3月24日(金)_変わることを楽しめるように
美容院。
うまれてから床屋にしかお世話になったことのない解人にとってハードルの高いオシャレな秘境。
今日、解人はその未知の秘境を訪れていた。
流行りのポップスが流れる店内。そして、シャンプーやヘアオイルなどの放つ、いい匂い。
なにより店内が明るい。照明だけではなく雰囲気も。
学校のイケてるグループが放つ陽のオーラに似たものを解人は全身で浴びていた。
そんな秘境に自ら赴く勇気は解人にはない。今日はひとりで足を運んできたわけではなく。
解人が鏡の向こうでちょこんとソファに座る少女を見る。
少女──桜間くるるがそれに気づき、はにかんで小さく手を振った。解人は見ていたことがバレて恥ずかしくなり、思わず顔を背ける。
今日はくるるに連れてきてもらっていた。
「首もと苦しいとかないっすか!」
いきなり話しかけられた解人はビクッとする。
担当の美容師さんが、にこやかに解人へ語り掛けてきた。小粋なハットを頭に載せてロングヘアの男性。見るからにあか抜けた人だな、と解人は慄く。
「だ、大丈夫、です」
慣れない空気に息苦しさを感じる解人だったが、まさかオシャレすぎて呼吸がしづらいなどと言えるはずもない。髪の毛が服につかないようにと被せられた散髪ケープも、床屋のものより洒脱に見える。
くるるがいつもこんなところで髪を切ってもらっていたのかと考えると、解人は尊敬の念すらこみあげてきた。
あとは切ってもらうだけだろうし、このままお地蔵様のように黙っていようと解人は目を瞑る。
しかし。
「お兄さん、美容院初めてなんですよね」
美容師から話しかけられ、地蔵作戦はすぐに失敗となる。
「へ!? あ、そう、です」
「今日はどんな感じにしよっかなーとか、考えてる感じっすか?」
「どんな感じ……」
「そっすねー、マッシュにしたいとかー、思い切ってツーブロックにしてみるとかー。レイヤー入れて軽めにするのも人気っすね」
「ま、ましゅ? つぶろっく? れいあー?」
美容師の男性は解人の前に置かれた雑誌をパラパラとめくっていく。
なるほどふむふむ。なるほどへえへえ。
うん、全然わからん。
解人は混乱に陥っていた。完全に予想外だった。
子どものころから通う地元の床屋では何も言わずに適当に切ってもらって、無言のままで家路につける。
なんとなく自分の髪型というものが存在している世界でしか生きてこなかったのだ。
その常識が美容院に壊された。
今の解人は床屋のおじちゃんにおまかせのスタイルに加えて二ヶ月も放置したために伸び放題となっている。
不潔ではないが、前髪も襟足も長く、飲食店でバイトをする上でもこれ以上は伸ばしていられないといった状態だった。
「えー……と……オススメってあります?」
解人は、自分ではそもそもどういう感じにしたいのかもわからず、美容師に質問することにした。
以前くるるとインドカレーの店に行ったときにも使った小技だ。
「んー、そうですねー、初めてならあんまりスタイリングに手間がかからないのがいいかなとは思います」
「すたい……?」
「ワックスとかジェルとか、スプレーで固めたりとかっすね。スタイリングが前提のきり方とかもあるんでー」
「ああ、なるほど」
そういえばクラスのイケてる男子たちがそういうことをしていたのを見たことがあるような無いような。
オシャレにはやはり努力が必要らしい。
「できれば、そういうのはないのがいいんですけど……」
「全然大丈夫っすよー。そしたらこのへんとかどうかなー……」
美容師がカタログをめくりながら、頭の形や顔立ちに合う髪型をいくつか紹介していく。
解人の頭はパンク寸前だった。
なるべく言葉を尽くして説明してくれるものの、聞き慣れない単語が多すぎる。
そもそもいつも同じ髪型にしかならない解人にとって『仕上がりをイメージする』ということ自体へのイメージができなかったのだ。
再び、美容院に通っているくるるへの尊敬レベルが上がる。
「……あの、おまかせって、できますかね」
「んー、もちろんできますよ。でも……」
「でも?」
美容師が、持論なんでぜんぜんスルーしてもらってもいいんですけど、と前置きをして語る。
「せっかく来てもらったので、できれば『これまでの自分と違うかも』っていう体験をして欲しいんすよねー」
「これまでと、違う……」
「お兄さんは初めての美容院だって言うしね。それなら、自分で気に入った髪型を選んでほしいなって思うんですよ。一ヶ月とか二ヶ月とか付き合うことになる、自分自身の髪型なんで」
彼の言葉に、解人はハッとした。
美容院に誘ってくれたのはくるるだったが、行こうと決めたのは自分自身だ。
そして行こうと思った理由はきっと、変わりたいと心のどこかで思ったから。
いつもと違うことをしてみたいと思ったからだ。
昨日のジェラートの味を思い出す。
結局、店員さんにおまかせしてしまった。
おまかせというのは結局、これまで床屋に通っていたときの心持ちと変わらない。他人に任せておけば自分に責任は及ばないから。安心できるから。
そこから変わろうとしたのだ。
なら、未知だとしても、怖いとしても、自分で選ぶ必要があるだろう。
解人はヘアカタログに自ら手を伸ばす。
「……あの、考えさせてもらっていいですか」
こんなところで変化を恐れていられない。
今日の、もう一つ目的のためにも。
◇ ◆ ◇
くるるはソファで待つ間、終始ソワソワしっぱなしだった。
解人がどんな変化を見せるのかということも気になっていたけれど、それよりなにより。
キス未遂についてだ。
どういえば、どのタイミングで。
ここ数日ずっと考えていた。何度もシミュレーションした。
勝手にキスをしようとしたという事実を考えると、嫌われるオチしか思い描けなかった。
悪夢も見た。
砂漠で解人に置いていかれる夢を。解人はジープを運転して、新しくパートナーを見つけて、オアシスを目指すのだ。
そんな状態で美容院へ来て、今もこうして机の木目を眺めながら思考はぐるぐると回り。
「桜間さん、おまたせ」
声をかけられてビクッと飛び跳ねた。
「か、カイトくんおつかれさま!」
「ああ……うん、疲れたね……」
解人が力なく笑う。
くるるはその姿をまじまじと見つめる。
眉を完全に隠していた前髪はいくらか短くなり、解人の瞳が露わになっていた。
襟足は綺麗に刈り上げられ、驚くほどにさっぱりとしている。
といってもヤンチャな感じではなく、あか抜けた清潔感があるようにくるるには見えた。
すっかり印象の変わった解人を前にして、くるるの脳内にあった悩みは一瞬だけ吹き飛んで。
「かっこいい……!」
「んぐっ……」
くるるがキラキラとした目で解人を見つめる。
解人は恥ずかしくて耐えられないといった様子で顔を腕で覆った。
勇気を出して変わろうと思ってよかった、とくるるの感想を噛みしめていたのだが、さすがに面と向かってまじまじと見つめられると、解人には恥ずかしすぎて。
「と、取りあえず店を出ようか!」
逃げるように店を出た。
時刻はお昼どき。どこかでお腹を満たしたいと歩き回ってみたものの、どこもランチタイムのサラリーマンでいっぱいだった。
足が棒になる前に、と解人は本屋に併設されたカフェを提案する。ケーキやプリンくらいしかないと伝えたところ、くるるは甘いものが食べたかったと言うので、二人はようやく腰を落ち着けることになった。
一棟丸ごと本を売っているビルの4階。
客は二人の他にいなかった。
「たぶん、ここにカフェがあるって知られてないと思うんだ」
解人は密かな穴場を紹介するつもりでくるるを連れてきたのだが。
もう一つ目的があった。
頼んだ紅茶とケーキを机の端に追いやる。主役は君たちではないと言うように。
目の前の少女を見つめる。
今日の主役は、彼女と、そして自分だと解人は分かっていた。
キス未遂について聞きたい。聞かなくてはいけない。
相手の考えていることを明らかにすることで自分たちの関係性が変わるかもしれないとは考えた。考えて、辞めようかとも思った。
変わるのは怖いから。
けれど、悪いことばかりでもないのだと今日、解人は気付けた。
解人の真剣な目に気付き、くるるもまた、皿をわきへ避ける。
「桜間さん、えっと──」
「待ってカイトくん」
「へ?」
「言わせてほしい。私から」
くるるがスッと手のひらを前に突き出して解人の言葉を遮る。これまでにないほど真面目な表情をしているので、解人は選手宣誓みたいだなと場違いな感想すら抱いてしまう。
「私、桜間くるるは、風邪で寝込んでいた明石解人くんへ対し、接吻を行おうとしました」
「……桜間さん???」
解人はどうもおかしいぞ、と感じた。
言っている内容も気になるが、言い方が堅苦しすぎる。
「風邪で弱っていた明石解人くんを非常に可愛らしく感じたため、愛おしさを感じて行為に及ぼうとしました。誓って、やましい気持ちはありませんでした。が! 眠っている人間へ許可もなくキスをするという行為は、童話の中の王子様くらいにしか許されていません!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って桜間さん」
「つまり私、桜間くるるは明石解人くんのラブみ溢れる幼い振る舞いにトキメいてしまった結果……その……私は……君の首すじにキスをしようとして……ううう~~~!!!!」
「お、落ち着いて桜間さん!」
お堅い口調は保たれず、途中でいつものくるるに戻ってしまう。
挙句、最後の方には顔を真っ赤にして両手で覆い始めるものだから、解人は慌てふためいた。
「わ、私、最低なことをしたんだ……好きなだけ罵ってくれていいんだよカイトくん……」
「いや、別に俺は怒ってないし、っていうか……その、むしろ……っていうか……えっと」
「……ほんと? ほんとに怒ってない?」
くるるが指の隙間から覗くように解人を見る。
涙で潤み、目の周りが赤く腫れている。
恥ずかしさなのか、怯えなのか、解人には解らなかった。それでもやることは決まっていて。
「怒ってないよ。だから泣かないでくれ」
ここ最近泣かせてばかりだなと解人は紙ナプキンを差し出す。
くるるは受け取ると、涙を拭かずに洟をかんだ。
「わけわからないことしてごめん……ずっと……なんて言ったらいいのかなとか、考えてたんだけど、砂漠で置いていかれる夢とか見るし……」
「さばく?」
「私は置いていかれちゃうんだけど、カイトくんはラクダだけ渡してくれて、それが優しいなって、思ったりして。でもカイトくんは他の人といっしょに車でどっか行っちゃう夢で……」
「ストップストップ! 情報量が多い!」
「……でも、怒ってないなら、よかった」
心底ほっとしたようにくるるはため息をつく。
「俺としては怒るどころか…………いや、なんでもない」
「んえ?」
嬉しかったけどな。
と、言おうとして解人はやめた。
この場の勢いだけで言ってはいけない。そんな大事なことはもっとしっかりと伝えなくてはいけない。そう思ったのだ。
恥ずかしいかもしれないけれど、今の自分ならできる気がした。
変わることが少しだけ怖くなくなった、今の自分なら。
自分で選んだ髪型が褒められただけかもしれない。
相手の本音を尋ねようとしたら嬉しい結果が聞けただけかもしれない。
けれどそれは解人にとっては大きな一歩だったのだ。
解人は少しばかり、変わることを楽しめるような気がした。
「ひとまず、ケーキ食べちゃおうか」
「そだね。紅茶も、冷めないうちに」
テーブルの端に寄せたスイーツを引き寄せる。
甘い甘い午後を堪能した二人だった。
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