第17話

「中学校にあがるまではね、あんな恋愛がしたいとか、こんな恋愛がしたいとか、クラスの誰々が好きだとか、あの芸能人と付き合いたいだとか、そういう恋愛に関する話題を毎日飽きもせず、繰り返すように友達と話してた。あの頃はまだ自分に特別な能力があるなんて知らなくって、友達もたくさんいたし、教室でも人気者とまではいかなかったけど、普通にクラスメイトと話してた」


 茜色に沈みゆく放課後の校舎。二人の秘密の場所となった屋上で、俺を連れ出した亜里沙は淡々と喋りだした。

 彼女は感情を押し殺すように表情を硬直させており、その言葉の背景に宿る想いを推し量ることはできない。

 俺を見据える亜里沙の眉が、困ったように八の字に歪む。


「私がクラスで誰かと会話したり、友達がいたなんていわれても、修平には信じられないだろうね」

「……孤立するようになったのは、タイムリープ能力の発現と関係があるのか?」

「急かさないで。修平が気になってること、ちゃんと全部話すから」


 そもそもなぜ、亜里沙は時間を巻き戻すことができるのか。

 技術力が革新的に進化している現代においても、タイムリープ能力は依然として空想上の概念でしかない。それなのに、そのありえない事象を、亜里沙は意のままに自由自在に行使することができる。

 どうして、彼女は時間を操れるようになったのか。真相を知りたくて催促する俺に、亜里沙は諦めたような弱々しい苦笑を浮かべた。

 遠くから運動部の練習風景を想起させる音が聞こえる。様々な騒音が耳に届いていたが、しかし一つとして脳に達することはない。必要のない音の全てを意識から遮断して、俺はただ、正面にいるクラスメイトが声をだしてくれるのを静かに待つ。

 黙したまま顔を背けている彼女が、小さく口を開いた。


「夢を見てたの。漫画で描かれたドラマチックな恋愛の夢。かっこいい男子と運命的な出会いをして、学校行事とか旅行とか、色んな出来事を経験して距離が縮まって、相手のことが好きで好きでどうしようもなくなって、勇気を出して告白したら、実は相手も自分のことが気になっていて、両想いの二人は笑い合って恋人になる。そんな三流の恋愛漫画みたいな青臭い恋を私もしてみたいって、純粋にそう願ってたの。夢のような恋愛に憧れて、小学生の頃は夢中になってたくさん漫画を読んでたなぁ」

「実際に誰かを好きになったりしなかったのか?」

「ならなかった。ううん、正しくいえば、なれなかった。漫画の読みすぎでこじらせちゃったみたいでね、同年代の異性の言動を幼稚だと感じてしまって、付き合いたいなんて思えなかったの。結局、私の周囲に対する評価は、中学にあがってからも変わらなかった。同じように、胸の奥で燻る恋愛への憧れも衰えたりはしなかった」


 同年齢を異性という理由だけで子供扱いするあたり、たしかに亜里沙は周囲よりも大人びた子供だったのだろう。

 しかしそれだけだ。そんな子供はいくらでもいる。

 つまり、小学生時代については、彼女は平凡に過ごしていたということだ。


「でもね、私の周りの女子たちは違った」


 中学生時代に触れてから声色が曇った彼女の反応から鑑みても、その時代に何かがあったことは想像に易かった。


「小学校では空想の恋愛を語りあってた友達が、恋愛したい相手として身近な男子の名前を出すようになって、現実味のある具体的な恋愛観を話すようになった。そして、ときには聞いてるこっちが恥ずかしくなるような心情を教えてもらったり、真剣に悩む友達の姿をみているうちに、ようやく私も同年代に素敵な男子がいたら付き合いたいと思うようになったの。恋愛への憧れも、どんどん加熱していった」


 紡がれる言葉だけ聞けば明るい話のはずなのに、彼女は声に暗い響きを伴って語る。

 その理由は、すぐにわかってしまった。


「恋愛が決して美しいばかりじゃないと知ったのも、その頃だった。私のクラスメイトが執拗なストーカー行為の被害に遭って、不登校になったの。犯人は同級生の男子で、単純な恋愛感情に起因した行動だったから先生は軽視してたんだけど、被害者の女子は好きでもない異性に監視されたことがトラウマになって転校しちゃってね。その話を知った私は、恋愛への幻想が揺らいだことを一番仲の良かった友達に打ち明けたの。誰かを好きになること、誰かに好かれることを、ちょっとだけ怖く思うようになったって。友達は、私の話を理解してくれなかった。彼女にはもう大好きな男子がいて、完全に恋愛の魔力にとりつかれていたみたい。親友だといってくれた私の意見にも聞く耳をもたずに、恋する相手も自分が好きなのだと根拠もなく決めつけて、彼女は意中の男子に告白した。その彼女が、さっき修平に教えた、自殺した私の親友なの」

「……なにがあったんだ、いったい」

「フられただけだよ。単純にね。そのフられ方が残酷だったってだけで。だけど、酷いフられ方なら修平も経験したでしょ? あれの男バージョンって感じに、私の親友は恋心を拒絶されたの。たったそれだけ。それだけだけど、メンタルが弱い彼女には耐えられないほどにショックは大きくて、翌日から不登校になって、数日後に近所のビルの屋上から飛び降りて亡くなったの。嘘みたいだけど、恋愛をきっかけに彼女は命を断ってしまった。それでようやく私は、彼女が命をかけるほどに恋愛に対して真剣だったのだと知った」


 淡々と述べられる事実はあまりに悲惨で、下手な反応を返すこともできず、閉口するしかなかった。

 一番の友人を失った悲劇が、彼女が孤立するようになった原因だった。


「……二度と悲劇を繰り返さないために、亜里沙は他人の恋愛に干渉するようになったんだな。タイムリープができるようになったのもその頃か?」


 彼女の身近で起きた悲劇から、自分の恋愛をせず、他人の恋愛にばかり興味を持つようになった理由を推察した。


「逆だよ」

「逆……?」


 だが、俺の立てた仮説は違っていた。


「時間を巻き戻す能力があるとを知ったから、周りの恋愛に干渉するようになったんだよ。私が彼女をもっと真剣に説得していれば、彼女は告白しなかった。私が彼女の代わりに相手の男子の本性を調べておけば、彼女は彼を告白するほど好きにならなかった。告白してしまっても、私が彼女を支えれば自殺なんてしなかった。朝起きたときも、学校にいるときも、帰り道を歩いてるときも、お風呂に入ってるときも、ご飯を食べてるときも、寝る前も、ずっとずっと、私はひたすらに後悔したの。そんな日々が何日も続いた果てに、私は願うようになった。彼女が告白する前に戻れたら、絶対に失敗しないのに、ってね。ある日、真っ暗な部屋で布団に潜って、私は思いだした。あの日――自殺した親友が、告白すると私に告げた日の情景を。気づくと私は、脳内で再現した思い出の景色のなかにいた。それが私の初めての時間遡行。そして、タイムリープ能力の発現を自覚した瞬間なの」

「……友人が自殺する前の時間にまで遡ったってことか?」

「そういうこと。タイムリープした事実に気づく前に、彼女に抱きついて泣き喚いたのは、いま思うと少し恥ずかしかったな」

「それで、親友に告白をやめさせるっていうのは……」

「できたよ。私が手を講じる必要はなかったんだけどね。私の親友だけあってタイムリープ前の記憶がぼんやりと残ってたみたいでね。現実に起きたっていうのは信じてくれなかったけど、不安も拭いきれなかったみたいで、すぐに想い人への恋情を捨てたよ。どれだけひどい男が相手でも、一度抱いた恋心は捨てられないって女性がたくさんいるみたいだけど、中学生の未熟な恋愛の軽さに助けられたね」


 初めてのタイムリープ、事象の改変に成功したことを語っている彼女は、それまでの沈鬱な様相より、いくらか頬が綻んでいるようにみえた。それほどに嬉しかったのだろう。大切な友人を取り戻せたことと、友人の命を奪った悲劇を回避できたことが。

 ただ、その悲劇は、本来ならば覆ることはなかった。亜里沙が特異な能力に目覚めなければ、彼女の友人がフられて命を捨てた過去は揺らがなかった。

 亜里沙が恋愛をできなくなったり、人を好きになれなくなったのは、恋愛という行為が、失敗すれば命を奪うほどに残酷な側面を持ち合わせていると知って、恐れているからなのか。

 まだ訊いていない俺の疑問に答えるように、亜里沙は目元を伏せて、寂しげな瞳を虚空にやった。


「立ち直った彼女はすぐに別の男の子を好きになって、今度は無事に結ばれたの。そして、彼氏ができた親友との距離は、自然と遠ざかっていった。でも、それで良かったんだよ。変わり身の早さにはちょっと引いちゃったけど、恋人ができてからの彼女はすごく幸せそうで、私も素敵な恋愛をしてみたいなって、またそう思うようになれたから」


 その話はハッピーエンドのように聞こえるが、

 そうではないことを、俺は知っている。


『私も、恋愛できないから』

『私は、人を好きになれないから』


 かつて彼女が諦めたように吐露した言葉が、誰もが幸福になる結末を迎えた可能性を全面的に否定する。

 それは、つまり――


「……でもね、わかっちゃったの。彼女が自殺するほどの失敗を防げたのは、陰で私が支えていたからで、もしも私が誰かを本気で好きになって、恋をして、勇気を出して告白した相手が醜い姿を隠していたとしたら、誰が私を助けてくれるのか? 誰も救ってなんてくれない。誰も私を救えないんだよ。だって、時間を戻す能力を持ってるのは、たぶん私だけだから」


 タイムリープをしても、自分の記憶は消滅しない。一度起こったことは覆らない。

 当然の道理であるが、常識外れの能力を得てしまったばかりに、彼女は気づいてしまった。


「他の人は失敗しても、私が助けてあげられる。でも、私が失敗しても、それをなかったことにはできない。どれだけ人を好きになっても、心の内側まではのぞけない。好きになった人に裏切られるかもしれない。好きになった人に傷つけられるかもしれない。絶対的に不確かな現実に恐怖して、私は――」


 失敗は許されない。

 常人が歯牙にもかけない残酷な真実を悟り、自分を助けられる人物がどこにもいないと確信して、

 

「素敵な恋愛をしたいって夢を、誰かと恋人になる未来を捨てたの」


 憧れていた恋愛を、彼女は諦めたのだった。

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