3月28日(火)_好きって言うのは恥ずかしい
七海美奈は大学でサークルに属したことがない。そのせいもあってか、これまで後輩と呼べる人間はいなかった。
だから、後輩を可愛がりたい先輩心とか、忠告したい老婆心みたいなものがピンと来ていなかったのだ。
喫茶『ヴィンテージ』にくるると解人がやってくるまでは。
「ど、どうしましょう美奈さん~……」
くるるが魂の抜けそうな声を出す。カウンター席に突っ伏している。休憩中だった。
平日の午後なだけあり、客は少ない。カウンター席にも端っこに一人、ヘッドホンをつけてメタルを聴くおじいちゃんがいるだけだ。
くるるに泣きつかれた美奈は、キッチンカウンターの内側で微笑む。元から可愛い後輩は、悩んでいる姿も可愛かった。
「どうしたの~、くるるちゃん」
「私、この前決めたじゃないですか。解ってもらうためにちゃんと言えるようになりたいって」
「言ってたねえ」
美奈は、ホールでテーブルの片づけをしている解人に目をやる。
くるると話したことを思い出した。
これまで色々と頑張った結果、どうやら解人は恋心への気づきが苦手なのではないかという仮説が立って。
それなら解ってもらうためには、ストレートに、確実な言葉で伝えなければとくるるは誓ったのだった。
「でも……」
「でも?」
「自分の気持ちを正直に伝えるのって……めちゃくちゃ難しい……!」
「きゃ~、甘酸っぱい~」
「からかわないでくださいよぅ……」
くるるがしょぼしょぼとしおれるので、美奈は慌ててフォローを入れる。
「でも~、くるるちゃんはこれまで好意全開で明石くんに接してたじゃない? わたしでもすぐに分かったくらいだし」
「うっ……だってそれは……気持ちを伝えようとしてたからじゃなくて……ただ、感情が漏れ出していただけで……」
「意識しないでラブラブオーラが出ちゃってたってこと~?」
「美奈さんのいじわるっ!」
「ふふっ。でも、なおのこと簡単そうだけどなぁ。いつもよりグイグイ行けばいいんじゃないの?」
くるるの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「……恥ずかしいじゃないですか」
「あらあらあら~うふふふ~~~」
美奈は思わず貴婦人のように感嘆してしまう。
可愛い後輩の可愛い表情に心が満たされた美奈は、黙ってカフェオレを差し出した。いいものを見せてくれてありがとう、のお布施である。
コーヒーカップを受け取ったくるるが、テーブルの小瓶から角砂糖をひとつ手に取る。
「だって、言葉で好きって伝えようとしたら……感情のプールにダイブしなきゃいけないんだって気付かされて……」
くるるの指先から角砂糖が落とされる。カフェオレの水面をとぽんと揺らして波紋を作った。
美奈にはくるるの言葉の意味が解らなかった。
「感情のプール?」
「なんの話ですか」
急にかけられた声にくるると美奈が飛び跳ねる。気付けば解人が二人の目の前にいた。
手には清掃用のクロスと銀色のお盆を持っていた。
解人が差し出すお盆を美奈は受け取る。
「明石くんもうフロアの清掃は終わったの~? 早いね~」
「かっ、カイトくんおつかれー……さまー……」
「……? なんかありました?」
「え~……と、あ、そうそう感情のプールの話でねえ」
「み、美奈さん!?」
席を立つくるる。美奈は上手くやるから、とウインクを送る。
くるるは緊張の面持ちで席についた。
「昨日観たアニメで『気持ちを伝えようとすればするほど、自らの感情のプールに飛び込まなければいけない』って名言が出てきてさ~。それってどういう意味だろうねってくるるちゃんと話してたんだぁ」
大ウソである。
解人はそんなことは露知らず、うーん、と考え込み。
シーンの前後が分からないので何とも言えないんですが、と前置きをして話し始める。
「言葉にしようとしたら自分の感情を自覚しなきゃいけない、って意味ですかね?」
「自分の感情を、自覚する?」
「例えばそうだな……七海さんが店長に怒るとするじゃないですか」
「どういう状況なの~」
「えっと……冷蔵庫に入れてたプリンを食べられる、とか……?」
「え~同棲中のカップルじゃないんだから~」
「店長がプリンを勝手に食べたことを知って、七海さんはカチンときたとしましょう」
「うんうん。怒りました~、ぷんぷん」
美奈が、解人のたとえ話に小芝居を添える。
「で、その怒りを店長に伝えようとするじゃないですか。どうしたら怒りが伝わるのか言葉を選んでいく」
「うんうん。怒りました……殴りますよ……違うなぁ……辞めますよ……うぅん、この怒りは……訴えますよ?」
「プリンの恨みが深いですね」
一部、バイオレンスなワードが混じっていたが、解人は聞こえていないふりをした。
「だってリアルに考えていくうちに、ひとのものを勝手にとるなんて許せないなあって思ってきちゃってね~」
「それですよ」
「へ?」
「七海さんは、自分の中の怒りを表現するのにふさわしい言葉を探しているうちに自分の怒りに触れたわけじゃないですか」
「怒りに、触れた」
「言葉を選んでいくなかで、心の中の怒りと向き合った、みたいな」
「それを、感情のプールに飛び込むって表現しているんじゃないでしょうか」
「なるほどなあ」
美奈が感心していると、呼び鈴が鳴った。
解人は、じゃあ、と言って客席へと向かっていく。
「……んで、くるるちゃん合ってる?」
「はひ……たぶん合ってます……」
「つまりくるるちゃんは、明石くんに好きって伝えようと思えば思うほど、自分が明石くんのことを本当に好きなんだなあと自覚してしまって、恥ずかしくなってしまった……と」
くるるが両手で顔を覆った。耳までしっかり赤くなっている。
可愛い後輩の姿に、美奈は背中を押してやりたくなった。
「明石くんと距離を置きたいわけじゃないんでしょ~?」
「もちろんですっ」
くるるが顔を上げる。
「カイトくんともっと仲良くなりたいのに恥ずかしくって近づけないんです。……そんなの、いやなんです」
ゆっくりと、絞り出すようにくるるは言った。
「くるるちゃん。わたし、四月から新社会人になるんだよ。だからさ、お店も三月三十一日で卒業なの~」
「そう、ですね……もうあとちょっとで、寂しいです……」
「だからプレゼント買ってよ」
「へ?」
「そうだ、せっかくなら後輩ちゃんたち二人が選んでくれたものが良いな~……だから、買って来てよ、明石くんと二人で」
「それって……」
くるるの目が輝く。
自分のことはデートの口実に使ってくれていいよ。
美奈はそう言っていたのだ。
「み、美奈さんっ! 私……がんばりますっ!」
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