第19話

 土曜日の二〇時頃、俺たちは学校の最寄駅で合流して、亜里沙に相談を持ちかけてきた人物との待ち合わせ場所に向かった。相談者との合流場所は学校の校門だが、今日は生徒として訪れるわけでもないので俺も亜里沙も私服を着ている。人と会うので俺なりにかっこ悪くない服装を吟味して選んだのだが、亜里沙は俺の服装について特にコメントしなかった。徒労になったのは残念だが、文句をつけられないだけマシかもしれない。

 休日に学校に来るのはさほど珍しいことじゃない。部活に勤しんでいた頃には、休日にも部員全員で学校へ来ては熱心に練習に励んでいた。引退からは二ヶ月も経っていないが、生徒の姿が見えない通学路を歩いていると当時の風景や自分が何を思っていたかが自然と蘇り、二度と戻ってこない時間に懐かしさと、小さな寂しさを感じた。

 通学路に林立する住宅から明かりが漏れている。路傍にも多くの電灯があり、俺たち以外に歩道を歩いている人影はないが、車道では頻繁に自動車が行き交っていた。

 住宅地帯を抜けると、歩道の脇にある塀が古びたフェンスに変わった。学校の敷地を囲う侵入者防止の境界だ。網目状の壁面は視線の先まで続いている。

 敷地の外周に沿うようにして歩いていくと、壁面が煉瓦に変わり、頑丈な鉄製の門が見えた。職員室に明かりが灯っているが、校門は閉ざされている。

 門のそばの街灯の下に、学校の指定制服を着た少女が立っていた。


「ごめんなさい。待たせちゃったかしら?」

「あ、え――?」

「貴女が二年生の河合理恵さんね」

「そうだけど……」


 妙に芝居がかった口調の亜里沙に声をかけられて、何かを思案するように俯いていた少女が顔をあげた。

 河合さんは下級生だが亜里沙よりも身長が高かった。運動部なのか身体も引き締まっていて、それでいて女性としての成長も著しいモデルのような体型をしている。顔も端正で、両肩に柔らかそうな髪を垂らした髪型も、同級生の男子から絶大な人気を博しているであろうことは想像に易い。

 亜里沙を視界に収めた彼女は、丸々とした綺麗な瞳を大きく見開いたあと、怪訝そうに目を細めた。


「あのぉ……きみがあたしに手紙をくれた人? それとも、そっちの男性?」

「手紙を渡したのはわたくしよ。この男は協力者に過ぎませんわ」

「はぁ。その、気を悪くさせるつもりはないんだけど、あたしの下駄箱に手紙を入れたってことは、きみはこの学校の生徒なんだよね?」

「そうですわよ。ちなみに、この協力者も同様ですわ。わたくしも協力者も、貴女の学年よりは一つ上ですけれどね。どうしてそのようなことを?」

「いや、かなり個性的な格好してるのに、一度も見た記憶がないから……」


 亜里沙の服装をまじまじと眺めて、河合さんは困ったように苦笑を浮かべた。

 自然な反応だ。付き合いの長い俺ですら、さっき駅で合流したときに、河合さんとまったく同じ反応をしたのだから。

 今日の亜里沙は、いわゆるゴスロリファッションを身にまとっていた。夜の闇に溶け込むかのように、足のつま先から頭の天辺に至るまで、黒を基調とした服で全身を染めている。ロングスカートのドレスには過剰なまでにふわふわとした装飾が施されており、陽も出ていないのにさしている日傘にも、同一の意匠があしらってある。

 喋り方も衣装に合わせているらしい。問われた亜里沙は、口元から上を傘で隠した状態で質問に答えた。


「学校では身分を隠して生活しておりますからね。気づかぬのも道理でしょう」

「ああ、そーゆうこと……ですか」

「ウフフ、わたくしたちは先輩ですが、無理に敬語を使う必要はありませんよ。こちらの男にも不要です」

「こいつに許可されるの納得いかないが、俺も敬語は気にしない。喋りやすいように喋ってくれていいよ」

「ありがと。あたし敬語って苦手でさ。距離を感じるじゃん? そんなふうに喋ってちゃ、仲良くなれる人とも仲良くなれないと思うんだよね」

「あら。そうお望みなら、わたくしも敬語をやめたほうがいいかしら?」

「あーいや、先輩はそのままでいいよ。そんな格好で軽い喋り方されると違和感すごいから」


 前々から感じていたが、亜里沙のコミュニケーション能力は尋常じゃない。俺にもそうであったように、初対面の人との間にあるはずの垣根を速攻で取っ払ってしまう。彼女には、人を惹きつける特別な魅力があるのかもしれない。教室では誰からも興味を持たれない姿とは到底結びつかないが。

 警戒心をほぐした河合さんは、ようやく本題を切り出した。


「手紙に書いてくれたことだけどさ、あたしの悩みを解決してくれるって、ホント?」

「送った文面に偽りはありませんわ」

「あたしが何に悩んでるか知ってんの? 誰にも話したことないはずなのに」

「わたくしに知らないことはありませんので。貴女、誰かの告白を待っているのでしょう?」

「――!」


 逡巡もなくあたりまえのように紡がれた回答に、河合さんは亜里沙の奇異な服装を目撃したとき以上に驚愕とした。


「そう驚くことでもないでしょう。貴女ほど麗しい容姿であれば、誰かと付き合っていないほうが不自然だもの。実際、貴女にとって異性からの告白は日常茶飯事なようですし。ですが、どれだけ素敵な人から気持ちを伝えられても、貴女は一向に首を縦に振らない。わたくしが調べた限りでは、恋人の関係にある相手はいないはずなのに。そんな状況を説明するには、貴女自身が特定の異性に好意を寄せている可能性が最も濃厚でしょう?」


 冷静に淡々と補足の解説が述べられる。

 亜里沙の話を愕然とした様子で聞いていた河合さんは、彼女が喋り終わると乾いた笑いをもらした。


「……マジでなんでも知ってるんだ。もしかして、相手のことも?」

「一年生の高橋裕樹くんでしょう?」


 ――下級生?


 あまりに意外だった。同級生の告白を断ってまで一途に想っている相手が、同じ学校に入って間もない一年生の男子とは想像が及ばなかった。

 亜里沙の回答はまたも正確だったようで、意中の人物まで知られていると理解した河合さんは、恥ずかしそうに頬を染めた。


「ただの後輩ってわけじゃないんだ。裕樹とは小中と一緒でね。家も近かったから、昔はよく遊んだ仲なんだ。幼馴染ってやつ? 会ったばかりの先輩たちにぶっちゃけるのはハズいけど、あたしはずっと昔から裕樹が好きだった。でもさ、遊んでたのは小学生までで、あたしが中学にあがった頃から段々とそっけなくなってね。裕樹もあたしに気があるんだって信じてたんだけど、あたしの勘違いだったみたい」

「その年代になると、女子と遊ぶことを恥ずかしく思う男子も多いでしょう。本人に事実を確かめたりはしましたの?」

「したよ。それがきっかけで関係が壊れるかもって怖かったけど、頑張って訊いてみた。だけど裕樹は否定も肯定もしなかった。適当にあしらわれて、それからは訊いてない。幸い、拒絶まではされてないから、微妙な距離感の関係が何年も続いてるって感じ。裕樹が同じ高校を選んでくれたのは嬉しかったけど、彼の態度は中学の頃から全然変わらない」

「芳しくない状態ですわね。貴女からはっきりと好意を伝えたことはありますの?」

「無理だって。まったく気がないように振舞ってる相手に告白なんて、しても無駄に決まってるし」

「彼の態度が変われば、気持ちを伝えられますの?」

「するよ。それを手伝ってほしくて、先輩の手紙に返事したんだしね」


 きっぱりと断言する河合さんに、亜里沙は傘の下で口を真一文字に結ぶ。

 数年にわたり想い続けてきた河合さんの恋情は、生半可なものではなかった。意中の相手に気持ちを伝える準備も、とうの昔に整っているらしい。あとはタイミングを待つばかりなのだが、いくら待っても絶好の機会は訪れず、藁にも縋る思いで亜里沙を頼ることにしたのだろう。

 傘に隠れる亜里沙を見つめて、河合さんは返答をジッと待つ。俺もまた返事を亜里沙に委ねて、彼女が言葉を紡ぐのを見守った。

 しばしの静寂を経て、彼女は鷹揚と薄い色の唇を開いた。


「承知しました。もとより、そのつもりで手紙を出したのですからね」

「ホントっ!? でもさ、どうすれば裕樹が振り向いてくれるのか、あたしには全然わかんないよ」

「その点は心配無用ですわ。わたくしに妙案がありますので」

「先輩が裕樹に話をつけてくれるとか?」

「そうですわね。もっとも、わたくしは先に述べたとおり、諸々の事情から校内では身分を隠さなくてはなりません。ですので――」


 ――まぁ予想はしていたけど、やっぱりそうなるのか。


 今回に関しては気楽な傍観者の立場でいられるのかと期待したが、学校で亜里沙が本性を隠しており、なおかつ接触する人物が同じ学校の生徒である以上、過去の件と同様にこういう展開になることは目に見えていた。

 亜里沙は傘の奥の唇に喜悦を浮かべて、

 

「わたくしの協力者が、事態を解決に導きましょう。こちらにいる〝佐藤先輩〟が」

 

 遠慮もなく、自分で引き受けた役割を俺に押しつけた。

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