第20話
手伝うといっても、俺は河合さんが好意を寄せている男子生徒の顔すら知らない。接近するにしても、まずは顔と名前を一致させておく必要があった。
休み明けの月曜日の授業後に一年生の通用口に来れば、河合さんが幼馴染の顔を教えてくれるらしい。写真でも構わなかったが、直接会えるならばそれに越したことはない。
当日の放課後、指示に従って俺は一年生の通用口に外をまわって移動した。
到着すると、そこで河合さんが待っていた。通用口から出てくる後輩たちを離れた位置から眺めていた彼女は、俺に気づくと強張っていた頬をいくらか弛緩させた。
「あ、佐藤先輩。おつかれー」
「敬称とタメ口ってすごい違和感あるな」
「そぉ? やっぱ敬語使ったほうがいい?」
「いや、そのままでいいよ。後輩と対等な立場で喋るっていうのに、俺が慣れてないだけだから。その様子だと、高橋くんはまだ来てないみたいだな」
「まだだね。裕樹も部活あるから、教室でのんびり過ごせる余裕はないと思うんだけど」
「高橋くんは何部なの?」
「卓球だよ。まー、この学校卓球あんまり強くないから、贔屓目に見ても実力は大したことないんだけどね。ちなみにあたしはテニス部。いちおー、団体戦でスタメン常連なんだからね!」
「テニス部だったのか。俺もテニスやってたよ。実力は、夏の大会前に引退してる時点で察してほしいけど」
「あー……男子強い人多いし、部員もコートの少なさの割りに多いし、しょうがないね」
下級生から同情されるのは少々苦い思いがしたが、地方の個人戦で一回戦、せいぜい二回戦を突破する程度の実力であったことが記録として残っているので、否定はできなかった。
自分のテニスの弱さはどうでもいい。もう引退したのだから。
そういえば二年生のときに、一年生の後輩から『かわいくてテニスのうまい女子がいる』と聞いたような、聞かなかったような覚えがある。当時から実力不足で万年二軍として落ちこぼれ気味だった俺は、テニスがうまい女子と聞いても食指が動かず右から左へ聞き流していたが、あれは河合さんのことをいっていたのかもしれない。
「――あ、裕樹。佐藤先輩、あたしいってくるね」
「あ、お、おう」
つい物思い耽っていた意識が、彼女の声で現実に引き戻される。
河合さんは通用口から出てきたばかりの男子生徒――女子である河合さんと身長が同等で、まだまだ中学生の幼さが残る童顔の男子に駆け寄って、朗々と声をかけた。
「裕樹、これから部活?」
「……っ!」
待ち伏せていた河合さんに声をかけられると、それまで無表情だった高橋くんが目を見張った。
「そうだけど……なにか用?」
「用ってわけじゃないけど、たまには裕樹と喋りたくてさ」
「ふぅん……でも、おれは喋ることないから。じゃ、部活いくから」
「あ、ちょっと裕樹――!」
河合さんの制止も聞かず、高橋くんは通用口を抜けて校舎の陰に消えてしまった。彼の背中を追った彼女の顔に、寂しげな影がさす。
傍から見た限り、単なる幼馴染同士の会話とは思えなかった。しかし高橋くんが河合さんに対して悪い印象を持っているようにも見えない。口ぶりから推察すると興味が失せているようにも感じられるが、初めの驚愕した反応から察するに、それも間違っている気がする。
落胆した河合さんが、眉尻と両肩を落として戻ってきた。
そのとき、いつの間にか彼女の後ろにいた人物の姿を見て、思わず声をあげそうになった。
他人との間にフィルターを張っているように、何人も寄せ付けない雰囲気をまとった三つ編みおさげの女子生徒――一年生専用の通用口にいるはずのない亜里沙が、携帯電話をいじるフリをして河合さんの背後に立っていた。
下級生相手ならば多少は手伝えるといっていたが、あれは変装なしで対象者に近づくことが可能という意味だったらしい。河合さんにバレれるんじゃないかと危惧したが、校内で上級生を見かけただけでは、忘れるほど記憶に残ることもないだろう。
亜里沙に合わせていた焦点を河合さんに移す。残念そうな顔つきのまま、彼女は丸々とした瞳で俺を見据えた。
「見てた? いつもあんな感じなんだよねー。治るどころか、高校はいってから以前にも増してよそよそしくなってる気がするくらいでさ」
「とりあえず、小学校から付き合いのある奴の反応じゃないな。彼に、なにかしたんじゃないのか?」
「それが、心当たりがまったくなくてさー……」
考え込むように首を傾げる河合さんの横を、一人の女子生徒が横切った。
女子生徒は携帯電話に夢中になって歩きながら、俺たちのそばで足を止める。
――なんて大胆な奴だ。
身分を隠して接触した人物の目の前で、平然と佇んでいる。バレるはずがないのだが、杞憂であったとしても、俺は河合さんが彼女の正体を看破するんじゃないかと心配せずにはいられない。万が一にも彼女が手紙を出した人物だと知られれば、強烈な印象が河合さんの脳内に芽生える以前まで時間を巻き戻る羽目になる。
そうなれば、また面倒な目に遭うのは火を見るよりも明らかだ。
「どしたの? 佐藤先輩、キョロキョロしすぎじゃない?」
「あー、一年生の校舎にくるのは久々だから、懐かしいなって思ってね」
「まだ卒業もしてないのに懐かしく思ってんの? 愛着すごいなー。佐藤先輩、卒業式で号泣するタイプ?」
「感慨深くはなるけど、泣いたりはしないな」
「あたしも似たような感じ。学校出ても仲いい友達とは会うんだし、そんなもんだよねー」
わずかにうろたえつつ、無事にごまかすことに成功した。言葉に詰まりかけたときには背後から刺すような視線を感じて背筋が寒くなったが、俺は演技派である彼女とは違う。彼女ならば勘づかれるような事態にはならなかっただろうが、巻き込まれただけの俺に高等な技術を求めないでほしいものだ。
一年下の後輩と他愛ない会話をしていると、校舎のそばで俺たちのほうを凝視している生徒に目がついた。俺の相棒のことではない。
立石には及ばないが、見るからに異性から好まれそうな容姿が優れた男子生徒だ。心なしか、彼は俺を睨んでいるように感じる。記憶を探ってみても、俺はあのような男と会話した覚えはなかった。
俺の視線の変化に気づいたのか、河合さんが同じ方角に首をまわした。俺に牙を剥いている男を見つけると、彼女は苦虫を噛んだような表情をみせた。
挑むように敢然と、男子生徒がこちらに歩み寄ってくる。
「理恵ちゃん。返事はまだ?」
「焦りすぎ。まだ待ってっていったじゃん」
「またそれ? もう二週間だよ?」
「ごめん。でも、もうちょっと待ってよ。お願いだからさ」
期限の延期を懇願された男が、じろりと俺を睨んでくる。変な誤解を招かないよう胸の前で否定のジェスチャーをすると、男の注目は河合さんに逸れた。
男は渋面を浮かべて納得していない心中を前面に表していたが、
「……わかった。理恵ちゃんの返事、待ってるから」
余計なことはいわず、短くそう言い残して男子生徒は振り返り、部活に向かう一年生で溢れる通用口から離れていった。
「いまのは誰だ?」
いきなり河合さんに迫ってきた男が見えなくなってから、俺は彼女に問い質す。彼女は困ったような苦笑を浮かべた。
「一番最近に、あたしに告白してきた同級生。彼が告白したから、次はあたしが返事をする番なんだけど、答えを待ってもらっててさ」
「断ればいいんじゃないのか? これまでだって何回も告白されて、断ってきたんじゃないの? それとも、さっきの男は特別なのか?」
「全然、ってゆーほどじゃないけど、付き合いたいとまでは思わないなー」
「なら、どうして?」
釈然としない理由を追求すると、彼女は答えるべきか迷うように閉口した。
しかしすぐに迷いを払い、彼女は口をひらいた。
「もしも裕樹に好きな女の子がいたら、試しに彼と付き合ってみようと思ってるわけ」
彼女は感情の読めない声色で、そう打ち明けた。
望むものを妥協して諦める覚悟。それを語る彼女の様子は、俺のクラスにいる寡黙な女子とよく似ていた。
呆気にとられて沈黙している俺に、河合さんは固かった頬を軟化させた。
「てゆーかさ、たった二週間で文句をいうのはないよねー!」
作り笑いを浮かべて、普段のように明朗に振舞おうとした彼女だったが、
「……こっちは小学校のときから、何年も我慢してるのに」
間近にいる俺の耳にかろうじて届く小声で愚痴をこぼした瞬間だけは、綺麗な二つの瞳が透明な輝きに潤んでいた。
その悲痛な姿をみて、直接伝えることはしなかったが、俺は静かに誓った。
彼女が亜里沙のように諦めてしまう前に、彼女の恋愛を叶えてみせると。
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