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のーが
第1話
青年は静かな故郷の教会で一人、死体を納めた棺に祈りを捧げていた。
死体は一つではなかった。教会の至るところに、凄惨な姿に成り果てた人間の抜け殻が転がっている。青年には見覚えのある顔も多い。
薄い木の板を組み合わせただけの安価な棺。青年が持ち込んだその棺の底には、“平和”の花言葉を持つデイジーが敷き詰められている。花のベッドに横たわる死体は、両手を合わせて眠るように瞼を閉じていた。
敷き詰めた花も、青年が自らの手で摘んだ。青年と同じ故郷に住んでいた故人は、故郷の地に咲くデイジーが大好きだった。
その死体は、青年が一昨日まで「姉」と呼んだモノだった。
青年の名はシュウ=カジ。シュウは戦死した姉のハルカの遺体を軍から盗み、所属する部隊の拠点を無断で抜け出して、生まれ育った故郷に帰ってきた。戦時下ではあるが、姉が集団土葬なんていう雑な手段で葬られるのは耐えられなかった。
シュウは姉に憧れの感情を抱いていた。
それは彼に限った話ではない。恵まれた美しい容姿を持ち、誰にでも優しく、運動神経が優れて腕が立ち、恐怖に立ち竦まない勇気を抱く……勉学の成績はいまいちだったが、その一点に目を瞑れるだけの魅力と能力があった。
ハルカ=カジとは、そういった誰もが憧れて当然の絵に描いたような超人だった。
彼女の遺体は、教会に転がるモノと比べて損傷が少なかった。異性からだけでなく同姓からも人気のあった淡い色の長髪は、生命が朽ちてなおも艶やかだ。首から上だけを見れば、いつ瞼が開いても不思議ではない。
だが、一点が赤黒く染まっている彼女の軍服を見れば、そんな奇跡が起きないことくらい誰の目にも明らかだった。
軍服を貫いた傷跡。掠っただけであれば軽傷で済んだのに、当たり所が悪かった。
傷は上半身の中心――たった一発の被弾なのに、それが即死だったであろうことは嫌でも想像できてしまった。
運が悪かった。他人からすれば、それだけのこと。
こんな理不尽があるのだから、神様などいるはずもない。
空想の存在に数え切れないほどの侮辱を繰り返しながらも、故郷に着いたシュウは迷わず教会に向かった。
――現世で救えなかったんだから、せめて天国で手厚くもてなせよ。
それが実在しない信仰対象に対する、最後の願いであり命令でもあった。
物言わなくなった姉に、相談するような口調でシュウは語りかけた。
「姉ちゃん……僕は、どうすればいいんだろう」
医者であったシュウの両親は、開戦直後に派遣された街で戦死した。
シュウにとって、姉は残された唯一の家族だった。
その姉も殉職して、目の前の棺で眠っている。
動かなくなった唇を眺めていると、シュウが姉を追って兵士に志願した際に、彼女がかけてくれた声が聞こえた気がした。
『無理に戦わなくていいんだよ。シュウは私が守るから』
本音をいえば、兵士になんてなりたくなかった。だけど両親も姉も身を捧げて人を守ろうとしていたから、自分だけが安全な場所で隠れることに耐えられなかった。
覚悟なんて微塵もなかった。たぶんそのことを看破したから、姉は血の繋がる弟に気遣う言葉をかけたのだ。
そして、それがシュウの戦う理由になった。
姉が守ってくれるなら、姉を守るのは自分の役目。独りでは無理かもしれないが、少しでも力になりたいと考えるようになった。
「でも、無理だった」
守りたかった最後の家族は、手の届かなかった戦地で帰らぬ人となった。
この戦争にも、もはや勝ち目はない。自国の軍隊に、あとどれほど勝利を諦めていない兵士が残っているだろう。敵国との戦力差は歴然で、国は降伏寸前なのだ。
突如、深閑としていた教会が轟音に震えた。
音はシュウの斜め後方から響いた。反射的に振り返ると、教会の壁面の一部が崩れていた。
壁を破壊したのは、敵軍の戦車だった。敵軍の開発した|戦闘AI(ディスペア)が制御する最新鋭の無人兵器のなかでも、火力面は最も優れているタイプだ。
それは機械ゆえ、情けも容赦もない。敵対存在を発見しだい、標的速やかに排除するプログラムに従い忠実に働く。躊躇いはなく、引き金の重さ理解できるわけもない。
戦車の中腹で蠢いていたカメラが、シュウを捉えて停止した。
レンズのそばで点灯している小さなランプが、黄色から赤色に変化する。
標的を捉えた際の反応だ。
戦車は履帯を停めたまま、砲塔だけを動かす。
激しい駆動音を立てつつ悠長に向きを変え、砲塔が停止する。
直撃すれば胴体が消し飛ぶ砲弾の発射口が、シュウの真正面で口を開けた。
――逃げないと、死ぬ。
一秒の猶予すらない。即座に右か左に跳ばなければ、ここで命が終わる。
仮に上半身が消し飛ばされるとして、それはどれほどの苦痛だろう?
骨折の何倍くらいの痛みだろう?
ナイフで刺される何倍?
銃で撃たれる何倍?
そのいずれもシュウは経験したことがない。
砲弾の直撃の痛みを推測できるだけの材料を持ち合わせていない彼だが、受ければ二度と動けなくなるであろうことは想像に易い。
しかし、それでもシュウの足は動かなかった。
痛みも苦しみも、いずれ味わうことは避けられない。
順番が来たのだ。命を奪われる順番が。
でも、ちょうどいい。やれるだけのことはやった。
ここには尊敬する姉がいて、故郷で共に過ごした仲間もいる。その辺で野垂れ死ぬよりは、寂しさは幾分紛れるだろう。どの道生きる理由はなく、勝ち目のない戦争なら未来にも期待できない。
――そうか。ここに来たのは、僕自身が望んだからか。
敵軍の手に落ちた故郷に戻ってきたのは、姉のためではなかった。
自分の死地を探していたのだ。そうして、ここへ辿り着いた。
静かに、シュウは開いていた瞼を閉じた。
訪れる終焉に耳を澄まして、ただ終わりが告げられるのを待った。
間もなく砲撃音がシュウの鼓膜を揺らした。
彼にとって、それが人生で最後に聴く音となった。
……そのはずだったが、いつまで経っても終わりは訪れなかった。
自分が死んでいるのか生きているのか判然としない状態で、シュウは恐る恐る瞼を開いた。
彼の瞳に、信じられない光景が映った。
風になびく梳られた美しい髪。心臓部分に穴が穿たれた白い軍服。地に刺さっているようにぴんと伸びた背中。右手にだけ、見覚えのない長い槍。
辺りに舞う粉塵の中心で、その人物は勇ましく立っていた。
とても理解が追いつかない。必死に声を絞り出そうとしても、喉の手前で掠れてしまう。
現れた人物は、不意にシュウのいる背後へ振り向いた。
「鬱陶しいな、これ」
そう呟くなり、長槍を短く握り直して穂先を後頭部に近づけた。
あいている左手で綺麗な長髪を束ね、穂先の刃を首筋と髪の間に差し込む。
逡巡もなく、彼女は一息に穂先を振り払った。
開かれた左手の掌から、断髪された長い毛髪がさらさらと舞い落ちる。
「ねえ……ちゃん……?」
無意識のうちに、シュウの唇が当惑を音にした。
今度こそ彼の声が聞こえたらしく、唐突に断髪した人物が初めてシュウに目を合わせた。
「オレは、お前の姉じゃない。そう見えるだろうがな」
姉と同じ姿をした人物は、姉の見せたのことない冷たい瞳でそう答えた。
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