第22話
午前最後の授業が終わると、俺は教室に弁当を置いたまま、廊下に出て急いで二年生の教室がある校舎に移動した。
河合さんに、昨日勝手に交わした約束の件を伝えるためだ。
彼女の所属するクラスは、昨夜の帰り道で亜里沙から教えてもらった。下級生で溢れる廊下を内心緊張を抱えながら歩いて、聞いていた教室に到達した。
開いていた扉の隙間から室内をのぞいて左右に視線を巡らせると、女友達と思しき生徒と談笑している河合さんの後ろ姿を発見した。
――さて、どう声をかけようか……。
会いにきた彼女を見つけたのはいいが、彼女は俺に背を向けていて、視線を飛ばしても勘づいてくれる気配はない。大声で呼ぶのも恥ずかしければ、無断で下級生のクラスに足を踏み入れるのも気が引けた。
どうにもできず、彼女に振り返ってくれるようテレパシーを送るがごとく、じろじろと廊下から凝視をする羽目になっている。これでは余計に怪しまれそうだと自覚したとき、手近な席に座っていた男子生徒が俺のほうに近寄ってきた。
「誰か探してんすか?」
「ああ、うん。あそこにいる河合理恵さんに用があってね。悪いけど呼んでくれるかな?」
「あー。いいすけど、ひょっとして告白すか?」
「告白? いや、そうじゃなくて、単に用事があるだけだけど」
「あー、そうなんすか。珍しいっすね。俺、こんな席にいるから、河合に告白にくる奴を相手することが多いんすよ。受付係かよってくらいに」
「彼女、そんなにモテるのか」
「そっすね。まー、彼氏の三人か四人くらいはいるんじゃないすか? 本人は彼氏いないっていってますけど、俺は騙されないっすよ。なんせ、告白にくる連中も整った顔の奴ばかりっすからね。おっと、初対面なのに愚痴をこぼしちゃってすんません。いま呼んできますんで」
流暢に喋る男子生徒は、気後れすることなく河合さんを含む女子の輪に入っていった。彼に教えられて、河合さんと俺は視線を重ねる。
彼女は友人に断りをいれると、廊下まで出てきてくれた。
「佐藤先輩どしたん? 昼休みにあたしの教室まできて」
「高橋くんの件で、急ぎ伝えておきたいことができてね」
「裕樹の? ――まって。ちょっと移動しよ」
幼馴染の名前が出て目を丸くすると、河合さんは廊下の突き当たりまで歩いていった。
追随した俺に身体を向けると、彼女は先を促した。
「裕樹と話せたってことね。好きな人がいるのか聞けた?」
「はぐらかされた。あたりまえだけど、俺と高橋くんは初対面だったから、かなり警戒されてしまってね」
「そりゃそーかー……無理いってごめんね、先輩」
がっくりとうなだれる河合さんに、俺は例の約束について切り出した。
「代わりに、勝手ながら裕樹くんの気持ちを引き摺りだすための約束をさせてもらったよ」
「約束? 約束って?」
「二日後の木曜日に校舎裏に彼女を呼び出すから、伝えたいことがあるなら会いに行けっていっておいた。来なければ、彼女はいま告白を受けている男と付き合うともね」
「うわ~……それマジぃ? 佐藤先輩、優しそうなのに意外と強引だなぁ」
「驚かれるだけで、嫌な顔されなくて安心したよ。正確にいえば、約束をしたのは俺じゃなくて、俺を協力者呼ばわりしてる奇人なんだけど」
「あの先輩かー。見た目どおり変わってんねぇ」
「どうする? 無理そうなら今日のうちに高橋くんに取り消しの連絡をしとくけど」
「なにいってんの先輩。これでいいよ。というより、これがいいって感じ? これで、長年引き摺ってきた問題にやっと決着がつけれる。裕樹が何を話してくれるか。それ以前に来てくれるか。それで、彼の考えていることが、全部はっきりするんだもんね」
年上を気遣う愛想笑いでなければ、明朗で無邪気な微笑みでもなく、河合さんは中途半端に笑った。
二日後にどのような結末を迎えるか、その未来に期待しつつも、不安も感じずにはいられないように見える。
下級生のクラスでもとりわけ目を惹く容姿の彼女に、俺はどうしても納得のできないことを、この機会に尋ねてみた。
「野暮なこと訊くけど、どうして高橋くんなの? 単に幼馴染ってだけで、疎遠になってからも一途に想えるなんて、相当だよね?」
「あたしだって、幼馴染でまともに付き合ってるのは裕樹くらいだって。みんな自分に合う友達みつけたり、違う高校に入学したりして、それっきり。あたしにとって、裕樹が特別ってだけ」
「……許婚、とか?」
「ぷぷっ、いまどき許婚って。そんな親の都合なんかで他人を好きになるわけないって!」
「馬鹿にするなよ。じゃあなんなんだ? なんで彼にこだわる?」
「いやあ、それをいうのはハズいなー。まあでも、先輩には親身になって協力してもらってるわけだし……絶対に、笑わないでくれる?」
「人を好きになる理由に、笑えるようなものがあるとは思えないけどな」
――その逆は、あるのかもしれないが。
本気で誰かを好きになる感覚を知らぬまま育っておきながら、俺には自分が誰も好きになれなかった理由を説明することができない。他ならぬ自分自身のことなのに。
それに比べれば、根拠を言語化できる彼女の好意は、どのような内容であれども立派だと思う。
耳たぶをほんのり赤らめた河合さんは、しかし俺の返事を聞くと、きょとんと呆気にとられた顔になり、俺の瞳を凝視してきた。
怪訝に思って見つめ返すと、彼女はどういうわけか、重量感のあるため息をついた。
「はぁ~~。そんなかっこいい台詞を平然といえる先輩相手に、『ハズい』とかいうべきじゃなかったわ~~」
「人が真剣に答えてやったのに、また馬鹿にするのか?」
「ちがうちがう。馬鹿なのはあたしだったってわけ。んじゃ、さっさと教えちゃうけど、裕樹が特別っていうのは、一番仲の良かった小学生の頃に裕樹が誓ってくれたから。『ずっと一緒にいよう』ってね」
「……普通に告白だな。それをいったのが小学生だと考えると、恋人同士でいたいって意味とも限らない気もするけど」
「だからあたしは馬鹿なんだって。裕樹の言葉を、何年経っても告白だと信じてるんだもんね」
それが幼い頃に交わした約束だから。まるで創作物の世界での恋愛だ。非情な現実で、そのような甘い幻想が許されるとは思えない。
だが、幻想を抱く少女は、理想を形にするための努力を惜しんでいない。きっと周囲の誘惑に耐え忍んで、何年も待ち続けてきたのだろう。
あとは、相手しだい。
相思相愛であるならば、もはやそれは幻想なんていう大層なものじゃなく、普遍的な恋愛だ。叶わない道理なんて、どこにもありはしない。
〝叶わないはずの恋愛〟を結ぶことを目的として活動する俺と亜里沙にとってみれば、それは求めているものではないのだが、
もしかすると〝叶わないはずの恋愛〟自体、この世界のどこにも存在しないのかもしれない。
クラスの女友達に名前を呼ばれて教室に戻る河合さんを見送りながら、俺は未来に希望的な想像を馳せていた。
*
次の日の昼休み、先に亜里沙が教室を出ていくのを待って、彼女と昼食を摂るために適当な間を置いてから席を立った。
今日の話題は、明日に控えた河合さんと高橋くんの件になるだろう。校舎裏を指定したのだから、充のときのように屋上から見下ろす方法にするのだろうか。亜里沙は突飛で無茶な案を提示してくることも多いので、そうなったら説得して、堅実な計画を採用させたいものだ。
受験勉強そっちのけで、俺は亜里沙との付き合い方ばかり考えるようになっていた。
振り返ってみると、自分がいかに狂ったことを思案していたか自覚して内心で苦笑してしまう。
けれども、この状況を楽しんでいる自分もいるので、一概に亜里沙のせいともいえない。それがまた、些細な自嘲を誘った。
「――先輩、ちょっといいすか」
廊下に出て初めの角を曲がろうとしたところで、急に声をかけられた。
男の声だ。聞き覚えはあるが、記憶にある顔とはなかなか結びつかない。最近耳にしたような気もするが、俺を『先輩』なんて呼ぶような知り合いが、二年生の河合さん以外にいただろうか。
刹那の間に自身の記憶の真偽さえ疑った。答えを求めるように声が聞こえた方角に身体を捻ってみると、
ばつが悪そうな顔をした、河合さんの幼馴染である高橋裕樹が俺の前に立っていた。
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