3月27日(月)_狙えホームラン

 年度末最後の月曜日。

 大人たちには余裕のない朝。

 一方、春休みでバイトもない解人は部屋でブリッジをしていた。

 年頃の高校生らしく、色恋の悩みに頭を抱えていたのだ。

 考えが巡るうちに居ても立っても居られなくなり、感情が暴れ、気付けば体を反っていた。

 キス未遂を打ち明けたくるるの言葉がずっと頭に残っている。


『私、桜間くるるは明石解人くんのラブみ溢れる幼い振る舞いにトキメいてしまった結果……その……私は……君の首すじにキスをしようとして……』


 顔が赤くなる。ブリッジのせいではない。

『ラブみ溢れる』とか『トキメいて』という単語から考えるに、好意的に想われていたのだと、解人は内心、天にも昇る気持ちだった。

 数日のうちは。


 けれど、懺悔ともとれるキス未遂の打ち明けからもう三日が経った。

 くるるとの関係は進展していない。


 彼女からの好意がないのでは? とは解人は思わない。

 あれだけ赤裸々に語られたのに、自分への好意は皆無だとすっとぼけられるほど解人は情けなくはなかった。くるるは間違いなく自分に対して好意を抱いていると確信できていた。


 解人だって自分の気持ちは誤魔化せない。

 くるるが好きで、くるると付き合いたいと思っている。


 あれから数日が経つにもかかわらずくるるの対応が変わらないとなると、好意の種類・・・・・については悩まざるを得ない。

 

 ひとくちに愛といってもその種類は多いと解人は考えている。高校生ともなれば、『好き』という言葉が持つ意味の多様さに気付きはじめるもので。

 友情だって愛の一種ともいえるし、崇敬だって愛といえなくもない。

 幼い振る舞いにトキメいて、という言い方からして母性という線も捨てきれない。

 風邪で弱った解人に対して慈愛の心を向けていただけという可能性も。


 普段はくるるの言うことを理解してきた解人だ。

 それなのに、どうして自分に向けられた好意の種類が解らないのか、不思議でならなかった。


 ピコン、と床に置いたスマホが鳴る。LINEの通知音だった。

 解人はくるるからの連絡を期待し、片手でブリッジを保ったまま、もう片方の手を伸ばす。


「ぐえっ」


 床に背中から倒れ込んだ。片手では自分を支えられなかった。

 自らの非力を恨みながらLINEを確認する。


[剛志:ヒマか?]9:14


 野球部で坊主頭の声がデカい友人、剛志つよしだった。


[解人:要件をいえ要件を]9:14

[剛志:部活が休みなんだわ]9:14

[剛志:遊ぼうぜ]9:14


 解人は二つ返事で友人の誘いに乗った。

 遊ぶという気分でもなかったが、部屋でブリッジをしていても何も変わらないのだから気分転換できる方がいいと考え、解人は家を出る。



 ◇ ◆ ◇



 鋭い金属音が響きわたる。バットがボールを捉える硬い音だ。

 二人はバッティングセンターにいた。


「今さらだけどよ剛志つよし、高馬さんと出かけなくてよかったのか? 野球部の休みなんてほとんどないだろ」

「理央と会えるならそうしてるけどよー。家族旅行だってさー」

「代打として俺が指名されたってわけだ」

「バッティングセンターだけに──ってか!」


 スポーツウェア姿の剛志が爽やかに笑う。


「しっかし野球部が休みとは珍しいな」

「気合入れすぎたっちゅーかなんちゅーか。オーバーワークだから休めって顧問ブチギレでさあ──」


 聞けば、春の選抜に選ばれなかった悔しさから部員一同が燃えあがっているらしい。


「──っつーワケでこうして休んでるってこと!」

「バッティングセンターで打つのは休みって言えるのか?」

「この程度は練習じゃねーからセーフ!」

「休みじゃないからアウトだと思うけどな」

「厳しい判定だな!」

「顧問の先生は体をいたわって欲しいんだろ?」

「俺だって、んなこたぁ分かってるさ! でもよ、なんかしてねーと落ち着かねーんだよなぁ」

「む……」


 解人にスポーツのことは解らない。

 ただ、どうにもできなくて居ても立っても居られない気持ちは、今の解人にはよく分かる。


「まあ、無理しない範囲でなら……」

「っしゃあ! 勝負しようぜ、ジュース賭けてさ!」

「勝負にならんわ。こっちは帰宅部だぞ」

「ハンデ有りならどうだ? 俺が120キロで、解人は100キロ!」


 球速を言われてもまったくピンと来ない解人だったが、当てずっぽうで下げの交渉をしてみる。


「……90なら」


 三桁だと手も足も出なさそうだが、二桁であればいけるかもしれないという、根拠のない素人考えだった。


「いいぜ! んじゃー、三セット勝負。ヒットの数が多い方が勝ち。ホームランが出たらそこで勝負アリってことで!」

「望むところだ。……ところで剛志、バントはヒットに含まれるか?」


 剛志は爆笑した。

 解人としては至って真面目に聞いたつもりだったが。

 取りあえずバットを振れば前に飛ぶと聞いた解人は、それなら簡単そうだとバッターボックスに立つ。


「よし、軽くやってみますか」


 解人はピッチャーマシンを睨み、バットを構えた。

 10分後。


「あんなの当たるかっ!」


 互いに一セット目を終えたところで解人が叫んだ。

 備え付けのベンチに二人で腰掛けている。解人が休憩、もとい魂の叫びタイムを所望したためだ。

 剛志が首を傾げる。


「おー? フツーにちょうどいいかと思ったんだけどなー」

「野球部め……! できるやつはいっつもそう言うんだ……!」

「解人だって自信たっぷりだったじゃん」

「そうだよ。一球目が飛んでくるまではな」

「あー、その感覚わかるわあ。わかるわかる」

「ウソつけっ! ポコポコ打ってただろ!」

「マジマジ。この前、ライバル校と練習試合したときに思ったもん」


「……ふむ?」


 これは真面目な話だなと感じた解人は居住まいを正す。


「エースピッチャーがめっちゃ強いって話だったからさー、試合の動画見て対策しようぜって話になって」

「すげえな。そこまでやるのか」

「勝つためだからな! んでよー、何度も見てるうちに、イケるんじゃね? って盛り上がったんだわ。シミュレーションは完璧、ってな!」

「……オチが見えるな。実際はどうだったん?」

「もうめっちゃやべーの! 手前でギュンッて伸びんだよ! ギュンッて! 変化球もズドンって落ちるし! ズドン! 豪腕だぜ、ごーわん!」

「わからんわからんわからん」


 剛志が興奮冷めやらぬ様子で身振り手振りを交えて解説するのを、解人はなだめた。


「でも解人だって分かったろ? なんつーか……外から見てるのと、自分が向き合うのとじゃ全然ちげーんだ! って」

「それはもう、身に染みて……」


 解人の声が細くなっていく。

 頭の中で何かが繋がった気がした。


 ──外から見てるのと、自分が向き合うのとでは違う……?


 これまで自分は、くるるというピッチャーを外から見ていたのかもしれない。外野にいたからこそ冷静に観察できていたんだ、と。

 けれど今は、彼女の想いをちっとも読み解けていない。

 それが現実だ。

 当事者としてバッターボックスに立たされると、解らないことだらけなんだ。


「──と、おい解人! まーた考え事か? そろそろ二セット目行こうぜ!」


 剛志に呼びかけられ、解人は我に返る。

 

「ああ……悪い」


 解人は再びバッターボックスに立つ。

 白球が迫り、空振り。

 次の球も解人の前を無傷で通過。後ろのネットに突き刺さる。


「……なあ、剛志。その豪腕ピッチャーには勝てたのか?」

「いーや! 一本も前に飛ばさせてもらえなかったね。綺麗に空振り三振バッターアウト!」


 そこでちょうど三度目の空振り。奇しくも剛志の言葉と同じ状況だった。

 くるるからの想いを正面から受け止めたことが無い自分も、空振り三振バッターアウトになってしまったら、と。

 解人は俯きかけた。

 しかし、明るい声で剛志が言う。


「でも、次はぜってー打つぜ!」


 ハッと顔を向ける。剛志が勇ましく笑っていた。

 四球目がネットとハグする音がした。


「解人! 前見ろ、前!」


 慌てて視線を戻して五球目に合わせに行くが、これまた空振り。ちゃんと向き合わずに打てるわけもない。

 解人は六球目を見送りながら、剛志に問いかける。


「……どこからその自信が湧いてくるんだ? 手も足も出なかったんだろ?」

「まぁ、動画見ただけじゃ打てなかったわな。でも、バッターボックスに立ったから気付けたこともあったぜ? これって一歩進んだってことだろ」

「一歩進んだ──」


 解人は真っ直ぐに前を見つめる。

 たったいま七球目が目の前に迫り。

 フルスイングをする。

 鈍い音がした。

 ボールは後ろに跳ねる。

 前には飛ばなかったのでヒットとは呼べない。しかし、バットにボールは当たった。

 

「な? 解人だって当てられるようになってきたじゃん」


 手の中のバットを、解人は見つめる。


 確かに一歩進んだのかもしれない。

 桜間さんの気持ちに対しても同じかもしれない。


 解人は小さく微笑む。

 今は慣れていないけれど、少しずつ自分への気持ちも解っていけるかもしれないと。

 バッターボックスに立ったのなら、くるるの投球と真っ直ぐ向き合っていこうと。


 狙うはホームラン。

 つまり、交際だ。

 そのためには何度でもバッターボックスに立つのみと胸に刻む解人だった。

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