第2話
人生初の告白と人生初の撃沈と人生初の諸々を体験した次の日、様々な初体験を終えたところで世界も生活も変わるわけがなく、普段通り学校に登校した俺は、机が整然と並べられた教室の自席に腰かけた。
鞄を机の側面についているフックにかけて顔をあげると、俺が来るのを心待ちにしていたとばかりに、ニヤニヤとだらしない顔をした男子生徒が近づいてきた。
「待ってたよシュウ。待ち遠しすぎてクラスに一番乗りしちゃったよ」
「見た目にふさわしく真面目でいいんじゃないか。明日からも継続すれば、いつか努力が身を結んで教師たちの評価もあがるかもな」
角ばった眼鏡をかけたクラスメイト・岡崎充が、その誠実そうな顔の眉間に皺を刻んだ。
「そんなんで成績があがるのは小学校か、せいぜい中学までだって。それより、昨日、本当にしたの? 荻野に」
「ああ……まぁ、一応な。帰り道でばったり会ったフリしていってやった」
「で、結果は?」
「いまの俺の態度を見ればわかるだろ。皆までいわせるな」
充が訊いてきたのは、俺の人生初告白の結果についてだ。荻野というのは俺が告白した相手であり、慈悲もなく俺を辛辣にフった女の名前だ。
告白の直後に起きた出来事が濃厚すぎて、俺にとって件の一連の流れは些末な過去に成りさがっていた。
しかし充からすればそうでもないようで、俺の報告を聴いた充は、別段落ち込んでいるわけでもない俺を慰めるように、そっと肩に手を置いてきた。
「君はよくやったよ、シュウ。僕より先に、一歩大人になったね」
「好意を持った相手に拒絶されるのが大人なら、俺の想像以上に大人の世界ってのは厳しいみたいだな」
「運悪く僕より先にシュウが大人の階段をのぼることになったけど、シュウがしっかり約束を守ってくれたんだから、僕もしっかり守るよ」
「おいおい、ジャンケンで告白する順番決めようとしたら怖気づいて、しかたなく俺が先手を請け負ってやったはずだよな? あれも天運だってか?」
「うそです。ありがとうございます、修平さん」
数日前、高校三年にもなって彼女ができたことすらない自分を嘆いた充は、受験勉強が本格化する前の最後のチャンスと銘打って、同じく彼女いない暦=以下略の俺を誘って気になる女子に告白しようという、なんとも青春らしい提案を持ちかけてきた。
恋人になりたいほど好意を抱いている相手のいない俺にとってみれば、受けても受けなくともどちらでもよかった。だが、充との付き合いが長い俺は彼の提案の裏に秘められた真意を汲み取り、しかたなく付き合ってやることにしたのだった。
「それで、マジで告白するのか? 俺はフられたけど、別に強制はしないぞ?」
「するよ。いままでずっと、拒絶されるのを怖がって好きな子ができても何もしてこなかったんだ。今度は絶対にやり遂げてみせる! シュウの屍も踏み越えたし、この宣言は曲げないよ」
「お前の踏み出す勇気になれたなら、死んだ甲斐もあったわけだな」
「ほんと、シュウっていい奴だよね。シュウもさ、これに懲りず他の女子にアタックしてみなよ。高校生で彼女いないなんて恥ずかしいよ?」
「恥ねぇ……俺は別に、高校生で彼女がいなくても恥ずかしいとは思わないけどな」
「とかいいながら、二十代後半で結婚して幸せな家庭を築きたいなー、とか思ってるんでしょ? 甘いね。あまあまだよ。高校で必死になれない人は、二十代で結婚どころか彼女すら作れないパターンが大半だって聞いたよ」
「そんな複雑なデータ、誰が教えてくれたんだ?」
「ネットで見たんだって。だいたいの人はそういってたよ」
「高校で恋愛経験がないのが恥っていうのも、そいつらの書き込みか?」
「そうだけど。高校卒業した人たちの悲痛な後悔をたくさん読んだよ。先人の教えには学ぶべきだと思わない?」
「どうせ、高校時代の恋愛は二度と経験できないとかいうんだろ? だったら恋愛しない高校時代だって二度と体験できない。俺は、そこの価値にそれほどの差があるとは思わないな」
「おおっ、ちょっと名言っぽい。でも、僕は説得されないよ」
「説得しようなんて思ってない。俺が失敗した分、お前には成功してもらわないとな」
インターネットで拾ってきたという情報とは対立する意見を与えても、充の意志は揺らがなかった。告白の意志は、相当に固く鋼と化しているらしい。
充と朝の与太話に興じている間にも、クラスには続々と顔なじみの生徒が入っては自席についたり、鞄を机に置いてどこかへ出ていったりしている。
俺と喋りながら、充はちらちらと出入口のほうを気にしていた。本人の口からは語られないが、誰かがくるのを待っているのは聞くまでもない。付け加えると、充とは親しい俺は、それが誰なのかも抜かりなく把握している。
授業が始まる一〇分ほど前になると、充の待ち人、そして想い人でもある女子生徒が扉をくぐり、自席についた。
女子生徒の名前は、南千佳。肩の辺りで切りそろえられた髪がふわっとしており、小さめの身長とやわらかな顔立ちが、全体的に優しそうな雰囲気を醸している。
意中の女子を横目で確認した充は、俺の机に肘をついて、声を潜めた。
「思い立ったら吉日っていうし、僕は今日、決行するよ。いまから約束を立ててくる」
「やるな。堂々といけよ」
勇ましく決意を並べたが、傍から見ても充が緊張しているのは明らかだ。しかし行くと決めた以上、些末なことを口出しするのは無粋だろう。「思い立ったのは随分と前だろ」という指摘も、声にはせず、心中でのツッコミにとどめておいた。
俺の席を離れて、自席に座って鞄のなかを整理している南さんに近寄っていく充。
移動する彼と入れ替わるようにして、新たに登校してきた生徒が廊下から現れた。そいつは誰とも挨拶を交わすことなく、俺の前の席に腰をおろした。
両肩に垂らした三つ編みに、制服を規定のルールに則って真面目に着用している、どことなく影が薄く、近寄り難いオーラをまとった女子生徒。
彼女は席につくなり、授業中以外は使用を許可されている携帯電話を取り出して、周りに隠すように机の下で操作を始めた。
席が前後している関係でありながらも、俺はいままで、その女子生徒と話したことは一度もなかった。喋りかけたらそれだけで嫌われてしまうような、そういった強烈な拒絶の気配を彼女から感じたからだ。これは俺の気のせいというわけでもないようで、他のクラスメイトも、教師からの依頼でもない限り、誰も彼女に近寄ろうとはしなかった。
つくづく特異な奴だと思いながら、そのミステリアスガールの後ろ姿を眺めていると、彼女が携帯電話の操作を終えると同時に、俺のポケットの携帯電話が振動した。
昨日登録したばかりの連絡先からメールが届いたのを確認して、片手で新着メールを開封する。
《おはよっ修平!》
超絶的なまでに元気な朝の挨拶メールの差出人欄には、俺の目の前にいる寡黙なクラスメイト・斎藤亜里沙の名前が書かれていた。
*
昨日は随分と刺激的な経験をしたが、学校での時間はいつもと同じようにゆったりと流れていって、気づけば放課後を迎えていた。クラスメイトの面々は、残り日数が少ない高校最後の部活動のため、本番まで一年を切っている受験のため、高校最後のモラトリアムを堪能するためだったりと、真面目だったり不真面目だったりする目的を果たそうと足早に教室を後にする。
俺の前が指定席の斎藤さんも黙って席を立ち、俺を一瞥すらせずに、教室を出ていく生徒の群れに混ざってどこかへ消えてしまった。
授業が終わった以上、教室に留まっている理由がないのは俺にしても同じだ。必要なものを机から鞄に移して帰る支度を済ませると、一足遅れて教室から出ようと席を立った。
「あれ、シュウ帰っちゃうの?」
「ちょっと用事ができた。充は、これからするのか?」
「う、うん。はぁ、どうしよ。午前中は大丈夫だったのに、午後になって時間が近づいてくるのを意識したら、授業の内容がもうまったくはいってこなかったよ。ほんと、どうしよう……」
「そんなに心配なら、ノートくらい俺が見せてやってもいいぞ。字が汚くて読めないかもしれないけど」
「心配なのは勉強のことじゃないよ! あ、でもノートは見せてください」
「冗談だ。だけど、多少は緊張がほぐれただろ?」
「なにそのイケメンな台詞。しかも全然効果ないし。やっぱイケメンに限るんだなー」
「なんかすごくムカつくから帰っていいか?」
弱々しい表情で相談にきた充の顔色が、いくらかマシになったように見えた。
「ごめんごめん。まぁ、あとはお決まりの文句をいうだけなんだし、勢いでなんとかしてみるよ」
「結果はメールしろよ。すぐじゃなくていいから」
「覚えてたらね。じゃ、いってくるよ」
「頼むぞ。俺の分までな」
充は俺のエールに親指を立てると、教室に残って数人の女子と談笑している告白相手の南さんを一瞥した。南さんは彼の視線に対して僅かに頷き、充は決然とした様子で先に教室を出ていった。
友人の恋愛の結末を陰から眺めたい欲求も沸いていたが、今日は先約がある。
友人の尾行は断念して、俺は自分の用事を優先して済ませることにした。
*
俺がちょっと気になっていた程度の女子に告白したのは、もちろん彼女の彼氏になれるならばそうなりたいという欲望もあったのだが、もうひとつ大きな目的があった。
それは、充の背中を押すことだ。
彼氏彼女の関係になりたいと願うほど強く異性を好きになる感覚がいまいちわからない俺に対して、充は心から南さんに恋していた。最近では、学校帰りや休日に遊んだときなどに、聞いてもいないのに必ず一回は彼女のことを話題にだしていたほどだ。
相当に恋愛欲求が募っていたのだろう。数日前、充は俺に例の二人で順番に告白する提案を持ちかけてきた。これはむろん、告白に足る恋愛感情を抱きながらも、理由なしでは実行に移せない女々しい充が自らを追い込むための作戦だ。彼の魂胆はすぐに看破したが、俺とは違って本当に人を好きになった友人を鼓舞するために、俺も告白を経験してみようと思ったわけだ。
俺のほうは散々な結果となったが、あれだけ完膚なきまでに叩きのめされれば、今後本当に誰かを好きになったときにも、堂々と怖気づかずに告白できるだろう。そう思えば、暴言のサンドバッグにされたこともまた、価値ある経験だったのかもしれない。
「ポジティブだなー……」
心の内側で交わされる自問自答に思わず感嘆の声を漏らしながら、俺は四階建ての校舎の屋上を目指している。
《放課後、屋上にきてくれる?》
今日の昼休み、いつものように充と昼食を摂っている最中に、そのメールは送られてきた。差出人はいうまでもなく、結局今日一日〝声では一言も会話しなかった〟斎藤さんだ。
俺は何度も、彼女に声をかけたい衝動に駆られた。あたりまえだろう。目の前に座っているのに、メールでしか話せないのはおかしい。別段喋れないわけでもなく、昨日は実際に自分の声で会話していたのだから。
声をかけられなかったのは、昨日連絡先を交換したときに、
『学校では絶対に私に話しかけないでほしいの。あ、勘違いしないでね。佐藤くんと友達だと思われるのが嫌だってわけじゃないから』
『え……ひどくないか、それ』
『だから違うって! 私には色々事情があってね。理由は明日にでも話すから! お願い! ねっ?』
と、そんなふうに釘を刺されたからだ。
急に普段の静かな態度からは想像もつかない明朗な喋り方をするようになったことといい、斎藤さんにはよくわからない部分が多い。
――恋愛ができない、か。
その理由も、これから教えてくれるのだろうか。
期待して階段をのぼっていくと、指定された待ち合わせ場所の手前に辿り着いた。
転落事故や不良の溜まり場になることを案じて、平常時は屋上の入口は施錠されている。しかし階段をのぼりきった先に斎藤さんの姿はなく、半信半疑で屋上に続くドアノブを握って回してみると、カチャと音を立てて開かずの扉は簡単に口を開いた。
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