第7話

 人生初の告白と人生初の撃沈と人生初の諸々を経て、人生初のタイムリープを人生史上一番おかしな同級生に体験させられて、俺の世界は天変地異を起こした。

 だが、それは俺の内側に限った話で、周りはまったく変わらない。

 今日は火曜日だ。今週四度目の火曜日だ。

 時間のループには精神が耐えられないと語られることが多いが、それは真実だろう。現時点で〝月火火火火水木金〟の八連続通学が確定している。こんな生活が続くようなら、俺は近いうちに登校を拒否するつもりだ。

 いい加減、このループにも蹴りをつけなければ。そのためには、亜里沙に諦めさせるか、充の恋愛を成就させなければならない。

 俺としては、本来結ばれないはずの充と南さんをくっつけることに運命を歪めている罪悪感があり、亜里沙には諦めさせるべきだと考えていた。

 南さんの気持ちを知るまでは。

 これは、結ばれない恋愛じゃなく、結ばれるべき恋愛だ。結ばれるべきだが、叶わなかった恋愛だ。ならば俺も手を尽くしてみようと、そう考えを改めた。

 充の告白が決行される日の朝、登校して自席についた俺のもとに、だらしない顔を引っさげて彼が近づいてくる。


「待ってたよシュウ。待ち遠しすぎてクラスに一番乗りしちゃったよ」 


 どんな結末が待ち受けるかも知らず、充は暢気な気持ちに満ち溢れている。

 緊張の欠片もない顔を自席から見上げると、俺と視線が合うなり、充は困ったように眉を曲げた。


「お、怒らないでよ。結果が気になるのはしかたないでしょ?」

「怒ってるわけじゃない。結果か? フられたよ」

「えーと……相当ひどいフられ方して、腹が立ってるとか?」

「だからムカついてるわけじゃない。俺のことはどうでもいい。いま大事なのは、お前のことだ」

「そのいいかただと、変な誤解をしてしまいそうなんだけど」

「モーホー的な想像をしてるなら、それはお前が普段からそういった動画だとかアニメばかり観てるせいだ」

「そ、そんなの観てないよっ!」


 こちらがシリアスムードで話しているのに、充は普段のふざけたテンションで反応する。彼はあまり自分から冗談をいうタイプではないので、陽気な会話で俺の失恋のダメージを癒そうとしているのかもしれない。もっとも、彼の治癒しようとする傷は、完全に塞がっているのだが。

 俺は椅子を引いて席を立ち、弛緩している充の顔を見つめた。


「お前にいいたいことがある。ここだと〝彼女〟に聞かれるかもしれないから、場所を移動するぞ」

「彼女? 彼女って?」

「お前の好きな奴だ」

「っ! わ、わかったよ!」


 どんな話であれども、それが好きな異性に関する話題ともなれば、誰だって無条件で聞きたくなるものらしい。俺には実感できない感情だが、充はそういった心理に突き動かされて、俺に従うことを決めたようだ。

 もちろん、俺は彼に、彼の想い人の良い評判や悪い評判を吹き込むつもりはない。それ以前に、俺は彼女について詳しくは知らないのだから。

 俺が彼女に関して知っているのは、ひとつだけ。

 それを伝えるために、俺は朝の匂いのする教室から廊下に出た。

 直後、俺と入れ替わるようにして教室に入ろうとするクラスメイトとすれ違う。思わず声をかけそうになったが、相手が完全に無視をしたので喉元に押し留めることができた。

 俺を無視したクラスメイトが、何事もなかったように自席に腰かける。

 俺の前に位置する、彼女の指定席に。


「あの、修平? 場所を変えるって、ここ教室の入口なんだけど……」


 まだ気を遣っているのか、つまらないボケをする充に目を細める。


「そんなわけないだろ。こっちだ、こっち」


 彼と話をする場所と定めた目的地に歩きながら、

 無視すること、無視されることに慣れている亜里沙に、俺はわずかな寂しさを感じた。

 

          *

 

 四階建ての校舎の階段を最上階までのぼりきった。多数の生徒の雑踏が奏でる喧騒も、教室から離れたこの場所ではほとんど聞こえない。俺たち以外の生徒も、誰もこない。

 それもそうだ。階段をのぼりきった先にあるのは、屋上に続く扉だけ。ここを訪れる生徒がいるとすれば、掃除を任された奴か、合鍵を持っている変な女子とその相棒くらいだろう。

 屋上への入口には、抜かりなく鍵がかかっていた。閉ざされていて当然のドアをがちゃがちゃと回す俺を見て、充が怪訝そうな顔になる。


「屋上に出ようとしたの? そこは、もうずっと前から施錠されっぱなしらしいよ」

「それが本当か、なんとなく確認してみただけだ。俺が充を連れてきたのは、ここだ。入れない屋上に来る奴はいない。その入口にもな。誰にも聞かれたくない話をするには、ちょうどいいだろ?」

「なるほど。よく思いついたね。入学して三年も経つのに、ここにきたのは初めてだよ」

「俺も、つい最近に見つけたばかりだ」


 亜里沙と奇妙な関係にならなければ、一度も訪れなかったかもしれない。その場合、こうして充を連れてくることもなかっただろう。

 いつの間にか、俺には『パートナー』としての自覚が芽生えていたらしい。

 充に直接話をするといったのは、亜里沙からの指示ではなく、俺が自発的に提案したことだった。


「授業まで時間もないから、率直にいう。充が、今日しようとしている告白についてのことだ」

「な、なんで――」

「そうなんだろ?」

「え、ま、まあ……」


 自分から伝える予定だった告白の決行を見透かされて、充は当惑して鼻白んだ。


「どうやって告白するつもりなんだ?」

「一応、放課後に校舎裏あたりに呼び出して、普通に告白しようと思ってるけど」

「普通っていうのは、具体的にはどんな文句だ?」

「それをシュウにいってどうするんだよ。なんでそんなこと知りたいの?」

「お前のためだ。好きです、付き合ってください、というのか?」

「……まあ、そんな感じでいくつもりだけど」


 友人であれども、踏み込まれたくない領域というものはある。その聖域に土足であがる俺に、充は苛立ちを感じているようだった。機嫌の悪化が、声と顔に表れている。

 つい先日、南さんに『お節介焼き』と評価されたが、まったくそのとおりだなと自嘲した。

 しかし、俺としてもここで引くわけにはいかない。


「その告白が成功したとして、お前はいつまで南さんと付き合っていたいんだ?」

「いつまでって、それは、高校卒業までは彼氏彼女でいたいよ。その先は、僕も彼女もどういう進路を進むかわからないから、なんともいえないけど」

「それじゃダメだ。フられるぞ」

「っ――!」


 辛辣な俺の意見に、充の表情が引きつった。鋭利な瞳に、俺の姿が映りこむ。


「なんでシュウに否定されないといけないの。何が起こるかわからない遠い先までは、彼女だって確約したくないかもしれないじゃん」

「お前は、高校を卒業したら彼女と別れることになってもいいのか?」

「それはっ……それは、もちろん嫌だ。嫌だけど、ずっといたいなんて、そんな重いこといったら拒絶されそうだし……」

「一時の夢が見られれば、それで充分なのか? それは、妥協できるものなのか?」

「そうしないとフられそうだし、彼女も嫌だろうから……」


 喋りながら充は段々と自信を失っていく。頭で考えていることと、実際に行動に移そうとしていることの矛盾に気がついたのだろう。

 充は『彼女』を理由に持ち出して矛盾を説明しようとするが、それはまったくの見当違いだ。


「だとしたら、お前のしようとしているのは不誠実な告白だ。お前は、自分が好きになった奴に、なんとかオーケーをもらおうと嘘をついて成功率をあげようとしてる」

「そんなの、フられたくないんだから、しょうがないよ」

「なら、充が逆の立場だったらどう思う? 南さんに告白されて、ずっと一緒にいたいと思うのに、卒業後はどうなるかわからないと答えられたら。その短い恋愛に、お前は満足できるのか?」

「それは、嫌だけど……」


 紅潮しかけていた頬を冷まして、充は迷いを断ち切れずにうなだれる。

 俺に助言できるのはそれで精一杯だったが、険悪な空気を払拭するために、最後に友人としてのエールを送ることにした。


「偉そうにいったけど、充には、性欲に負けて半端な告白をして、無様に撃沈した俺のようになってほしくないんだ。俺と違って、お前の恋情は本物なんだろ? だったらぶつけてみろ。真摯な本当の気持ちを。お前が好きになった奴は、それを馬鹿にするようなクソ野郎じゃないだろ?」


 我ながら随分とくさい台詞を吐いてしまったが、計っていたように言い終わるタイミングで予鈴が鳴ったので、幾分恥ずかしさは紛れた。


「俺が伝えたかったのはそれだけだ。教室に戻るぞ」

「……」


 あまりに自己陶酔した発言をしてしまい、充の反応を見るのが怖くて、彼から目を逸らしたまま階段をおりていく。


「……シュウ」


 屋上に続く踊り場から半分ほど進んだ地点で、充の声に振り返った。


「……僕の想い、全部をぶつけてみるよ」


 充の顔に、悩みを抱える鬱屈とした色はなく、眼鏡越しの瞳には頼もしい光が宿っていた。

 迷いが晴れて気分が良さそうなところ、野暮なことを指摘するのは申し訳ないが、


「それは結構だけど、このままだと遅刻だぞ」


 俺たちが高校三年という勝負の年である以上、それもまた重要なことだ。

 俺たちふたりは、転げ落ちるような早さで教室に戻っていった。

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