第2話

 不揃いな後ろ髪。足元に散った淡い色の毛髪。

 印象的な美しい長髪が失われてなお、その容姿は人の目を惹きつける魅力に溢れている。乱雑に切られた短髪は凛々しい印象を強め、より兵士らしい外見を持ち主に与えた。

 それはシュウの姉の姿をしていたが、その事実がシュウの姉であることの否定だった。

 死んだはずの姉との再会。

 説明不可能な現象に直面した衝撃に、脳幹はしばらく活動を停止した。


 我に返って亡骸の納まっていた棺に目をやると、デイジーに埋もれていたはずの魂の抜け殻が無くなっていた。代わりに、白い花の絨毯に人型の窪みができている。

 シュウは教会の椅子に立てかけてあったスナイパーライフルを手に取った。

 銃身と銃杷を合わせると自分の身長ほどもあるライフルを構える。訓練で反復練習したように素早く小指と薬指でコッキングレバーを引き、弾倉から弾丸を装填した。至近距離であるためスコープは覗かず、目視にて標的を捉え、銃口の高さを調整する。

 標的は、片眉をあげて不機嫌そうにシュウを見た。


「どこ狙ってんだ。オレはお前の敵じゃねぇ。お前の敵は戦闘AI(あっち)だろうが」


 彼女は怒りをはらむ声でいって、背後の戦車を顎で示した。

 シュウの知っている声だった。


「うるさいッ! 姉ちゃんの声で喋るなッ!」

「あァ……? チッ……めんどくせぇ。オレだって好きでこんな声出してんじゃねぇんだよ」

「どういうことだッ! お前が姉ちゃんの身体を動かしてるんだろッ!」

「それがどうしたよ。突然でわりぃが、お前の姉の身体を貸してもらうことにしたのさ。つーか、んな細けぇ話をしてられる状況じゃねぇだろ!」

「黙れッ! ちゃんと説明しろッ! 本当に撃つぞッ!」

「チッ、うるせぇな……。こんなことなら助けなきゃ良かったぜ」


 脅しても、生前のハルカとは正反対の男っぽい乱暴な口調で悪態をつくばかり。彼女の口元は忌々しげに歪んでいる。

 不意に、ハルカの背後で息を潜めていた砲塔が微かに動いた。

 戦車はすぐそばにいるハルカに照準を合わせた。

 短い前髪を鷲掴みながら己の判断を悔やんでいる彼女に、死角の危険に気づいた様子はない。


「お、おいッ! 後ろ――ッ」


 警告は、遅すぎた。

 呼びかけた声の後半は、大気を震わせる轟音に掻き消える。

 火薬の炸裂する衝撃に、粉塵が床から舞い上がる。弾着とともに古びた教会は震撼した。建物が倒壊しても不思議ではないほどの衝撃だ。

 戦車の砲弾が破壊したのは、ハルカの身体ではなかった。

 砲弾が射出される直前、ハルカは敵に背を向けたまま長槍を後方に振り払い、自らを狙う砲塔を叩いた。

 信じられないことに、たったそれだけで戦車の砲塔は方向転換を余儀なくされた。


 教会の入口に位置する巨大な両開きの扉が、跡形もなく崩壊していた。ハルカは開閉の概念を奪われた入口を無表情で見て、次に唖然として佇むシュウに横目を向けた。


「殺そうとしたり救おうとしたり忙しい奴だな。まぁいい。お前は黙ってそこで見てろ」


 彼女は振り返り、ずらされた砲塔の向きを修正している戦車と対峙する。


「こんな歪なもん創りやがって……。これはこの惑星には必要ねぇものだ。文句があるなら創造主に伝えろ。どうせ、そういった機能も備えてんだろ?」


 感情を持ち合わせない機械にそう語りかける。

 無論反応はない。|戦闘AI(ディスペア)は戦争に勝つための兵器でしかないのだ。兵器に言葉など不要だろう。ゆえに、ハルカの期待する機能は備わっているはずもない。


 戦車に動きがあった。車体後方に設置された二挺の機関銃が向きを変え、双方の銃口が同一の標的に照準を合わせた。緩慢と方向修正していた主砲の砲塔もまた、一足遅れて再び標的を捉える。


「ハッ、気に食わねぇか! だったらちょうどいいぜ。お互いサマだからなァッ!」


 高らかに笑い、ハルカは謎の長槍を両手に持ち直す。

 叫び声に含まれているのは、苛立ちよりも歓喜が大きい。まるで戦闘AIと戦える瞬間を待ち焦がれていたかのようだ。

 長槍の穂先に見たことのない文字が浮き上がり、眩く白色に輝いた。


「こいつは、かつてこの惑星で|神話の長槍(グングニル)と呼ばれていたものだ。見せてやるぜ。神話の力をよォ……ッ!」


 ハルカが駆け出すと同時、戦車の機関銃が火を噴いた。

 一分間で約九百発。狙った獲物は原形を留めないほど粉々に溶かす威力の銃撃は、回避はいうまでもなく、余程堅牢な盾でなければ防ぐことも叶わない。

 そんな途方もない火力を、彼女は防いでいた。

 器用に長槍を左右に振り回し、迫る弾丸を悉く視界の外側に弾く。

 絶えず飛来する鋼鉄の雨を抜け、ハルカは戦車の側面に滑り込んだ。

 長槍の閃光が片側の履帯に奔った。

 駆けながら振り抜いた長槍は、重厚な装甲を裂いたにしてはあまりにも滑らかな軌道を描いた。傍目では空振りしたように見えていたことだろう。事実、傍観していたシュウは一瞬そう思った。


 勘違いだった。片側の履帯が失われ、車体はバランスを崩して傾いた。

 すかさずハルカは戦車の頂上へ駆けのぼる。二挺の機関銃は脅威の接近を拒み迎撃を試みるが、初弾を射撃するより先に彼女の長槍に切断された。機関銃は鉄の塊と化して、鋼鉄の車体を叩きながら床へと転がり落ちる。

 最後の兵装である主砲が、死角に入った標的を捕捉できず右往左往していた。ハルカが容赦なく長槍で根元を振りぬくと、太く長い六十口径の砲身が輪切りにされて落下した。重い衝撃音が教会内に反響する。じんわりと広がった音が、徐々に空気に溶けていった。


 主砲も機関銃も失ったが、戦車にはまだ攻撃手段が残っていた。

 索敵カメラ付近のランプが、不気味に赤く点灯している。動力が完全に停止していない証拠だ。

 機械の状態を示すランプは、悠長に車体の頂上に立ったままのハルカの死角にある。

 自分の身が危険に晒されているというのに、気の抜けた顔で彼女はシュウを見下ろした。


「すげー顔してるぜ、お前。そんなにオレの強さに驚いたかよ?」

「ち、違うッ! はやく離れろっ! そいつから離れるんだよっ!」

「なんだそりゃ。どうやら、まだ何もわかっちゃいねぇみたいだな」

「わかってないのはそっちだろっ! そいつ自爆するぞッ!」


 全ての戦闘AIには自爆装置が搭載されている。弾切れ、バッテリー切れ、半壊した際などに、最後の足掻きとして周囲を道連れにしようとするのだ。

 とりわけ戦車タイプには車体のサイズに見合った火薬が詰まれている。この教会程度なら丸ごと消し飛ばせる火力だ。


 シュウは必死に状況を理解させようとしたが、ハルカは依然として足を動かそうとしない。死が確約されているような状況にも関わらず、唇には余裕を浮かべている。

 右手に握る長槍の先端では、変わらず謎の文字が光り輝いていた。


「知ってるさ。だからいってんだよ。お前は何もわかってねぇなって」


 車体の頂上に佇む彼女が、長槍を頭上に掲げた。

 戦車のランプが点灯から点滅に変化した。自爆秒読みを示す状態だ。

 あと数秒の猶予しかなく、それは猶予と呼ぶには短すぎる。

 シュウは姉の身体がどうやって乗っ取られたかを知らない。今後知る機会も永遠に失われる。姉の身体は原形を留めず爆風に焼かれる運命で、それを防ぐのは不可能だ。

 せめて自分だけでも生き延びようと、シュウは咄嗟に身を伏せた。伏せながら、顔を横にしてハルカの様子をうかがった。

 彼女は、手にした長槍を戦車の頂点に突き立てていた。下手な刺激によって自爆を誘発するんじゃないかと思い、心臓が止まりかけた。


 だが、またもや終わりは訪れなかった。

 瞼を閉ざしていた力を抜いて、瞳を開く。

 赤色に点滅していたはずの状態ランプは、完全に色を失っている。

 何十人がかりでなければ動きを止めることすら無謀と評された悪魔の兵器が、たった一人によって完全に無力化されていた。

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