第13話
脳髄を握り揺さぶられたような衝撃を受けた瞬間、俺は放課後の特別教室ではなく、陽光を直に受け取る昼間の屋上に立っていた。
「どうした、唐突に驚いたような顔をして。珍しいものでも飛んでいるのか? ……俺には何も見えないが」
正面には立石が立っていた。怪訝そうな眼差しで俺を見つめたあと、彼は雲がまばらな青空を仰いだ。
「あ、ああ……いや、特に理由はない。ちょっと嫌なことを思い出しただけだ」
「そうか。脳内で何が再現されたか知らんが、凄い形相だった。よほど恐ろしい出来事が過去にあったのだな」
「まぁ……そんな感じだ。気にしなくていい」
「他人の過去を興味本位で詮索する趣味はない。それより、どうなんだ?」
「どう? どうって?」
「聞いてなかったのか。無論、五十嵐零音にストーカー行為を止めさせる方法についてだ。妙案は思いつかないか?」
そのやりとりには覚えがあった。まだ記憶に新しいので、どういう会話だったかも鮮明に思い出せる。確認のために携帯電話を手にとって日時を確認すると、予想通り、現在日時は〝今日の昼〟を示していた。
携帯電話が振動して、液晶画面が通話画面に移行する。発信者の名称には〝理紗さん〟と表示されている。立石に電話を貸すことを想定して、俺が事前に電話帳の登録名称を変えておいたからだ。
「電話だ。出ていいか?」
「構うことはない」
腕に提げていたビニール袋からおにぎりを取り出す立石を横目に、俺は彼から距離をとって通話を繋いだ。携帯電話の振動が止まる。
「随分と近い時間に戻したな」
「失敗したら、この時間に戻すつもりでいたからね。ここで立石くんを無理に説得しなければ、五十嵐ちゃんと話をさせるのも先延ばしにできるし。ていうか、何があったの? 悲鳴と修平の叫び声に、思わず戻しちゃったけど」
「刺したんだよ。五十嵐零音が、乱入してきた女子生徒の一人をな。誰だよ危ない奴じゃないっていってたのは。刃物持ち歩いてるなんて普通じゃないぞ」
「……刃物って、ナイフ?」
「カッターだ。ああ……よく考えると、別におかしくもないか。カッターナイフくらい、学生なら鞄に入れて持ち歩いていても不思議じゃない」
「……刺された子、修平の友達だったの?」
「友達じゃないけど、知ってる奴だ。お前もよく知ってるはずだ」
「私は大半の生徒のことはよく知ってるよ?」
「そうだったな……。刺されたのは、荻野玲子だ」
受話器から微かな戸惑いが伝わってきた。
俺としても同じ気分だ。よりにもよって彼女が被害に遭うなんて……奇妙な縁があったものだ。
「俺も驚いた。俺を痛烈にフった奴が、俺の前で刺されたんだからな」
「忘れてるかもしれないけど、いまはもう、修平がフった側だよ?」
「……そういえば、そうだった。俺にフられて、立石に乗り換えていたらしい」
「収まるべくして収まったんだよ。私が修平に好意を向けさせる前の彼女は、立石くんにご執心だったみたいだし」
「さすがイケメンだ。悪女の吸引力も半端じゃないな」
モテないよりはマシかもしれないが、何人もの異性に目をつけられるのは、それはそれで難儀なものだ。容姿が優れているのも良いことばかりじゃない。もっとも、俺には無用の心配だが。
「……その悪い奴を助けたくて、修平は必死に命令したんだよね。時間を戻せって」
「別に刺されたのが知らない奴でも同じことをしたと思うけどな。まさか、自分をフった女子が刺されて、俺がすっきりしてるとでも?」
「ちょっとだけ、ね」
「……お前、そういう系のドラマの観すぎだ。いくら嫌いでも、そいつが殺されかけて歓喜するような異常者じゃないぞ、俺は」
人生で初めての告白が嘲笑で切り捨てられたときのことは、いまでも忘れられぬ記憶としてはっきり覚えている。
嘲笑してフった奴が背中を刺された光景もまた、当分忘れられそうになかった。
零音のストーカー行為が第三者に被害を及ぼした。それはいずれ起こる必然だったのかもしれないが、俺たちが介入したことで起きてしまった偶然かもしれない。
「立石を待たせてる。本来なら、ここで亜里沙が助言するんだろうけど、それはなしだよな?」
「そうだね。複雑な要素が絡み合ってるから、いま立石くんと五十嵐ちゃんを二人きりにするのは危険かも」
「ひとまず、今日の放課後の決行はさせないほうがいいな。荻野さんたちが警戒してるだろうし」
「延期するなら、充くんの件を成功に導いた〝あの作戦〟を試すのはどう?」
「マジでいってるのか? 相手は刃物を隠し持ってるような危険人物だぞ?」
「大丈夫だよ。彼女も、自分に危害を加えようとしなければ襲ってこないって。修平も、それくらいわかってるでしょ?」
零音が乱入してきた女子グループに刃物を向けたのは、彼女たちが零音、あるいは立石に暴言を吐いたからだ。でなければ、乱入された直後に襲いかかってもおかしくはない。そう考えると、交渉の余地はあるように思えた。
彼女に接触するのは危険に飛び込むようで気が引けるが、俺たちが何もしなければ防げたかもしれない出来事だ。時間を戻してなかったことにして終わりではなく、なんとかして彼女の凶行を防がなければならない。
答えを決めた俺は固めた意志を亜里沙に伝えて、電話を切った。空を眺めて穏やかに食事している立石に近寄ると、彼は視線をおろして俺を見た。
「長かったな。家族か?」
「友人からだ。大した用事じゃなかったけどな。ちょうどそいつから、立石のストーカーの件について意見を聞いてたんだ」
「ほう。修平が頼るほどとは、よほど聡明な奴なんだろうな」
「……お前、俺のことを買いかぶりすぎだぞ」
「それだけ信頼しているということだ。で、良い案はでたのか?」
「まあな」
平然と首を縦に振った俺に、立石はおにぎりを運ぶ手をとめて感嘆の声をもらす。
「どんな方法だ?」
「俺が五十嵐零音に話を聞いてみる。うまくいきそうなら、そこでストーカーを辞めるよう説得もしてみよう。もちろん、そこまでされるのは嫌だといわれれば、別の方法を考えるけど」
俺の持ちかけた提案に、立石は思案するように手のひらを顎にあてた。
迷っている様子だったが、逡巡したあと、彼は伏せていた目を正面に戻した。
「ありがたい。うまくいったら、何かお礼をさせてくれ」
快諾した彼から一瞬だけ目を逸らして、階段室の角を一瞥すると、
俺と立石の会話を聞いているであろうパートナーの影が見えた。
*
昼休憩明けの授業が終わり、担当していた教師が扉をあけたまま退室した。周りの生徒たちと一緒になって背筋を伸ばしてから、俺は片肘をついて開いている扉の先を眺める。
「ん? どうしたのシュウ。ぼんやりしちゃって。寝不足?」
「それもあるな。感覚的には、居残りで補修を受けているような気分だ」
「あとひとつで終わりなんだから、もう少しの辛抱だよ」
「あと一回で終わればいいんだけどな」
俺に話しかけてきた充は眉根を寄せて合点のいかない顔をした。
特にフォローする必要はない。気の利く彼のことだから、寝ぼけているとでも解釈して流してくれるだろう。
間もなく、零音は廊下に姿をみせた。俺は席から立ち上がる。
「トイレ?」
「いや、あそこにいる奴に用があってな」
「ん……あぁ、浩二に付きまとってる女子のこと? そういえば、最近シュウと浩二って仲いいよね」
「お前が余計な入れ知恵をしたせいでな」
能天気な友人に皮肉を垂れて、俺は廊下に向かい歩いていく。途中で立石が目を合わせてきたので、適当に頷いておいた。
廊下に出て、俺は長髪のストーカー女子の横に立ってみた。すぐ隣に並んでも、彼女は一心不乱に教室の向こう側で友人と談笑する立石を凝視している。立石も俺の動向が気になるのか、ちらちらと俺のほうを見てきた。その度に、隣の女子生徒の顔が綻んだ。
一人で教科書を読んでいる亜里沙は、俺のほうを気にした様子はまったくない。傍から見れば興味がないようにしか思えないが、あれで意外と見ていたりするので恐ろしいものだ。
肝心の人物からは存在自体を無視されているようで心が折れそうだったが、いつまでも黙っていては俺まで変態だと噂されかねない。深呼吸をして、俺は彼女の視線を遮るようにして正面に立った。
「五十嵐零音さん、ちょっといいかな?」
「誰ですの貴方。邪魔ですから、前に立たないでくださいます?」
「誰って……前に会ってるはずだけど」
「ナンパなら他所でやってくださいまし。貴方のような量産型の男に、零音は興味ありませんので」
「りょ……量産……」
早くも心が折れそうだ。俺が何をしたというのだろう。近頃、異性から辛辣な言葉を投げられる頻度が高すぎる。
けれども、おかげで、ある程度の耐性ができたことも事実。
……悲しいことだが。
「そうじゃないって。立石と一緒にいるとこ、何回か見てるはずだよね?」
「浩二さまと? ――そういわれてみると、最近よく隣を歩いているじゃがいもの形状に似ておりますわね。浩二さまのご友人?」
「じゃがいもを友人と呼んでもいいなら、そうなるね」
「そうですの。ですけれど、零音が夢中なのは浩二さまであって、そのご友人ではありませんので。用がないなら離れてくださいます?」
「用があるから話しかけたんだけど」
俺のプライドを容赦なく傷つけてくるが、彼女の凶行を見た俺には、下手にそれを咎めることはできない。己の情けなさには、静かに心で涙した。
零音は視界を覆って離れようとしない俺に苛立ったのか、ようやく俺の顔を見て眉を歪めた。平常時は垂れ気味な彼女の瞳が、尖った眼光を湛えている。
「いったいなんですの? 浩二さまに関することでなければ、見ず知らずの男の話を聞くつもりはありませんわ」
「それなら問題ない。話したいのは立石に関することだから」
「浩二さまの?」
殺意とも表現すべき剣呑な光が瞳から消え失せた。それでも警戒を完全に解いたわけではないようで、疑念をはらんだ目で見つめられる。
「そういうこと。長くなるから、放課後に話したいんだけど、大丈夫?」
「…………」
零音は急に黙り込み、内心の怯えを隠して温厚な顔に努めている俺を睨むように凝視する。鮮烈な輝きを秘める眼球には、俺の行動の背景にある思惑や恐怖も全て見透かされているようだった。
「……いいですわ。場所は貴方の教室でよろしくって?」
「お、おお。それで大丈夫だ」
「承りました。……用が済んだのでしたら、早くどいてくださる?」
再び苛立ちを露呈した彼女の声に、俺は慌てて脇に移動した。彼女は何事もなかったように、教室にいる立石の観察を再開する。
果たして本当に約束を守ってくれるのか。かなり怪しいように思えてならないが、もう一度彼女に確認をとれるだけの勇気は、俺にはなかった。
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