恋を知らない少女が願う恋
のーが
第1話
「……告白? 佐藤が、あたしに……? …………ぷ、ぷぷぷ」
かわいい女子がいた。かわいい女子がいたから、告白した。
「……ぷっ、ぷぷぷっ! あはっ! あはははっ! む、ムリっ! ヤバいマジウケる~!」
それだけの、ことだった。
「あのさぁ、あたしとアンタって接点あった? なんで告ったの?」
「いや、その、一目惚れっていうか……」
「ぷくくっ、なにそれぇ? つまりカラダ目当てってわけぇ?」
「か、カラダっていうか、顔っていうか……」
「どっちも同じじゃん。べつにそれでもいいんだけどさぁ~、アンタが相手じゃねぇ? アンタと違って、あたしはアンタに興味ないし、顔も好みじゃないし、付き合う理由がないって感じぃ? あたしとは釣り合わないみたいな?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
嘲笑混じりに紡がれる蔑みの言葉。
それが、俺の告白に対する返事だった。
「そーゆーわけだから、ごめんね? 安心して、アンタに告白されたっていいふらしたりはしないから。叶うわけない相手に告白したなんて話が広まったら、アンタも嫌でしょ? ぷくくっ。じゃあね佐藤くん。お似合いな子が見つかるといいね~」
とてつもなく上機嫌な彼女は、適当な別れを告げて路地の先に消えていった。
車も人の往来も少ない狭い路地に一人残された俺は、彼女が去った方角に背を向けて、
「…………はぁ」
喉元に溜まっていた憤怒と後悔を吐き出して、肩をがっくりと落とした。
人生初の告白だった。意を決して真摯に好意を伝えたのに、馬鹿にした態度で侮蔑と嘲りを返された。
あまりにもひどすぎる。去り際の台詞も、人として最低だ。
「馬鹿なことをした……」
いまは、心の底からそう思う。
なぜ、あんな最悪の女に告白してしまったのか?
理由は単純だ。彼女の容姿が学年でも一位と二位を争うほどで、最近彼氏と別れたらしいという噂を耳にしたからだ。
別段不思議なことでもない。顔がかわいいから好きになる。そんなの、ありふれたきっかけだ。
ただ……それだけの理由で、恋人の関係を結びたいと思うものなのか。
俺が彼女に告白したのは、彼女の顔立ちが好みだからじゃない。理由の一端ではあるが、大部分は別の事情が占める。
表面上の魅力に惹かれて抱く恋情。俺は、その程度の好意では告白するに値しないと考えており、
〝その程度〟以上の恋心を、誰かに抱いたことが一度もなかった。
ずっとだ。
ずっと、そうだった。
十八年間生きてきて、同年代の男女が共生する学校生活も十二年目になる。長い時間のなかで、同級生の女子に心を惹かれることは何度もあったが、すべては容姿への興味だった。
どうしても俺には、外見をきっかけとする恋愛感情が、彼氏彼女の関係を築くにふさわしい代物とは思えない。
人を好きになるというのは、そんな簡単じゃないはずだと。
そう否定し続けてきたが、俺も今年で高校三年生、学生服を着て恋愛のできる最後の年だ。この最後のチャンスに、一度は恋愛を経験しようと自分自身を説得して、親友の後押しも受けて初めての告白に臨んだのだったが、
結果は、完膚なきまでの玉砕に終わった。
それが半端な想いで告白した報いだと思えば、自業自得だと肩を落とすしかない。
「はぁ……」
大して好きでもないのに、浅はかな欲求に負けてしまった。自分の不甲斐なさには、ただただ絶望して猛省するより他にない。
「……かえろう」
いつまでも路地でうなだれていてもしかたがない。後悔するにしても、不貞寝するにしても、ひとまずは自宅に帰ろうと俺は顔をあげた。
すると――
「佐藤、いま帰り?」
目の前に、逆方向に去っていったはずの彼女が立っていた。
嘲笑していたさっきまでとは正反対の、頬に微熱を帯びた妙な表情をさらして。
「あたしの話きいてる? まーいいや。とにかくさ、佐藤に訊きたいことがあって、ここで待ってたってわけ」
「……帰ったんじゃないの?」
「帰った? いやいや、だから待ってたんだって。てかそれはもういいじゃん。でさ、直球だけど、佐藤っていま彼女いんの?」
「………………は?」
「だーかーら! 彼女いるのかって訊いてんのっ!」
まるで好意を抱く異性を相手にしているように、清純な雰囲気を醸している彼女が顔を一層赤くした。
もはや別人だ。
辛辣に俺を拒絶した彼女に人が変わったような反応を示されて、俺は――
「って、これじゃあもうバレバレか。実はさ、あたし、前から佐藤のことが気になってて――」
「――ふざけるな」
「……え?」
あまりにも露骨な三文芝居に、途中で彼女の〝演技〟を遮った。
なんのためにフった奴のところへ戻ってきたのか疑問だったが、彼女の歪んだ性格を鑑みれば、考えていることなど想像に易い。
おおかた、俺を罵倒し足りなかったのだろう。今度は自分から告白して、騙されて歓喜する俺に罵詈雑言を浴びせて、より惨めな気持ちにしてやろうとでも考えていたに違いない。
「馬鹿にするのも大概にしろよ。もう帰れ」
「で、でも、まだ返事を聞いて――」
「帰れっていってんだろうがッ!!」
どこまで舐めているのか。警告を無視する彼女に怒声を浴びせて、くだらない茶番をやめさせる。
ようやく俺が自分への恋情を断ち切ったと理解したらしい彼女は、驚きに見開いた両目を潤ませて、くしゃりと表情を崩したのち、目元を伏せて逃げるように俺の隣を駆け抜けていった。
――――――――ん?
去り際の彼女の姿に、俺は些細な違和感を覚える。
――泣きながら、走り去った?
「…………あ、あれ?」
彼女に向けていた憤怒が、徐々に疑念へと変異していく。
泣いていた。俺を玩具にして遊ぼうとしていた女が、大粒の涙をこぼしていた。
なぜ? 俺が急にキレて、怖くなったからか? しかし、あれだけ俺にひどい言葉を浴びせた彼女が、少し怒鳴られたくらいで泣いたりするだろうか。
それも、自分が見下している男を相手に。
「――ねぇ、どうしてフったんですか?」
「っ!?」
突然、俺と彼女しかいなかったはずの路地で、背後から声をかけられた。
身体を声の方角に向けると、茜色に染まる空と街を背景にして、逃げていった彼女と同じ制服を着た女子が、いつのまにかそこに立っていた。
三つ編みにしたおさげが両肩にかかっていて、純朴な光を湛えた瞳には、意外な人物の登場に驚きを隠せない俺の情けない顔が映っている。目線は俺の首元あたりにあるが、首を傾けて俺の顔をまっすぐに見つめていた。
その女子のことを、俺は知っている。同じクラスの斎藤亜里沙さんだ。
といっても、話したことは一度もない。三年までは同じクラスになったことがなくて、クラスメイトになったいまも、他の女子とも絡まず、常に一人で過ごしている彼女にはどことなく近寄りがたい雰囲気があった。そもそも異性と喋ること自体が得意じゃない俺が話しかけるには、まさに最高難度の相手といえよう。
そんな寡黙な印象の斎藤さんが、純粋な興味を秘める瞳を携えて、不思議そうに俺に尋ねてきた。
「斎藤さん、見てたんだ」
「うん。どうしてフったんですか? あの子、佐藤くんが好きだっていってたじゃないですか。佐藤くんだって、あの子が好きだったんじゃないんですか?」
「最初から見てたんだ……。なんか死にたくなってきた……」
「教えてください。どうしてなんですか?」
やや強めな口調で詰問される。
どうしてそんなことを他人に話さねばならないのか。
そう思ったが、斎藤さんと話すのはこれが初めてだ。せっかく会話する機会を得たのに、簡単に断って早々に話を終わらせるのは、なんとなくもったいない。
やや逡巡して、俺は偶然居合わせた斎藤さんに、自分の心情を包み隠さず素直に打ち明けた。
「最初から難しいって思ってたからね。付き合えたらラッキー程度の気持ちだったわけ。もっとも、いまとなってはあんな性悪女、こっちから願い下げだ。なんであんな奴が人気なのかね? 斎藤さんもそう思わない?」
いきなり他人の悪口を叩いては嫌われるかもしれない。けれども、状況は斎藤さんも見ていたんだ。きっと理解してくれるだろう。
斎藤さんは登場から感情の読めない硬い表情を貫いていた。俺のやわらかい口調に、愛想笑いくらいはしてくれるんじゃないかと期待したが、
予想に反して、斎藤さんは信じられない言葉を聞いたかのように目を丸くした。
「……まさか、覚えているんですか?」
「え? ……浴びせられた暴言のこと? そりゃあ、当分は忘れられそうにないけど」
「そうじゃなくて、告白したことです。佐藤くんが、あの子に」
「そりゃあ、まぁ。人生初の告白だったから、そっちも一生忘れられないかもしれないな」
「――――!」
よくわからない質問をした斎藤さんは、俺の回答を聞くなり息を呑んで、
顔に張り付けていた無表情を弛緩させて、口元に微笑を浮かべた。
「佐藤くん、失礼を承知で訊きますけど、告白した彼女のこと、実はそれほど好きじゃなかったんじゃないですか?」
「どうかな。もしかしたら、そうかもしれない。でも、ずっとそうだったんだ。俺は、どれだけ好きになれば告白すべきなのか、そこがいまいちわからない。どこまで好きになれば〝それほど〟なのか、いまいち理解できないんだ。昔から、ずっと」
「人を好きになる感覚がわからないってことですか?」
「そこまではいかないけど、なんていうのかな……」
「恋をしたくなるほど人を好きになれないってこと?」
「まぁ……そんなところかな?」
異性と恋愛の話をすることに恥ずかしさを覚えて曖昧に答えてしまったが、まさにそのとおりだ。
中途半端な恋情が轟沈したいま、もはや恋愛への欲求は欠片も残っていない。恋愛するつもりがないのかと問われれば、首を縦に振って正しいだろう。訊き方は違うが、斎藤さんはそういうことを質問したのだと解釈した。
俺が答えると、斎藤さんは今度こそ緊張の混じらない純真な笑みをこぼして、
「――じゃあ、私と同じね」
「同じ?」
「うん」
急に砕けた喋り方になった斎藤さんは、ちょっとだけ照れくさそうな表情で、
「私も、恋愛できないから」
冗談のように、しかしそれが嘘だとは思わせない真摯な想いを織り交ぜて、俺にそう告白した。
その告白に、俺は返す言葉を失う。
初めて会う同種の人間を前に、ひどく困惑していたから。
「佐藤くんも恋愛できないんなら――」
間抜けに口を半開きにして、彼女の声を聴くだけで精一杯になっている俺に、
「私たちの分まで、周りの人を幸せにしてみない?」
斎藤さんは、真剣な眼差しで、
「叶わないはずの恋愛を、叶えてあげることで」
そんな、酔狂な誘いをしてきたのだった。
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