第11話

 久々に空が晴れていた。教室の窓から差し込む強烈な日差しは、夏の到来を予感させた。

 午前の授業が終わり、昼休みに突入した。俺の前に座る存在感が限りなくゼロに等しい女子生徒は、誰からも気にかけられることなく、購買や昼食場所に移動するクラスメイトに紛れて教室を出ていった。

 彼女が姿を消して、すぐに俺も席を立った。つい一ヶ月ほど前までは昼になると充が近寄ってきていたが、いまは南さんの相手に忙しいらしく、視線すら寄越さなくなった。

 寂しい気もするが、それは好都合だった。俺がどこで誰と昼飯を食べているのかと詮索されれば、誤魔化すのは骨が折れる。

 気配を殺す術を身につけた相棒に倣って、俺もまた誰にも勘付かれず、さりげなく廊下に移動した。

 ……つもりだったが、屋上に着くまでの間、誰かが後をついてきている気配が消えなかった。

 

          *

          

「どうしたんだよ。昼飯くらい一人で食わせてほしんだけど。それとも、ストーキングされるうちに、ストーキングする魅力にでも心奪われたのか?」

「冗談じゃない。それを止めさせる方法を相談するためについてきたんだ。ここなら他人に聞かれないよう配慮する必要もない。……まさか、誰か隠れたりしていないだろうな」

「き、気になるなら念のため確認しておこう」


 率先して階段室の裏手に回り、誰かが潜んでいないか迅速に確かめる。

 立石が来ることは事前にメールで知らせておいたので、亜里沙はそこに隠れていた。彼女は身を丸めて、暢気にジャムパン片手にミックスジュースを飲んでいる。

 寡黙で孤立しているクラスメイトが屋上にいると知れば、立石は絶対に興味を抱く。亜里沙は見つかりそうになったらタイムリープでなかったことにすればいいとでも考えているのだろうが、巻き込まれている側としては、時間遡行の感覚は気持ちのよいものじゃない。できれば、雑に超能力を使われる事態にはしたくなかった。


「――――大丈夫だ。誰もいない」

「わざわざ悪いな。しかし、これで安心して話せる」


 疑うそぶりもなく、立石は俺の証言を鵜呑みにした。顔も頭も運動能力も良くても、この男には生きるうえで大切なものが欠けているような気がする。


「さて、早速本題に入らせてもらうが、五十嵐零音にストーカーを止めさせる方法はないか? 可能な限り穏便な方法で」

「あのしつこい女に角を立てず諦めさせるのは至難だと思うぞ。いっそのこと、受け入れてしまうのはどうだ? 世の中なんて、やりたくてもやれない、好かれたくても好かれないことのほうが圧倒的に多い。あそこまで他人から好意をもたれるなんて、嫉妬したいくらい立石は恵まれてるよ。俺はいままで一度も、あそこまで誰かに好かれたことないぞ」

「だからといって、やりたくもないことを強要されたくはないだろう。それと同じで、好かれたくない相手に好かれるのを、迷惑といわずになんという?」

「いいじゃないか。別に彼女もいないんだろ? 距離を縮めたら、色々と魅力的な部分が見つかるかもしれないぞ」


 いちおうは説得しているつもりだが、俺は依然として、零音と立石を恋人にするのは無理だと考えている。亜里沙の〝作戦〟も仔細に教えてもらったが、その方法をもってしても、成功の確率は皆無と思えてしかたない。充のときも運命的な云々と息巻いていたくせに、完全敗北したんだ。信用しろというほうが不可能な話だ。

 半ば諦めているので、説得の言葉にもいい加減な感情が露呈してしまう。延々と平行線を辿る議論をしたくはなかったので、ストーカーの件は保留ということで弁当に手をつけようとしたが、


「そうはいかない。俺は、学生の身で彼女は作りたくないのでな」


 確固たる意志の篭った声で語られた言葉に、俺は意識を奪われた。


「……なんだそれ。無条件でってことか?」

「ああ。先にいっておくが、過去にトラブルがあったから、だとかではない。単に俺が、そういった生き方を理想としているからだ。学生は勉学とスポーツに励み、社会に出てから活躍するために能力を高めておけばいい。恋人とは、即ち生涯の伴侶だ。一生に一人いれば事足りる。その相手は、定職に就いて生活が安定してから探すべきだろう」

「外見の割りに、硬い恋愛観を持ってるんだな」

「顔など生まれつきのものだ。人生で培ってきたものではない。そんなくだらない要素で俺という人間を決めつけないでもらいたい」

「贅沢な奴だな。零音はともかく、クラスの女子からの人気も独占してるくせに」

「ただの友人だ。誰からも告白などされていない。適切な距離感を保ってくれるなら、拒む理由もないだろう」


 意外だった。立石が達観した考えによって自制しているのもそうだが、周りの異性からも一切告白されていないことが。しかし、電話で亜里沙から聞いた彼女の当初の見解を想い出して納得した。きっと彼女たちも立石には相手がいると思い込んでいて、一歩を踏み出せないのだろう。

 ただでさえ無理だというのに、立石が頑固すぎる恋愛観を持っていると知ってしまい、本格的に彼と零音をくっつけるための説得をする気力は霧散した。

 水溜りのない乾いた屋上に尻をついて、俺は弁当を地面に広げた。


「気の毒ではあるけど、クラスメイトの女子たちは問題なさそうだな。結局、零音のほうはどうするんだ? 付き合う気がないなら、はっきり断らないと卒業までつけ回されるかもしれないぞ? 下手したら卒業後も。お前の固い恋愛観を教えれば、彼女も手を引くんじゃないか?」

「いったさ。君が駄目というわけではなく、彼女自体を作る気がないとな。だが、自分ならば幸せにしてあげるなどと根拠もない反論をされてまったく効果がない。むしろ、伝えた日からストーカー行為がエスカレートしたくらいだ」

「マジか……。恋すると盲目になると聞くけど、あいつは自分さえ見えてないんじゃないか? 恋人を作れば諦めてくれるかもしれないけど……いや、恋人が殺されそうだ」

「頼む。知恵を貸してくれ、修平」

「なんで俺なんだよ。俺もお前と同じで彼女いない暦=なうえに、お前のように一方的な恋情を受けたことさえない。搾り出す知恵もないわ」

「ストーカーの件を打ち明けているのは修平だけだ。それに、修平は恋愛について良いアドバイスをくれると教えてもらった」

「は……? 誰だ、そんなこといった奴」

「充だが」


 ひどい頭痛がしてきた。弁当に向けていた顔をあげると、立石はビニール袋から取り出したおにぎりを齧っていた。

 余計なことを吹聴した友人に、一言文句をいいたくなった。忘れぬうちに携帯電話で伝えてやろうかと迷っていると、俺が触れるより先に携帯電話が振動した。振動パターンは、受信したのはメールではなく電話であることを示している。


「電話だ。ちょっと待っててくれるか」

「ああ。構わず出てくれ」


 階段室の壁にもたれて食事している立石から充分に距離をとって、俺は通話を繋いだ。発信者は、すぐ近くにいる奴だ。


「――まさか、ここで決行するのか?」

「なんで不思議に思うの? 絶好の機会じゃん」

「バレても知らんぞ。だいたい、俺にはやっぱりうまくいくと思えない。さっきの会話も聞いてただろ?」

「問題ないよ。修平だって私の実力は見たでしょ? 修平は、私の姿だけ見られないように注意してくれればいいからっ!」

「……わかった。彼にかわろう」

「よろしく~」


 階段室の裏に潜伏している亜里沙から電話で指示を受けて、俺は通話状態を切らぬまま、携帯電話を手にして立石に近寄った。


「立石、食事中に悪いけど、電話をかわってくれないか? お前と話したいっていってるんだ」

「なぜ修平の電話にかけてきた相手が俺を呼び出すんだ? 用があるなら俺の携帯電話にかければいいだろう。誰だ、そいつは」

「警察官のお姉さんだ」

「……婦警? 知り合いか?」

「ま、まぁそんなところだ。友達がストーカーに遭ってるって相談したら、力になってあげたいっていいだしてな。この人なら、立石の悩みを解決できるかもしれない」

「警察に頼るほどの段階でもないと思うが、個人として相談にのってくれるなら、是非ともお願いしたい」

「もちろん、これは彼女の個人的な行動だ。問題なければ、このまま俺のケータイで喋ってくれればいいけど、大丈夫か?」

「了解した。貸してもらおう」


 コンビニ袋を置いた立石が手を拭き終わるのを待ってから、俺は偽警官に繋がったままの携帯電話を差し出した。むろん、通話画面に〝正体〟の名前をさらす手抜かりはしていない。通話相手の名前欄には、〝理紗さん〟と表示されている。


「――あなたが立石浩二くん?」


 立石が携帯電話を顔に近づけると、相手が会話の口火を切った。

 あらかじめ音声出力をスピーカーに切り替えておいたので、俺も〝理紗さん〟の声をはっきりと聞くことができる。警官と呼ぶには、軽そうな印象を受ける口調だ。


「ええ。そうですが」

「修平くんから聞いたわよ~。学校の女の子に追い回されてるんですって?」

「事実ですが、警察沙汰にするつもりはありませんよ。迷惑はしてますが、周囲の者を含めて危害を加えられたこともありませんので」

「自分をつけ狙う相手を擁護するなんて、かっこいいのは声だけじゃないみたいね。素敵だわ」

「……与太話をしたいわけではないのだが」

「ごめんごめん。イケメンと話してるせいか、ついテンションあがっちゃったわ」


 ――すごいな。喋り方が違うだけで普段と同じ声色なのに、まったくバレる気配がない。


 それは、立石が警官を騙るクラスメイトのそもそもの声色を知らないためか。それとも、そのクラスメイトと底抜けに明るい通話相手がどうあっても結び付かないためか。

 いずれにしても、亜里沙が断言していたように、正体が知られる可能性は憂慮しなくてよさそうだ。


「それで、ストーカーのことだけどね。あんまりひどかったら事件が起きる前に警察へ相談したほうがいいと思うけど、浩二くんも思ってるとおり、ちょっとつけられる程度なら、そこまでするのは相手の女の子がかわいそうだわ。好きな男の子が気になってついつい追いかけちゃう女の子なんて、全国どこにでも、そこら中に溢れてるんだから。ちなみに、そこから恋人同士に発展してゴールインしちゃうケースも多いのよ?」

「はあ……世間がどうかは知りませんが、俺はストーカーをやめてもらいたいだけなんですが」

「だったら直接お願いするしかないわ。中途半端に突き放しちゃうと、遺恨が残って大変な事件に発展しかねない。そういう事例も珍しくないの。ちゃんと面と向かって本音を包み隠さず伝えることが、お姉さんは唯一の解決策だと思うわよ」

「……相手を傷つけてしまうことになっても、ですか」

「人生というのは、何もかもが自分中心に回るものじゃないの。自分で選んだ道を進むことがあれば、選ばなかった道を歩かされることもある。降りかかった火の粉を払うのも、生きるうえでの責任よ。しっかりと気持ちを伝えてきなさい」


 本当に年長者が口にしているようだ。声の調子を巧みに変えることで、説得力を増大させているようにも思う。これも、何年も他人の恋愛に助力してきた成果なのだろう。

 本物の警官がいいそうな説得を受けて、立石は唇を真一文字に結んで熟考する。

 やがて口元をほどいた立石は、決然とした顔で答えた。


「――わかりました。彼女と話をしてみます」

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