第4話
昨日見た光景。昨日起きた出来事。
それがただの再現でないことは、携帯電話の示す現在日時が証明している。
目に映る世界は、昨日の再現ではなく、昨日そのものであることを。
「……ど、どうやって?」
「別に珍しくもないでしょ? いまどき、時間を戻すなんて概念としては存在しなくとも、事象自体は映画とか漫画で腐るほど描写されてるじゃん」
「そんな冷静にいわれても困るんだけど……夢か、これ」
疑いの目で状況を分析していると、亜里沙は俺との間にあった空間を詰めてきた。
彼女は俺の顔に手を伸ばすと、躊躇もなく俺の頬を摘んで強めの力でつねった。
「いてぇっ! なにすんだよいきなり!」
「古臭い驚き方してるから、古臭い方法でわからせてあげたんだよ。どう? 夢じゃないでしょ?」
「そもそも、頬をつねられて痛かったら夢じゃないっていうのが嘘か本当か疑わしいけどな……」
「じゃあ今度は殴ってみる?」
「やめてくれ。殴られて喜ぶ趣味もないから」
地味で病弱そうな外見の亜里沙だが、存外に元気系だっただけでなく、暴力的な一面もあるようだ。まったくもって人は見た目だけでは測れない。
俺は中身の詰まった重い鞄を担ぎ直して、詰められた亜里沙との距離を少しあけた。
「で、『パートナー』っていうのは? さっき屋上でいってたやつ」
「あ、あはは……それも覚えてた?」
「記憶があるのは頬をつねって確かめただろ。ついでに、そのタイムリープ能力? についても教えてほしんだけど」
恥ずかしそうにそっぽを向いて、亜里沙は三つ編みの下にある首筋を手をあてた。
「さっきもいったけど、修平が初めてだったんだよ」
頬を紅潮させて紡がれる『初めて』という単語に、俺の胸は高鳴った。期待に心を躍らせて、僅かばかり体温が上昇したのを感じる。
恋愛経験のない俺は、異性のそういった好意を醸すような仕草や言葉に免疫がなかった。
「初めてだったの。無条件で、私がタイムリープしたことを覚えていた人は」
「そのぶっとんだ能力は、いつから使えるようになったんだ? つい最近?」
「いつから使えたのかはわからない。でも、タイムリープできると気づいたのは中学一年生の冬で、初めて時間遡行したのもそのとき。もう四年半くらい経つね」
「四年半……その長い間、誰にも知られず、一人で過ごしてきたのか」
斎藤亜里沙が孤独であったのは、高校三年生になってからではなく、高校に入学してからでもなく、中学時代からだったということか。
「そんな、別に孤独ってほど一人だったわけじゃないよ。家族とは普通に暮らしてるし、誰とも話さないってわけじゃないしね。だけど、友達になったりだとか、深く付き合うことはしなくなった。家族以外とはね」
「それも、特別な能力に関係するとか?」
「そんなところかな。私には、この能力を使ってやりたいことがあるの。だけど、私と深い関わりにあると、書き換える前の記憶が残っちゃうみたいでね。そうなると、その人には能力が使えなくなっちゃうでしょ? そうならないように、私は一人でいることにしたの。誰からも興味をもたれずに、光が作る影のような存在として」
教室で見せる表情と似た感情の読めない横顔で、亜里沙は淡々とそう語った。哀しんでいるのだろうかと推察していると、それを否定するように、彼女は朗らかに頬を緩めた。
「でも、修平は違った。私と何も関わりがなかったのに、書き換える前の記憶が残ってた。正直、以前のことを覚えてると知ったときは焦ったけど、修平が私と同じで恋愛するつもりがないとわかって嬉しかったんだ。この人となら、一緒に行動できるかもって。私のやりたいことは、一人だと難しいことが多いから」
「……事情はわかった。『叶わないはずの恋愛を叶えてあげる』方法が、ここまで常識離れしているとは予想もしなかったけど」
告白前に助言する程度だと思っていたが、まさか異能で失敗した結果を覆すだなんて……いったい誰が予想できるというのか? 少なくとも、普遍的な人間である俺には絶対に無理だ。
「学校で話しかけるなっていうのも、周りから興味を向けられるのを避けるためか。たしかに、寡黙なはずの亜里沙がいきなり俺とぺらぺら喋りだしたら、クラスの連中は野次馬みたいに関心を持つだろうな」
「そうそう。修平は理解が早くて説明の手間が省けるなぁ~!」
「俺がどれだけ混乱してるかも知らないで……。そういうわけで、叶わない恋愛をした充が、亜里沙の新しいターゲットになったわけか」
「ザッツライト!」
――ほんとに……普段の態度からは想像つかないほどテンション高いな……。
地味の代名詞ともいえる三つ編みおさげを夕焼けの風に揺らして、やけに発音の良い英語を伴い、俺に人差し指を向けてくる。亜里沙のこんな反応を見たら、彼女の危惧するようにクラスの連中は確実に強い興味を抱くだろう。俺でさえ、未だに違和感を捨てきれていない。
「楽しそうでなによりだけど、具体的にはどうするんだ? たった一日戻したところで、結果を変えられるのか?」
「もちろんっ!」
上昇したテンションのまま、意気揚々と肯定する亜里沙は俺に突きつけていた手を拳に変えて、
「とっておきの作戦があるからねっ!」
自信満々にいい放って、口元に勝利を確信する笑みを浮かべてみせた。
*
比喩的な表現ではなく、実際に〝同じ時間を過ごす〟ことを人はどう感じるだろうか。
通常であれば、その質問に対して答えるには状況を妄想して、そこで抱くであろう感情を理詰めで語るしかないだろう。
けれども、普通に暮らしていたはずなのに、気づけばちょっとだけ特別な人間と化していた俺は、その質問に実体験を通した感想という形で回答できるようになった。
俺は、真の意味で同じ時間を過ごした。
昨日と同じ夕飯を食った。昨日と同じ話をした。昨日と同じテレビを観た。昨日と同じメールが届いた。昨日と同じ時間に家族が寝た。
亜里沙に関する出来事を除いて、すべてが昨日と同じだった。それは一晩明けた今日にもいえることで、今朝起きてから現在に至るまでにも、同じニュースを見たり同じ場所で同じ人に会ったりと、同じ時間が繰り返された。
学校に来てからも、頭痛を覚える不可思議な事象は継続中で、
「待ってたよシュウ。待ち遠しすぎてクラスに一番乗りしちゃったよ」
クラスに入って席につくなり、いつもは遅い時間に登校するはずの充が、だらしなく弛緩した顔で近寄ってきた。
「結果はバツ。今度はお前の番な」
「え? あ、ああ、そうなんだ。なんていうか、やけにあっさりしてるね」
「もう随分と昔のことのように感じるからな。それよりお前、今日告白するつもりだろ」
昨日は段階を踏んで話したことを大幅に省略して、単刀直入に確認する。
なぜ心境を看破されたのか合点がいかない充は、しばらく目を丸くして黙りこんだあと、机に片肘をついて囁くように訊いてきた。
「な、なんで知ってるの?」
「顔に書いてある。といったら信じるか?」
「信じるわけないよ! だとしたら彼女にもバレてるじゃん!」
「心配せずとも、相手にはバレてないはずだし、冗談だ」
「いや、嘘だとしたも、なんで今日告白するのを知ってるのかは気になるよ」
「充とは高校一年からの付き合いだから、色々とわかるんだよ。友人って怖いな?」
もちろん俺はエスパーでもなんでもないので、もっともらしい嘘をいっただけだ。ただ、存外に充は第六感的な能力の存在を信じているようで、俺の説明に納得した様子で「……ほんと、怖いね」と神妙に頷いた。ちょろい奴だ。将来が心配である。
「お察しのとおりだから、彼女がきたら二人で会う約束をしようと思う。いつもなら、そろそろ登校してくる時間だよね?」
「充、せっかく早く来たところ悪いんだけど、今日はやめてくれないか?」
告白を決心した充に水を差すような真似をするのは良心が咎めたが、このまま失敗する結末が繰り返されるくらいならばと、俺は告白の中止を提案する。
「なんで? 僕は覚悟を決めてるから大丈夫だよ」
「止めようとしてるんじゃない。だけどな、俺は昨日フられたんだ。今日くらい俺に付き合ってくれよ。一生の傷になりかねないひどいフられ方だったんだ。話を聞いてくれると俺の気も晴れる」
「なんかさっき、もう吹っ切れたみたいなこといってなかった?」
「哀しくはないけど、ムカついてるんだ。愚痴を聞いてくれよ。お前のために、俺が先に告白してあげただろ?」
「それをいわれると、何もいい返せないね……」
ばつが悪そうに苦笑する充は、俺の説得を渋々といった具合に、ため息混じりで了承した。
「わかった。今日はシュウに付き合うよ。告白は日を改めよう」
これで、第一段階は完了だ。
嘘を並べたことを心中で友人に詫びて、俺は第二段階をどのように進めるべきか思案を始めた。
『まずは、岡崎くんに明日の告白をやめさせる』
それが、亜里沙が考案した充と南さんをくっつける作戦の、第一段階であった。
*
放課後、ちょっと用事があるといって先に教室を出た俺は、通用口のそばの物陰で携帯電話を耳に当てていた。
「得意の盗聴でもう知ってるだろうけど、第一段階は成功した。今日の告白はやめさせたぞ」
「盗聴とは人聞きが悪いね。それじゃあ私が犯罪者みたいじゃん」
「学校の鍵を無断で複製する奴は充分に犯罪者だと思うけどな」
「必要なんだからいいのいいの。それはそうと、ちゃんと誘った?」
「そっちも問題ない。いまから向かえばいいのか?」
「んーと、五分後くらいに移動を始めてくれると、いい感じかな」
電話越しに話している亜里沙は、いつものように誰とも挨拶を交わさず、俺よりも早く一人で教室を出ていった。てっきり屋上にでもいったのかと思ったが、スピーカーから時折自動車の音が聞こえるので、すでに外を歩いているらしい。
「計画どおりに運んでいるのは結構だけど、結局どうするつもりだ?」
「それはお楽しみっ! 大丈夫大丈夫。この方法ならうまくいくから。過去に何度か試して、成功を収めてきた実績ある作戦だからね! 修平は予定どおり、岡崎くんを私が指定した喫茶店に連れてくればいいよ。あとは私が引き継ぐから」
学校から徒歩十五分ほどの位置にある喫茶チェーン店。亜里沙はそこに充を連れていけば、彼の恋愛は成就すると豪語した。それが計画の第二段階だ。
具体的に何をするのか、何が起きるのか。それらについては『お楽しみ』の一点張りで、まったく教えてくれなかった。
事前にタイムリープして、何が起きるか知っているのだろうか。強気な態度には、当然彼女の異能力が絡んでいると想像したが、俺はこの先に何が起きるのかをまだ知らない。俺が知らないということは、彼女にしても同様なはずだ。
「未来を知ってるわけでもないのに、随分な自信だな」
「あ、気づいた? 仮に修平に関わった時間を巻き戻したら、修平も覚えてるはずだからね。そうじゃないってことは、この時間は私も初めてってこと。ちなみに、私は未来には飛べないよ? 未来に飛べちゃったら、あらゆる過去は確定してるってことだからね。逆にいえば、未来に飛べないのは、イコール過去を変えられる証拠かもね」
「難しい説明はしなくていい。タイムリープできる奴が身近にいると知って俺も色々と調べたけど、俺の頭じゃあ仕組みを永遠に理解できる気がしない。戻れる、周りは忘れる、俺は覚えてる。俺にはその三つで充分だ」
「単純だねー」
「悪かったな。俺はどこかの優等生の不良とは違って凡人だからな」
亜里沙はタイムリープ能力を現実に行使できる張本人だ。きっと能力が発現した中学時代から、飽きるほどに時間遡行や記憶の在り方についての資料を読んできたのだろう。豊富な知識を得意気に語られるのは面倒なので、多少馬鹿にされてでも、これは回避すべき話題と判断した。
「って、修平と話してるうちにかなり時間経っちゃったね。じゃ、待ってるから」
俺の返事を待たずに、一方的に亜里沙は通話を切った。
待ち合わせ場所は指定されているが、何が起きるのかはヒントすら与えられていない。『待ってる』というくらいだから、そこに亜里沙が先回りしているのだろうか。
――なんか便利な小間使いとして扱われてる感じがするな……。
彼女は俺との関係を『パートナー』と表現していたが、これでは主従と呼んだほうがしっくりくる。俺は彼女の下僕になったつもりはないのだが。
命令に従順に行動するのはやや不満だったが、通用口付近で周りをきょろきょろ見回している充を見つけて、俺は携帯電話をしまって彼に近づいていった。
これで彼が幸せを掴めるならば、いまは従おう。文句をいうのは、失敗してからでも遅くはない。
亜里沙の豪語する計画に対する信憑性は怪しかったが、実績があるという彼女の発言を信じて、友人の恋愛を叶えるために俺は彼と合流して指定の喫茶店に向かった。
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