第5話
「――それはひどい。荻野さんって、そんな性格悪かったんだ」
「だろ? こんなのアリか? ナシだろ。どんだけ最低な初恋だよ」
「たしかに。それネットで体験談書いたら、かなり伸びると思うよ」
「いい。お前との会話で笑い話にできても、顔も知らない奴に笑われるのはなんかムカつく」
「それじゃあ、僕がそのネタ使っちゃおうかな」
「いいけど、そのときは俺もお前のフられた話を面白おかしく改変して投稿するからな」
「ちょっとっ! 告白する前から失敗したことにしないでよっ!」
――俺はもう、一度失敗したところを見ているんだが。
そんなことをいえば、充は俺が精神に障害を起こしたと勘違いするに決まっている。口が滑ってもいえないなと思い、なかったことにされた記憶は心の最奥に押し込んだ。
「修平が行きたいっていう喫茶店には着いてないけど、昨日の告白のことはほとんど話しちゃったね。もう満足したなら、行くのやめて帰る?」
「このあと用事でもあるのか?」
「まあ、用事ってほどじゃないんだけど、観たい動画があって」
昨日の彼ならば、告白の件で頭がいっぱいで、他事に気を向ける余裕などなかっただろう。けれども行動が変われば考えることも変わるようで、告白を先延ばしにした充は、いつものように自分の時間を確保したくなったらしい。
亜里沙の計画を半信半疑でいるものの、半分は信じている以上、俺としては彼をここで帰すわけにはいかない。それは俺のエゴかもしれないが、彼の幸福を願うがゆえである。
俺は彼を引き止めるために、とっておきの返し文句を解禁した。
「アニメか?」
「っ! え、いや……僕はアニメも観るけど、べつに、今日は違うよ」
「じゃあ映画か? すぐに帰って観たくなるほど名作なら、俺にも教えてほしいな」
「いや、映画はあんまり観ないから……」
充はいわゆる隠れオタクという人種で、アニメ好きでありながら、あまりアニメばかり観ているとは思われたくないらしい。素直に好きといってくれてもいいのだが、ネットでアニメオタクが中傷されている記事でも読んだのか、どうにも本人はそういった矜持を捨てきれないようだ。
「ま、まあいいや。今日はシュウに付き合うよ。夜までたっぷり話そう!」
「ほんと悪いな。俺の頼みに付き合わせて」
「いいよいいよっ! 僕も、どうやって告白するかシュウに相談したかったし」
きっとそれは嘘だ。俺が介入しなければ、充は今頃告白していた。決心を鈍らせたのは俺で、その俺に彼は気を遣ってくれているわけだ。
隠し事がヘタクソで、変な見栄を張ったりするが、周りに気を配れる良い奴だ。こいつには幸福を掴んでほしいと、改めて純粋にそう願う。
その願望を叶える瞬間は、唐突に訪れた。
「あ――」
目的の喫茶店を目前に控えた道端で、充が急に立ち止まった。
驚きに言葉を失った充の視線を辿っていくと、
「南さん……?」
俺や亜里沙が何もしなければ、彼が今頃告白していたであろう南千佳が、偶然にも喫茶店の近くで立っていた。
そう、偶然にも……
――そんなわけあるか!
喫茶店は、俺や充の下校ルートからは大きくはずれている。今日喫茶店を訪れたのは、決して偶然ではなく、そう指示されたからだ。だとすれば、この運命的な邂逅は仕組まれたものだ。決して偶然の産物ではない。
驚愕に染まる充の横で、思わず引きつった顔で南さんの様子を観察する。彼女は喫茶店の近くで、サングラスとマスクで顔面を覆った見るからに怪しげな人物に絡まれていた。
「一緒にいるのは、友達、っていう感じでもないね。それに、南さん困ってるみたい」
「あ、ああ……」
「あの黒いコートの人、女性みたいだけど、怪しいね」
「そ、そうだな……」
長い髪と身体の線からして、ロングコートの怪しい人物が女性であることは間違いない。付け足すと、その身長、その髪色、なにより俺が充を喫茶店に連れてきたタイミングで登場した事実を加味すると、もうそいつの正体は一人しかいない。
「――追い払わないと!」
「な、なにっ! まて、充――!」
岡崎充は、普段はへたれた性格をしているが、やるときはやる男だ。想い人から不審者を払いのけようと、敢然と俺の制止も聞かずに駆け出した。
不審者の正体を察した俺は、必死に後を追う。万年補欠ではあったが、部活の基礎トレーニングで鍛えた筋肉が役に立ち、すぐに充の背中に追いついた。
不審者が俺たちの接近に気づいて、南さんから離れて逃げ出す。
「あいつは俺に任せろッ!」
俺は返事もできないほど苦しそうに走る充を追い抜いて、逃走する不審者を追いかける。
何が起きているのかと戸惑っている南さんをスルーして、不審者の消えた狭い路地裏を曲がると、
逃走していた怪しい女が、膝に手をついて肩で息をしていた。
「おい亜里沙っ! なんだこの茶番は!」
「ぜぇっ! はぁっ! よ、よくわかったね。はぁっ、わたし、だってっ」
「ふつーにわかるわっ! あのふたりにバレてないか心配なくらいにな!」
「ふーっ! はぁーっ! で、でも、南ちゃんにはバレてないよ。日頃、目立たないように過ごしてるのが奏功したね」
「あいかわらず犯罪者みたいな台詞だな……というか、いくら意識されていなくても、声を聞かれたらバレるんじゃないか? 喋ってたよな、南さんと」
「そこは問題なし。私、こう見えて演技派だからね」
ようやく呼吸が整ったらしい亜里沙は、俺に正体を看破された際にはずしたサングラスとマスクを再び装着して、「こほんっ」と咳払いすると、
「ハーイ、キュートガール! キャンニュースピークイングリーシュ? ノー? オーゥ、イケマセンネー。ワタシハニホンゴシャベレマース。アナタモエイゴヲナラウベキデース。バット、タイムイズマニー。トキハカネナリー! バットバット、ワタシナラ、アナタヲスグニ、バイリンガルニデキマース! ワタシトイッショニ、エイカイワシマセンカー? ――っていうふうに喋ってたから、バレる気配もなかったよ」
「……昨日から思ってたけど、お前面白い奴だよな」
いきなり話しかけてきたエセ外国人の正体が、まさかクラスでは寡黙な斎藤亜里沙だとはクラスメイトの南さんにもわかるまい。見た目は結び付いてしまいそうだが、パフォーマンスで注意を逸らすあたり、紛れもなく演技派らしかった。
「私の演技にハマったならいつでも見せてあげるから、早くふたりのところに戻って結果を確認してきてほしいな」
――そういうことか。
俺に充をここまで連れてこさせたのは、ふたりを学校の外で引き合わせて、なおかつ正義感が強いという充の長所を南さんに見せるためだ。仕組んだ側に加担している身としては、こんな茶番で効果があるのか疑わしくてしかたがないが。
「わかった。いってくる」
あまり期待はしていないが、俺は電柱に背中を預けている亜里沙を残して、充と南さんのもとへ戻ることにした。
*
「あ、佐藤くん」
「シュウ、あの怪しい人はどうしたの?」
「逃げられた。やけに足の早い女だった」
並んで立っていた充と南さんに合流した。件の不審者――亜里沙と長く喋っていたので、もう告白を済ませてしまったかもしれない。
もしそうだとすれば、うまくいったのだろう。別段気まずそうでもない空気が、成功を暗に示していた。
だから、
「――と、ところで南さん、僕、訊きたいことがあるんだけど!」
「訊きたいこと? 私に?」
もう事が澄んだと思い込んでいた俺は、気づくのが遅れてしまった。
南さんの隣に立つ充が、全身を強張らせて緊張した表情をしていることに。
俺がそばにいることにも構わず、充はうわずった声で南さんの名前を呼ぶ。
――しまった! まだしてなかったかッ!
緊張が伝染して、俺も心拍数が跳ね上がったのを自覚する。
充は俺の比じゃないようで、寸秒だけ口をあわあわとさせていたが、やがて意を決して一端閉じると、小さく息を吸って――
「ぼ、僕と、付き合ってくれませんか」
開くと同時、胸に抱く恋情を、はっきりと相手に伝えてみせた。
心底恥ずかしそうに皮膚が紅潮しているが、それでもいってみせた。
他人の目を気にする充が、近くに通行人がいないとはいえ、こんな街中の道路上で告白してみせた。それは、並々ならぬ覚悟が成せた所業だ。それだけ相手を想っているということだ。
彼の気持ちが伝われば、きっと南さんも応じてくれるはず。
いきなり告白された南さんは、直後こそ優しそうな瞳を見開いていたが、充が気持ちを伝え終えると、真剣な光を宿して彼を見つめた。
「……どうして、私を?」
「実は、高校一年のときから気になってたんだ。南さんと一緒にいられたら、きっと楽しいだろうなって」
「そうだったんだ。……『一緒にいられたら』かぁ。私たちが付き合ったら、いつまで一緒にいられるかな?」
「えっ……? それは…………」
首を傾げる南さんの疑念に、充は答えに詰まる。
黙っているわけにはいかないと思ったのか、彼は返答を急いだ。
「と、とりあえず、卒業まではいられると思う! 卒業後はどうなるかわからないから、いまはなんとも……」
「……そう」
回答を聴いて、南さんは充に向けていた鋭い眼光をやわらげた。口元も緩めて、緊張の抜けた様子で地面に目を落とす。角度的に対峙する充には見えなかっただろうが、俺には俯いた南さんの表情がうかがえた。
充に告白された彼女は、悲哀に満ちた瞳をしていた。
「ありがとね。岡崎くんの気持ちは嬉しいし、変な人から助けてくれたのも感謝してる」
顔をあげた南さんは、そう明るく振舞って、最後に一礼する。
「だけど、ごめんなさい。岡崎くんとは付き合えません」
「ぁ――――」
絶句する充。南さんは重ねて助けてもらったお礼をいうと、足早に俺たちのもとを去っていった。
「充……」
「…………ごめんシュウ。僕は先に帰るよ……」
無理もないが、この世の全てに絶望したような顔をした充もまた、がっくりと肩を落として牛歩のごとくのっそりと遠ざかっていく。
敗者となってしまった友人の哀愁漂う背中を見送っていると、隣に黒いコートの人物が並んだ。
「まさか、ここまでやってもダメなんてね」
「亜里沙が知らないだけで、彼女にはもう彼氏がいるんじゃないのか?」
「それはないはずだけどなー。じゃ、戻ろっか」
「は――――? ちょ、ま――――」
なんとも軽い調子で告げられて、まだ慣れない時間遡行には心の準備が必要だと意義を唱えた。
しかし、亜里沙には俺の声など聞こえていないようで、
制止要求を言い終えた頃には、俺は三度目の夕焼けの世界に立っていた。
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