
「その質問にはさっき答えただろ」
「でも、姉ちゃんの身体は無事みたいだし……」
「これはオレが操ってるだけだ。人形を糸で操る芸があんだろ? アレと似たようなもんだ。人形自体が生きてるわけじゃねぇ。説明しなくとも、お前が一番わかってるんじゃねぇか? 自分の姉がどうなったか、なんていうのはよ」
「でも……」
姉の顔をした人物に姉の死を肯定されると、認識が曖昧になってしまう。彼女のいうように、本当はわかっている。だが、目の前にある説明不可能な現実がシュウを惑わせる。ハルカが次に「実はお前の姉は生き返った」なんて台詞をいうんじゃないかと期待せずにはいられない。
もちろん在り得ないことだ。確かめる行為すら恥ずかしく、結果的に返答する声が弱々しい音になってしまった。
だが可能性はゼロではない。シュウはそう信じていた。
死んだはずの姉が動いているのは、常識の外側に位置する事実だ。得体が知れなくとも、叶うはずのない願いが叶うならばそれでいい。たとえ自分の命を代わりに差し出すことが条件でも、シュウは姉の蘇生を望むつもりだ。
穴の空いた軍服に身を包むハルカが、飛び跳ねるように椅子から立った。
ややシュウより低い位置から、彼女は瞳に凛々しい輝きを帯びてシュウを見つめる。手を伸ばせば互いの頬に触れられる距離だ。彼女の肌に触れれば、体温で生死を確信できるかもしれない。
きつく結ばれていたハルカの唇が、わずかに開いた。
「触れ」
「え……いや、何を?」
「オレの胸だよ。それでお前の悩みは解決する。わかったらさっさと済ませろ」
いったい何をいっているのか、と思いながらシュウの耳は瞬間的に燃えるような熱を帯びた。
自覚する興奮をやましい反応ではないと否定して、呼吸を止めることで動揺を隠そうとする。それで体温がさらに上昇していることに、緊張した本人は気づかない。
岩のように硬直したシュウの手が引っ張られた。掴んだのはハルカだ。何をさせるつもりだと疑っているうちに、彼の掌は女性らしく膨らむ胸元に無理矢理押し付けられた。
乾いた血痕が生々しく残る軍服の上から、官能的なやわらかさを感じ取る。
「おい、誰が揉めといった。くすぐってぇな。殺すぞ」
「そんな、揉んでなんか……っ! 触れっていったのはそっちだろっ!」
「だから触れっていっただろうがッ! ここだ、ここ」
じっとりと侮蔑する眼光を送ったあと、ハルカは掴んでいる彼の手を横にずらして、胸の中央に強く押し当てた。シュウの心境は掌に残る感触に荒波を打つばかりで、とてもではないが彼女が伝えようとしていることに頭が回らない。
掌に伝わるやわらかさの奥に、ふと違和感を覚えた。
急激に脈拍が下がる。脳から熱が引いて、シュウは冷静にその事実を反芻した。
「心臓が、動いてない」
思わず心の声が漏れた。
突き飛ばすように、乱暴に手が剥がされる。気が抜けて足元に力が入っていなかったシュウの身体が、重心を崩して二歩、三歩と後ずさった。
「これでわかったか。この身体は死んでんだ。魂の拠り所としての価値はない。だが、肌が色を取り戻しつつことからわかるように、血液は問題なく全身を巡ってる。心臓という装置じゃなく、別の方法でな」
「……ありえない。心臓が止まっても生きてるなんて」
「だから生きちゃいねぇよ。何度も同じこといわせんな。お前の姉は、もうこの世界にはいねえんだよ。それは弔ってやろうとしてたお前が一番よく知ってるだろ」
「だけど……じゃあ姉ちゃんの身体を動かすお前は何なんだ」
「お前達人間よりも上位に位置する存在――言葉にするなら、この惑星の意志ってところだ」
まったく予期しなかった答えに、シュウの理解は追いつかない。どう反応すべきかもわからず、眉間に皺を寄せて難しそうな顔を浮かべた。
「わかりやすい奴だな。だが筋が通ってるだろ? 死んだはずの姉の身体が動くのも、何もねぇとこから武器を取り出すのも、お前達の常識には存在しねぇ概念だ。それを実現させてるオレが、お前の常識が通用しない存在だってのは自然な流れだろ?」
教会内を歩きまわっていたハルカは、割れたステンドグラスの前で足を止めた。
「お前達にとって、オレは気の遠くなるほど不可解な存在だろうな。だが端的にいえばオレとお前達は大差ない同列の存在なんだぜ? オレもお前も同じ惑星から生まれた。お前達が人間と呼ばれるように、オレ達惑星の意志はプラネトリアと名付けられた。突き詰めれば、違うのは呼び方、呼ばれた方くらいなもんさ」
「プラネトリア……それが君の名前か」
掠れた小さな声がハルカに届くと、彼女は鋭い光を宿した横目をシュウに向けた。
「いっておくが、お前のいうそれは人間全員を『人間』と呼ぶようなもんだぜ? 個々に付けられた記号を無視してな」
「じゃあ僕は君を何と呼べばいいんだよ」
「別に、いままでと同じように呼べばいいさ。お前がどう解釈してるのかは知ったことじゃないが、名前は魂ではなく肉体に付けられるものだ。これがハルカ=カジと名付けられた肉体なら、中身が替わったからといって呼び名を変えるのは不自然だろ。この街はレングラードって名前だが、街から住民がいなくなってもお前はここをレングラードと呼ぶだろ? それと同じさ。だからオレの呼び方は『姉ちゃん』のままで構わないぜ」
「そんなの僕が耐えられるわけないだろ! お前と姉ちゃんじゃ、逆さまにしたって結びつかないほどかけ離れてる!」
名前に関する話はわからないでもなかったが、最後の一言はシュウにとって受け入れられる内容ではなかった。
声を荒げて抗議すると、彼女は微かに険しい感情を表に出した。
「怒ったの? ……で、でも、全部本当でしょ?」
「いや、そうじゃねぇ」
シュウのほうではなく崩壊した教会の入口に目をやって、彼女の唇が動いた。
「時間切れだ。次の獲物がきたぜ」
タイプⅣの砲撃で破壊された入口には、扉の壁の残骸が積み重なり瓦礫の山ができている。外の様子など見えないはずだが、ハルカは瓦礫の一点に意識を集中していた。
障害物の向こうから、その音は聞こえてきた。
「教会に立てこもっているアスタリア軍の諸君、私はウェステリア軍戦闘AI技官のジャック=ウィスプランドゥと申します。まずは諸君らの勇気に敵ながら敬意を表しましょう。我が軍の支配するこの地に少数で乗り込むとは驚嘆しました。そのうえ駆逐に向かわせた戦闘AI・タイプⅣを完全停止させるとは。我々は諸君らの底力を甘くみていたようです。この場で失礼をお詫びいたします。――以後は、手抜かりなく諸君らの相手を務めましょう」
拡声器を通したノイズ混じりの声が教会内に反響する。声色には、不利な状況に立たされている相手への俯瞰した態度が色濃く含まれていた。
建物外からの勧告が終わらないうちに、ハルカは瓦礫で埋もれた入口にゆっくりと歩き始めた。
「ま、まて――」
彼女を制止しようとする声は、瞳に映った光景に圧倒されて途切れる。
肩と平行に伸ばしたハルカの右手に、どこからともなく発生した七色の光の帯が渦を巻いて収束した。折り重なった光は一層鮮烈な輝きを放ち、静まるとタイプⅣを玩具のように解体した長槍が握られていた。
穂先の意味不明な文字は、まだ光っていない。
「シュウ。“コレ”が何か、知ってるか?」
身長ほどもある長い武器を肩に担ぎ、振り返らぬまま彼女は問う。
「|神話の長槍(グングニル)とかいってたけど……でも、空想上の武器でしょ? そんな偽物で何ができるんだよ」
「わからねぇならオレの行動に口を出すな。どうせまた勝てねぇと思ってんだろ?」
「それは……だって……」
「いいか。よく覚えとけ。これは〝敵対存在〟を滅ぼす武器だ。相手が単体だろうが複数だろうが関係ねぇ。強大であればわからんが、この惑星において惑星自身ともいえるオレより強い奴はいない。格上への対処なんざ考えるだけ時間の無駄だ。
この惑星では創世から那由他の争いが繁栄のために繰り返されてきた。なかでも最初の争いの折、惑星はとある存在に神槍を貸し与え、最古の争いの戦端はその神槍によって開かれた。結果は語るまでもねぇよな。お前の生きるこの時代にも、神話として語り継がれてるはずだ」
入口の前に積みあがった瓦礫を前に、ハルカは歩行速度を落とさず長槍を肩から下ろした。
穂先の文字を微弱に輝かせ、彼女は長槍を右から左へ扇ぐようにして薙いだ。
たったそれだけで、瓦礫の山は突風に吹かれるがごとく消し飛んだ。
排除された障害物の奥に、拡声器で呼びかけてきた敵の集団が見えた。
「この話を聞いても怖いならそこでおとなしくしてろ。できることがあると思うなら好きにしろ」
ハルカは再び長槍を肩に担ぎ、構わずに敵の待つ場所へと歩みを再開した。
「僕に、できること……」
敵と遭ったら命を諦めるしかないと考えていたシュウにとって、勝てるはずのない相手へ立ち向かう覚悟を決めるのは容易ではなかった。
ハルカは一人でも戦うつもりだ。シュウが戦う必要はない。告げられたように、物陰から見ているだけでも構わない。そうしたところで、ハルカはきっと何も思わない。
期待されていないなら、失望されることもないのだから。
「……そうじゃない」
否定して、自分が軍人に志願した理由を思い出した。
自分の姉は、何を守ろうとしていたか。
自分は、何を守ろうとしていたか。
それを簡単に諦めようとした。大層な覚悟は口先だけで、結局守られる存在という立場に甘んじて、守る存在になる決意がまったく足りていなかった。
どうしようもなく情けなかった。これでは故郷に連れ帰り、デイジーの花で弔ったところで姉が安らかに眠れるはずがない。
姉を安心させるには、変わらなければならない。
目指すべきは――考えるまでもない。
そんなもの、ずっと目の前にあったのだから。
「いくぞ……っ! 姉ちゃんのようになるんだ……っ!」
シュウは教会の装弾済みのスナイパーライフルを担ぎ、離れていく“姉”の影を追いかけた。
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