第6話

「運命的な告白タイミングを作って、岡崎くんのかっこいいところも見せたはずなのに、どうしてダメだったのかなー?」


 一瞬で変わった景色に眩暈を覚えて、俺は重くなった頭部を手で支えた。コンビニに行くような感覚で行使する亜里沙のタイムリープ能力に対する意識の軽さに頭を抱えたといってもいい。

 念のため確認しておこうと携帯電話をひらくと、やはり日時は昨日に戻っていた。場所も亜里沙と初めて話した路地だ。


「……ひとつ訊いていいか? 俺をフったあいつ――荻野玲子が俺に告白するほどに心変わりしたのは、お前が彼女とさっきみたいな茶番をしたからなのか?」

「茶番なんてひどいなー。これでも、うーんうーんって悩んでるんだよ? でも、荻野ちゃんと修平の件はそれほど苦労しなかったけどね。だって、私は匿名の手紙を荻野ちゃんの下駄箱にいれただけだし」

「手紙をいれた? 俺が好意を寄せてるって?」

「そんなこと書いても結果は変わらないって。簡単なことだよ。私は手紙に、修平の家は金持ちだって書いたの。荻野ちゃんはブランド物とか欲しがってたみたいだからね」

「…………」

「だけど、まさか修平がフるなんてね。荻野ちゃん学年でも一位二位を争うぐらいかわいいのに。泣いちゃったのは、絶対に断られないと決め付けてて、プライドが折れたからだろうね。修平にフられたって、彼女はダメージなさそうだし」

「俺が泣くぞ」


 笑い話のように滔々と感想を流す亜里沙には、容赦がなかった。親密に付き合いだして間もないが、こいつは性格が歪んでいるんじゃないかと思い始めている。

 まぁそれも、信頼の証だといわれれば悪い気もしない――いや、やっぱりする。

 なぜ俺の家が比較的裕福なのを知っているのかは、質問する気も起きなかった。自由に時間を戻せる亜里沙になら、いくらでも調べる手段があるだろうから。


「はぁ……。しかし、いくらかわいいからって、金持ちかそうでないかで心変わりするような奴を初告白の相手に選んでしまうとは……」

「自己嫌悪する?」

「これでも、恋愛については他の人より真剣に考えてるつもりだからな」

「欲に負ける修平も悪いんだよ。私としては、修平が性欲に負けたおかげでパートナーができたんだし、助かってるけどね」

「直球な物言いだな……その通りだから否定のしようがないけど」


 指摘されたように、俺が告白を強行したのは、恋愛への欲求というよりは妙齢の男子らしい性欲に白旗を揚げたからだ。だからこそ、中身ではなく外見を重視した。こう改めて言葉にしてみると、己の意志の弱さには辟易する。


「助かってるのはお世辞じゃないよ。さっきの作戦でいえば、もし私一人だったら、岡崎くんと南ちゃんを学校の外で偶然を装って引き合わせて、岡崎くんの見せ場を作るのには相当苦労しただろうからね。修平は私と違って直接ターゲットと接触できるし、協力してくれること、本当に感謝してるよ」

「何度もいうが、ここで亜里沙の提案を受け入れたときは、まさか〝叶わない恋〟を叶える手段が時空跳躍とは想像もしなかったからな……」

「驚いたでしょー?」

「その扱いの軽さにもな」


 得意気に「ふふふー!」と口元に笑いを滲ませてから、亜里沙は難しそうな顔をした。


「んー、とりあえず岡崎くんは、あれで良かったと思うんだよね。岡崎くんの告白が成立しないのは、南ちゃんに原因というか、事情がありそう。私が観察してた限り、そこまで変わった恋愛観をもっているようには見えないんだけどなー」

「充を嫌ってるって感じでもなかったな」

「そうなんだよねー。誰にも話さず、内に秘めてる想いがあるのかも。それを把握しないと、岡崎くんの恋愛を叶えるのは難しそう」

「そんな隠し事、陰で動く俺たちに知る術はあるのか?」

「んー……」


 悩ましそうに顎に手を当てて、首をうねうねさせながら低く唸る亜里沙。

 眉を寄せて南さんの真意を探る方法を思索しているようだったが、やがて一筋の光明を見出したように清々しく面をあげると、考えついた方法を俺に話した。


「そうじゃん! 修平がいるんだから、〝あの方法〟でいけるじゃん!」


          *

          

 亜里沙の新たな作戦を共有した翌日、学校に登校した俺は、例によって充から告白の結果を尋ねられた。これに俺は前回のように急かした返答をせず、告白を決行する充を引き止めたりもせず、初回同様にむしろ背中を押した。

 そして放課後、俺は屋上で亜里沙と合流して、校舎裏に呼び出された南さんと充の告白現場を見守った。それを変哲のない覗き見だと糾弾されれば、否定することはできないが。

 もしかしたら結果が変わるかもと淡い期待が脳裏を過ぎったが、一切干渉しなかった以上、告白の結末は初回と変わらなかった。

 初告白の失敗は相当なダメージを伴うだろう。充はそれを、三回も経験したことになる。経験させているのは、他ならぬ俺と亜里沙だ。彼に対して、なんだか申し訳ない気持ちになった。もっとも、充は自覚していないだろうが。

 南さんが校舎裏から去っていくのを見届けて、絶望に充が立ち竦む。デジャヴュどころか文字どおり見覚えのある光景だ。


「じゃ、あとは頼むね」


 屋上のふちから乗り出していた頭部を引っ込めて、おさげを揺らして立ち上がった亜里沙は、投げやりにそういってぺたりと地面に座り込んだ。


「……前もいおうと思ったけど、俺ってパートナーっていうか、下僕とか、せいぜい便利な道具だと思われてないか?」

「そんなことないよ。これは、修平にしかできないことなんだから」

「ずるい言葉だな。引き受けた以上はやるけど、うまくいくかは保障できないぞ。俺はお前と違って、人の気持ちを探るのは得意じゃないんだからな」

「べつに、私だって得意じゃないよ。得意じゃないなりに、数をこなして頑張ってはいるけどね」

「そうかそうか」


 すでに充の告白は失敗に終わっているが、それは終わりであって終わりじゃない。

 よほど自信のあった〝運命的〟を演出する作戦が撃沈して、亜里沙は強攻策にでた。その内容は、彼女のタイムリープ能力を前提とした反則的なものだ。


「そうだよ。もたもたしてると、南ちゃんおうちに着いちゃうよ?」

「頼んできた奴に急かされるとムカつくな……帰宅ルートは、例の喫茶店にいく道と同じでいいんだよな?」

「うん。喫茶店のある通りに、彼女の家もあるみたいだからね」


 友達でもない生徒の通学路を把握している辺り、亜里沙の底知れない情報の保有量には背筋が寒くなる。俺のことも、家庭についてだけでなく、色々と調べているのだろうか。

 それはまた別の機会に問い質すとしよう。中途半端はよくない。亜里沙の行動に加担した以上、しっかり役目は遂げなければ。


「しょうがない。いってくるか」

「よろしく頼んだよ、修平!」


 機械の刻む時間でいえば、まだ話すようになって一日しか経っていない。なのに、もうずっと昔から友人同士であるかのように、亜里沙は随分な信頼を置いた声色で俺を送り出した。

 屋上を出て階段を駆け下りながら、俺もまた、亜里沙とは古い付き合いであるかのように錯覚していた。

 

          *

 

 目標の人物は、校門を出て三分ほど走ったところで見つけた。走っている途中で携帯電話が振動したが、差出人をみて読む必要はないと判断した。

 肩口で切り揃えた髪が特徴的な、痩せ気味で身長の小さいクラスメイト。立ち姿をあまり意識して観察したことはなかったが、真面目そうなのに意外にもスカートを短くしている。ほんの僅かばかりだったが、亜里沙が忠実に着用しているので少々気になった。

 フられた充とは違い、フった彼女の歩き方は穏やかだ。道路脇を、規則的な歩調で自宅の方向目指して歩いている。

 けれども、その横顔には、教室では見せない憂いを帯びていた。

 彼女の顔をのぞいてしまった勢いに任せて、俺は彼女の背中に駆け寄った。


「南さんっ!」

「えっ――? あ、佐藤くん。帰り道こっちなの?」

「ああ、いや、全然違うんだけど、ちょっと南さんに確かめたいことがあって」

「わざわざ追いかけてきたの? というか、なんで私の帰る方向知ってるの?」

「あーいや、前にこっち方面に寄り道したときに、偶然南さんを見つけてね。ほら、喫茶店があるじゃん、全国チェーンの。あそこ行こうとしたときに、ね」

「あー、なるほど。私の家、あの辺りだしね」

「へ、へぇー、近くて羨ましいねー」


 接触したターゲットの喋り方は、滔々と喋る亜里沙とは正反対で、ゆったりしていて聴きやすかった。内面を体現しているのかもしれない。緩やかな雰囲気にのまれて、彼女と与太話に興じそうになる。

 異様な影響力を誇る彼女のペースに惑わされないよう、俺は固い使命感を携えて南さんを見据えた。


「ところで、訊きたいことなんだけど」

「もしかして、さっきのこと?」

「え? あー……さっきといえばさっきだけど、それじゃないかもしれない」

「私がいってるのは、岡崎くんの告白のことだけど、違う?」


 想定外の展開に、頭のなかが真っ白になった。


「あーっと…………そのことです、ね」

「やっぱり。岡崎くんと佐藤くん、いつも一緒にいるから、今日の告白のことも岡崎くんから聞いてたんだね。…………それとも、もしかして、みてた?」

「み、見てはないって。あいつが南さんに告白するのは聞かされてたけど、結果はさっき充から届いたメールで知ったんだ。それで、気になって追いかけてきたってわけ」

「岡崎くんじゃなくて、私を? なんで私のほうを?」

「あ、いや、充には一人にしてくれっていわれたから……」


 俺が訪ねてきた理由に合点がいかないのか、南さんは不思議そうに首を傾げる。

 当然の反応だ。頭のネジが飛んでる亜里沙と話していると、つい盲目的になってしまうが、常識人の南さんに指摘されて自分の行動がいかに道理に沿ってないかを自覚する。

 冷や汗が噴き出してきていたが、接触に成功したからには引くわけにもいかない。


「そ、それに、充をよく知ってるからこそ、わからなかったんだ。南さんが、あいつをフった理由が。あ、もちろん、そんなのお前に話す筋合はないって思ったら、教えてくれなくてもいいんだけど……」

「佐藤くんって、かなりお節介だね。ちょっと意外」

「……悪い。俺はうまくいくと思ってたから、南さんがフったのが納得できなくて。俺がいっても信用できないかもしれないけど、あいつはいい奴なんだよ。正義感が強くて、いざというときは傍観するんじゃなく行動できる男だ。普段は優柔不断なとこもあるけど、やるときはやる奴なんだよ」

「知ってる」

「――知ってる?」

「だって、私も、岡崎くんのことは気になってたから」


 それもまた、欠片も予想しなかった彼女の心境だった。

 そういえば、亜里沙がそんなことをいっていた気もする。あれは本当だったのか。


「だ、だったらフらなくてもよかったんじゃないの?」

「岡崎くんのことは嫌いじゃないよ。でも、それだけで付き合うのも変じゃない?」

「嫌いじゃないなら、付き合ってみるのも良いと俺は思うけど」

「私も、昔は佐藤くんみたいに考えてたよ。高校に入学した直後まではね」


 俺が話しかけた際に浮かべていた憂いが、南さんの瞳に再び宿った。


「高校に入った頃に、なにかあったのか?」

「そんな特別なことでもないんだけどね。私、中三で当時の同級生に告白されて、オーケーしたの。初めての彼氏だった。中学生同士だったから、派手な遊びとかはできなくて、会ってすることといえば、佐藤くんも知ってる家の近くの喫茶店でおしゃべりするくらいだったけどね」

「そいつに、トラウマになるようなことでもされたのか?」

「全然。優しい人だったよ。……ただ、その人は私とは別の高校に受かったの。ここから離れた学校にね。それから卒業までは、それまでと同じようにたくさん話をしたけど、お互いに卒業後の話題は自然と避けてた。そうしてるうちに時間だけが過ぎて、気づけば卒業式で軽い挨拶を交わして、それっきり。高校入学直後はたまにメールもしたけど、数ヶ月経ったら、どちらともなく連絡が途絶えたの」

「俺が偉そうにいうのもなんだけど、中学生の恋愛なんてそんなものじゃない?」

「私の友達も、同じこといってた。でもね、それで私はすごく傷ついて、そのとき誓ったの。恋愛は、将来まで考えてするべきだって。高校だけで終わるような子供の恋愛は、私は嫌なの。こういう言い方こそ子供っぽいかもしれないけど、それが私の恋愛に対する考え方なの」

「充が、高校を卒業したら南さんを捨てるような男に感じたのか?」

「わからないけど、岡崎くんに告白されても、私の恋愛への不安は拭えなかった。だから私は、彼を受け入れられなかった」


 南さんの過去話、恋愛観を聞いて、俺は彼女が前にいっていた台詞を思い出した。

 それは、充の二度目の告白の際に、彼女が相手にかけた言葉。


『付き合ったら、いつまで一緒にいられるかな?』


 よくよく考えれば、あんなふうに返された時点で、南さんが充に好意を抱いているのは明白だった。

 彼女が彼を拒絶した答えもまた、その一言に集約されていた。

 度重なる予想外の返答には驚いてしまったが、目的を果たすことはできた。


「色々と話してくれてありがとう。俺がフった理由を聞いたこと、充には内緒で頼む。バレると恥ずかしいから」

「わかった。佐藤くんがお節介だってことは、友達に広めちゃうかもだけど」

「……できれば、それも勘弁願いたいな」


 最後に意地の悪そうな笑みをこぼして、南さんは簡素な挨拶をして俺から遠ざかっていった。

 彼女の背中が小さくなってから、俺はポケットから携帯電話を取り出した。

 画面に《通話中》と表示されている携帯電話を。

 俺の最長連続通話時間を大幅に更新した数値が、液晶画面に刻まれていた。しかも、現在も記録更新中だ。しばし珍しい表示を眺めて、俺は電話を耳にあてた。

 瞬間、手のひらにあった重みが、ひどい違和感を伴って消失する。

 総毛が逆立つレベルの悪寒がはしると同時、閲覧していた画像がまったく別のものに切り替わるように、俺の目に映っていた景色が切り替わる。

 同じ夕焼けの景色。しかし、南さんと会話した場所とは違う景色。

 見飽きてきた茜色の世界の中心で、俺の携帯電話を通して南さんとの会話を盗聴していた亜里沙が、しごく満足そうに微笑んでいた。


「でかしたよ修平っ! ばっちり聞こえてたっ!」

「ご満悦のところ恐縮だけど、ひとついっていいか」

「ん、なに?」


 充がフられた理由を、フった本人である南さんから聞きだすという作戦が成功して、テンションがあがってしまうのは理解できるが、


「……タイムリープするときは、せめて一言いってくれ」


 そうしてくれないと、俺の記憶も飛んでしまいそうだった。

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