第14話
続々と教室からクラスメイトたちが出ていく。充と南さんは二人一緒に。立石は所属するバスケ部の練習に向かうために。亜里沙も流れに身を隠して、いつの間にかいなくなっていた。
俺は教室の隅にある空きスペースに移動した。窓際から校庭を眺めて、零音を待ちながら友人たちのことに想像を巡らせる。
充と南さんはうまくいってるようだ。立石はストーカーに遭っているが、部活の練習に集中できているのだろうか。まさか、零音は俺との約束を忘れて、いつものように立石の練習を見学にいってるんじゃないだろうな?
甚だ疑わしいかったが、存外に早く彼女は俺の教室を訪れた。他クラスにも関わらず、遠慮も躊躇もなく堂々と進入してきて、俺のいる地点まで鷹揚とした足取りで歩いてきた。
「用件とはなんですの? できるだけ手短にお願いいたしますわ」
「来ないんじゃないかと思ってた」
「了承した誓約を無断で反故にするような腐った性根は持ち合わせておりませんので。貴方個人の頼みならば、そもそも受けることもなかったですが」
「本当に立石のことしか眼中にないんだな。だけどまぁ、それもわかる。あいつは魅力のある奴だってのは同姓の俺も認めてるから」
「浩二さまのご友人というだけあって、顔についている眼球は飾りではないようですね」
まるで主人を慕う従者のような発言だ。零音は対等な関係ではなく、立石に奉仕したい願望でもあるのだろうか。
「そういう五十嵐さんも、立石について色々と詳しいみたいだけど?」
「愛していますから」
教室内の空気が凍りついた。室内に残っていたクラスメイトの全員が一様に俺たちのほうを見て目を丸くしている。「出ていってくれ」とジェスチャーすると、全員が廊下に退避した。気を利かせてくれたのだろうが、露骨すぎて嘆息したくもなる。この空気を作った張本人は歯牙にもかけていないようだが。
「……その、五十嵐さんはどうして立石のことを知ったんだ? 前にクラスが同じになったことがあるとか?」
「いいえ。たまたま噂を小耳に挟みましたの。同級生に、頭脳明晰かつ運動神経抜群の容姿端麗なお方がいることを。実際にお姿を拝見して、確信いたしました。このお方こそ、零音がずっと探していた運命の人なのだと」
「一目惚れってこと?」
「そのような浅ましい衝動と同等にされるのは心外ですわ。あの出会いは運命でしたの。浩二さまと零音が結ばれるのは運命で決まっていたこと。あの約束の出会いから、止まっていたふたりの歯車は回り始めたのですわ。浩二さまこそ、零音の恋人にふさわしい世界で唯一の存在ですの」
「だから立石をいつも追いかけてるの?」
「追っているのではなく、待っているんですの。これは運命なのですから、浩二さまもきっといつか気づく日が来る。ですが、零音と浩二さまの運命を捻じ曲げようと企む不貞の輩が現れる危険も潜んでおります。その妨害を防ぐため、浩二さまが不快にならず、助太刀できる距離で見守っておりますの」
「だけど、前にトイレで強引に迫ってたよね?」
「よ、よくご存知ですわね。あの件では失態をさらしましたわ。浩二さまの刺激的なお姿に、理性の抑止力が弱まってしまいまして……」
恥ずかしそうに零音が身体をよじる。あまりにツッコミどころが多すぎるが、指摘しても彼女が理解するとは思えない。彼女と円滑に話を進めるには、細かい点を気にしてはいられなかった。
「話が大幅に脱線しているようですが、結局伝えたいことはなんですの?」
「それだけど、実は、五十嵐さんと話をしたかったのは俺でもないんだ。俺が立石の代理だから、代理の代理が立石について五十嵐さんと話したい人になるかな?」
「それってほとんど無関係の人ではなくて?」
零音が意外にもまともな返しをしたとき、俺が片手に持っていた携帯電話が振動した。液晶画面に目を落として、問題ないことを確認してから通話を繋いだ。即座に相手が喋りだす。
「いける?」
「大丈夫だ。彼女は目の前にいる」
「なら、電話を渡して。スピーカーへの切替を忘れずにね」
指示に従い、俺は音声を切り替えてから、携帯電話を零音に差し出した。零音は携帯電話と俺の顔を交互に見て、訝しげな瞳で警戒する。
「件のお方からの電話ですの? 話すなら面と向かって話しません?」
「それは無理だ。電話をかけてきているのは、ここの生徒じゃなければ学生でもないから」
「学生でない……? 何者なんですの、そのお方」
「それは本人に直接訊いたほうが早いよ」
そういうと、零音は観念したのか、渋々といった様子ながらも俺から電話を受け取った。
――さて、どうなるか。
零音と会話してわかったが、彼女は完全な異常者というわけでもない。盲目的になっている部分は多いが、一方で一線は越えないよう常識を守っている節もある。もっとも、それは立石に対してだけで、他の人物は適用外のようだが。
そしてもうひとつ。
彼女の立石に対する狂気の執念は本物だ。ふわふわとしたメルヘンチックな理由から生じた恋情だが、その強度は鋼の硬さを誇っている。
依然として俺には彼女を説得できる気がしない。亜里沙はどうするつもりなのか。俺も相棒が電話で何を伝えるのか、興味を抱かずにはいられなかった。
「――もしもし、聞こえる?」
「どなた様ですの? 零音に用があると伺いましたが」
「あ、零音ちゃん? どうも~、初めまして~。あたし理紗。職業は、いちおー婦警さんやってるよ。ポリスウーメンってやつぅ?」
「警察? 法に抵触するような悪事を働いた覚えはございませんが」
――どうやら、彼女の六法全書からはストーカーに関する記述が全て抹消されているらしい。
電話の相手が警察だと知り、零音は声に不快感を表した。
立石と喋った際と同様に偽警官を装う亜里沙は、自慢の演技力で零音の機嫌の悪そうな態度にも屈せず、対照的な明るい声色で応じる。
「ちょっとちょっとぉ! 警察だからってそんな警戒しないでよ~。てゆーか、警察名乗ったけど、零音ちゃんに電話したのは警察関係ないからね? あたし個人のお節介みたいな?」
「貴方本当に警官ですの? そのような浮ついた言葉遣いでは、とてもそうは思えませんわ」
「あたしだって、勤務中はかたーい言葉をばんばん使ってるわよ? でもさ~、いまは非番なんだからゆるーく喋ってもいいでしょ~?」
「……貴方が犯罪を取り締まっていると思うと不安で夜も眠れなくなりそうですが、嘘をついているのではなさそうですね」
簡単にだまされた。澄ました顔で答えている姿が少し滑稽だ。
「改めてお尋ねいたしますが、なぜ警察が零音に用があるのですか?」
「修平くんから、最近友達の近くにいつも零音ちゃんがいるって聞いてね。修平くんって女の子の友達いないから、親戚で警察官でお姉さんのあたしに相談してきたのよ。『彼女は何考えてると思う?』って感じにさ。あ、修平くんっていうのは、貴方に電話を貸した男の子のことね」
「たしかに、浩二さまとは天と地、海と空以上の差がありますわね。異性に好かれないのも納得ですわ」
「あんまり辛辣に責めないであげてね。結構打たれ弱いから。泣いちゃうかも」
「もう泣いてるぞ。涙を流してないだけで」
口を挟んで悲しみの心境を訴えたが、二人とも俺のコメントをスルーした。
「話を戻すけど、零音ちゃんは浩二くんのことが好きなのよね?」
「好きではありません。愛しております」
「あら、素敵ね~。告白はしないの?」
「浩二さまのお心が、まだ零音の魅力に気づいておりませんので。気持ちを伝えたところで、現状では迷惑になってしまいますわ」
「それで追い掛け回してるわけね。だけどね、零音ちゃん。警察の知識から考察すると、それだとストーカーと誤解されちゃうかもよ?」
「心外ですわね。零音を犯罪者と同列にしないでくださいます?」
「あたしはストーカーだなんて思ってないわ。零音ちゃんは恋する純真無垢な女の子と思ってるわよ。でも、それを浩二くんにストーカーと勘違いされるのは、やじゃない?」
「無用な心配ですわ。聡明な浩二さまが、零音を犯罪者と思うなんてありえませんもの」
会話を聞けば聞くほどに、零音の難攻不落っぷりが明るみになる。やはり、彼女を改心させるのは無理なのではないか?
俺は諦観していた。受話器から漏れ聞こえていた亜里沙の声も、初めて途切れる。
しばしの静寂が室内を支配する。廊下にいる野次馬たちも、息を呑んで黙って見守っている。
沈黙を破ったのは、それまでのチャラそうな感じではなく、決然とした響きを帯びた亜里沙の声だ。
「……いいわ。本当のことを教えてあげる。それをいうと、零音ちゃんが傷つくだろうから隠してたけど、零音ちゃんが本気だってわかったから、あたしもそれに応えるわ」
「それは、どういう意味ですの?」
「さっきは遠回しにいって濁したけどさ、あたしに話がきたのは、修平くんが浩二くんを気遣ったからじゃないの。浩二くんが、修平くん経由であたしに相談してきたのよ。別のクラスの女子に追い掛け回されてるってね」
「え…………」
唖然とした表情で零音が硬直する。
彼女はあいているほうの拳を強く握りしめると、瞳に怒りを宿した。
「誰に頼まれたんですの? 貴方、零音と浩二さまの仲を引き裂こうとしているのでしょう? 誰ですの? 名前を教えなさい」
「浩二くんに頼まれたのは嘘じゃないわ。彼があなたを不審に思ってるのは事実よ。でも、当然じゃない? 浩二くんからすれば、よく知らない人に追い回されてるんだし」
「浩二さまが零音のことを悪く思うなんてありえませんわ」
「信じたくないなら、それでもいいわよ。ただね、ひとつ教えておきたいのは、浩二くんは零音ちゃんを怪しいと警戒してるだけで、嫌いってわけじゃないってこと。それと、このままだと不審が嫌悪に変化しちゃう危険が高いってことよ」
「知ったふうなことを……ッ!」
スカートのポケットに手を入れて、零音がぎりぎりと歯軋りする。隠された手に例の凶器が握られているかもしれないと思うと、全身から汗が噴出してくるのを止められない。
良からぬ事態が起きないよう、神頼みならぬ亜里沙頼みをするしかなかった。
「誰かに好かれるのは、誰だって嬉しいことだよ。度を超えない限りはね。零音ちゃんが浩二くんを愛しているなら、それを伝えるには彼を見守るなんて回りくどい方法じゃダメ。まっすぐに伝えないと、彼は零音ちゃんの気持ちにも、零音ちゃんへの気持ちにも気づけないよ?」
「何もわかっておりませんわね。いまのままでは、断られるかもしれないんですのよ……ッ!」
「わかるよ。あたしも好きな人にフられるのは怖い。でも、一歩を踏み出さないと恋は始まらないの。追いかけたいなら、恐れずに踏み出さなきゃいけないんだよ」
「随分と達観しておりますわね。過去に失敗でもしましたの?」
「失敗なんて人生には付き物だよ。だから私は、失敗から学んだの。同じ目に遭わないように、零音ちゃんには成功してほしいんだよ」
「…………不愉快ですわ」
そういって零音は一方的に電話を切った。手にしていた携帯電話を近くの机に置くと、俺には一言もくれずに教室を出ていった。廊下から室内をのぞいていた野次馬たちが、彼女の後ろ姿を目で追っている。
失敗だった。
完全に零音を怒らせてしまい、電話を途中で切られてしまった。
ざわめきを漏らしながら教室に戻ってきたクラスメイトを適当にあしらいつつ、俺は鞄を手にして教室を後にする。
廊下を通用口のほうへ歩きながら、俺は疑問に思っていた。
失敗したにも関わらず、いつまで経っても時間が巻き戻されないことに。
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