第21話

 河合さんの複雑な人間関係を知った夜、部活動を終えて清々しい顔つきで下校する生徒たちを眺めながら、俺は校門の近くに立っていた。

 目的は、高橋くんに会うためだ。

 校門から離れた位置にある街灯の明かりが薄い場所には、例の奇抜なファッションをした亜里沙が待機していた。高橋くんの所属する卓球部の活動が終わるまでには時間があったので、俺も亜里沙も一度帰宅したのだが、学生服のまま戻ってきた俺に対して、彼女は着替えてきた。『学生服に日傘は目立つから』という理由だそうだが、太陽が沈んでいる時間に日傘を差す矛盾は気にしないらしい。

 亜里沙が職質されないか心配だったが、演技派の彼女ならば警察相手でも切り抜けられるだろう。仮に捕まったとしても、高橋くんから話を聞くのは俺一人で充分だ。

 下校する学生たちから視線をかき集める相棒のことは忘れて、俺は校内から出てくる生徒たちの顔をぼんやりと眺める。

 やがて、数時間前に顔を確認した目当ての人物が、騒ぎながら出てきた大人数グループの一歩後ろで、無感動な瞳を虚空に据えて、機械のごとくペースの均一な歩行で校門をくぐった。

 実際に声をかける段階になってわずかに怖気づいたが、過去に何度も似たような経験をこなしてきた記憶を信じて、過度に警戒されないよう下校する生徒に混じって俺は標的に接触した。

 一心不乱に歩く高橋くんの隣に並び、トントンと肩を二度つつく。

 びくっと驚いて背筋をのばした彼が、俺のほうを向いた。


「……だれ?」

「高橋裕樹くんで合ってるよね? 俺は三年の佐藤っていうんだけど、ちょっと高橋くんに尋ねたいことがあって、部活が終わるのを待ってたんだよ」

「三年の先輩がおれになんの用すか? 全然見当つかないんすけど……」

「そりゃあそうだろうね。実は、俺が高橋くんに声をかけたのは、その、きみのプライベートに関わることを知りたくてね」

「……? なんすか、それ。なんで先輩が初対面のおれに興味あるんすか?」


 気味の悪いものでも見るような歪んだ眼光を向けられる。

 当然の反応だ。いまのは訊き方が賢くなかった。

 依頼主の河合さんから直接咎められているわけじゃないが、高橋くんに想いを寄せている人がいるのかを訊くにあたり、彼女の名前を出すのはよろしくない。なので彼女からの頼みである事実を伏せて質問したのだが、どうにも訊き方がマズかった。

 どう弁明すべきか急速に頭を回転させて思案していると、不意に高橋くんの訝しい視線が俺から逸れた。

 彼の注目が、道路脇にある民家と俺の隙間に注がれる。

 つい数瞬前までは誰もいなかったその空間に、闇に溶ける漆黒のドレスを着こなし、黒い日傘で顔の口元以外を隠した女性が立っていた。


「こんばんわ、高橋くん」

「……今度はなに? 先輩の知り合いすか?」

「ええ。こっちの男はわたくしの協力者。この男が貴方に近づいたのは、他ならぬわたくしの指示よ。ウフフ、突然の無礼を許してちょうだい」


 完全に変なスイッチが入っている。河合さんは奇抜なファッションで現れた亜里沙を即座に受け入れたが、高橋くんは時間の経過に比例して警戒色を強めている。それがまともな反応だ。俺が彼の立場にあっても、きっと同じようにゴスロリの亜里沙に目を細めていただろう。

 怪しい女の出現に気圧されて、しばし黙り込んでいた高橋くんが唇を舐める。


「つまり、おれのプライベートに興味があるのはあんたすか。意味不明なんすけど、なにを知りたいんすか?」

「簡単な話ですわ。貴方、好きな人はいらっしゃいますの?」


 本当につまらないことを訊くように、亜里沙は変哲のない口調でいった。

 おそらく何を訊かれたのか理解が追いついていない高橋くんは、一瞬だけ呆然とした表情になってから、より険しい目つきになって亜里沙を見据える。


「イミフなんすけど。そんなこと聞いて、あんたにどんな意味があるんすか?」

「わたくし、昔から貴方を見ておりましたの。貴方と、貴方の幼馴染――河合理恵さんをね」

「おれと、理恵を……?」

「ええ、そう。幼かった頃は、ふたりは早ければ中学生で恋人に昇華するかと思いましたのに、わたくしの目には、成長するにつれて距離が離れていくように感じられましたわ。特に、貴方の心が、彼女から遠ざかっているように。それは、他に好きな人ができたからではありませんの?」


 冷静に捲し立てる亜里沙に、高橋くんは憤然と眉間に皺を寄せた。


「なんでおれと理恵の関係を知ってんすかッ!」

「ウフフ、そう熱くならないで。わたくしは他人の恋愛を眺めることが生きがいの悪趣味な女ですの。知っているのは、いうまでもなく陰で見守ってきたからですわ」

「信じられるわけないっすよ! 誰かに頼まれたに決まってる!」

「仮にそうだとして、貴方が誰を好きなのか聞いて、その『誰か』にいったいどんな利益があるというのですか?」

「そんなの、おれが知るわけないでしょッ!」

「そうですか。意地でも答える気はないのですね。誰に好意を寄せているのかを」

「そんなに気になるなら勝手に調べりゃいいっすよッ!」


 激情をはらませた声色で会話を終わらせて、高橋くんは踵を返そうとする。

 実際の背丈以上に小さく見える背中に、俺は声をかけて呼び止めた。

 

「河合理恵さんは、彼氏を作ろうか迷ってるらしい」


 俺の一言が耳に届いて、体内の時間が停止したように高橋くんは動きを止めた。

 振り返って肩越しに向けられた瞳は、直前までの憤怒ではなく、弱々しい不安で頼りない色に揺れている。

 やや可哀想とも思ったが、彼の斜に構えた態度を崩すために、俺は厳しい言葉をかける決意を固めた。


「幼馴染のきみにはどう映ってるか知らないけど、河合理恵さんほどの女子を周りが放っておくわけがない。彼女を好きだったのは昔の話というなら、気にすることもないだろうけどね。彼女の恋人になりたい男子なんて、俺たちの学校だけでも腐るほどいるはずだ。だけど、きみがまだ彼女を好きでいるなら、いますぐにでも行動を起こさないと奪われるぞ?」

「……そんなわけない。理恵が、おれ以外に男を作るなんて……」

「その口ぶりだと、きみは彼女がいまでも好きみたいだな。彼女のほうは、きみが自分をいまも好きでいるとは思ってないみたいだけど。好きだっていうなら、彼女と向き合って素直に気持ちを伝えるべきじゃないのか?」

「おれに告白しろっていうんすか!? 無理だ。学校のなかじゃ、いい場所もないし」


 場所なんて些末なことに拘るあたり、吐露した言葉は口先だけで、実行に移す気はさらさらないようだ。本気ならば、校舎裏でも放課後の特別教室でも、いまのような下校時の通学路でも、どこでだって告白できるはずだ。

 河合さんの心が離れようしている事実は疑っていないくせに、告白しなければ彼女との関係が終わってしまう現実は認めたくない。そういった情けない姿勢が、高橋くんの態度からありありと溢れていた。

 その女々しい反応を見かねたように、亜里沙が一歩、彼に近づいた。


「場所がないというなら、わたくしが用意いたします。そうですね、それでは、三日後の放課後に、河合理恵さんを一番奥の校舎の裏手に連れていきましょう。貴方が彼女を奪われたくないと思うなら、そこで彼女に気持ちを伝えなさい」

「な、なんすかそれッ! 一方的すぎるっすよね?」

「行くも行かないも貴方の自由です。わたくしの用件は以上ですので、これで失礼いたします」


 冷徹に締め括り、亜里沙は高橋くんとの距離をあけていく。何かをいいたげだが声には出さない彼を一瞥して、俺も彼に背を向けて亜里沙の隣に並んだ。

 背後から誰かが追ってくる気配は、まったく感じられなかった。


「修平、今日は珍しく強気だったね」


 依然として口元以外を無駄に装飾された傘で隠している亜里沙が、いつもの口調になって楽しそうな声をかけてきた。


「ちょっと頭にきたからな。あんな魅力のないガキくさい奴が、河合さんみたいなかわいい女子に好かれてるんだぞ? 世の中間違ってる」

「彼女はきみの告白を待ってるって、そう率直に教えてあげればよかったのに」

「そこまでお膳立てしてやる義理はないだろ。充や立石と違って、そもそもあいつは恋愛と真剣に向き合う姿勢が見受けられなかったしな。大切なことを見落としてる事実に気づけないなら、彼に河合さんのような魅力的な人と付き合う資格なんてない。俺はそう思うね」

「私たち、いちおう恋愛を叶えることを目的にしてるはずなんだけどなー?」

「別に、手を貸す必要なんてない。だいたい、助け舟を出さなかったのは亜里沙も同じだろ?」

「たぶん、私も修平と同じことを考えていたからね」


 浮世離れした服装の亜里沙は、すれ違う部活終わりの学生たちから奇異なものを見る視線を集めながら、注目を意に介さず悪戯っぽく口角をあげた。

 亜里沙は俺以外には見えない角度で日傘を目元まであげると、


「魅力的な河合ちゃんが何年も好きでいる彼が、このまま指を咥えていられるわけないもんね」


 爛々とした瞳を湛えて、俺が期待していることを的確にいい当てた。

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