第8話

 放課後、充と別れた俺は、今朝に彼と密会をした踊り場にやってきた。すでに解錠されていた扉を開けると、茜色の世界が視界いっぱいに広がった。


「ハーイ、修平。どう? 岡崎くん、いけそう?」

「はぁ……。教室とのテンション差に翻弄される俺の身にもなってくれ……」

「すぐ慣れてもらわないと困るなー。私だって、たくさん喋りたいのに喋れなくて、修平で気分を晴らすしかないんだからね」

「人をストレス発散の道具にしないでほしいな」


 扉の脇で待っていた亜里沙と合流して、反対側の屋上のふちに歩み寄っていく。


「この周回は完全に修平に任せちゃったけど、教室での様子を観察していた感じだと、岡崎くんこれまでで一番落ち着いてたね。いったい何したの?」

「大したことなんてしてないぞ。亜里沙と決めたように、南さんの恋愛観を遠回しに伝えて、ついでに背中をちょいと押しただけだ」

「『背中をちょいと』の部分が気になるなー。具体的に教えてよ」

「もう忘れた。ノリと勢いに任せて適当に喋ったからな」

「なにそれ~。叩いたら思い出すかな?」

「やめろ。俺は昔のゲーム機じゃない」


 実のところ、割と鮮明に覚えているのだが、とても二度と人前でいえる台詞じゃない。ノリと勢いに任せていってしまったのは真実だ。

 屋上のふちについて、俺は身体を伏せる。頭部だけを足場から出して、真下にある校舎裏に視線を集中する。

 すぐ隣で亜里沙も同じ体勢になって、四階下の地面を覗きこんだ。両耳の近くから垂れた三つ編みおさげが、犬の尻尾のようだった。


「ま、修平の成果は、結果をみればわかることだね」

「そういうことだ。――きたぞ」


 校舎裏に先に現れたのは、眼鏡をかけた見るからに真面目そうな男子生徒――岡崎充だ。彼は遠目から見ても落ち着き払った雰囲気を醸しており、立ち止まってからも正面だけを見据えている。

 突如、充は空を仰いだ。そんなことをされたら、当然、屋上からのぞいている俺たちが彼の視界に映りこむ。

 そのはずだったが、一瞬早く身を引っ込めて、なんとか発見されるのを防ぐことができた。


「ふぅ……いったいなにを吹き込んだの? 第六感まで冴えてるみたいだけど」

「俺が直感を覚醒できるなら、こんなふうにのぞき見なんてするわけないだろ」


 恐る恐る様子見して、充がこちらを見ていないのを確認する。身体を伏せて、気を取り直してのぞきこむ。

 俺と亜里沙が伏せるのと同時に、肩口で後ろ髪を切り揃えた優しそうな女子生徒――南千佳が現れて、待っていた充と向かい合う形で立ち止まった。

 南さんに対して、何事かを話しかける充。距離が離れていて聞こえないが、彼が喋り終えると、今度は南さんが口を動かす。その間も充の表情は引き締まっており、〝初回〟のようなおどおどした様子は見られなかった。

 そして、軽く息を吸い込んだあと、充が何かを伝えて頭を下げた。


「いったね」

「……」


 亜里沙とは違って、俺には声をだす余裕すらなかった。友人の恋愛に多大に干渉した責任感が、まるで自分自身が告白しているかのように重く胸にのしかかり、脈打つ鼓動を早めている。

 充と同じ位置に立っているように錯覚する緊張のなか、垂れていた頭をあげた充に、南さんは何かを語りかけた。

 その声は少しも聞き取ることはできなかったが、内容は聞かずとも明らかだ。

 質問された充は、しばし考えるような間を置いて、短い言葉で返答した。

 堂々とした佇まいから返された答えに、南さんもまたしばらく硬直して、

 小さく頭をさげると、充を置いて駆け足で校舎裏を後にした。

 孤独に取り残された充は、名残惜しそうに告白相手の去っていった方角を眺めてから、鷹揚とした足取りで告白現場を立ち去った。

 充の告白が終わり、俺と亜里沙は同じタイミングで立ち上がる。


「だめだったの? まだ足りない要素があるのかな?」

「あぁ……どうだろうな……」


 運命的な出来事を演出しても効果なし。良い所を見せても駄目。相手を好意的に想っているのに成就しない。互いの理想を満たせる器なのに成立しない。

 第三者視点から観察していたはずのに、主観的な緊張に襲われていた状態からは解放されたが、それに勝る疲労感に襲われている。

 なにもかもが徒労で、どう足掻いても、何度繰り返しても、充の恋愛は成就しないのではないか。

 亜里沙としても、もはや打つ手がないようだった。


 ――もういいだろ。充の恋は諦めよう。


 そう亜里沙に提言しようとしたとき、

 制服のポケットの内側で、俺の携帯電話が振動した。

 取り出してみると、新着メールが一件。

 受信日時は《5月15日17時11分》。差出人は岡崎充。

 作業的な感覚で開封してみると、そこには何度も繰り返したように、告白の結果について書かれていた。

 見るのも嫌になってきた、たった四文字で構成された報告文、


「充からメールがきた」

「……なんていわれたって?」



「ありがとう、だとさ」



 ではなかった。

 初めての告白を終えた充から受信したメールには、《「よろしくお願いします」だってさ!!》と、喜んでいる顔が目に浮かぶような文章が書かれていた。メールの件名は《ありがとう》なんていう、素直すぎる感謝の言葉で飾られている。充としては俺に向けてのメッセージだったのかもしれないが、これは俺だけでなく、亜里沙にも向けられるべき感謝だ。

 亜里沙が酔狂な誘いをしてこなければ、亜里沙が充の初めての恋愛に目をつけなければ、俺が彼を陰で支えるなんてこともなかったのだから。

 俺が見せた携帯電話の液晶画面を一瞥して、亜里沙は小さく息を吸って、吐いた。


「オーケーもらってたんだ。紛らわしい反応してくれるね」

「緊張が解けるのに時間がかかったんだろ。見ろよこのメール。びっくりマーク二つも付けてるぞ。いまごろ、誰にも見えない場所で腹の立つ顔してるだろうな」

「今日ぐらい、いいでしょ。望んでた恋愛が叶って、好きな人と恋人同士になれたんだから」


 何度も時間を巻き戻して、まるで不治の病の病原体でも探るように、様々な観点から他人の恋愛を診察して、治らないはずの病を完治させてみせた。俺と亜里沙の勝利ともいうべき結果だ。

 そして、

 共通の目的を遂げたことにより、俺と亜里沙の間に交わすべき会話はなくなった。

 校舎が夕焼けに沈んでいく。一番高い所に立つ俺たちの耳に響くのは、夏の大会に向けて練習が激化している運動部員たちの叫び声だけ。

 すぐ近くにいる亜里沙の声は聞こえない。

 彼女は頬を茜色に染めて、西の空に消えゆく夕日を呆然と眺めていた。


「……なんというか、なんともいえない気分だな。あいつの恋愛が成就したら、自分のことのように喜べると思ってたんだけど」


 独り言のつもりでこぼしたのは、偽りではない、いまの俺の心情だ。

 必死になって助力していた恋が結ばれたわけだが、存外、それほどの感動は得られなかった。

 むろん、友人の夢が果たされて嬉しいと祝福する想いはある。けれどもそれ以上に、一仕事を終えたような、義務からの解放感に近い感覚のほうがずっと強い。舞い踊りたくなるほどの達成感を味わえるとも想像していたが、実際に終わってみれば、感想はなんともあっさりしていた。

 俺の漏らした本音が聞こえていたのか、黙していた亜里沙の口元が緩む。


「ふふ。やっぱり同じだね。修平と、私は」


 微笑する亜里沙の言葉が曖昧なまま途切れて、彼女は夕日に視線を戻した。

 夕焼けに染められているだけかもしれないが、照れているようにも見えてしまう亜里沙の横顔は、直前の台詞と相まって彼女と出会った瞬間を俺に想起させる。

 狭い路地で向かいあって、ろくに話したことのない俺に悩みを告白した、茜色の彼女の姿を。


『私も、恋愛できないから』


 あの日、亜里沙に打ち明けられた悩みの正体を、俺は尋ねることができなかった。

 彼女に話しかけられたことが、彼女がイメージと全然違う性格だったことが強烈すぎて、そちらにばかり意識を奪われていたから。

 だが、共通の目的を達成したいまならば訊ける。


「亜里沙、終わってから訊くのも変かもしれないんだけど」


 校則を遵守する膝下まであるスカートの裾と、編み込まれた髪を揺らして、亜里沙は俺のほうに向き直った。


「なんでこんなことしようと思ったんだ? 他人の恋愛を叶えてやるなんて」


 直接、恋愛ができない理由を尋ねたりはしなかった。

 『こんなこと』をしている原動力こそが、その疑問の解答なのだと確信しているからだ。


「最初にいったのがすべてだよ。私は恋愛できないから、恋愛を楽しむには、他の誰かの恋愛に自分を重ねて応援するしかない。いまのところ、期待してたような快感は得られてないんだけどね」

「その『恋愛ができない』っていう具体的な理由を知りたいんだけど……」


 俺の訊き方が悪かったのか。結局、直球で質問してしまった。


「それも、修平と同じだよ」


 無遠慮な要求に気を悪くした様子もなく、亜里沙は軽く笑い混じりにそういって、

 一瞬だけ瞳に哀しげな色を浮かべて、俺の疑問に回答した。

 

「私は、人を好きになれないから」

 

 深い諦めの感情が込められた亜里沙の暗い返答に、俺はひとつ確信する。

 俺と彼女は、彼女のいうような同じ人種ではないのだと。

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