3月23日(木)_変わるのは怖い

 朝ごはんを食べ終えた解人がソファでスマホをいじっていると、ぬっと現れた影が手を伸ばして頬を両側から挟んだ。

 出勤前の母親、早苗だった。


「……なにすんだよ」

「あんた春休みだからってぐうたらしないの。毎日毎日ぼーっとした顔してると顔つきまでぼーっとしてくるよ。幸せが逃げるよ」


 幸せが逃げるという言い回しに解人は反応してしまう。

 ちょうど好きな人がいてキス未遂の問題も消化してない今、そんなことを言われると反論の一つもしたくなる。


「幸せが逃げるってなんだよ。顔つきは昔からこうだろ。母さんからの遺伝だ」

「それは顔立ちでしょ。あんた顔立ちは私に似て美人でしょっ」

「何が違うんだよ。あとつっこまねーぞ」


 解人は早苗の手をつかんで退ける。

 むっとした早苗は腹いせとばかりに解人の髪をくしゃくしゃにしてから、腕時計をちらりと見る。そして余裕そうにニヤリとする。


 これはプチ説教パターンだなと解人は察した。時間ギリギリで電車に間に合わなさそうならこんな表情はしない。

 部屋に逃げようとするが頭を押さえつけられた。


「我が息子よ、よく聞くのだ。幸せをつかむための方法を」

「へい」

「顔立ちっていうのは生まれつきのもの。顔つきっていうのはその人がどう過ごしてきたかの表れなのよ」

「どう過ごしてきたかって、そんなこと分かるもんかね」

「長く生きれば分かる! 顔つきを見ればどんな性格かがだいたいわかる!」

「見た目で判断する悪い大人だ」

「ちゃいっ」


 早苗は生意気な息子の額に、こつんとチョップをいれる。


「そのくらい顔つきには人生が表れるってことなの。今の解人みたいに毎日ぬぼーっとしてたら半目で暗ーい顔つきになっちゃうし、いっつも笑ってる人は顔の筋肉がそうやって馴染んでいくの!」

「それが幸せとどう関係あるんだよ」

「顔つきから不幸が漂ってると幸せは逃げてくってことだぞー」


 解人の頬をぐにぐにとつねる早苗。


「うわ、やめろってまじで」

「つーわけで、幸せを呼び込むために普段と違うことをしなさい! 具体的にはおつかいを命ずる!」

「最初からそっちが目的かよ。どうりでめちゃくちゃ言うと思ったら」

「あとでLINEするからよろしくっ! んじゃねー行ってきまーす」


 言いたいことだけ言って早苗は出勤してしまった。


 しばらくは反抗するようにぐうたらとソファの上で過ごした解人だったが、一時間もしないうちに言われたことが気になってきた。

 解人はスマホのインカメを起動する。

 冴えない顔立ち──否、顔つきの男が写る。


「……毎日ぬぼーっと過ごしてるから、か」


 八割がた、母親が買い物を頼むための嘘だとは思うが、的を射ているとも思う。

 確かに解人はルーティン通りの生活を好み、変わることを恐れる性格だった。

 実際のところ、バイトを始めようかと思ったときも、ほとんど口だけのつもりだった。くるるが乗り気になって探してくれたこともあり、次第に前向きになっただけで。

 

 それになにより。

 くるるのことを好いていながら、進展するために踏み出せていない。

 自分と相手との関係が変わってしまうことが怖かったのだ。


 幸せが逃げるよと言われたことが妙に頭に残る。


「……ちぇ」


 母親の思惑通りに動くのはなんだか癪だったが、解人は身支度を整えると、買い物がてら散歩に出かけることにした。

 家のドアを開けたところでLINEの通知が届く。

 母親から買い物リストが届いていた。

 ついでに、と解人はくるるからの連絡がないか目を通す。特にメッセージはない。未読を示すバッジが無かったから知っていたのだが、それでも気になってしまうのだった。


 近所のスーパーで済ませても良かったものの、せっかくなので足を延ばして隣の駅まで歩くことにした。

 最寄り駅よりは大きな駅で、休日ともなると人がごった返す。

 平日である今日は、通勤時間を過ぎているためか賑わいはぼちぼちといったところ。


 解人はショッピングビルに足を踏み入れる。

 頼まれた買い物ついでに、普段は見ないような店にも顔を出してみた。ただ、どこもなんとなく敷居が高く感じてソワソワし、すぐにショップをあとにしてしまう。

 雑貨屋、小物屋などは特に女性客が多く、居心地が悪かった。

 駅前に戻ってくると、解人はジェラート屋を見つけた。


 桜間さんが好きそうだよな、とふと思う。

 解人はくるるが甘いものを好きだと言っていたことを覚えていたのだ。甘党ではない解人では気付かなかっただろうことだ。

 気が付けば足を運んでいた。

 解人自身も意外だったが、普段しないことを、と考えていたからかもしれないなと納得する。


 そしてすぐ後悔する。

 店員のお姉さんがにこやかにジェラートのフレーバーについて説明してくれる。カスタムもできますよーと言われるが、解人にとっては種類が多くてなにがなんだかといった顔になる。

 混乱しているのをお姉さんも察してくれたのか、気を遣ってくれる。


「もしよかったら、おまかせで作りましょうか」

「おまかせ、ですか」

「こちらでオススメの組み合わせを選ばせていただきます!」

「えと、じゃあ、それで」


 解人は助かった、と内心で冷や汗をぬぐった。

 いつもしないことをするのは疲れる。

 受け取ったジェラートをひと口。レモンの皮が甘苦い。ルーティンを脱そうと遠出して手に入れた味だ。

 案外悪くないのかもしれないなと思う。


「……いつもと違うこと、か」


 解人はスマホを取り出す。

 食べかけのジェラートにカメラを向けるとシャッター音を鳴らした。



 ◇ ◆ ◇



 くるるは通知のポップアップで、解人からメッセージが届いたことに気付く。

 緊張が走る。

 部屋で寝ころんでいたくるるは飛び起きるようにして正座になる。

 あれから一度もキス未遂については詮索されない。ついに来たのか、とくるるは唇をキュッと結ぶ。

 そっとトークルームを開く。


[解人:ジェラート買った]11:34

[解人:おいしい]11:35

[解人:種類多すぎた]11:36

[解人:店員さんに選んでもらった]11:36


 考えながら少しずつ文字を打ったであろうことは送信時間を見れば分かる。素っ気ない文面からも、解人の慣れなさがにじみ出ている。

 純朴だなとくるるは思う。

 と同時に、不純な自分との対比を感じて恥ずかしくなった。

 キス未遂をしたうえで、それを隠そうとしたり逃げたりする自分との。


「ふおお……明日謝ろう…………」


 くるるは横に倒れ込み、溶けたジェラートのように床に転がるのだった。

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